平安朝は歴史の授業で習ったが、印象はほとんど残ってなかった。「光る君へ」で平安朝の御所を舞台とする華やかな場面に吸い込まれた。主役が紫式部と道長で絡むというのが凄い発想だ。登場するのは枕草子の清少納言をはじめ赤染衛門、和泉式部、など名が残っている才媛ばかり、男は隅にやられ、道長と実資以外はバカに見える。最後には「更級日記」を書いた菅原孝標女がちぐさとして登場、ちなみに母の異母姉は「蜻蛉日記」の作者・ 藤原道綱母 である。
こうしてみると、あの時代は女性文学最高潮期だったのではないか?
最も印象に残っているのはやはりあの句を詠んだ場面だ。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」道長は娘が立后した祝いの宴で和歌を読み、実資は道長から返歌を求められていたが、「御歌優美なり」と答えて、列席した公卿たちとともに唱和することを提案して満月をめでながら唱和した。
ドラマでは道長亡き後、紫式部が旅に出るシーンで終わったが、どこへ行くのだろうか?私の想像では、石山寺
こうしてみると、あの時代は女性文学最高潮期だったのではないか?
最も印象に残っているのはやはりあの句を詠んだ場面だ。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」道長は娘が立后した祝いの宴で和歌を読み、実資は道長から返歌を求められていたが、「御歌優美なり」と答えて、列席した公卿たちとともに唱和することを提案して満月をめでながら唱和した。
ドラマでは道長亡き後、紫式部が旅に出るシーンで終わったが、どこへ行くのだろうか?私の想像では、石山寺
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