週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 民主主義を標榜する日本共産党

2017年10月21日 22時53分59秒 | たわごと(少し硬派に振って)
今年の1月にアップした § 民主主義と共産主義(ソビエト連邦崩壊と共産主義)日本共産党に関係するスレッドの言って見れば第二弾です。

この民主的な国家である日本だからある意味存在できるのかもしれない日本共産党です。
(民主主義は国民が望めば、暴力での政権転覆を行う政党でなく、適法であればどんな突飛な理論を掲げようが是認され許容され包含される懐の広い広い社会なのです。)
今まで政権をとったいかなる共産主義国家も民主的な国家は存在しないのです。
それは、民主主義を標榜している日本共産党が政権をとっても同じです。
人権を擁護して民主主義である政治体制、社会体制を維持する事は出来ないのです。
今まで世界に存在した共産主義国と日本共産党は異なると言っています。
(人権を無視した共産主義体制の国家とは対峙してきたと、日本共産党はいいますが。)
それでも私は信じる事ができません。
過去の武力闘争で政権を奪取するとか、天皇制を廃止するとかの問題ではないのです。
日本共産党綱領はこちらを読んでみて下さい。
制度的に民主主義と相容れないのです。
第二次世界大戦で終戦を迎えたとき、日本がアメリカ合衆国の占領地域とソビエト連邦の占領地域に二分割されないで本当に良かったと思っています。
ソビエト連邦での共産体制と日本共産党は違うと言いますが、国民を弾圧して民主主義の前に共産党が君臨する社会を認めることはできません。

日本共産党の組織形態は正しくしりませんからウキペディアの日本共産党を参考にさせていただきます。
日本共産党を率いる最高責任者は日本共産党委員長(正式には日本共産党中央委員会幹部会委員長)だそうです。
今の志位委員長が就任したのが2000年との事。
権力の座に長く座れば必ず腐敗するのです。
その権力の地位に既に17年の長きに亘り座り続けているのです。
世界の共産主義国家の元首と変わる事無く、権力の継承が民主的に行われないと言う事を示しているのです。
人間は神ではありません。
誤りを犯す事は必ずあるのです。
民主主義にある制度のその誤りを正すシステムが共産主義には無いのです。
最高権力者である委員長がその地位を下りる時は委譲失脚 しかないのです。
民主主義では委譲か失脚しかないなどの、こんな制度は決してありえないのです。
従って、共産主義政党の中では最高権力者であるための権力闘争がベールに包まれた暗闘が繰り広げられるのです。
民主主義と謳っていますが、この権力者の選出には民主主義の理念が存在しません。
その事が日本共産党も民主主義ではありえない証に他ならないのです。


日本共産党を支援する共産党員並びにシンパの支援者が日本には沢山居ます。
それでも政権をとる政党にはなり得ないのです。
その為に、責任政党としての政策を唱え訴える必要もないのです。
旧社会党系の流れをくむ政府ができても、現実に国民の生命財産を守る段になると以前に述べていた政策を施行する事は不可能なのです。
完全に政権をとる可能性の無い日本共産党であるからこそ、心に優しい現実を無視した政策を唱える事が出来るのです。
日本共産党が平和を愛する政党であり、人権を重要とする政党であるなど大間違いなのです
以前の私を含めて多くの日本人が錯覚していた、心に届く心地良い平和主義、すなわち口先だけでは平和は維持できないのです。
共産主義=平和主義と錯覚している人が沢山いるのが少し心配でもあります。
反対に日本共産党が平和主義の対極に居るとも思っていません。
この点は間違えないでほしいと思います。
ここで言っている事は、日本共産党が平和主義者でその他の民主主義政党が平和主義者でないと決め付けることが出来ないと述べているだけなのです。
その平和を達成し維持していくかの方法の違いにしか過ぎないと思っています。
自己の信じる信念と異なる政党以外は平和政党で無いと暗に決めつけて欲しくないのです。


政権をとれば、現実問題として平和を守り国民を守り領土を守る事に努めなければならないのです。
絵に描いた餅の如く、性善説を大上段に構えても平和は守れないのです。
再度述べますが、日本共産党は政権をとる可能性が無いからこそ実現不可能で心地良い平和平和との言葉を連呼できるのです。


そんな考えを持つ私でも日本共産党の存在を認める点があります。
権力闘争に関係ない底辺と言うと語弊があるかもしれませんが、潔癖な政治姿勢に裏打ちされた地方議員は大いに活躍して腐敗の摘発排除に活躍してほしいと願っています。
この点に関する地位を他の政党が占める事が出来ないのが悲しくもあり、残念でもあります。
その為、投票はしませんが地方自治体の議会での日本共産党の活躍は期待しています。



地方自治体での選挙では共産党の存在意義は認めますが、国政ではあり得ないと思っています。


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§ トヨタの憂鬱

2017年10月21日 22時15分25秒 | たわごと(少し硬派に振って)
電気自動車、すなわちEV(Electric Vehicle)ですが、ヨーロッパ諸国や中国など内燃機関であるガソリンエンジン、ディーゼルエンジンの自国内での走行など規制をかける事を表明しました。

7年前に「ガソリン車の終焉」と言うスレッドを書いた。
ここ一二年のEVの進歩発展は凄い物がある。
自分のブログの中のスレッドで電気自動車に関する記事だけでもこんなにヒットした。

トヨタの考え方は走行距離の問題などで未だ電気&ガソリンなどの内燃機関との併用を考えている。
電気は無尽蔵ではないし、蓄電池を造るメタル類の資源も無尽蔵ではない。
その上、ガソリンで有れば50リッター程度の給油でも数分で済んでしまう。
電気ではそんなに短時間での電気の充電は完了しない。
これらの事を考えると、世界的に電気自動車(EV)が普及するのは時間が掛かると考えていたのがトヨタ自動車と思われる。
電気自動車になれば変速機もいらず、ガソリンエンジンもディーゼルエンジンなどの機械的な内燃機関が必要とならずに、劇的に部品関係が減るのである。
その事はEVになれば社会の中に存在していた機械的な高度の技術を必要としていた企業が必要なくなる事を意味する。
重複するが、それらを造っていた一次下請けの製造会社(エンジンやミッションなどの機械的な)が必要無くなる事を意味するのである。
産業構造の劇的な変革をもたらすことになるEV革命である。
トヨタとすれば、親密な一時下請けなどへの配慮があり、EVへの舵切が遅れたのかもしれない。
今の社会では、ガソリンスタンドなどインフラが整い、その経済サイクルが廻っている。
しかし、EVを思えば未だその社会的なインフラが完全ではない。
経済社会ではそのものが利益を生み出すと言う事になれば加速度的に普及し始めるのである。
PCと同じく、高度の製作技術を持たなくても、部品を世界市場から集めて組み立てれば(アッセンブル)すれば高度なEV車が生産出来た仕舞うのである。
企業も栄枯盛衰の原理から逃れる事が出来ないのである。

経営者たるもの将来の展望を誤れば、企業自体の存続すら危うくする問題をはらんでいるのである。
現代の社会ではそれ程、技術の進歩は早いのである。

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