週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ <軍歌・準国歌>海行かば

2017年10月12日 10時06分14秒 | たわごと(少し硬派に振って)
太平洋戦争(第二次世界大戦)を賛美する気持ちは、さらさらありません。
妻、子供、親、家族、思いを寄せる好きな人を残し、そして国家の存亡を憂い命を賭して行った兵隊。
日本に帰る事の出来なかった人たちに対し深い哀悼の意を感ぜずにはいられません。
個々の個性ある人間として、その意志により時代を切り開く事も未来を選択する事も出来ず、時代の大きな潮流に流されていった多くの軍人や軍属や外地の開拓団の人達、沖縄を含む内地での戦闘や爆撃などで亡くなられた人々を思うと涙が出てとまりません。
時代の流れとは、かくも残酷なのかと思わずにはいられません。

このような状況に日本国民を導いて行った、政治家そして軍人(軍令部や高度の地位の者)を決して許す事ができません

戦後に生まれ、生命の危機も感じる事無しに成長してきた我等の世代は何と幸せな時を歩んで来たのかと思わずにはいれれません。
第二次世界大戦後だけとってみても、戦争、紛争、地域間での殺戮は途絶えた事がないのです。
カントの永遠平和のためにも常備軍を持つべきではないと記載されています。
コスタリカを訪問した時にガイドさんから常備軍の制度を廃止して国民の生活向上に努めていると教えられました。
コスタリカの奇跡といる事をしりました。
理想を現実としたコスタリカの英断に敬意を表します。
翻って、日本に置き換えてみてその英断が真に平和を築いてくれるでしょうか。
考えさせられずにはいられません。

小国だから侵略の危機の蚊帳の外にいるのでしょうか。
それともコスタリカが侵略の対象になる魅力を持ち得ていない国だからでしょうか。
それとも、他国の軍事力の庇護のもとにあるのでしょうか。
米州機構の軍隊や国連の加盟国の軍に守られているのでしょうか。
隣国との善隣友好関係がすばらしいのでしょうか。


幼い頃、我が家には78回転の蓄音機がありました。
御多分に漏れず軍歌や歌謡曲や浪曲(廣澤寅蔵?)などSP盤がありました。
何曲か掛けると針を替えねばなりませんでした。
戦後世代とは言え、私は軍歌には馴染んでいたのも確かです。
もの心ついてから聞いた事が有りませんから、遠い遠い過去になっていました。

今回ネットで海行かばを聴いて、平和とはいかにして手に入れる事が出来るのか考えずにはいられません。
軍歌と言う括りが好きではありません。
この『海行かば』の歌詞を見て何と恐ろしいと言うか畏敬の念すら覚えました。
この歌詞の出典が気になり調べてみました。

ウキペディアに『海行かば』の項目がありました。

歌詞は次の通りです。

海うみ行ゆかば 水み漬づく屍かばね
山やま行ゆかば 草くさ生むす屍かばね
大おほ君きみの 辺へにこそ死しなめ
かへりみはせじ
(長閑のどには死しなじ)


以下はウキペディアからの引用です。

原歌[編集]
陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌(大伴家持)[編集]

葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ 皇祖の 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして 武士の 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 丈夫の 清きその名を 古よ 今の現に 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの聞けば貴み
 


現代日本語訳[編集]

葦の生い茂る稔り豊かなこの国土を、天より降って統治された 天照大神からの神様たる天皇の祖先が 代々日の神の後継ぎとして 治めて来られた 御代御代、隅々まで支配なされる 四方の国々においては 山も川も大きく豊かであるので 貢ぎ物の宝は 数えきれず言い尽くすこともできない そうではあるが 今上天皇(大王)が、人びとに呼びかけになられ、善いご事業(大仏の建立)を始められ、「黄金が十分にあれば良いが」と思し召され 御心を悩ましておられた折、東の国の、陸奥の小田という所の山に 黄金があると奏上があったので 御心のお曇りもお晴れになり 天地の神々もこぞって良しとされ 皇祖神の御霊もお助け下さり 遠い神代にあったと同じことを 朕の御代にも顕して下さったのであるから 我が治国は栄えるであろうと 神の御心のままに思し召されて 多くの臣下の者らは付き従わせるがままに また老人も女子供もそれぞれの願いが満ち足りるように 物をお恵みになられ 位をお上げになったので これはまた何とも尊いことであると拝し いよいよ益々晴れやかな思いに満たされる 我ら大伴氏は 遠い祖先の神 その名は 大久米主という 誉れを身に仕えしてきた役柄 「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、大君のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」と誓って、ますらおの汚れないその名を、遥かな過去より今現在にまで伝えて来た、そのような祖先の末裔であるぞ。大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓い、子孫は祖先の名を絶やさず、大君にお仕えするものである と言い継いできた 誓言を持つ職掌の氏族であるぞ 梓弓を手に掲げ持ち、剣太刀を腰に佩いて、朝の守りにも夕の守りにも、大君の御門の守りには、我らをおいて他に人は無いと さらに誓いも新たに 心はますます奮い立つ 大君の 栄えある詔を拝聴すれば たいそう尊くありがたい



<軍歌・準国歌>海行かば(私的な意見ですが、戦を鼓舞する感じの軍歌との括りを外してほしいと思う琴線に触れる素晴らしい歌です。)
コメント
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