アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「エスカレーター式」の学校って何だろう

2016年09月16日 | 中学生活
「エスカレーター式」といって思い浮かべるのはたとえば、こじろうの行った学校みたいなとこ。

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こじろうの場合、受験して中学に入学したあとは、入試なくずるずるっと大学まで行けて、仲間もほぼ全員一緒。まぁそんな感じ。

「ほぼ」のところを細かくいえば、中学から高校に上がらなかった/上がれなかった人が少々、高校での留年が数名、他大学を選んで出て行った人が数名。

部活に遊びに打ち込む子どもを、緊張感なく生暖かく見守れるので親にとってはたいへんありがたい。十分、「エスカレーター校」と呼ぶにふさわしいメリット(そしてたぶんデメリットも)がある学校だと思う。

…けど、いくらエスカレーターといっても、学力のハードルがないわけじゃない。特に、中学から高校に上がるときは成績条件があるので、それに引っかかりそうな低空飛行をしている子にはまず中三夏くらいに、外部受験の準備をするようお声がかかる。そしてどこかの進学先を確保させておいてから、学年末の成績がやっぱり足りなければそこへ、結果として足りていれば内部進学も可能というシステムだ。

ところが、「エスカレーター」が「エスカレーター」じゃなかったといって訴訟沙汰になった事例があるというのでびっくり。
名門校進学を巡る裁判が示した、「エスカレーター式」の真実

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平成28年3月7日、東京地裁の判決で、幼稚園2校、小学校1校、中学校3校、高等学校3校、大学1校等を運営する学校法人を相手に、付属小学校6年生の息子が系列の中学校に進学できなかったことを理由に、両親が”小学校”を訴えた事件の判決があった。
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この記事のトーンは、、
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厳しい小学受験に合格してエスカレーター式に系列の中学校、高等学校、大学に行けると思っていた親にとって、理由の如何を問わず内部進学できないというのは大変なショックだろう。しかも、その理由が不良行為等ではなく、学力不足というのなら、それまで学校に寄せてきた信頼(と高い授業料)は何だったのか!
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という論調なので、まさかお金で(学力が足りなくても)学歴が買えるシステムだと思っていたのか!? と思ってしまう。

もしも、いわゆる「エスカレーター校」がほんとに学力ハードルまったくなしだったら、中学・高校・大学と進むにつれて、ある程度のレベルで授業したら全然理解できない子がいるという困った事態になって、そしたらそこに(本人にとって)在学する意味もなければ、(世間にとって)その大学を出たというラベルへの信頼もまったくないわけで、そりゃ意味ないのでは。

こじろうの学校の場合、内部進学での学力ハードルというのはそんなに高いものではないけれど、先生方は全力でそのハードルを越えさせようとあの手この手(補習やら追試やら)、とにかく○大に行って困らないような基礎学力をつけさせたうえで、できることなら全員を送り込みたいから本気である。一部の秀才君に大学合格実績を作ってもらえばいい進学校あたりとはわけが違うんで、これはこれでプロの覚悟をもってあたる困難なお仕事といえる。

生徒のほうも、そのハードルを越えることはもちろん、大学に行って困らないようにしようということでさすがに思うところは同じであるから、

結果として、よほど学校に通うこと自体が嫌になったり、勉強すること自体が嫌になって、先生が差し伸べる手も振りほどこうって勢いにならない限りは、たいていその(決して高いとはいえない)ハードルを無事クリアして進学していく。

たいていどこの「エスカレーター校」もそんな調子だと思うし、このシステムの中で、最低限の学力ハードルがあることは必須だと思うけどね。それがほんとにない「エスカレーター校」なんてもんがあったらさすがに見向きもされないのでは? まさかそんなものを求めて裁判を起こしたの?

ところが、裁判内容に触れる部分を読んでみると、

「担任教師が適切な受験指導をしていれば系列中学の偏差値に見合う他の中学を受けることができたはずであるのに、それを怠ったため同レベルの中学入試を受ける機会を失った」という損害賠償請求

ということなので、学力条件なしに進学させろという主張でもないようだ。このまま読めば、学力ハードルを越えられないのにそれを早めに教えてくれなかったということのように見える。(まぁしかし、内部進学できないような子が「系列中学の偏差値に見合う他の中学」に合格できたとも思えないけど)

裁判所の判断は、小学校に受験指導の義務はないというものだったようだけど、まぁ法律的(?)にはそうなのかな。個人的には、仮にもエスカレーター校だったら早めに「この成績では上に行かれませんよ」とか警告してくれるのが筋というか親切だろうと思うんだけど…この親が警告を聞きいれたかどうかわからないからなんともいえない。というか、「付属小学校の6年生だったA君(小学校をBにする)は、系列の付属中学校に進学しようとして内部進学単願試験を受けたが不合格となり、その後の一般入試も受けたがやはり不合格となってしまった。」とあるので、遅くとも内部試験を落ちたところでこりゃダメそうだということがわかったはずだからそれから外も受けたらどうなんだろね。

というわけで、この裁判事例は実のところ対応に不満があったのであって「学力ハードルをなくすべき」という訴えではないようなんだけど、この記事はそれをがんがんに煽って「学力で落とすなんて!!」という話に捻じ曲げていたようである。ところがこの記事の結論部分は急転直下なぜかとてもふつうなところに着地する:
「学力を伸ばすための学校の役割と心構えを養う家庭の役割が相まって、初めてエスカレーター校(?)の真価が発揮されるのだろう。」

この、木に竹を接いだような結論は何だろう。でもほんと、エスカレーター校ってそんな感じ。居心地いいし、部活は盛んで、勉強は基礎学力や教養として受験プレッシャーなくできるしで天国。お金に余裕があれば(←私大は高いからね)けっこうお奨めです。でもとにかく、エスカレーター校といえども学力ハードルは必須ですよ。

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私立ならPTA問題が存在しない、わけではないけど。

2016年05月27日 | 中学生活
数日前に、「PTAって何なんだろう」という記事を書いたときに、

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PTAに悩まされた歴として
保育園生活は13年間、小学校生活は13年間、そして(公立)中学校生活は3年間(またろう分のみ)
と書いたのですが、これはつまり、こじろうの中学生以降、およびはなひめの中学生以降、私の頭の中からその類の悩みが消え去ったから自然とこのように書きたくなったのです。

けれど、考えてみれば、別にこの問題が自動的に消滅するわけではなくて、こじろうの学校にも、はなひめの学校にも、(保護者会とかPTAとか名称はともかく)そのような活動があります。

ただ、委員をやるにせよ、やらないにせよ、不快な思いをしたことがほぼない、ということに尽きます。

…そういうもんだと思ってました…

なので、今回記事を書くきっかけとなったニュースはほんとに衝撃的で、私学の中高一貫校で!? 退会?? 提訴!? とびっくりしました。

私がなぜ、私学なら悩みから解放される、ぱららぁ~♪と勝手に思っていたかというと、

その学校が好きで選んで入るのだし、子どもも楽しんで通って、充実した学校生活を過ごせているので、学校のことで何かできることがあったら協力したい、という素直な気持ちがこちらにあるところがまずスタートから違うんで、比べてもしょうがないくらい違うんですけど(^^;;

・入る入らない、払う払わないといってゴネる人はいない。
・委員決めのときも、スムーズに立候補が出る率が断然高い。
・活動中、学校から納得できない理不尽なことを押しつけられたりしない。
・委員同士、話のノリが合うので、活動しててもランチしても楽しい。
・委員をやっても、負担が少ない。(活動が土曜日でもよい、活動方法を合理化できるなど)

このくらい違う。

けど、考えてみればこれは「必然」ではないわけで、確かに私学ならこうなりやすい(ほかの親も私の気分と同様、ポジティブな人が多いだろうしお金に困ってる人も少ないから)とはいえるけれど、必ずこうなる、とまではいえない。

くだんのお父さんの場合、別にお金の問題ではなくて(PTA会費を踏み倒したいというような)、手間の問題でもなくて(裁判やるよりは委員やるほうが楽でしょう)、何かものすごーーく納得できないことがあったんでしょうね。

そういうこともあるんだ!! ということを考えると、公立と私立で何が違うかといえば、私立ならば嫌ならやめるという選択肢があることくらいでしょうか(さすがにPTA問題でこじれたからといって、学校側からやめていただくという選択肢はないでしょうけど)。

この事例の場合に、お父さん側と保護者会もしくは学校側とどちらにどれくらい問題アリなのかはニュースを見ててもわかりませんけど、親も子も快適で充実した学校生活でないんじゃ、私学に通ってる意味がないよね…

なんか巨大なもったいなさを感じる。この学校に何か気に入っているところがあって、プラマイ考えてもやっぱり通わせるというなら、活動はしないまでも退会はしないでそっとしておくとか、あるいは退会してコサージュ来なくてもそっとしておく(なしで済ますか、別のコサージュつける)とかするほうが絶対得。学校側(保護者会側)だって、退会者の子どもにも同じ扱いしておいて提訴なんかされないほうが絶対得。どこからここまでこじれちゃったんだろうねぇ。。

【追記】ブログへのコメントとして、こんな記述を見つけました。
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当方も長女の入学と同時にPTAへ自動参加となり、他に人がいなかった為かクラス役員を依頼されました。
しかし活動の中でPTAの運営方針に疑問を持ち、学校を通じてPTAの議事録開示を求めたところ拒否され、会計簿すら見せてもらうことは出来ませんでした。
その後話し合いもありましたが 、説明や方針に全く納得できず、やむを得ずPTAの退会と、今後PTA費用により学校行事等で全体配布されるものがあれば実費負担する旨申し出たところ、これも拒否されました(単価計算が出来ないというよく分からない理由でした)。その為、退会の確認と会費の返還を求める訴訟(堺簡裁H26(ハ)632)をやむを得ず起こし、やっと退会の確認を得ることが出来ました。
この訴訟の中で、PTA会長は、個別の実費負担について全保護者に諮るとしながら(その方法は非常に脅迫めいた内容を述べていましたが)、結果1年以上放置され、今年3月に長女が卒業する際、PTAがこれまで行っていなかった、卒業式で使用する胸花と生花の寄付が行われ、当方の子のみ胸花・生花を貰えないという事態に至りました。
改めて学校を通じ、実費負担するので同じものを用意して頂くよう依頼しましたが、案の定拒否されました。
学校という、思想・信条により差別やいじめを行わないことを最も重視する場で、このような事態が起こること自体、「PTAは任意団体であり、参加は自由である以上、全体を見渡した運営が必要」という意識が全く浸透していないことを痛感させられました。
また、親の思想・信条を理由に、子に対しての嫌がらせを行うなどということがまかり通ることに憤りを感じます。
よって、上記卒業式の件に関連し、再度PTAを提訴しました(堺簡裁H28(ハ)310)。
尚、監督官庁である大阪府私学大学課に上記事例(卒業式の件)を問いあわせたところ、最終的には学校・団体が判断することではあるが適切ではないとの見解を頂きました。
2016年04月15日 19:11
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これはまさにこのニュースになったお父さんでしょう。この内容が事実とするとかなりヤバイ学校ですね。

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英語が得意になる人、ならない人

2016年01月22日 | 中学生活
中学・高校生時代、英語は得意でしたか? 好きでしたか?

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なんとなく、英語はやっぱり好きな人が得意になり、得意な人が好きになることが多いと思うんですが…つまり、やらなきゃできないしやればできる、というような。

まぁある程度の線よりはるかにやらない人(例: こじろう)が英語できる人になるわけはないんだけれども。つまり、「やらなきゃできない」のはかなり本当。

でもね、「やればできる」のかっていうと、そりゃもう英語圏に生まれれば英語しゃべれるようになるでしょって意味ではそうなんだけど、中学生くらいの年から、ぼちぼち学校での学習の流れに沿っていく程度では、「やってもできない」ってことはあるのかなぁと思いました。そう思うようになったのは、またろうの高校受験英語の面倒を見たときからです。

それまで、よしぞうがあんまりにも英語できなかったもんだから…そりゃよっぽど英語の勉強を無視してきたんだろうと信じていたんですよ。本人は「ある程度やった」と主張していたんですがね(笑) でも、またろうにしつこくしつこく英語の基礎基礎基礎キソ…どんなに丁寧に重ね塗りしても、スーーーッと抜けていってしまうし、なんとか「盛った」部分も、ちょっと気を抜いただけでがらがらと崩れ去ってしまうorz

これ、自分の中学生時代だったらアリエナイことで、やってもできない子っているんだと思いましたよ。よしぞうもまたろうの親だから似たような感じだったのかもね。疑ってゴメン。

私の場合、典型的な「英語得意」な人とはちょっと違っていて、英語を使って外国人とコミュニケーションしたいわけでもなく、英語力を生かして仕事をしたいのでもなく、外国旅行をしたいのですらなく、とにかく英語はぜんぜん活用したくないんだけど、でもおもしろいの。英語と日本語の違いそのものが、表現のズレが、とにかく興味深いと思う。

けど、だからといって英語をどんどん勉強したいというわけではなくて、英語もおもしろいけど、ほかにもたくさんおもしろいことがあるので、「趣味」としていえば592番目くらい(ちなみに今だったら、ピアノは1番で、絵を描くのは326番くらいで、縫い物は452番くらいかな)だから別にそんなに時間はかけたくない。

だから、大学受験のときとか、英語には極力時間かけないで最大の効果を狙っていました。そのための鍵となるのが「文法」だったと思います。

先日、to不定詞と動名詞の使い分けのことをはなひめに聞かれたのですが、たとえば新中学問題集とかの該当ページを開くと、目的語としてto不定詞をとる動詞、動名詞をとる動詞、両方とる動詞、そして両方とるけど意味が違う動詞が整然とリストされています。

「これって、全部覚えないといけないの??」

…こういうときに、真面目に丸暗記する人、そんなことやってられるかって放棄する人に分かれると思うんだけど、私は丸暗記した覚えはないです。暗記苦手。。

結局のところ、動詞を名詞っぽく変える方法として、toをつけるのとingをつけるのがあって、似た感じのところもあるんだけど、でもニュアンスはやっぱりなんとなく違って、だから使い分けもあるわけでしょう。丸暗記じゃもったいないよね。

手掛かりになるのは、両方つくけど意味が違うタイプの動詞で
Remember to ~ (忘れずに~しなさいよ)
I remember ~ing (私は~したのを忘れない)
とかね。そういうのをいくつか見ると、

「to ~」のほうはこれからするとか、しようとするとか、なんか特に「意思」が感じられるような気がする。だから、「医者になりたい」だったらI want to be a doctor.っていうだろうし、I want being a doctor.はやっぱおかしい。decideとかも同じ。

それに対して、「~ing」のほうは、もうそうなってることとか、純粋客観的にそのコトという動詞が名詞化したもののような気がなんとなくする。

あらかた「癖」をつかんだら、いろんな文に触れて、その「癖」の捉え方を詳細化するなり、うまくハマらなかったら、そんなこともあるんだーと思って逆に印象に残したり。

ざっくり傾向を把握するとか、似ているものをパパッと結びつけるとか、新しい語について判断してもその「ざっくり傾向」からの類推で当てちゃうとか、その傾向に沿わないものが出てきてもめげない(笑)でむしろおもしろがるとか、そのへんで英語学習のうまい下手が出てくる。

暗記に頼りすぎるのもよくない(時間がかかる、つまらない、応用がきかない)、
理屈に頼りすぎるのもよくない(英語は理屈どおりなんかできてないから挫折する)、

いい加減にいーかげん??

そういう人は英語得意になると思うんだ。

私は暗記が極端に下手で、何か覚えようとしてもそのままじゃ記憶に残らない。速やかに忘却の彼方にいってしまうんだけど、でもそれは、知らなかった昔に完全に戻るのではなくて、エッセンスのような、漠然とした感覚が残っていて、それが境界の曖昧な英語の「癖」みたいな塊になっていきます。それで、英語に触れるたびにその塊は成長していくし、新しいことの類推に効くんですよね。

今回、どっかきれいに説明してあるのはないかと思って手持ちの本をあちこち漁ると、
「つながる英文法」
には、だいたい私の理解と同じものが載っていました。この人の文法のつかまえかたは私の感覚からいってとてもしっくりくることが多いです。

「この区別だけで(1)~(3)(*)の違いをすべて説明するのは大変難しい。理由はよくわからんけどなぜか(1)、なぜか(2)という動詞もあります。ここは、to V原とVingの意味の違いを押さえつつ、覚えてしまったほうが楽なポイントです。」そう、押さえるところ、覚えるところの線引きがうまくできる人が英語得意になる人。もっといえば、もやもやっとしたところを辞さずできるだけ広く「押さえればすむところ」をとるのが時短のコツ。

(*) …to ~のみをとる動詞、~ingのみをとる動詞、どちらもとる動詞の分類を指している

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組体操10段ピラミッド!? スポーツとリスク

2015年10月01日 | 中学生活
パルクールっていうスポーツ(かな?)知ってます? 私もごく最近知ったんだけど
こんなの→パルクール/フリーランニング ZEN 2012

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←10段ピラミッドって誰得!?

フリーランニングといってもほぼ同じものを指すらしい。確かに、ぜんぜん道じゃないところを自在に走っていくイメージですね。

確かに見ていて楽しいけれど…まぁ、もしも自分の子どもとかがこれを趣味にしたいといったらとりあえずはやめるよう説得するかな…今のところその心配はないようですが。

もちろん、大人になった人が、自分のリスクで何か危険のあるスポーツをしようって場合、どのくらいのリスクをとってどんなことをするかってのは、基本的に自分の判断ですね。家族とかは別の意見を言うかもしれないけど。

パルクールの動画をいくつか見てみますと、この類の動画を上げている人の中にも、リスクの捉え方についてはいろんな考え方があるようでした。

上の動画も、失敗したら重大事故になりそうなものがいろいろとありましたが、彼の動きはとても洗練されていて、少なくとも完成動画を見たときには、危なげなく感じられました。別の動画で、パルクール練習用のセットが組まれた体育館などの場面が映っているものもありましたが、おそらく、必要以上のリスクを取りたくないと考える人であれば、失敗が大事故につながるフィールドで実践する前に、入念にトレーニングを積んでいるはずです。

YouTubeに上がっている動画の中には、パルクールのNG集みたいのかあって(←閲覧注意)、それのほとんどは明らかに上の動画にあったような熟練した動きができておらず、かなり失敗率の高いうちから危険な個所で実施している様子が伺えます。

また、仮に人が行う動きがまったく同じであっても、オリンピックで使う平均台の上で演技するのと、それをビルとビルの間に渡して演技するのとでは違いますね。オリンピック選手も平均台から落ちることはありますが、大減点されてまた途中から演技に戻ったりします。ほんとに高所でやってたら死にます。

貼った動画のパルクールパフォーマーZENさんは、インタビューに応えて「たとえば、道路の白線から逸れずに歩くのはたやすいですけど、2mの塀の上だとそうもいかない。イメージと肉体が結びつかないと、人は本来のパフォーマンスを発揮できないんですね。そのギャップを埋めながら、自分のできることの範囲を少しずつ広げていくというのが、パルクールの考え方です」といっています(R25 8/27-9/23号)。

なのでZENさんも、パフォーマンスの中に「失敗したら危険なこと」を入れていくのはパルクールの本質だと考えているとは思うのですが、でも特に「より危険なものを求めている」というふうには見えません。パルクール(フリーランニング)をやってる人の中にも、技のおもしろさよりは危険が大きいことの刺激を楽しむほうにより興味があるような人がいるようです。たとえば、ただ逆立ちをするならたくさんの人が上手にできるでしょうが、それをビルの屋上のはじっこでやったら怖いですね。16階の高さでやって実際に落下で死亡した人がいたみたいですが…

落ちたら即死する高さですることが、落ちたら怪我をする高さでするより、良い(価値のある)パフォーマンスだという考え方にはとてもじゃないけど賛成できません。

でもともかく、個人(大人)が、自分の判断でする分には、
・どのくらいのリスクをとってどんな楽しみを得るかは自分が決める。
・十分なトレーニングを積む。
・自分が「取れる」範囲のリスクにおさまるよう、やる内容を設計する。
ということですね。パルクールでも、冬山登山でも同じでしょう。

と、前置きが長くなりましたが、小学校や中学校の運動会の組体操で、重大事故が起こるということが広報されてから…それどころか、教育委員会がストップをかけてから、なおも危険を増す方向にこだわって、骨折事故を起こした先生がいるのですね。

組み体操「ピラミッド」が崩れ、中学生が腕骨折 大阪
 大阪府八尾市立の中学校で9月27日にあった運動会で、生徒が四つんばいになって重なる組み体操「ピラミッド」が崩れ、1年の男子生徒が右腕を骨折していたことが、市への取材でわかった。

 市教育委員会などによると、組み体操には1~3年生の男子生徒157人が参加。10段のピラミッドに挑戦し、最上段の生徒1人が立ち上がろうとしたところ一気に崩れ、6段目にいた生徒が右腕を骨折、5人が打撲や擦り傷を負った。

 この中学校によると、10段のピラミッドは昨年から取り組み、これまで本番や練習で大きな事故はなかったという。校長は取材に対し、「補助員をつけるなど安全対策を考えて取り組んできたが、事故につながってしまった。来年以降、実施するかどうかも含め対応を検討する」と話した。

 小中学校の運動会で実施される組み体操をめぐっては、全国的に骨折などの事故が起きており、大阪市教委は9月1日、ピラミッドの高さを5段に制限することを決めている。
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先生が「10段ピラミッド」にひかれるという価値観を持っているのはともかく、そのリスクを負うのは子どものほうなので、まったくおかしな話です。大怪我をする可能性のある行為を行う子ども自身が、「十分なトレーニングを積む」ことも「自分が「取れる」範囲のリスクにおさまるよう、やる内容を設計する」こともできないので、パルクールや冬山登山ほどの「理」もありません。

うちの子どもたちが小学生だったときも、「あれ崩れたら危ないなー」と思うような組体操はあって、それで緊張の面持ちの先生がそのそばに張り付いてはいるのですが、実際に崩れるときって、その先生がいたからって何かの助けにはならないよな?? と思っていましたがやはり「補助員をつけるなど安全対策を考えて取り組んできたが、事故につながってしまった」そりゃーまーそうですよね。

とにかく、親が見て「えっ、やめてくれよ」って気づくのは運動会当日(というかパフォーマンス中)で、もう止めようがないので、気になる人は事前にリサーチしないとダメです。というかリサーチして止めたくなっても、なかなかすんなりいかないらしいんですけど。どのくらいのリスクを取るかを本人+保護者で決められないなんてほんと変な話。

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中学生時代、反抗期のない子ども

2015年09月14日 | 中学生活
たまたまマイミクさんのつぶやきにあったリンク:
息子3人を東大に入れた佐藤ママ「受験に恋愛は無駄です」
を読んで、ひぇーーと思った。

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佐藤「目立った反抗期がありませんでした」和田「愛情をめいっぱいにかけてあげて、安心した環境で素直に育っていくことのほうが大切」

反抗期、あるのがふつうだと思っていたのでこの発想はなかったよ。

またろうが中二(公立中)のころ、同学年の男子たちは自分でもどうすることもできない荒れ狂う気持ちに翻弄されていて、保護者会に行けば「ふと出かけようとするから『どこに行くの?』『いつ帰るの?』などと声をかけようもんなら『るっせぇババア』って返ってくるの」みたいな悩み話がてんこ盛りだった。

そのころまたろうは「るっせぇババア」などと言ったことはなく(^^;;
むしろ親や先生に対して素直というかよく話をするフェーズにあって、
それというのも発達が周囲より少々遅れているからなのだろうと思っていた。

反抗期が来ないから楽だなんてものではなくて、そうやって周囲の雰囲気から遅れをとったまたろうは孤立して、荒れる心のはけ口としてのいじめのターゲットになってしまったのだけど…

中二あたりが激しいエネルギーのピークで、中三になるとぐっと落ち着いてくる。それは多くの子がそういう経過を辿るからには「ふつうのこと」「正常な発達過程」なのだと思っていた。そしてまたろうも、遅れてきた反抗期というか、親に言われるからしたくないみたいな時期はあった。みんなより数年遅れて。

けれど、こじろうが中二(私立中)になったころ、こじろうもだけれど周囲でも「るっせぇババア」的な話は一切聞かず、「そういえば最近あまり学校の話をしてくれなくなったような気がする」くらいの地味な経過が一般的なようだった。

この違いは何なんだろう??

確かにこじろうたちは、受験プレッシャーもなく、親からの管理もゆるゆるで、好きな部活に打ち込んでいるだけの気楽な生活をしていて、反抗する矛先もほとんど向けるところがないから、こんな出方をするんだろうか??

結局その後、こじろうは特に目立った反抗期を迎える様子もないまま大学生になり、でも気が付いたら親への接し方がなんとなくスムーズというか素直になったようで、そうか反抗期を脱したのか(ほとんどわからなかったけど反抗期だったのか?)と思ったりもした。

けど、リンク先の話は、恋愛はするな(そんな時間があったら勉強しろ)とか、「男前じゃなくても、医学部に受かったら彼女ができる、良いことがある」とか(o_o)
#そうかな?? 理三の人がモテてたって記憶がないけど

大学受験時の願書や医学部の志望理由書は親が作成して子どもは写すだけとか

中学、高校時代も勉強計画は母が立てて「勉強計画はノートに書き込み、一人ひとりに渡す。「18時~20時 『生物問題集〇○』P20~30」などと、何時にどの教科のどこをするかまで具体的に指示するのがポイントだ。終わったものはチェックし、やり残したら次の日の予定に加える。風呂や食事の時間も忘れずに計画に落とし込む。」とか

えー、そこまでやって反抗期ナシというのは信じられん。

というか、そこまでやって反抗期なく大人になり、それでも歪なしなんだとしたらすごいね。

反抗しそこねたまま大人になって、いろいろ未消化のものを溜めてる人ならいっぱいいるけど…

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