アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

テルミンにすべて持ってかれた!! 弾き合い会

2016年01月31日 | ピアノ
昨日は弾き合い会@空音舎でした。私はフォーレノク4の二連発の直後で、弾くものは別途用意できないから…

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アルカン勝手に普及委員会の活動に徹して、

アルカン
『歌曲集』第5巻より第4番「楽器の声」第6番「舟歌」

を弾いてきましたよ。

ここは、前に「無伴奏の会」でお世話になったスタジオなのですが、そのときはピアノはしまわれていて弾くことができなかったので、なんかーー目の前にグラピがあるのに指一本触れずに帰ったってのが心残りで、やっぱ弾いてこなきゃねってことで申し込んだのでした。

でも、ほんとはアンサンブルの会って銘打ってたのよね。ピアノソロは私一人でした。考えてみればこんな会、初めて。

8エントリーあったんだけど、編成がいっこも被ってないというすごい会。

チェロ×3
ピアノ(私)
バイオリン+チェロ+ピアノ
ギター
バイオリン+チェロ
バイオリン×2
バイオリン+ビオラ+チェロ
テルミン×2(マトリョミン×2)

ただし、ギターの方はインフルエンザにより欠席、代わりにオーナーさんのチェロソロになりました。

なかなか好演が多くて、聞きごたえのある会でした。私のアルカンも、「アルカン普及された!!」って言ってくださる方も何人かいて、よかったです(^^)。それと、特にラス前のバイオリン+ビオラ+チェロなんて無茶苦茶上手でしたよ。

でもね…

テルミンとマトリョミンが出てくると、すごいインパクト!! 話題を根こそぎ持って行かれる勢いでした。

かわいいマトリョーシカが四体。それが乗ってる台みたいに見えるのがテルミンです。二台のテルミンが並んでる風景というのもあまり見かけませんが…

昨日はテルミン二台での演奏もありました。でも、ふつうのアンサンブルと違うところは、できるだけ寄り添うんじゃなくてできるだけ離れるの(笑) 近いと干渉するんですって。二人の間には距離が必要なんです。

マトリョミンというのは、マトリョーシカのあの空洞に、小型のテルミン(基盤+アンテナ)を収めたものですが、これだと近くに別ののマトリョミンがあってもわりと大丈夫なので、アンサンブルもやりやすいそうです。腰かけて左手でマトリョミンを持ち、右手で奏でます。

ちなみに、写真には四体のマトリョーシカが写っていますが、大きい二つがマトリョミン(楽器)、小さい二つがマトパワー(?)で、アンプにつなぐ場合に電源供給するんだったか(聞いたけど記憶不確か)、とにかく電池が入ってる子なんです。目がぴかーって光ってブキミになります(^^)

バイオリンも自分で音程を作らなきゃいけない楽器ですが、テルミンはそれどころじゃなく空中(^^;; で点を定めなきゃいけないんですんごく不安定です。電気だけどとてつもなくアナログで、音も柔らかくてなんだか女性のハミングっぽい。

会が終わるとそのまま懇親会になったのですが、みんな「なんでテルミン始めたの?」とかもぅ質問攻めです(私も)

そして、テルミンの試弾をさせてもらったのですが、もうね、音程が「このへん??」ってのがむっちゃ不安定で、たぶん立ち方もピシッとしてないとダメで、ふらふらしてると空間のどこでどの音になるかもふらふらするの。だからテルミン演奏する人は無表情で直立不動、手は空中をさまよっててなんかすべてが魔法っぽい感じになるんですね。

ピアノトリオやった人たちが、なんか失敗するとニヤニヤしちゃう派(どんな派)だったのですが、表情も大きく変えると音がブレるそうです。大笑い禁止。あーー難しそう…

マトリョミンはしばらくコツをつかめばそれなりに楽しめそうです。右手だけなので。

テルミンは、左手で音量調節するのと右手がちぐはぐすぎて、だいぶ頭の切り替えが必要なようですよ。
左手を上げると大きな音、下げてタッチすると無音になります。

昨日はテルミン演奏中、録音されたピアノによる伴奏だったのですが、せっかくだから生でピアノ伴奏したいよねぇ。って話になった。

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ひそやかな音楽、響きわたる孤独(モンポウ)

2016年01月30日 | ピアノ
昨日は内藤晃先生のオールモンポウを聞きに行きました。次の日もあるから迷ってたんだけど、エイヤと直前に決心して、誰も誘わずに。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←モンポウは弾いてわかる魅力もありそうですよ

それにしても、オールアルカン、オールスクリャービン、オールモンポウとなんでそんな「オール」ものに縁があるんでしょうね? 私は別に曲の好みがマニアックなわけではなく(←ツッコミ不許可)、ただ私の好きなピアニストさんたちがそんな感じだったりするだけなんですけど。

それで、思い切って行ってよかったです。モンポウは、とてもパーソナルな音楽で、静かに空気に溶けていってしまうような感じなので、これはもう是非ライブで。しかも、数十しか入らない小さな客席で、間近に聞けたのがとてもよい。

記事タイトルにした「ひそやかな音楽、響きわたる孤独」というのは、モンポウが特に共感したという詩「魂とその伴侶キリストの間の霊的な歌」の一節です。

モンポウさんは、基本ひきこもり(^^;;で、作曲するにしてもお客さんに聞かせるというよりは自分のための音楽を作っていたそうです。たとえばリストのサロン音楽だったら、演奏効果ばりばりで、「どやっ!!」て聞かせるところがあるでしょう、あぁいうのがまったくないの。

ものすごく孤独な感じ。大勢いたらかき消されてしまうような微妙な響きが特徴なんだけれど、孤独といっても、晩年のブラームスとか、アルカンのバルカローレみたいに底なし沼に落ち込んでいくような救いのない孤独じゃなくて、なんか明るい雰囲気です。

…この人、心底ぼっち好き!?

実際に会ったらどんな人なんでしょう。

でも、昨日のコンサートは内藤先生のぼっちコンサートじゃなかったんですよ。

モンポウの作品は、(一人で弾ける!!)ピアノソロ曲が多いですが、歌の曲もけっこうあります。小阪さんというメゾソプラノの方が共演していました。

よかった、ちゃんとつなかりがあって(笑)
でも、なんかモンポウの歌曲って独特で、二人が仲良さそうに寄り添ってるというのともちょっと違うような?? うまくいえないけど。モンポウさんの曲には、一人でピアノを弾いてるときから実は中に「歌」があって、もしかしたら歌詞もあって、その歌詞を明示的に出すにはそりゃ歌わなきゃというような。

昨日はなんと連弾もあったんです。

モンポウの連弾曲というのはこれ「3つのあそび歌」ひとつだけ。それも、偶然の産物だそうです。あるコンサートで、歌曲を初演するはずだったのが、歌手がドタキャンになり、モンポウ自身が急遽四手用に書き直したんだとか…で、相方を務めたのがラローチャ(o_o) ん? 話の順序としては、ラローチャがモンポウ曲を弾くコンサートをやる企画で、急遽モンポウが連弾に入ったということかもしれませんね。どうなんでしょ。
(ラローチャはモンポウのCDも出してます。そういやモンポウってスペインの人なんですよねぇ。なんかスペイン音楽といってイメージするものとずいぶん違いますけど。明るい太陽とかラテンとかが全然なくて。)

昨日の連弾で内藤先生といっしょに弾いてたのは不破さん(「楽譜の風景」サイト運営)という方で、ピアニストというわけではないのかな? 東工大の数学専攻出身だって。もっとも、内藤先生も音大じゃないとこ出てるけど。

連弾とてもおもしろかったです。すごく興味あるけど楽譜の入手は難しそうなレア曲です。

不破さんは一曲ソロも弾きました。「子守歌」とてもいい曲でした。

モンポウは、というか内藤先生や不破さんの弾くモンポウはとてもよかったんだけれど、自分が弾くものとしてはちょっと…!? 楽譜が黒けりゃ弾けないし、あそこまで白くてもやっぱりカッコつかないから無理だねぇ(比較的黒い曲もあったけどそれはそれで弾けない)。つまり人前で弾く度胸はないってことだけど、でも自分のためにこっそり弾くならいいかもしれない。どこまでもパーソナルな曲。めるちゃんで弾いたら、素敵に響く瞬間がありそうです。

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「やればできる幻想」の果てに

2016年01月29日 | 大学生活
どの家に生まれたかで一生の身分(社会的地位、収入など)が決まるというような社会をヨシとする人は現代日本にはあまりいないだろうけど…

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←なんで凸凹くんが好きなんだろ?

それに代わる身分制(?)として「学校化社会」(上野千鶴子著「「サヨナラ学校化社会」による)というシステムが採用されているわけです。

「学校という空間は業績原理、つまり「やればできる」という価値が一元的に支配しているところです。この業績原理も尺度は一元的で、成績、すなわち点数というもので決まっています。門地や身分という貴族原理とは異なる業績原理、つまり点数が採用されたので、「だれでもやればできる」というルートが開かれました。学校が、下層からエリートを選抜するためのバイパスになったわけです。学校は近代日本の建設に下層エリートの力量を動員するための巧妙な装置になり、同時に下層の人びとの不満を解消して、国家の安定をもたらすためにひじょうに有効に働きました。」

競争でがんばれば上まで行けるという幻想を持たされ、
競争に負けた人には自らの努力が足りなかったとして納得をさせようとするシステム。

学校的価値観にうまく乗れなかった子のほうもいろいろと問題を起こすわけだけれども、
競争に勝ったほうも、こちらは「勝者の不安」を抱えている。

ここまでの競争には勝ったけれども、この先勝ち続けられるかどうかわからないという不安です。

それによって起こる問題は、結局のところ自分に自信を持っているというよりは、外部から与えられた価値に依っているので、大学に入ってからも成績評価が気になってしまうとか、周囲からどう思われるかが気になるとか、これまであまりにも外部からの期待に応え過ぎていたために、そもそも自分が何をしたいのかわからなくなるとか、まぁいろいろ。

昨日書いたように、私はそこらへんから自由であるような気がしていました。

別に他の人に勝ちたいという気持ちはなかったし、
自分自身の上昇志向がないだけではなくて、
上昇志向を持つ人と結婚したかったわけですらなく(^^;;

男であってもあまり人からどう思われるかに左右されないタイプの凸凹くんがお好みだったのですから。

経済的にそこそこ安定した生活。
専業主婦(ちょっとバイトはするかも)。
おもしろく手ごたえのある話し相手、遊び相手としてのパートナー。
そこそこ賢くてちゃんとやれてる子ども(たち)。

というのが私の目指すところで、
だから上昇志向とは無縁だといえるのかどうかというと、
まぁ今から考えればこれってある意味無茶苦茶ハードル高いんじゃないかというのもあるんだけど。

つまり、「そこそこ」やれば「そこそこ」できるんじゃないかというのが、
私の持っていた「やればできる幻想」。
「とことん」を目指すのでなければ、「やればできる幻想」に害はないと思っていたような気がします。

これが打ち砕かれた理由については、とても一記事で書けるようなものじゃないけれど、

あえてひとつ最大の要因を挙げるとすれば、「またろう」です。

「やればできる」の嘘のうち、経済格差の再生産的部分は(少なくとも知識としては)知ってるつもりだったけれど、
生まれ持ったものでどんな違いが出てくるのかについて、私はまったくわかってなかったんだということがわかりました。

生まれつきもっているものの特徴により、「やれば」のところがものすごく根本的に左右され、そして、「できる」のところもまるっきり違った結果になるというのがね。

私の人生のコペルニクス的転回でした。

このゆさぶりがなかったら、私は中学受験本も書いてなかっただろうし、今こんなに幸せじゃなかったと思うの。(と、引き続き意味不明。続きは書くのか書かないのかわからない)

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お互いが値踏みしあう東大生!?

2016年01月28日 | 大学生活
上野千鶴子の「サヨナラ学校化社会」という本の中には、上野氏が「偏差値四流校」から東京大学文学部へ移ってきたときの印象がかなり詳しく書かれています。

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行きたい大学に軒並みコケて、「偏差値四流校」に来る子たちの特徴は、言語や記号を自在に操るというスキルを置き忘れて育っていることと、それから「どうせ」「しょせん」の負け犬意識がこびりついていること。

「親からも教師からも、「どうせおまえなんか」と小さいころから言われつづけ、自分でもそう思い込んでいる若者たちを、「やってごらん」とゼロのスタートラインに立たせるまでが、とにかくひと仕事でした。」

東大生といえばその対極にあるのですが、それなら教えやすいかというとそうでもない。

確かに素直すぎるくらい素直で、「教師の言うことを素直に聞き、なにか言ったらいっせいにそれをノートにとる」「逆説や皮肉を言っても、学生たちはその言葉を額面どおりに受け取る」のですが、大学院生であっても、自分の研究課題を抱えて自分で取り組むほど自立した存在ではなく、口や手を出さないことにはどうにもならない。

そして、レポートを書かせると見事に金太郎飴。授業を聞いた子はその要約、聞いてない子は著書の要約、とにかくソツのないまとめばかりで、なのに「こんなレポート落としてやる」と怒っても、オリジナリティーのかけらもない癖に、要約のツボだけは的確なので落とすこともできない(笑)

ディスカッションをさせようとしてもひたすら沈黙が続く…

「なぜかというと、聴衆は教師の私ではなく、同輩集団がほんとうの聞き手で、その同輩集団のまえでへたなことを言って恥をかいてはいけないというプレッシャーに支配されているからです。」
「おたがいがおたがいを値踏みしあう関係で、失敗することを恐れ、学生どうしのサポーティブな雰囲気がありません。」

という具合に散々ですが、ここに書かれていることは私が大学生だったときとずいぶん印象が違います。

私が入学してまず思ったことは、「みんな私よりずっと要領悪い!!」(爆)

要領よくツボを押さえてちゃっちゃと点数を揃えるタイプが揃っているのかと思ったらさにあらず。私ほど要領で稼いでる人は見当たりませんでした。

印象としては「凸凹くんが多い」

すごくとんがったところがあって、そこでは要領もへったくれもなく、ちゃんと(東大の二次試験で)点数が取れたのでしょう。一方、凹穴の部分はどうしょうもなかったりするのですが(例: よしぞうの英語)、それでトータルで稼いでどうにかなったんでしょうね。入試の科目数が多く、難易度も比較的高いため、穴があってもカバーできて、早慶落ちて東大だけ受かったりするわけです(誰とはいいませんが)。

あまりに凸凹どうしでは、誰が頭がよいとか比べるのも面倒なので、値踏みもしません(できません)。

ただ、「この人好き」「おもしろい」というのがあるだけです。自分の好みに合わせて、興味分野を深掘りしてる人にくっついていって話を聞けば、何でも(タダで)上質のレクチャーが受けられるんです。私は、将棋でも、フルートでも、プログラミングでも、たいていその後に役に立つようなことはあらかた友人から学びました。

なんでここまで印象が違うのか、ということを考えてみるに、
・もちろん立場が違う。教師と学生。
・私がいたのは理系で、上野氏がいたのは文学部。
・時期が違う。上野氏が東大に来たのは1993年(またろうが生まれた年だ)。


理系と文系は、まぁカルチャーの違いもあるでしょうけど、私自身、文系の人ともたくさん知り合いだったし、文系でも興味深掘り凸凹くんであることに違いはないと思うんですよね。

時期の違いといっても、私が就職してから上野氏の赴任まで二年しか空いてないし。


というようなことを、つらつらと考えていて、一つ、思い至ったことがあります。

教師は、担任した学生のことを一応まんべんなく見なければいけませんが、
私は、気に入った人とだけ主に付き合うわけです。

当時の東大が、私の印象にあるほど激しく凸凹くんだらけだったわけではないのかもしれません。

もっと、アベレージ高い隙のない優等生っぽい子がいたとして、
私がそういう子にぜんぜん目が行かなかっただけとか…(否定できない)

あと、私自身が、人に負けたくないというような気持ちがまったくなくて、無料のカルチャーセンターとして(!)このパラダイスを存分に楽しもうという気しかなかったから、そういう(張り合うような)空気があったとしても感じなかった、とか。

ということは、私の目から見たキャンパスライフというのは、私が「結婚相手探し」という目線で過ごしていたためにある一面を偏ってクローズアップして見ていたものなのかもしれません。

たぶん、多数派である男子から見た光景と、少数派である女子から見た光景には、基本的な差というものがあったはず。

私は、その特殊な(?)立ち位置によって、ある部分からは非常に自由になり、ある部分には非常にとらわれていたのかもしれない。と思うと、ちょっと違った見え方がありそうです。(長くなったので半端ですがまた後日)

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音階練習は脳トレだ!!

2016年01月27日 | バイオリン
めるちゃんかわいやほうやれほ、音出しできる時間をほとんど取られてチョビくんの出る幕なし。

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このままじゃいかんということで、「音階道場」に初参加してきました。初心者向けのG-durをやるそうだからそれなら参加できるかも、って…

…いやーーー。G-durの音階ならナントナク弾けるような気でいましたが実のところまったく弾けてませんでした。

まず指使いがいつも極力1ポジでぺたぺた弾いてる私のと違って、
・A線のレにいくところで3ポジに
・E線のドにいくところで5ポジに
上がります。んで、最高音のソは5ポジのままちょい伸ばして弾くのね。

ポジション移動が身についてない私はそれだけでハラホロヒレハレになるんだけれど、それでも一音を二分音符で(一拍は60くらい)いくときは「そのへん」押さえれば弾けた気にはなりますね。

そこからどんどん、「2つずつスラー(四分音符)」「3つずつスラー」「4つずつスラー(八分音符)」…「12ずつスラー」までスピードアップされたら、ひゃあ~ってな具合でどうにも弾けません。

そこでゆっくりに戻って、姿勢やら弓の持ち方やら弓の配分やら確認する時間がしばらく…

それから、「型」ごとに練習タイムが今回のクライマックス。

同じ弦、同じポジションでひとまとめにすると、三オクターブの音階を行って戻ってする間が10個のパートに分かれます。これを1パートごとしっかり手の形とか意識しながら弾いてみます。

移弦もポジ移動もないので、手の形さえ無理なければチャラララって速やかに行けますよね。さらに何度かそれだけ練習してみれば、存外の速さでぴゅっと行けちゃうわけです。

そこで止まって次のパート。この弦、このポジション、またチャラララって。

でもこの区切りって、数はまちまちなので、慣れないとほんと頭がぐちゃぐちゃになるんですよ。

「ソシラソラシドレ」「ミファ#ソラ」「シド」「レミファソ」「ラシ」「ドレミファ#ソファ#ミレド」「シラソファ#ミ」「レドシラ」「ソファ#ミレ」「ドシラソシラソ」

パートの中はできるだけ速く弾く、
切れ目はしっかり止まって、右手と左手はさっといっぺんに切り替え(←これができない)

この、「しっかり止まる」時間をだんだん短くしていって…
まぁ最終的には全部つなげてその目にも止まらぬ速さでスラーの音階が弾けるようにする、と

いうわけですが、そもそもしっかり止まっていってもね。

ぜんぜん追いついてませんでした。追いついていないのは「指」というより明らかに「脳」です。

というわけで、脳みその整理ができてませんということがよっくわかりました。


音階練習を「まじめに」するのはボケ防止によさそうです。

(…ピアノの「弾けない」ところも、指というより脳が追いついてなかったりするよね)


次回、もういっぺんG-durのままやってもらえることになってます。今日は三人だったのでまだ入れますよ~。どなたかいっしょにいきます?(^^) (3/2(水)10:00~11:30 表参道クラシック)

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