くだらないテレビ番組を見ながら、いらない本を整理して古本屋送りの箱をまとめる。
←盛りだくさん、充実した年でした。
…という、まったり進行が我が家の年末です。もっとも、うちの場合はクリスマスもちっとも「暴走」しているわけじゃなくて、ドアリース一個という簡単装飾でしたが(だって、クリスマス前とか別に会社は休みじゃないしねぇ)。
ドアリースを架け替えれば正月準備完了(^^;;
「普通の家族がいちばん怖い」にあった傾向のかなりの部分はあらかたはまるっと我が家にも当てはまり、
第一章「してもらえる『お客様』でいたい」…ハイ、クリスマスディナーもピアノの先生任せ、よしぞう実家に行けば上げ膳据え膳。私が実家依存しないのはできないから(関係が悪い)。代わりに子どもの誕生日もクリスマスもピアノの先生頼みっていうね。
第二章「好き嫌いで変える」…ハイ、お節は買って用意しますが、みんなが好きで食べるものしか買いません。従って、伊達巻、紅白かまぼこ、栗きんとん、数の子などはありますが、田作り、昆布巻き、紅白なますは割愛されています。お雑煮は作るけど、どちらの味も継いでない、作りやすさと好みで決まったオリジナル。まさにこの本のインタビューにあったように「自分がいいと思ったら取り込めばいいし、面倒くさいのはやらなくていいと思っているから」ってやつ。
といった具合。
しかし一方、「これだけは絶対当てはまらない」と思った特徴はコレ。「建前と本音(あるいは言行)の不一致」。
事前調査シートでも、あるいは調査後インタビューでも、「私は日本の家庭の伝統行事を大事にしていきたいという思いが強いので、お正月らしいことや日本にしかない伝統もきちんと引き継いで、子供に残していきたいと思っています」といいつつ、その同じインタビュー中に「(お屠蘇について)実家ではやっていたけど、あんな甘ったるいもの飲んでいらなれないから、私はやめた」「(親世代のお節作りを)一切手伝っていない。教わっただけではとてもまねできないと思うし、味なんかもちょっと引き継げないかなと思うんで、お客様として食べるだけですよ」というように。
もう一つは、子どもとの距離感である。近いといっていいのか、遠いといっていいのかわからないんだけれども、
ノリのいいイベントや、サンタさんのような「夢」の演出がないと子どもとどう関わっていいかわからないような不安を持っているという傾向。子どもに対しての当然な躾や、語ることや、共同作業をするにも腰が引けている状態。たとえば、伝統を伝えることが大事だと思うので、お節を買って「見えるところにおいて」おくけれど、同時に食卓を囲むようにあえて呼んだりしないし、あえて食べさせたりもしないし、お節などその伝えたいことにつついて語ることもしないなど。
この二つについては、我が家には見当たらない。前夜の夜更かしが祟って寝坊している子どもたちをわざわざ起こしていっしょに雑煮を囲むことにも、小学校が終わると同時にサンタさん終了にすることにも、ややこしい話題についてあえて語ることにも、「参加」「体験」ではなくほんとうに家事を担わせることにも、それらをやらずに済まそうというようなためらいは感じない。
でも、この本を読み込んでいくと、こういう二つの「怖さ」の根っこ部分のメンタリティーというのか、子どもとトラブりたくない気持ちとか、子どもを大事にしているようでいて一番大事なのは自分で、子どもにはアクセサリー的な「参加」をさせようとするとか、そういうのはきっちり私も持っていた(持っている)ものだとあらためて感じる。
それでもなお、その怖さが子どもの成長とともに助長されるのではなく消えていったのはなぜかと考えるに、それはひとえにまたろうの存在と、それに続くこじろうとはなひめが、ちっともまたろうに似ているわけではないけれど何かしら大事なところでまたろうの影響を被っていることが大きいと思う。
またろうはいつもそこにいてちゃんと家のほうを向いてくれて、親が語ったことはちゃんと(反発することはあっても)受け止めてくれて、困ったことがあれば真心を持って助けてくれて、そんなことのすべてがありつつも自分は自分であって親が何かを言おうがしようが曲がらない(^^;; そういう絶大な信頼感。
それで、親のほうが逆に影響されたという気がする。
一番手のかかる困ったちゃんだと思ってた子が、実は一番、家族の健全性を保つ鍵になっていたり。
春からは、またろうがいなくなっちゃうんだよなー。大丈夫かな。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←盛りだくさん、充実した年でした。
…という、まったり進行が我が家の年末です。もっとも、うちの場合はクリスマスもちっとも「暴走」しているわけじゃなくて、ドアリース一個という簡単装飾でしたが(だって、クリスマス前とか別に会社は休みじゃないしねぇ)。
ドアリースを架け替えれば正月準備完了(^^;;
「普通の家族がいちばん怖い」にあった傾向のかなりの部分はあらかたはまるっと我が家にも当てはまり、
第一章「してもらえる『お客様』でいたい」…ハイ、クリスマスディナーもピアノの先生任せ、よしぞう実家に行けば上げ膳据え膳。私が実家依存しないのはできないから(関係が悪い)。代わりに子どもの誕生日もクリスマスもピアノの先生頼みっていうね。
第二章「好き嫌いで変える」…ハイ、お節は買って用意しますが、みんなが好きで食べるものしか買いません。従って、伊達巻、紅白かまぼこ、栗きんとん、数の子などはありますが、田作り、昆布巻き、紅白なますは割愛されています。お雑煮は作るけど、どちらの味も継いでない、作りやすさと好みで決まったオリジナル。まさにこの本のインタビューにあったように「自分がいいと思ったら取り込めばいいし、面倒くさいのはやらなくていいと思っているから」ってやつ。
といった具合。
しかし一方、「これだけは絶対当てはまらない」と思った特徴はコレ。「建前と本音(あるいは言行)の不一致」。
事前調査シートでも、あるいは調査後インタビューでも、「私は日本の家庭の伝統行事を大事にしていきたいという思いが強いので、お正月らしいことや日本にしかない伝統もきちんと引き継いで、子供に残していきたいと思っています」といいつつ、その同じインタビュー中に「(お屠蘇について)実家ではやっていたけど、あんな甘ったるいもの飲んでいらなれないから、私はやめた」「(親世代のお節作りを)一切手伝っていない。教わっただけではとてもまねできないと思うし、味なんかもちょっと引き継げないかなと思うんで、お客様として食べるだけですよ」というように。
もう一つは、子どもとの距離感である。近いといっていいのか、遠いといっていいのかわからないんだけれども、
ノリのいいイベントや、サンタさんのような「夢」の演出がないと子どもとどう関わっていいかわからないような不安を持っているという傾向。子どもに対しての当然な躾や、語ることや、共同作業をするにも腰が引けている状態。たとえば、伝統を伝えることが大事だと思うので、お節を買って「見えるところにおいて」おくけれど、同時に食卓を囲むようにあえて呼んだりしないし、あえて食べさせたりもしないし、お節などその伝えたいことにつついて語ることもしないなど。
この二つについては、我が家には見当たらない。前夜の夜更かしが祟って寝坊している子どもたちをわざわざ起こしていっしょに雑煮を囲むことにも、小学校が終わると同時にサンタさん終了にすることにも、ややこしい話題についてあえて語ることにも、「参加」「体験」ではなくほんとうに家事を担わせることにも、それらをやらずに済まそうというようなためらいは感じない。
でも、この本を読み込んでいくと、こういう二つの「怖さ」の根っこ部分のメンタリティーというのか、子どもとトラブりたくない気持ちとか、子どもを大事にしているようでいて一番大事なのは自分で、子どもにはアクセサリー的な「参加」をさせようとするとか、そういうのはきっちり私も持っていた(持っている)ものだとあらためて感じる。
それでもなお、その怖さが子どもの成長とともに助長されるのではなく消えていったのはなぜかと考えるに、それはひとえにまたろうの存在と、それに続くこじろうとはなひめが、ちっともまたろうに似ているわけではないけれど何かしら大事なところでまたろうの影響を被っていることが大きいと思う。
またろうはいつもそこにいてちゃんと家のほうを向いてくれて、親が語ったことはちゃんと(反発することはあっても)受け止めてくれて、困ったことがあれば真心を持って助けてくれて、そんなことのすべてがありつつも自分は自分であって親が何かを言おうがしようが曲がらない(^^;; そういう絶大な信頼感。
それで、親のほうが逆に影響されたという気がする。
一番手のかかる困ったちゃんだと思ってた子が、実は一番、家族の健全性を保つ鍵になっていたり。
春からは、またろうがいなくなっちゃうんだよなー。大丈夫かな。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)