月曜日に楽譜やさんに寄って買った「聞いて、ヴァイオリンの詩」(千住真理子著)を、昨日の往復電車の中で一気読みした。
←ヴァイオリンという楽器は、人との距離の短さがすごいと思う
分量的にも、文章の読みやすさからいっても、その程度で読める本なのだけれど、内容はとても重い部分がある。
ヴァイオリニストの技術の完成は早い。千住さんも、五嶋さんも、諏訪内さんも、みなさん10代前半には技術的にはまったく問題を感じないところまで仕上がっていたはず。それだけに、そこからほんとうに感動を届ける音楽を作れるまでに、あるいは、そのような音楽を奏でられている、そしてそのことに価値があると本人が思えるようになるまでに、長くかかるのかもしれない。
千住さんの場合は、大学生になったときに、二年くらいヴァイオリンを弾かなかった(弾けなかった)時期があるそうだ。「「音楽」というものが何なのか、演奏家が何のために存在しているのか、社会は芸術を求めているのか、何もわからなくなっていた。」という。
それまで毎日10時間ほどもヴァイオリンを弾いていた人が、まったく弾かなくなるということはたいへんなことだと思う。千住さんの場合はそのとき大学生だったこともあり、空いた時間を勉学につぎ込んだようだが、その勉強がどこにつながるかという先が見えない中で、長時間勉学に打ち込む生活はとてもしんどいものだったのではないだろうか。
そのトンネルから抜け出すきっかけになったエピソードとして書かれているのが、ホスピスでの演奏である。
あるボランティア団体から千住さんに、「ホスピスに来てヴァイオリンを弾かないか」といわれ、千住さんは「ヴァイオリニストをやめたので」と答えたが、話はそれで終わりにはならなかった。
「ヴァイオリニストとしてお願いしているわけじゃない。昔あなたのファンだった人が余命いくばくもないのです。一人の人間としてどうされますか」
それで結局、千住さんはホスピスを訪れ、「明るいわけでもなく暗いわけでもない、静まり返っているわけではないのに、しんとした空間」でヴァイオリンを弾き始める。
「死んでしまいたいなどと考えていた私に、この方々の貴重な時間を使って満足していただける演奏ができるとは思えなかった。」
しかしそれでも、演奏を聴くために部屋に集まってくださっていることへの感謝をこめて、とにかくひたすらヴァイオリンを弾く。数十人しかいない聴衆の、あまりにも強い思いが、演奏を誘導する。単に傷のない、優等生的な演奏が求められているのではなく、「心を入れた音」が求められていることを感じる。
演奏が終わり、「今日まで頑張って生きてきてよかった」という声に、ただ「こちらこそありがとうございます」としかいえない。最期にバッハが聞きたいといって、千住さんの無伴奏バッハを病室で聴き、翌日なくなった人もいた。
そのような場で、不十分な演奏(と、千住さんが思うもの)しかできなかったことを後悔し、「二度とそのようなことがないように」ヴァイオリンを練習するようになったそうである。プロとしてではなく、人として、そのような場に遭遇したときに精一杯の音が出せるように。
千住さんはその後も、ホスピスを訪れて演奏をしているが、今日の記事のタイトルに使った部分はホスピスでのエピソードではない。
通常のステージでのコンサート。ラロのヴァイオリンコンチェルトの演奏を終えて拍手に応える千住さん。舞台の下から差し出された花束を受け取るとき、その女性が何かとても真剣に何かを言おうとしていることには気づいたのだが、聞き取ることができずに楽屋に戻った。花束には、大学ノートをちぎったような紙がはさまっていて、鉛筆での走り書きが。
「千住さん、いま第四楽章を聴いているところです。聴く予定がなくただふらっと入ったコンサートで、絶望の中にいた私は生きる勇気をもらいました。千住さん、ありがとう。頑張ってもう少し生きてみます。」
このときの演奏は、ブランクがあってからまだ日が浅く、万全の演奏とはいえなかったそうだが、たぶん、ブランク前のパーフェクト系演奏とは違う、なんらかの「凄み」のようなものが心に響いたのではないだろうか。
ヴァイオリンのような繊細な楽器を扱うプロ奏者が、二年間楽器を触らないということがどんなに大きなことなのか、私には想像もつかない。それはヴァイオリニストとしてひとつの挫折には違いないのだけれど、人にとって…あるいは人と人との間に生まれる何かにとって…ストレート、無駄のないことがベストではないということなのだろう。
この本にはこのあたりとはうって変わった気軽な内容の部分もあり、私は特に、千住さんのまじめな(そしてある意味こっけいな)工夫の数々が好きだ。丹田を意識するためお腹まわりにタオルを巻きつけてぶくぶくになってステージに立った話とか(^^;; ヒールのある靴の底に発泡スチロールを貼り付けてステージに立った話とか(…うわー。) お奨め本です。
参考:
Buckeyeさんが千住さんについて書いた記事「スキルダウンは速く、スキルアップは遅い」
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分量的にも、文章の読みやすさからいっても、その程度で読める本なのだけれど、内容はとても重い部分がある。
ヴァイオリニストの技術の完成は早い。千住さんも、五嶋さんも、諏訪内さんも、みなさん10代前半には技術的にはまったく問題を感じないところまで仕上がっていたはず。それだけに、そこからほんとうに感動を届ける音楽を作れるまでに、あるいは、そのような音楽を奏でられている、そしてそのことに価値があると本人が思えるようになるまでに、長くかかるのかもしれない。
千住さんの場合は、大学生になったときに、二年くらいヴァイオリンを弾かなかった(弾けなかった)時期があるそうだ。「「音楽」というものが何なのか、演奏家が何のために存在しているのか、社会は芸術を求めているのか、何もわからなくなっていた。」という。
それまで毎日10時間ほどもヴァイオリンを弾いていた人が、まったく弾かなくなるということはたいへんなことだと思う。千住さんの場合はそのとき大学生だったこともあり、空いた時間を勉学につぎ込んだようだが、その勉強がどこにつながるかという先が見えない中で、長時間勉学に打ち込む生活はとてもしんどいものだったのではないだろうか。
そのトンネルから抜け出すきっかけになったエピソードとして書かれているのが、ホスピスでの演奏である。
あるボランティア団体から千住さんに、「ホスピスに来てヴァイオリンを弾かないか」といわれ、千住さんは「ヴァイオリニストをやめたので」と答えたが、話はそれで終わりにはならなかった。
「ヴァイオリニストとしてお願いしているわけじゃない。昔あなたのファンだった人が余命いくばくもないのです。一人の人間としてどうされますか」
それで結局、千住さんはホスピスを訪れ、「明るいわけでもなく暗いわけでもない、静まり返っているわけではないのに、しんとした空間」でヴァイオリンを弾き始める。
「死んでしまいたいなどと考えていた私に、この方々の貴重な時間を使って満足していただける演奏ができるとは思えなかった。」
しかしそれでも、演奏を聴くために部屋に集まってくださっていることへの感謝をこめて、とにかくひたすらヴァイオリンを弾く。数十人しかいない聴衆の、あまりにも強い思いが、演奏を誘導する。単に傷のない、優等生的な演奏が求められているのではなく、「心を入れた音」が求められていることを感じる。
演奏が終わり、「今日まで頑張って生きてきてよかった」という声に、ただ「こちらこそありがとうございます」としかいえない。最期にバッハが聞きたいといって、千住さんの無伴奏バッハを病室で聴き、翌日なくなった人もいた。
そのような場で、不十分な演奏(と、千住さんが思うもの)しかできなかったことを後悔し、「二度とそのようなことがないように」ヴァイオリンを練習するようになったそうである。プロとしてではなく、人として、そのような場に遭遇したときに精一杯の音が出せるように。
千住さんはその後も、ホスピスを訪れて演奏をしているが、今日の記事のタイトルに使った部分はホスピスでのエピソードではない。
通常のステージでのコンサート。ラロのヴァイオリンコンチェルトの演奏を終えて拍手に応える千住さん。舞台の下から差し出された花束を受け取るとき、その女性が何かとても真剣に何かを言おうとしていることには気づいたのだが、聞き取ることができずに楽屋に戻った。花束には、大学ノートをちぎったような紙がはさまっていて、鉛筆での走り書きが。
「千住さん、いま第四楽章を聴いているところです。聴く予定がなくただふらっと入ったコンサートで、絶望の中にいた私は生きる勇気をもらいました。千住さん、ありがとう。頑張ってもう少し生きてみます。」
このときの演奏は、ブランクがあってからまだ日が浅く、万全の演奏とはいえなかったそうだが、たぶん、ブランク前のパーフェクト系演奏とは違う、なんらかの「凄み」のようなものが心に響いたのではないだろうか。
ヴァイオリンのような繊細な楽器を扱うプロ奏者が、二年間楽器を触らないということがどんなに大きなことなのか、私には想像もつかない。それはヴァイオリニストとしてひとつの挫折には違いないのだけれど、人にとって…あるいは人と人との間に生まれる何かにとって…ストレート、無駄のないことがベストではないということなのだろう。
この本にはこのあたりとはうって変わった気軽な内容の部分もあり、私は特に、千住さんのまじめな(そしてある意味こっけいな)工夫の数々が好きだ。丹田を意識するためお腹まわりにタオルを巻きつけてぶくぶくになってステージに立った話とか(^^;; ヒールのある靴の底に発泡スチロールを貼り付けてステージに立った話とか(…うわー。) お奨め本です。
参考:
Buckeyeさんが千住さんについて書いた記事「スキルダウンは速く、スキルアップは遅い」
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