アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

カルメン合唱(1) オリエンテーション

2010年02月28日 | 合唱
楽譜の入手もぎりぎり間に合って、初回の練習へ。

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集まるのってどんな人たちなんだろうな?? 知り合いもいないし、合唱経験もないのでちょっと緊張する。

でも、だいたい人が集まって、開始を待っているときの様子からみると、既に知り合いのグループが来ているふうではなくて、大方は私と同様、「一本釣り」された人のようだ。試しに、近くにいた人に合唱経験を聞いてみると、「なし。先輩に突然言われて来た」「地域の合唱団で歌っている」「前に第九のとき一回。ふだんはやってない」とかいろいろ。

共通するところは、「5000円ぽっきりで舞台に乗れるならお買い得だと思った」という、音楽好きの人特有の金銭感覚を持っているというところ。「発表会とか簡単に二万とかかかるしね」「オケ付きなんてすごい」というわけ。んー、なんか気が合いそう(笑)

事務的なことは練習場所の説明程度でさらりと終わり、早速指揮者の方に交代。

公演の形態について、当然ただずらりと並んで立ったままコンサート形式でやるんだと想像していたんだけど、「オケが真ん中に陣取っているけど、前も2メートルくらい空けてもらって、前・横・うしろを使って動きをつけていきます」とのこと。のっけから衝撃だよ(o_o;;

次に衣装について、女性は白っぽいブラウスに、下はロングスカート。ジプシーのイメージで、スカーフとか使って仕上げてほしいとのこと。色は何でもいいけど赤は避ける(カルメンとかぶるから)。男性は黒のシャツということで「洋服の青○とかいくよりはドンキホーテいく方が安いかもしれません」とか、バンドやスカーフやターバン(!)のつけ方についても実物を持ち出しての説明。

見ていてつくづく思ったんだけど、指揮者の人って、ふだん見るときは本番で棒をふってるだけでも、実際はこうやって練習のときから気分を盛り立てていくのが、時間としては長いんだよね?? だから説明もうまくて、人の心もつかめなきゃだし、なかなかプレゼン能力が要求されるお仕事なのね。

あとは楽譜の版の違いや、歌う部分の説明、そしてお奨めCDの紹介などがあってお話はおしまい。ここからは机を片付けて場所を空けて、さぁいよいよ声を出すのかな的な雰囲気に。

でもいきなり発声練習ではなくて、まずは立ち方。背骨の上にすっと頭が無理なく乗っているように…そして
深呼吸(ラジオ体操第一の滑り出しを利用)→すばやい深呼吸(一気に吸ってゆっくり吐く)→すばやい深呼吸から長く声を出す
というふうに進めていった。そのほか、肩を動かしたりしながら体を緩めていく。

そこでようやくお決まりの発声練習(ドレミファソファミレド→半音上げる…)が始まったのだが、なんか自分の持っていたイメージに比べればずっと声が出しやすい。みんなで一緒に歌っているからなのか、ゆっくり体を緩めたのがいいのか?? この練習のときには「どこが半音でどこが全音なのかを明確に意識して」と指示があった。なんとなくやってると、全音が下がりきらなかったりしてずれるものらしい。そこんとこの注意事項はバイオリンと同じだね。

それからついに楽譜を開いて突然最後のシーンへ。ここは、ホセがカルメンを刺し殺してしまったという場面なのだが、みんな(合唱隊)は舞台袖つまり闘牛場の中にいて、闘牛士の勝利に酔って盛り上がっている。外へ出てきて「あっ!!」ということになる。歌いきるまでは、何も知らずテンション高いままでいなくてはいけない。

四パートが同じ旋律を歌う部分、しかも有名な旋律だから、とりあえずスムーズに歌えている…「いいですね。でも問題は、かっこよくないということ」と指揮者の方。あと、ここはfffと書いてあるからもっと元気よく。かっこいいというのはどういうことかというと、まずはリズムのキレがよくて発音もアタックがはっきりしていること。「トレアドルかまえろ」は子音もはっきり入れるし、付点音符のところ母音をしっかり入れて「かまぁえぇろー!!」とやる。

そして今回一番重要(と思われる)合唱の基本的な心構え。
(1) 空気を震わせること
響かせるためには、「時間」が必要。長く伸ばす音符はめいっぱい使うのが原則。そのためには息の計画が重要。
(2) リズムを合わせること
舞台上、人数が多いので音を聞いて合わせようとすると時間差が生じる。遅れてズレズレになってくると、本人は酔ってて気分いいけど聞いてる方はわけわかんない。ぴったり合わせて、自分できちっと数える。

声をめいっぱい出すのなんて、普段は子どもをどなるときくらいで(-_-;; それじゃストレス溜まるほうだけど、歌うのってなんだか気分が上向きになります。なんか勢いがつく感じ。今回、歌ったのは少しだけど気持ちよかったなー。

---- 今日の練習メモ
・衣装・構成
・立ち方/呼吸/発声
・音程、なんとなく下がらないで狙って下げないとずれる
[曲の練習は楽譜の451p]
・合唱の基本の心構え二点(本文参照)
・パートの中でさらに分かれる部分の分担決め

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和太鼓の魅力と私が和太鼓をやめた理由

2010年02月27日 | 生活
こじろうと私とよしぞうが、カルチャーセンターで和太鼓を習い始めたのは、こじろうが三年生の秋くらいだったか?? もうずいぶんたつことになる。

私とこじろうは一年ちょっとで和太鼓をやめてしまったが、よしぞうはずっと続けていて、昨日「初」発表会があった。

これまでも、老人施設の納涼会で、とか、地域のお祭りに便乗して、とか数回発表の場はあったが、会場を自前で借りて発表会形式というのは初めて。なにしろ、ステージを持たせるだけ曲を揃えるのも容易なことではないし、和太鼓がいくつも集まって本気で叩くなんて、そうどこでもできることではないから (ホームコンサートでは絶対できない(^^;;)

カルチャーセンターで先生をやっている和太鼓奏者が、ほかにも地域のサークルなどいくつかのグループの面倒をみているので、会の前半では四グループ分を合わせて7曲、そして後半では先生が率いるグループと、ゲスト出演の尺八奏者がコンサートをやるという形式で行われた。

前半7曲のうち3曲が、カルチャーセンターのグループ。つまり、よしぞうが出演する分である。私が参加していたころに比べて、なんだか人数が膨れ上がっているし、発表会に向けてずいぶん臨時の練習も重ねて盛り上がっているので、かなり聞きごたえがあった。よしぞう自身もだいぶうまくなった(^-^)

よしぞうは、左右の手の協応動作とかにやや難があるので、リズムを揃えて叩くにもかなり苦労していた。でも、人間というのはやはりきちんと練習すれば慣れていくもので、特にダブル受験が終わって自宅練習(*)もするようになってからはかなり改善してきたようだ。

私はリズムを取るなどの動作は元からよしぞうよりスムーズにできるし、パワーはなくても力の入れ方・抜き方などをつかむところまではけっこう早いので、初心者として決して下手なほうではなかったと思う。

それに、集団で和太鼓を演奏しているときの気持ちよさというのは…弦楽合奏でハモったときもびびっと来るけど、またもっとすごくプリミティブな快感というのか、お腹の底から強烈に響く音楽はまた格別である。昨日、聞いてる側としてリズムの流れに身を任せているだけでも、それがありありとよみがえってくるようである。

演奏された曲のうち二曲は、私がいたころにもやっていたもので、ほとんど覚えているからすぐにでも叩けそうだ。和太鼓の響きは、聞いている側も強烈に飲み込む力があって、聞くだけでもほんとに楽しいけど、叩くともっと楽しいことはよくわかっている。でもまた和太鼓をやってみたいかというと、ひかれる気持ちはないではないけど、再び和太鼓をやることはたぶんないと思う。

和太鼓は、習い事としては「音楽系」なのか「体育会系」なのかちょっと微妙なところで、「体育会系」が苦手な私としてはちょっとその部分がうれしくないというのはある。直接的にいえば、あの重い太鼓を運んだり、ケースへの出し入れ、車への積み下ろしといった部分はただ面倒である。それに、手をはさんだりして怪我をする危険もないではないので、神経を使う。

もっとも、「体育会系」ということの本質は、太鼓が重いとか、叩くのに力がいるというようなことではなくて、集団で練習したり、集団で曲を作ったりしていかなきゃいけないことかな。そういう意味では合唱やオケも「体育会系」。ノリはちょっと違うかもしれないけど。

カルチャーの先生をしている菅原光朗さんは、和太鼓奏者としては非常にすぐれているし、人柄もとってもキュート。今回の発表会では、そのよさが十分に出ていて、菅原先生だから素人が安心して信頼してついていけるという部分が大きかったと思う。でも自分には厳しくても他人にはやさしい人だからその甘さがツメの甘さとして出ていたかもしれない。

それと、あまり理屈で考えないタイプというか、ぶっちゃけあまり脳みそを使う習慣がなくて、先生は全身の筋肉でものを考えるタイプなのである。新しい曲を教わるときに、「…それで、それが何回ですか?」と聞いても答えられなくて「五回、あれ四回…六回かな??」てな調子で、自分で叩きなおしてみなくちゃわからないくらいのものである。

だから、教え方もかなり感覚的で、説明的分析的なものいいはしないし(たぶん)できない。もともと和太鼓には譜面のようなものはなくてすべて覚えて(しかも脳みそでというより体で覚えて)やるものだし、外部記憶や理屈に頼るタイプの私としてはかなり不向きなフィールドであった。

ただ、先生の演奏は理屈抜きにすばらしい。迷いのない迫力のリズムと、無駄のない美しい動作にほれぼれする。だいたい、和太鼓の上手い下手というのは、シンプルなリズムをごくわずか叩くだけで怖いくらい明らかになるもので、明快な音色と完璧なリズムがなくては話にならない。複雑なリズムを覚えることは誰でも練習すればある程度できるけれど、単純なところをプロフェッショナルに叩くことは才能と長年の努力が合わさらなければ決してできない。

私はそういう方向からいって和太鼓がうまくなることは決してないと思ったのでわりと早めに見切りをつけてしまったが、よしぞうはそれよりさらに才能がなさそうにみえたのに(^^;; 単純なことを地道に続けることや、みんなと協調してコトを進めていくことにかけては私よりはるかに才能があったらしく…結局のところ重要なのはそっちなのだ…ここまで来たなぁという感じだった。

この先、どうなっていくのか楽しみ。長い目でウォッチしていきたい。

(*) もちろん自宅で和太鼓は叩けない。古着をはさんで重ねた古タイヤとかで練習する。
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突然降って沸いた「カルメン」話

2010年02月26日 | 合唱
朝、オフィスに向かうエレベーターの中で同僚が、「おはようございます。突然ですが、合唱やりませんか??」と聞いてきた。え??

…そらまたずいぶん、突然ですね。何の話ですか?? 「今度のオケ定演で、カルメンやるんですよ。それで、合唱団急募中なんです」。ふーん、カルメン、いいじゃない。オケと合わせて歌うなんておもしろそうだけど、歌なんてそれこそン十年もまともに歌ったことはなし、練習だってそうそう行けないよねー。

それで、その場は「興味はあるけど声でないし」とさらりと流して過ぎた。しかしその同僚(会社のオケでヴィオラ弾いてる人)は、そのあとで募集要項をメールしてくれていて…

私がそのメールを見たのは、土曜日にあの「弦楽合奏」の感動体験をはさんだ週明け。響きの中に身をおくことの気持ちよさにすっかりハマったところだったので、この魅力的なお誘いをスルーすることができず、真剣に考えてしまった。

参加費は、5000円ポッキリで、チケットノルマなし。練習は、ピアノとの練習が6回、オケとの合わせが3回あり、オケ練は3回とも出ること、ピアノとの練習は3回以上出てくださいとあった。練習は土曜日の午後。これだったらできなくはないか??

だって考えてもみてください。合唱だけでもハモったときはびびっと来るだろうけど、それにオーケストラがつくっていうんですよ!! すんごく、気持ちよさそうじゃないですか~

それを想像するとたまらず、いきなり「アルト希望」と返信していた私です。もう、走り出してから考えよう。

土曜日の午後の練習予定および演奏会本番の日程を手帳と照らし合わせてみると、致命的な予定とはあまりかぶってない…あっ、バイオリンの先生のコンサートと、本番前日リハがかぶってるよ。リハは出なくちゃしょうがないよな。先生のコンサートもめちゃくちゃ聞きたいんだけど。

まぁともかく、この期間は公文をやめることにすればおよそつじつまが合う…ような合わないような(^^;; やっぱ合ってないとは思うけど人生なにごとも体験だから!!

私が応募したのはすでに募集締め切りを過ぎたくらいのタイミングだったので、早速明日が最初の練習&オリエンテーション。入手が間に合えば楽譜を持ってくるようにということだったのだが、応募に対してOKの返事が来た火曜日に早速クリックしたけど、その楽譜は「お急ぎ便」が選択できず、あーこれは間に合わないか。と、思ったけど、昨晩「発送しました」メールが来た。もしかして間に合うかも。

それと、アマゾンさんは、「ヴォーカルスコアを買うあなたは当然、カルメンのDVDもほしいですよね」などという、ツボを突いた提案をなさるので、それもクリック(こっちは、「お急ぎ便」あり)。私が買ったのは、プラシド・ドミンゴのホセ、エレーナ・オブラスツォワのカルメン、指揮がカルロス・クライバーというかなり古い録画のもの。

昨日、会社の行き帰りとかに見ていたのだが、カルメンって、馴染みのフレーズがてんこもりに出てくるんだけど、私がそのフレーズにどこで馴染んでいるかといえば、サラサーテのカルメン幻想曲とか、カタリーナ・ビットの踊るカルメンとか。オペラは見たことないし、ストーリーや設定の概略すら知らなかった。

今度やるのも、オケの定演だから、別にオペラとしてやるわけではなくて、抜粋で曲をいくつかやるだけなのだが、それだけにやっぱりオペラは見ておきたいよね。

見てみると、ストーリーはまぁ…しょうもないわけだが、とにかくカルメンの魅力がすごかった、ということなんだな(^^;; それにしてもオペラ歌手の歌声のすばらしいこと。ドミンゴ様ほんとに惚れ惚れしますよ~あ、今度の公演も、ソロ部分は当然プロの歌手が来るようです。

音楽もね。バイオリン曲としてフレーズを知っていることと、歌で聞くことはかなり別物ですね。人間の声は、バイオリンの音色よりさらに生々しくて、それでもって歌詞がついているので、それが場面場面にはまって迫力が違う。あぁこういう曲だったのか、と納得。ビゼーさん天才です。
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またろうテストはもぐら叩き

2010年02月25日 | 高専生活
またろうの定期(学年末)テストはすべて返却された。

よいことも悪いこともいろいろあった…

一番よかったことは、というより一番びっくりしたことは、
倫理のテストでまたろうがクラストップの成績だったこと(o_o)

文系科目ですよ?? トゥルニエは試験範囲のプリントが結局みつからず、論語のプリントは母が見つけたけど字が細かいから読みたくないってそのままになった、あれです。

テストの内容を見てみると、細かい知識を問う問題はあまりなくて、各哲学者などが主張した内容に関する長文の穴埋めとか、「自分の考えを述べる」記述問題がほとんど。今回は、その記述のところがきちんととれていたことが何よりすばらしい。

しばらく前までのまたろうは、そもそも自分の考えをまとめるっていうのも、それからわかる・読める文章を書くっていうのも、非常に困難だったから、ほとんど別人のような出来栄えといえる。

「文章を書く」ことについての心の敷居がぐっと下がったようで、何かひとつ越えたのかなという雰囲気である。これまでのそういう「ジャンプ」を振り返ってみると

中一秋: 話が聞けるようになった
中二秋: 字が書けるようになった
中三: ピアノが両手で弾けるようになった・計算を間違わなくなった
高一: 文章が書けるようになった

という順序できていて、これであと時間管理と提出物をクリアしたら一人前になれそうな気がする。

今回のジャンプは、倫理のテスト勉強というより、「オーラル・コミュニケーション」の毎週の課題で、わけのわからん文章をつづらされたことのほうが効いているように見受けられる。穴埋めのほうは、「ブルジョア」「プロレタリアート」「自由」「疎外」なんてあたり、いちおうまとめノートを作ったことが生きているようだ。

これで、「D」をとる危険のある科目のひとつはクリア。そのほかの危険科目として、リーダーは冷や汗ものの点数だったが、ふだんの小テストがあるのでたぶんB、グラマーは前回よりはややよくなってこれもたぶんB?、一番心配した現国は望外の点数でこれはけっこうよさそう。

…で、残る問題は…
古典(-_-;;
これは、文法しか面倒みなかった母の失敗だなぁ~。テストの点でそのままつけたらモロ赤点である。しかし、しっかり訳文や文法事項まとめのノートは作ったのでノート提出はAだったそうだ…それと前回がBだったのでなんとか助かってるんじゃないかと思う。助かっていてくれ…

そして、古典はとりあえずDでさえなければ、特にこれからの人生でまたろうに古典の素養がなくても大勢に影響ないと思うのでまぁいいんだけど、中身として問題なのは化学。

前回は物理が真っ青で、それでよしぞうのてこ入れがあったんだけど、今回はその成果があって大回復。代わって寒い点数だったのが化学で、これは覚えなきゃいけないこともいろいろ抜けてるし、理解にも不十分な点がある模様。提出物や小テストの状況がまともであればDにはならないだろうけど、化学ができないのは問題。

で、よしぞうに「化学なんとかして」といったら「化学もこっちなの??(よしぞうは化学そんなに得意じゃない)」と不満げ。こっちはまたろうの英文法を毎日まいにち面倒みてんだよ!! 化学なんかそれよりかはずいぶん傷が浅いでしょうが。

それにしても物理どうにかすれば化学。現国どうにかすれば古典。なかなかもぐら叩きのようなまたろうの成績である。

数学は、代数も幾何もほぼ満点(^o^)/ オーラル・コミュニケーションもS決定でこの三教科は文句なし。あとは進学できればねぇ…
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暗譜は目的ではなく手段

2010年02月24日 | ピアノ
前回のレッスンで「暗譜のすすめ」をされたわけだから、今回のレッスンではさっと楽譜を取り上げられて「じゃ、弾いてみて」とされるのが普通の展開かと思うのだが…

私の先生は、「ふつう」じゃないので、何も言わず。私も、いつもどおり楽譜を見ながら弾く。一回聞き終わって、先生は、「だいぶ落ち着いた感じになってきたわね。一回、慣れてだいぶ速くなったでしょう。今はまたやや戻ってきているけど、このくらいがちょうどいいと思う」

自分ではあまり遅くしたつもりはなかったけど、いわれてみればそのとおり。最初のページを暗譜しようとして格闘したため、楽譜を見て弾いていてもなんとなく考えることが増えてしまっていたような…

先生が、「前回は暗譜のお奨めをしたんだけど、今回はがらりと変えて…」というので、あ、なんだ忘れてたわけじゃないのか(^^;; と思った。で、今回はがらりと変えて、テーマは「手首を下げる弾き方」。

まずffのところで試す。弾いた瞬間に手首だらんとして、なるべくなら鍵盤よりやや下までさげてしまう。いちいちだらんとしてると、当然のことながら時間がかかるので、音と音の隙間があきまくって、まともなつながりでは弾けなくなる。

「いいの、いいの、そのままやって」。コントロールしようとしなくていいそうだ。いちいちだらんとして。そのまま一週間試してみるようにと。

それの何がいいのかというと、響きがいい。音が大きいというよりよく響いて、やわらかい。ppのところとかもでかくなってしまうが、とりあえず気にしない。これがいわゆる、「脱力」というやつ(の片鱗)なのだな。

「来週レッスンが休みだから、一週間これで試してみて、それからね…引き続き、コントロールしようとしなくていいから、どう弾きたいのか、どんな音にしたいのか、考えてみて。絵を描くように、立体的にね。色つけてもいいし」そうやるうちに、「結果として」整ってくる。決して、無理に「こうならなきゃいけないから」とコントロールしてはいけない。

わかったような、わからないような、やっぱりわからないですけど。どうしましょう。

すると、「通勤は、電車? 車?」と突然先生。…えっあの、電車ですけど。

「あぁ電車なら、一日10分くらいでいいから、曲を思い浮かべてみて。まずメロディーだけでいいから」そして、ミーシードーソー…と半ページ分の旋律を歌わせて、「そうそう、それでそのとき、左手は思い浮かべられる??」…できません、というと、「バスの音を足して、とか、一個目の和音だけでもなんだっけ、でもいいの。少しずつ、思い浮かべていって、詰まったら、アンチョコ(楽譜)見て、あぁそうだったそうだったって」

そうやって、「知ってるゾーン」を広げていく。数小節から、数段へ。さらに。

「別に、最後まで辿りつく必要はないから。暗譜は目的ではなくて手段だから、そこは間違わないで!! 焦る必要はないし、発表会は結局見て弾けばいいからね」とにかく、そうやって少しずつイメージを広げていく。それによって、演奏が変化してくるのを待つ。
(電車か車か、というのは、車でそれやってると危険だから、ということらしい)

やっぱり、この先生、ただものじゃない。私に、ただものじゃない先生が何事かをなしうるのかはまた別の問題だけどね…


はなひめ昨日の勉強:
引き続きなし。書き忘れてる日は全部「なし」ですんで、そこんとこよろしく。
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