「リハモ」(リハーモナイゼーション)って、ふつうはジャズ用語らしいけど…
←ベヒシュタインサロンがまた、とってもよかったです
ドビュッシーはよくそれをやってたって話で、えと、リハモというのは、メロディーが同じところ(転調してない)に居座っているんだけれども、伴奏部分というかコードが変わっていくのね。「月の光」とか「雪の上の足跡」とか。
昨日、内藤晃先生のレクチャーコンサート「ドビュッシーを弾く-重層的な響きの宇宙を描くために」というのを聞きに行きました。たぶんピアノを相当弾ける人向けの講座だと思うんだけど、だからドビュッシーといえばこないだのベルガマスクプレリュードを弾いてみただけ、という人が聞いてもどうなのかなと思いながら、内藤先生の演奏聞きたいからね(^-^)、思い切って行きました。ほとんど追っかけです。
でも行ってよかったです。先生の演奏、ドビュッシー自演の録音(ピアノロール)、その他の演奏やらを挟んで、とても具体的に話が進んでいくので、弾けない人は弾けないなりの(^^;; 楽しみ方のあるドビュッシー講座でした。
リハモかーそう思って聞くと、おもしろいね。月の光なら、弾いてみてもいいかも??
先生は、それらの曲のほか、ジャズの例を引いて「オーバーザレインボウ」なんか弾いてくれたんだけど、なんかそういうの弾いてる先生、とっても楽しそうです(^^)
ドビュッシーに限ったことではないと思うけれど、ドビュッシーでは特に、複数の層が複雑にからんでいる(高低で明示的に分けられていない)ため、ごっちゃに弾くとほんとうにわけのわからないことになる。それを、立体的に(聞いておもしろく)弾き分けるというのは、どうもわかるようでわからない、レッスンでも、「音色を変えて」とか「意識して」とか。どうすると変えたことになるのかというのはあまり説明されたことがない。
昨日の講座では、オーケストレーションの例を引いて、その場合だと、フルートやオーボエのような「輪郭のくっきりした音」と、クラリネットのような「輪郭のやわらかい音」という違いがある。ピアノで弾く音の場合、楽器は同じなんだけれど、ひとつの楽器で、「輪郭」をどうするかという弾き分けができる(はず)…アタックの瞬間の下部雑音のコントロールによって。
それとそのあとの伸びる音(肉?)のコントロール。ボディの振動をいかに開放するか。脱力ということがよく言われるけれど、いつも脱力ということではなくて、そのときどのような音色がほしいかということ。
そういわれるとそういう気は、いちおうする(^^;; できるできないはともかくとして。レッスン内で、いろいろ試して(意識して)、先生に「今の、できてた!!」といわれるときはそういうことが「たまたま」できたときなんだろうと思う。
レクチャーのあとに、質問で、「先生はどうやってその音色のコントロールができるようになったか?」というのがあった。そしたら、ピアノの能力ということに限界を感じていたころ、オーケストラの多彩な音色をイメージしながら、いろいろ(遊びとして)試していたのが突破口になったというような話だった。ピアノの弾き方を考えるのも、ピアノという楽器にとどまらない演奏がヒントになるというのはそうだろうと思う。
そういえば前に、私が平板な演奏をしているのを変えようとした先生(ヤマハのとき)がしきりに、「ここは何の楽器だと思う?」と声をかけてくれていたのだけど、私の心にはちっとも響かなくて(だから何? みたいな)、猫に小判というか、そのときは(今でもだけど、もっと)距離がありすぎたんですよね…
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ドビュッシーはよくそれをやってたって話で、えと、リハモというのは、メロディーが同じところ(転調してない)に居座っているんだけれども、伴奏部分というかコードが変わっていくのね。「月の光」とか「雪の上の足跡」とか。
昨日、内藤晃先生のレクチャーコンサート「ドビュッシーを弾く-重層的な響きの宇宙を描くために」というのを聞きに行きました。たぶんピアノを相当弾ける人向けの講座だと思うんだけど、だからドビュッシーといえばこないだのベルガマスクプレリュードを弾いてみただけ、という人が聞いてもどうなのかなと思いながら、内藤先生の演奏聞きたいからね(^-^)、思い切って行きました。ほとんど追っかけです。
でも行ってよかったです。先生の演奏、ドビュッシー自演の録音(ピアノロール)、その他の演奏やらを挟んで、とても具体的に話が進んでいくので、弾けない人は弾けないなりの(^^;; 楽しみ方のあるドビュッシー講座でした。
リハモかーそう思って聞くと、おもしろいね。月の光なら、弾いてみてもいいかも??
先生は、それらの曲のほか、ジャズの例を引いて「オーバーザレインボウ」なんか弾いてくれたんだけど、なんかそういうの弾いてる先生、とっても楽しそうです(^^)
ドビュッシーに限ったことではないと思うけれど、ドビュッシーでは特に、複数の層が複雑にからんでいる(高低で明示的に分けられていない)ため、ごっちゃに弾くとほんとうにわけのわからないことになる。それを、立体的に(聞いておもしろく)弾き分けるというのは、どうもわかるようでわからない、レッスンでも、「音色を変えて」とか「意識して」とか。どうすると変えたことになるのかというのはあまり説明されたことがない。
昨日の講座では、オーケストレーションの例を引いて、その場合だと、フルートやオーボエのような「輪郭のくっきりした音」と、クラリネットのような「輪郭のやわらかい音」という違いがある。ピアノで弾く音の場合、楽器は同じなんだけれど、ひとつの楽器で、「輪郭」をどうするかという弾き分けができる(はず)…アタックの瞬間の下部雑音のコントロールによって。
それとそのあとの伸びる音(肉?)のコントロール。ボディの振動をいかに開放するか。脱力ということがよく言われるけれど、いつも脱力ということではなくて、そのときどのような音色がほしいかということ。
そういわれるとそういう気は、いちおうする(^^;; できるできないはともかくとして。レッスン内で、いろいろ試して(意識して)、先生に「今の、できてた!!」といわれるときはそういうことが「たまたま」できたときなんだろうと思う。
レクチャーのあとに、質問で、「先生はどうやってその音色のコントロールができるようになったか?」というのがあった。そしたら、ピアノの能力ということに限界を感じていたころ、オーケストラの多彩な音色をイメージしながら、いろいろ(遊びとして)試していたのが突破口になったというような話だった。ピアノの弾き方を考えるのも、ピアノという楽器にとどまらない演奏がヒントになるというのはそうだろうと思う。
そういえば前に、私が平板な演奏をしているのを変えようとした先生(ヤマハのとき)がしきりに、「ここは何の楽器だと思う?」と声をかけてくれていたのだけど、私の心にはちっとも響かなくて(だから何? みたいな)、猫に小判というか、そのときは(今でもだけど、もっと)距離がありすぎたんですよね…
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