今日は「第9回工房コンサート全4回音律シリーズvol.4 最終回 しっかり聞いてドビュッシー~スライドする美意識~」というレクチャーコンサートを聞きに行きました。
←熱いトークが炸裂するコンサートでした。
まぁ「音律」ですって。このマニアック感漂うタイトルのレクチャー、一体全体私あたりが聞きに行ってわかるものかどうか怪しいとも思いましたが、内藤先生の追っかけを自認しておりますので、理解できるかどうかについては悩まずに即参加を決めました。
今日は午前中がおゆき先生のレッスンで、そこから一緒に移動したので、移動中におゆき先生からドビュッシーの曲はどのくらい聞いたことがあるかというような質問をされたのですが、そのときに「ん?? ドビュッシーがどうした??」と思ってしまったくらいで(←完全に忘れてた)、ハッキリいってドビュッシーどうでもよくて、「いいピアノで内藤先生の演奏が聞けるんならそりゃ行くっしょ♪」と思ってただけです。
都心嫌いな私としては、八王子という開催地も魅力的でしたしね。
ドビュッシーというのは、そりゃ誰かが弾いてくれるんなら楽しく聞きますが、「あぁこの曲が弾きたいっ!!」とどうしようもなく駆り立てられたことは一度もなく、楽譜を開くと視覚に飛び込むわけのわからなさが譜読みの意欲を減退させ、そんなこんなで縁遠く過ごしていました。そりゃモーツァルトやらベートーベンやらより、臨時記号がごっちゃりついているのは確かですが、ご存知のとおり私は比較的シャープやフラットてんこ盛りにはめげないタイプなんで、ラベルでもプーランクでもがんばって音を拾うのに、なんでドビュッシーさんはダメなんでしょう。
今日の話は、ドビュッシーというよりもっと前の、第三回までの音律シリーズの話から始まりました。この話はめちゃくちゃおもしろかったので、また別の機会に書きたいと思いますが、そこすっとばしてドビュッシーの話ね。
今じゃ平均律に調律されたピアノが当たり前で、みんなそれに慣れ過ぎているわけですが、平均律のピアノが登場するまでには長い歴史があったわけで、そういった下地があって満を持して(?)ドビュッシーさんの登場です。
ドビュッシーの音楽は、調性がわけわかんないみたいなところがたくさん出てきますが、これは平均律(もしくはほぼ平均律に近い)ピアノが前提ですから。
「牧神の午後のための前奏曲」の冒頭、フルートで、たーららららーららら…って行くところ、「悪魔の音程(完全五度に半音足りない)」の幅の中を全音階と半音階でつなぎ、全然調性もわからないしどこへ連れて行かれるかもわからない。でも「悪魔の…」なんていうけど、牧神の冒頭の旋律は美しいですよね。
ドビュッシーは、作曲の先生が教えてくれたような、あれしちゃいけないこれしちゃいけないを悉く破り散らかして行ったみたいな感じで、先生もさぞかし手を焼いたでしょうが、その「手を焼いてる」場面をショートコント(笑)にしてレクチャー内で披露してくれたんですよ。
なんでも、先生と生徒(ドビュッシー)の問答を、これおもしろいと思ったクラスメイトがノートにメモしたというものが残っているそうで、それの再現でした。
ドビュッシー役が内藤先生ね…
先生が、アレはダメこれはダメと説明しているのに、ドビュッシーくんが「でもきれいならいいじゃん~」ってタラタラ平行五度とか弾いてるの(^^;; もうサイコー!!
でもドビュッシーは調性が嫌いなのではなくて、調のわからないところあり、わかるところあり、またそれがずれていったり、古い旋法が出てきたりと、ほんといろいろ自在に散りばめて作っていて、センスというか響きで勝負みたいな。
絵画も、「最後の審判」みたいにくっきりはっきりしたものから、モネとかみたいに「ぼやん」とした描き方になった時代。ドビュッシーの音楽も輪郭がぼやけた感じというか、滲んだような美しさを志向しているんですね。
「牧神…」はマラルメという人の詩から着想して作られたそうですが、そのマラルメの詩というのがね。言葉の意味というものをはぎ取って、響きを味わうというもので「言語の日常性(意味や機能性)にとらわれることなく,語音のもつ音の響きを生かして特定の観念を示唆づける手法を探求し,詩の哲学性・音楽性を拡張。俗に【象徴派】と呼ばれるジャンルの探求にあけくれる。」(ステファヌ・マラルメの3つの詩)
いやもぅ…言葉の意味も機能もはぎ取ったらいったい何が残るっていうのか、いや響きが残るってことか!?
それはそうかもしれないけどそんなものはもう言葉じゃないし、いやー私はそんな詩認めんぞ~(私が認めなくても誰も困りはしないでしょうが)
そんなこんなで、私は今日のレクチャー、ものすごく興味深く聞いたのですが、それでわかったこと。
ドビュッシー、今後も弾くことはなさそうです…
私は輪郭とか構造とかハッキリしてるもののほうが好き。マルグリット・ロンさんもおっしゃっているそうなのですが、ドビュッシーの譜面見てピンと来ないなら弾かないほうがいいって。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←熱いトークが炸裂するコンサートでした。
まぁ「音律」ですって。このマニアック感漂うタイトルのレクチャー、一体全体私あたりが聞きに行ってわかるものかどうか怪しいとも思いましたが、内藤先生の追っかけを自認しておりますので、理解できるかどうかについては悩まずに即参加を決めました。
今日は午前中がおゆき先生のレッスンで、そこから一緒に移動したので、移動中におゆき先生からドビュッシーの曲はどのくらい聞いたことがあるかというような質問をされたのですが、そのときに「ん?? ドビュッシーがどうした??」と思ってしまったくらいで(←完全に忘れてた)、ハッキリいってドビュッシーどうでもよくて、「いいピアノで内藤先生の演奏が聞けるんならそりゃ行くっしょ♪」と思ってただけです。
都心嫌いな私としては、八王子という開催地も魅力的でしたしね。
ドビュッシーというのは、そりゃ誰かが弾いてくれるんなら楽しく聞きますが、「あぁこの曲が弾きたいっ!!」とどうしようもなく駆り立てられたことは一度もなく、楽譜を開くと視覚に飛び込むわけのわからなさが譜読みの意欲を減退させ、そんなこんなで縁遠く過ごしていました。そりゃモーツァルトやらベートーベンやらより、臨時記号がごっちゃりついているのは確かですが、ご存知のとおり私は比較的シャープやフラットてんこ盛りにはめげないタイプなんで、ラベルでもプーランクでもがんばって音を拾うのに、なんでドビュッシーさんはダメなんでしょう。
今日の話は、ドビュッシーというよりもっと前の、第三回までの音律シリーズの話から始まりました。この話はめちゃくちゃおもしろかったので、また別の機会に書きたいと思いますが、そこすっとばしてドビュッシーの話ね。
今じゃ平均律に調律されたピアノが当たり前で、みんなそれに慣れ過ぎているわけですが、平均律のピアノが登場するまでには長い歴史があったわけで、そういった下地があって満を持して(?)ドビュッシーさんの登場です。
ドビュッシーの音楽は、調性がわけわかんないみたいなところがたくさん出てきますが、これは平均律(もしくはほぼ平均律に近い)ピアノが前提ですから。
「牧神の午後のための前奏曲」の冒頭、フルートで、たーららららーららら…って行くところ、「悪魔の音程(完全五度に半音足りない)」の幅の中を全音階と半音階でつなぎ、全然調性もわからないしどこへ連れて行かれるかもわからない。でも「悪魔の…」なんていうけど、牧神の冒頭の旋律は美しいですよね。
ドビュッシーは、作曲の先生が教えてくれたような、あれしちゃいけないこれしちゃいけないを悉く破り散らかして行ったみたいな感じで、先生もさぞかし手を焼いたでしょうが、その「手を焼いてる」場面をショートコント(笑)にしてレクチャー内で披露してくれたんですよ。
なんでも、先生と生徒(ドビュッシー)の問答を、これおもしろいと思ったクラスメイトがノートにメモしたというものが残っているそうで、それの再現でした。
ドビュッシー役が内藤先生ね…
先生が、アレはダメこれはダメと説明しているのに、ドビュッシーくんが「でもきれいならいいじゃん~」ってタラタラ平行五度とか弾いてるの(^^;; もうサイコー!!
でもドビュッシーは調性が嫌いなのではなくて、調のわからないところあり、わかるところあり、またそれがずれていったり、古い旋法が出てきたりと、ほんといろいろ自在に散りばめて作っていて、センスというか響きで勝負みたいな。
絵画も、「最後の審判」みたいにくっきりはっきりしたものから、モネとかみたいに「ぼやん」とした描き方になった時代。ドビュッシーの音楽も輪郭がぼやけた感じというか、滲んだような美しさを志向しているんですね。
「牧神…」はマラルメという人の詩から着想して作られたそうですが、そのマラルメの詩というのがね。言葉の意味というものをはぎ取って、響きを味わうというもので「言語の日常性(意味や機能性)にとらわれることなく,語音のもつ音の響きを生かして特定の観念を示唆づける手法を探求し,詩の哲学性・音楽性を拡張。俗に【象徴派】と呼ばれるジャンルの探求にあけくれる。」(ステファヌ・マラルメの3つの詩)
いやもぅ…言葉の意味も機能もはぎ取ったらいったい何が残るっていうのか、いや響きが残るってことか!?
それはそうかもしれないけどそんなものはもう言葉じゃないし、いやー私はそんな詩認めんぞ~(私が認めなくても誰も困りはしないでしょうが)
そんなこんなで、私は今日のレクチャー、ものすごく興味深く聞いたのですが、それでわかったこと。
ドビュッシー、今後も弾くことはなさそうです…
私は輪郭とか構造とかハッキリしてるもののほうが好き。マルグリット・ロンさんもおっしゃっているそうなのですが、ドビュッシーの譜面見てピンと来ないなら弾かないほうがいいって。
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)