アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

めるちゃんと過ごした一年

2016年12月31日 | ピアノ
去年の12月にめるちゃんが我が家に来たので、今年一年はまるごとめるちやんと過ごしたことになります。

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いい一年でした(^-^)

自分が惚れ込んだコがリビングに置いてあって、いつでも弾ける…といいたいところですが、楽器が弾ける時間が8:00-20:00(マンションの規定)というところはやや残念だけど。ま、ともかくいつでもそこにいるめるちゃん。見た目もしっくり、響きも馴染んで、すっかりうちのコになりました。

めるちゃんが来たらピアノの練習時間が増えたかというと、必ずしもそうではなく、確かにめるちゃんを弾くためにいそいそと会社から急いで帰ってきて、かつ、夜ごはんのおかずを手抜きにして、なるべくピアノを弾いてはいるのですが、それだとたいした時間はなく(20:00までだから)、いったんごはんを食べ終わってしまうと「どうせめるちゃん弾けないし」ってんで、やまちゃん消音なら練習できるのに、なんかかえってやらない。

というわけで、練習時間の長さを単純に比べると、長くなったかどうかアヤシイところではあるのですが…

確実に変わった部分もあります。

(1) 曲の好みが変わった。
モツソナとか、シューベルト即興曲op90-3とか、たぶんめるちゃんじゃなかったら弾いてなかったと思うんですよね。
やはり、やまちゃんとめるちゃんの実力差が特に出るような曲というのは、めるちゃんが来てぐぐぐっと魅力を増してるかなと。

あと、小曲や、「楽譜白い系の曲」がおもしろいと思うようになりました。
シベリウスとか、ブルクミュラーとか。

ややこしい曲をがんばって音符並べた、というより、とりあえず弾くなら簡単な曲を、どう弾くのか素敵か考えるところが幸せ。

(2) 弾き方もびみょうに変わった。
曲の好みが変わったこととも関係はあると思うのだけど、弾き方もびみょうに変わったような気がする。

「耳をすませば」をめるちゃんで弾いたときに、おゆき先生がちょっと「おぉっ」って顔をしたことがあったけど、それはたぶんフレーズの最後をとても丁寧に弾いてたから(←めずらしく-笑)だと思う。

あと、どういうタッチで弾くかをしっかり考えたりね。いちおう、ほんのりと「丁寧に」なったかな?

(3) 人が集まるようになった。
やまちゃんしかいないころから、なにがしか会はやってたけど、やっぱりめるちゃんがいるほうが盛り上がるので、レクチャーコンサートとか、共同レッスンとか、めるちゃん会とか(だらだら弾いてだらだら食べてしゃべる)そういうことは断然楽しくなった。

これで楽しみ方がものすごく広がりました。


めるちゃんがうちにきた今、私がほしいほしいと思ってまだ手に入っていない(または不足している)ものは
「時間」
だけになりました。

10年後の定年がたいへん待ち遠しいですが…
ここから10年も、できる範囲でめいっぱいめるちゃんとの時間を楽しみたいと思います。

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過去の自分が手に当てておいてくれた曲

2016年12月30日 | ピアノ
いよいよ今年も残りわずか。今日から年末年始休みです。それで大掃除するかっていうと別にしないんですけど、多少は片づけというか、コピー譜がわけわかんない束になってたんでちょっと仕分けしました。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←過去に投資した(時間かけた)ことの、カオを立てる。

そしたら、何年か前(ヤマハで習ってた最後のころかな)に使ったフォーレのノクターン一番の楽譜が出てきて、まぁ~よくこのころにこんなややこしい曲やったよな、と思ったのもさることながら、

コピーちっさ!!(o_o)

めくる便宜のために縮小コピーしてあって、そりゃそのほうがめくりやすいんだけれども…私、若かったんだなぁ(苦笑)

こんなんで読めるかぃ、と思ってちょいとめるちゃんの譜面台に乗せて弾いてみると、
まぁ案外、音をなんとなく覚えてるもんでそれなりには弾ける。
すると、あぁめるちゃんで弾くとやっぱりいいなぁ、というのと、
そうだ、この曲なんか、左ペダル使うといいところとかあるんじゃない? と思い立った。

いろいろ試してみる…楽しい…(^-^) (←あれ? 年末片づけはどこへ行った?)
左ペダルって、踏むかどうかけっこう迷うなぁ、使わない音のほうがこのキラキラ感いい? とも思うし、使った音のほうがこの渋い魅力、とも思うし

…ともかく。

こんな曲、初見で弾いて楽しめるようなものじゃないわけだけど、過去の自分が格闘しておいてくれたから、ぐっとハードルが低くなっている。


今年、私は
「これからの人生今がいちばん若いんだからとりあえず手に当てとくぞキャンペーン」
を思い立って宣言していたけれど、

そのわりに気に入った曲を長く弾いたり横道にそれたりするのでたとえばドビュッシーとかは到達しなかったものの、
シューマンエチュード、ベトソナ、
滑り込みでシューベルトとか
ユーゲントアルバムだけどシューマンとか
けっこう進捗あったとも言える。

過去の私(ヤマハで習ってたころの私)は別にそういう意図があったわけではないんだけれど、
たまたまというか、今よりむしろ無謀曲に興味が偏っていたのでずいぶんな曲を「手に当てといた」ことになる。

ずいぶん…って、ほんとにずいぶんで、

フォーレのノクターン一番はまだしも「弾いてみた」というのに近いところまで行ったほうだと思うけど、
三か月以上粘ってもどうにもならなかった曲もいろいろ。
ショパン ノクターン13番
ラヴェル ソナチネ全楽章
ラフマニノフ エレジー

さらには
ショパン バラード三番
ショパン バラード一番
ショパン スケルツォ二番
ラヴェル 道化師の朝の歌 ←先生がいちばんのけぞったやつ

なんでそこまで突っ込んだのかといえば、
そのころ、「簡単な曲を素敵に弾く」というのがよくイメージできなかったので、その分、なるべくややこしい曲の音を並べることに興味があったんですね。自分でいっててなんかアレですけど。

あんまりにも選曲が、こう、行くところまで行っちゃってる感じなので、この曲そのものをまたやることは一生ないかもしれない、というようなものも混じってますけど、そんなどうしょうもない無謀曲ではあっても、自分のキャパのどこかを広げる役には立ったと思うんですよね。たとえばほら、老眼でないうちに臨時記号どっちゃりの譜読みがうまくなっておけたとかさ…

そしてそれのほかに、やはりせっかく昔弾いてみた曲というのは、また弾いてみて、前とは違うちょっと先というのも味わってみたいよね。過去の自分が手に当てておいてくれた曲。それは、財産でしょう。

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自分で自分をほめとくのも悪くないよ

2016年12月29日 | ピアノ
ピアノを真面目~にやっている大人の中には、レッスンで厳しくされると燃える(萌える?)タイプの人もいて、
「…コーチ!!」(目きらきら)
みたいだったりするかもしれないけど(^^;;

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私はほめてくれるレッスンのほうがいいな~

仮に厳しいレッスンのほうがうまくなるとしても、
うまくなるより今楽しいほうがいいし、
楽しくなけりゃやめるだけなんだし、
楽しいは正義

ほめるといってもね、前にヤマハで習ってたとき臨時で一か月(いつもの先生が演奏旅行いってる間)教えてくれた先生がいたんだけど。この人がまぁほめるほめる、けど内容がないよう。手当たり次第にほめてくれて「とてもよくなりました、では次はこのへんもう少し練習するといいですね」って感じで。

なんにもわからんくてほめられてもさすがにうれしくないやね(^^;;

ほめる効果ってのは、よい点をよいと認識してその方面でさらに伸ばすとか、認められてうれしいってことでやる気が出るとか、けっこう効果絶大だと思うけど、それもこれも、ほめる内容が正しくあってこそ。

おゆき先生は適切にほめて適切に改善項目も説明してくれるし、いい先生です。
(もっとほめてくれてもいいよ!!)

ピアノが続いて、しかもちゃんとうまくなっていくということのために、先生がほめるってのは重要な役割があると思います。サークルなどで弾き合い会をしてその演奏を別の参加者がほめるって場合もまぁあるかもしれないけど、その人の現状に照らして適切にほめるわけじゃないし(だからって意味がないわけじゃないけどいろいろ微妙な問題もある)。

でもさらに重要なのは、「自分で自分をほめる」ってことじゃないかなと思うんです。

なにしろ、自分はいつでもいっしょにいるわけで聞いてる時間長いし!!

自分の現状もよくよく知ってて、さらに目指す方向というかポリシーがくまなくわかってるわけでしょ。

こんな適切な「ほめ担当者」も他にいないからね。「今の音きれい!!」でもいいし「この曲はずいぶん流れがよくなった」でもいいし。ほめるポイントを思いつかなかったら、録音して聞いてみる。アラのほうが気になっても(爆) 10個ほめて1個改善提案するつもりでほめとく。

なんとなく、謙虚な日本人としては、自分に厳しいことのほうが「いい」ことだと思われてるような気がするんだけど、私はそれ、そんなにいいことばっかりじゃないと思います。必要以上に苦しかったり、あるいは必要以上に他人から承認を求めたり、どうしていいかわからなくなったり、マイナス面も強いんじゃないかな。

というようなことを考えていたらたまたま目にした「銭湯絵師」丸山清人さんの記事(ピアノと何の関係もありませんが)。

自己評価はそんなに高くない85点。「100点になったらおしまいだからね」
奥さんはシビアに改善提案「これでよし!って私が言ったら上達しないでしょ。それじゃ進歩がないじゃない(笑)」
でも自分で自分をほめておく…白山の絵の完成の翌日、湯船につかりながら自分の絵をじっと眺めたとおっしゃっていた。「あんまり自分の絵を見ながらお湯に入ることってないんですよ。それで昨日はゆっくりつかりながら見てみたら、なかなか良いねえって、自画自賛でね(笑)」

なんか、いい感じ!! と思いました。

そして、適切にほめるためには、どういう演奏が「いい」「好き」なのか自分でわかっておかなくちゃできないですよね。よい音楽を聴くことも、いろんな理屈や歴史を勉強することも大事。めざせ!! ほめ名人!!

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左ペダル超初心者

2016年12月28日 | ピアノ
大人ピアノやってれば、かなりの初心者だってペダル踏みませんって人はいないと思うけど…少なくとも右ペダル(ダンパーペダル)は絶対使うよね。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←左ペダル活用してる?

私は子どものとき、最後に出た発表会で弾いたのが「エリーゼのために」だったけど、これは実は「ペダルデビュー」でもあった。
それまでの曲って、どうも記憶がはっきりしないけど、バイエルでもブルクミュラーでもペダルは使っていなかったと思う。というか体の大きさからいって、ふつうには届かなかった。「エリーゼのために」を弾くために上げ底のおしゃれ靴(笑)を買ってもらってぎりぎり踏めるようにして、ペダルの踏み方も教わったのだ。この場合、ペダルといったら右ペダルのことで、左はまるっと無視されている。

その踏み方は、和声が変わる打鍵のときにはペダルを上げて、変わった後に踏む。要するに、ちょいと遅れて踏むところがミソで、そうすれば響きが濁らないわけですよね。手で弾いてるリズムとペダルを踏むリズムがずれるので、慣れるまでにそれなりにかかりそうだけど、

なにせ若かったので(←小学三年生だ)

苦労したとかそういう記憶はない。

この踏み方には「シンコペーション・ペダル」という名前がついてるそうだけど、当時、名前は知らなかった。まぁ名前なんてどうでもいい。ペダル活用の基本中の基本なわけで、若いうちにいっぺんでも練習できてよかったね。

さてさて、時は流れて、大人になってピアノ再開すると、「エリーゼのために」よりややこしい曲いろいろ弾いてて、先生からもそこは左ペダル踏んで!! って言われることはときどきあったんだけど、でもちょこちょこ試しただけで、なんかピンと来なくてやめちゃった。

というのは、当時うちにあったピアノはやまちゃんだけなので、やまちゃん(アップライト)だと、左を踏んだときにいまいち音が変わらないもんだから、踏んでもおもしろくないというか、この踏み方でいいのかどうか謎。試しようがない。それで、ずーっと左ペダルを踏まないまま(ヤマハの場合、レッスンでもアップライトだったし)、発表会のときはようやく舞台の上にグランドピアノがあるんだけど、そんな場でいきなり踏んだらわやくちゃになるからやっぱりやらない。

それからさらに時は流れて、グランドピアノを触る機会もずいぶん増えたんだけど、なにしろ左ペダル以外にも課題山積なもんで、左ペダル活用しないままでもずっと楽しくピアノを弾いてたんですよね。

そして一年前、いよいよめるちゃんが我が家に登場し、左ペダルの実験ができる環境が整ったのに、左ペダルの存在なんか無視してもなおあまりある幸せな響き(^-^)ですっかり満足しちゃってて、左ペダルを活用しないまま、またまたずっと今まで来ちゃったよ。

それが、おゆき先生んちのピアノでシューベルト即興曲op90-3を弾いてみてようやく、左ペダルを活用すると断然イイ感じで弾けるということを納得。

帰ってきて、めるちゃんでも試してみると…やぁ!! なるほどこれはいい(^-^) できることの幅が広がりますね

ただし、おゆき先生にも「そんないきなりどかっと離さないでスゥーッと取って」と注意されたように、踏み方は我ながらぎこちない。頭では「スゥーッと取る」と思ってても、弾きながら、そして当然右ペダルも操作しながら、左ペダルがコントロールできない。

右手と左手と右足と左足をバラバラに動かすようにはできてないんだってば(-_-#

もちろん、まずは「左ペダルをいつどう踏むのが素敵か?」という問題があるんだけれども、それを考えて、ここでこう踏もうと決めても、そのとおりうまくできない、というか「えーと」となって曲の停滞がひどくなる。

…慣れてないってこういうことね…

幸い、もう練習できるわけだからさ? ちゃんと。

腹くくって左ペダルが活用できるようになってみよっかー

大人ピアノで、まだ左ペダルあんまり活用してないって方。もしいらっしゃいましたら、できるだけ早くやってみて、脳の配線を
「これからの人生、今が一番若いんだから」
さっさとつなげておくことを強くお勧めします。

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デクレッシェンドとディミニュエンドは違うのか

2016年12月27日 | ピアノ
記号というものは、本人の心覚えのメモならばともかく、他人にも何か伝えようとするんだったら、共通の意味を持たせて統一の記号を使わなくちゃ役に立たないんじゃないのか?

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←そういえばまたろうが「数学っていちばん簡単な科目だよね」っていってた

物理学者のファインマンさんは、既存の記号… sin、cos とか f(x) とかが気に入らなくて(笑)いろいろと独自記号をデザインして便利に使っていたことがあったんだけれど
「高校時代、僕は友だちに何かを説明していて、つい何気なく自己流の記号を使い始めたところ、彼が「いったいその変てこな記号は何だい?」と言いだしたことがあった。そのとき僕は人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。」(「ご冗談でしょう、ファインマンさん」より)

ダメに決まってるでしょうがー、ファインマンさんときたら…まぁ、心を入れ替えてちゃんと他人に読める論文が書けるようになってよかったネ。

そしてまた、この場合は記号自体がオリジナルだったから、まだしもその友人も「意味がわからない」ということがわかったので事なきを得たけれど、もしも記号は見慣れたもので、それを独自の別の意味に用いられていたりしたら、混乱はいかばかりであったか。


…白状すると、作曲者が楽譜にこちゃこちゃと書き込んでいるいろんな記号、前は(大人ピアノを再開してすぐとか)あんまり気にしなかった、っつか、ろくすっぽ見てなかったので全然問題にならなかったのだが(つまり、音の高さとか長さは楽譜で見るにしても、強弱や表情記号はテキトーに流して、録音を聞いた感じでナントナク弾いていたのだ)、最近は「まぁせっかく書いてくれたんだから見てあげようか」ってな気になって見始めると、これが案外ややこしい。

今日の記事タイトルは、今弾き始めたシューベルトの話なんだけど、クレッシェンドはまぁ音が大きくなるに決まってるんですが、じゃあデクレッシェンドどディミニュエンドってどうして二つあるのよ、と。昭和のピアノ教室的には、どちらも「音が小さくなる」、以上、ってとこなんだけれども、じゃあなぜわざわざ同じ曲でも両方を使う(使い分ける?)のか。

これはデクレッシェンド


これはディミニュエンド


この音楽記号のモトというか、イタリア語の語感的にはいちおう違いがあるらしいのだが、音楽記号としてどうかというのはまた別の話だろうよね。
デクレッシェンドは、いうまでもなくクレッシェンドの反対だけど、クレッシェンドは「成長する」「大きくなる」「増える」とかで、create(創造する、生成する)と関連する語。
一方、ディミニュエンドも「ディ」の部分は接頭辞だけどこれは否定じゃなく強調。「ミニュエーレ」は「マイナス」と同じ語源で、ミニチュアとか、メヌエットとか、「メノ・モッソ」のメノとかもお仲間。小さくて愛らしい? (参考「これで納得!よくわかる音楽用語のはなし―イタリアの日常会話から学ぶ」)

といってもどう弾けばよいかわからないが、おゆき先生の説明と、いろいろなピアノの先生がブログに書いたのとかを総合するに、
デクレッシェンドのほうが純粋に音量小さく的な表現で、
ディミニュエンドのほうが「気持ち」「雰囲気」が入ってる感じで、「ゆるむ(速度も)」「消え入る」感じが付け加わる。

という理解でいいのかな…

しかしシューベルトさんがこんな感じ(?)で「使い分け派」なのはわりと確からしいけど、別にすべての作曲者がそうだってわけじゃなくて、単に「dim.」のほうがインクが減らなくていい(スペースが狭くていい)と思ってた人がいるかもしれないし、ということでsin cosほどわかりやすくはないようです。

ところが…

これでいちおうはわかった気になってこんどショパンさんの楽譜を見ると、松葉記号(クレッシェンドは<、デクレッシェンドは>)の使い方から混迷が深まる…

「>」とcresc.がいっしょに書いてあったりしてどないせーっちゅーねん

こないだの銀座ヤマハでの戦敗品「ショパンの音楽記号 その意味と解釈」(セイモア・バーンスタイン)には、後半でえんえんとこの謎の松葉について書かれていて、えーとだから何?? ってくらい話が行ったり来たりして、短い「>」は情緒を表しているとか、松葉でテンポの変化を示しているとかそういう説明が丁寧な譜例とともに解説されています。丁寧すぎてよくわからない。

バシッと定義が書いてないわけよ数学じゃないからー

結局、音楽がわかんないと記号読んだことにならないのか??(←記号のイミがあんまりない)

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