岩城宏之著の「指揮のおけいこ」を読んでいたら、ルービンシュタインさんの暗譜方法ってのがすごい。
←短くていいから、暗譜で弾ける曲をひとつ持ちたいなー
「頭で覚えた記憶はあてにならない。耳もダメです。目の中にフォトコピーすれば最も確実に覚えられます」
…いやそういわれましても。
「ある曲を弾こうというときに、頭の中の引き出しから楽譜を取り出す。その架空のページを、目の前でめくって弾いているだけです」
…いやいや、そういわれましても!!
ドラえもんの「暗記パン」に匹敵する記憶力である。記憶のカタチって人それぞれで、自分がフォトコピータイプの人には説明するまでもなく当たり前、そうでない人にはこんなアドバイスをもらっても「だから何」。
それでも、岩城氏はルービンシュタインさんからこのようにアドバイスをもらって、それを取り入れようとしたのだけど、そのまま「フォトコピー」したというよりは:
「「目を使え」というのは、もちろん抽象的な言い方であって、覚えるためには、頭を使わなければならない。目だけで覚えられるわけがない」
といっていて、徹底的にアナリーゼして、ハーモニー進行を調べるのはもちろん、いろんな区切りで分割したり、ありとあらゆる面からしゃぶりつくすのだ。学問的に正しいとかいうよりも、「覚えやすいやり方で自分流に分析すればいいのだ。他人に告白するわけではないから、恥ずかしがることはない」
…ということは、ルービンシュタイン流とはやはり異なり、「頭で覚える」がまず先に来ているような気がする。ただし、徹底的に分析し、徹底的にさらったあと、「スコアを、架空のフォトとして目に焼き付けるのだ」といっているので、補助または定着手段として生かしているのでしょう。
分析、つまり意味づけをすれば視覚イメージも保持しやすくなる、というのは比較的理解しやすい話で、そういう意味ではいくら人間離れしているといっても岩城さんは人間ぽい範囲にいる(^^;; 一方、ルービンシュタインが語ったような意味で、ほんとうに「フォトコピー」できる人もいるようだ。一瞬見た景色を、緻密に描けてしまうくらいの。話には聞くけれど、人間離れというより、人間でないもののようで、私にはちょっと理解できない。
レベルがまったく違う話だけれど無理やりひっぱってよければ、参考になるのはやはり岩城流。
特に、
「他人に告白するわけではないから、恥ずかしがることはない」
というところ。素人だから、ちゃんと勉強してないから、よく知らないからといって、学問的に正しくないであろう分析を避けるのではなくて、自己流にでもあれこれ格闘してみる。
それと…さっき「さらう」と書いたが、指揮でいう「さらう」が何かというと、一人で勉強しているときはオケを鳴らせるわけではないので、楽器の練習とは勝手が違う。それでも自分の録音や他人のCDをかけて「振る」練習をするらしい。自分の振りたいタイミングと微妙に違うとやりにくいだろうな(^^;;
おもしろいなと思ったのは、ややこしい曲(「春の祭典」)を覚えようとしたときには、なんと「片手ずつ」さらっていたことだ。右手だけで拍子をとり、絶対に間違えなくなってから、左手だけで同じことをする。
「右手ではできていたのに、左手だと架空のフォトコピーが消えることがある」
というわけで、ピアノでもよくいわれることですが、左手だけで弾けるか?? というのは暗譜のひとつの目安なんですかね。
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「頭で覚えた記憶はあてにならない。耳もダメです。目の中にフォトコピーすれば最も確実に覚えられます」
…いやそういわれましても。
「ある曲を弾こうというときに、頭の中の引き出しから楽譜を取り出す。その架空のページを、目の前でめくって弾いているだけです」
…いやいや、そういわれましても!!
ドラえもんの「暗記パン」に匹敵する記憶力である。記憶のカタチって人それぞれで、自分がフォトコピータイプの人には説明するまでもなく当たり前、そうでない人にはこんなアドバイスをもらっても「だから何」。
それでも、岩城氏はルービンシュタインさんからこのようにアドバイスをもらって、それを取り入れようとしたのだけど、そのまま「フォトコピー」したというよりは:
「「目を使え」というのは、もちろん抽象的な言い方であって、覚えるためには、頭を使わなければならない。目だけで覚えられるわけがない」
といっていて、徹底的にアナリーゼして、ハーモニー進行を調べるのはもちろん、いろんな区切りで分割したり、ありとあらゆる面からしゃぶりつくすのだ。学問的に正しいとかいうよりも、「覚えやすいやり方で自分流に分析すればいいのだ。他人に告白するわけではないから、恥ずかしがることはない」
…ということは、ルービンシュタイン流とはやはり異なり、「頭で覚える」がまず先に来ているような気がする。ただし、徹底的に分析し、徹底的にさらったあと、「スコアを、架空のフォトとして目に焼き付けるのだ」といっているので、補助または定着手段として生かしているのでしょう。
分析、つまり意味づけをすれば視覚イメージも保持しやすくなる、というのは比較的理解しやすい話で、そういう意味ではいくら人間離れしているといっても岩城さんは人間ぽい範囲にいる(^^;; 一方、ルービンシュタインが語ったような意味で、ほんとうに「フォトコピー」できる人もいるようだ。一瞬見た景色を、緻密に描けてしまうくらいの。話には聞くけれど、人間離れというより、人間でないもののようで、私にはちょっと理解できない。
レベルがまったく違う話だけれど無理やりひっぱってよければ、参考になるのはやはり岩城流。
特に、
「他人に告白するわけではないから、恥ずかしがることはない」
というところ。素人だから、ちゃんと勉強してないから、よく知らないからといって、学問的に正しくないであろう分析を避けるのではなくて、自己流にでもあれこれ格闘してみる。
それと…さっき「さらう」と書いたが、指揮でいう「さらう」が何かというと、一人で勉強しているときはオケを鳴らせるわけではないので、楽器の練習とは勝手が違う。それでも自分の録音や他人のCDをかけて「振る」練習をするらしい。自分の振りたいタイミングと微妙に違うとやりにくいだろうな(^^;;
おもしろいなと思ったのは、ややこしい曲(「春の祭典」)を覚えようとしたときには、なんと「片手ずつ」さらっていたことだ。右手だけで拍子をとり、絶対に間違えなくなってから、左手だけで同じことをする。
「右手ではできていたのに、左手だと架空のフォトコピーが消えることがある」
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