「歌」の発表会があるというので聞きにいきました。ただしあいにく、冬期講習期間中なのでどうしようもなくお仕事あって、それ終わってから駆け付けたので半分以上終わっていて…
←時代はさらにどんどん進んでいたのか…
でもいくつかの演奏と、それから先生の歌がけっこう何曲も聞けました。それがほんと素晴らしかったので、大遅刻だったけど行ってよかったです。
先生は、芸大(声楽)に行ったもののオペラ「ガチ勢」たちの流れに馴染めなくていたとき、ブロードウェイミュージカルのほうにずしんとハマって劇団「四季」に入って云々、と、かなり変わった経歴の方でした。オペラもドイツリートもミュージカルも、どれも歌といえば歌だけれど芸大に来る人はまずオペラなんでしょうね。
で、その先生が、後の雑談タイムにお話しされてた中で、「生」で聞いてもらう音楽にこだわっていきたい的なところがすごく興味深かったんです。「生」と「録音」じゃまるで違うというのは、我々アマチュアピアノ愛好者も当然いつもいつも実感していることですが…
なにしろ、多少アラがあってもコケても、生で聴くと素人演奏でもすごく「あ、いいな」としっとり心に届くってことはあるものだけど、それって録音じゃ難しいんですよね。ピアノWeb発表会も楽しいことは楽しいけど、生で練習会や発表会するのの代わりになっているというわけではない。
録音されたもの、放送されたものを通して、世界のトップピアニストの演奏でも無料または安価で聞けてしまうのはとてもありがたいことだけど、じゃコンサートいかなくていいやって話ではない。
しかし昨日の話で出た「生でない」というのはそういう意味に留まるものではありませんでした。歌って録音したとして、それをせいぜいボリューム調整するとかバランス整えてミックスするといったことだけではなく、ほとんど歌を素材としてデジタルで作り込むような…単にミス部分をカット編集するということに留まらず、音質を変えるというか作り込むとか、効果音を入れるとか、もう別物・別レベルの作品として緻密に作り上げて、YouTubeなり何なりで発表する。(もっといえば元々自分で歌わずにボカロで音源を作ってもよいわけだ)
それをヘッドホンで観賞する、というような世界です。当然ですが、その演奏が気に入って歌い手さんのライブにいっても、同じような演奏は聞けないわけで、その場合まぁ演奏を聞くためというよりは、趣旨が変わって…推しに会いたい的な、別物のイベントになるものだそうです。
そうなってしまうとオペラとミュージカルの違いどころか、はるか遠い話になるわけで、もうマイクや放送を通してはいてもリアルタイムで(作り込みの作業をせず)聞くようなものなら「生」のほうのくくりへ入れてしまったほうがよさそうな情勢です。
そういう作り込んだ、繊細に完成されたものの美しさ、おもしろさを否定するわけではない(否定できない)けれど、生の歌の良さも広めていきたい、ということでした。いやもう私は古い人間だからさ、いわれずともずっと生音楽のファンですよ。
けれど、作り込まれた録音作品の魅力を味わい尽くしているデジタルネイティブ世代が、こっち側の魅力を感じてくれるのかどうかはわからない。難しいかもしれないよね…
そもそも、ガチ生音派を自認する我々でさえ、録音が一般的でなかったころの人とは違う感覚を既に持っているんだと思う。
Oistrakh, Menuhin - Bach - Concerto for Two Violins in D minor, BWV 1043
往年の名演奏家の演奏を聞くと、かなりおおらかに伸び縮みしたりしていて、機械的な意味でそんなにきちっと合っていないし、音のかすれなど些細なミスについてもあまり気にされてない雰囲気。現在、こういう演奏をする(もしくは志向する)プロというのはいないのではないだろうか。聞く人の耳のほうがもっと完璧さを求めているから。
音楽業界ってこの先、どうなっていくんだろう?
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
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でもいくつかの演奏と、それから先生の歌がけっこう何曲も聞けました。それがほんと素晴らしかったので、大遅刻だったけど行ってよかったです。
先生は、芸大(声楽)に行ったもののオペラ「ガチ勢」たちの流れに馴染めなくていたとき、ブロードウェイミュージカルのほうにずしんとハマって劇団「四季」に入って云々、と、かなり変わった経歴の方でした。オペラもドイツリートもミュージカルも、どれも歌といえば歌だけれど芸大に来る人はまずオペラなんでしょうね。
で、その先生が、後の雑談タイムにお話しされてた中で、「生」で聞いてもらう音楽にこだわっていきたい的なところがすごく興味深かったんです。「生」と「録音」じゃまるで違うというのは、我々アマチュアピアノ愛好者も当然いつもいつも実感していることですが…
なにしろ、多少アラがあってもコケても、生で聴くと素人演奏でもすごく「あ、いいな」としっとり心に届くってことはあるものだけど、それって録音じゃ難しいんですよね。ピアノWeb発表会も楽しいことは楽しいけど、生で練習会や発表会するのの代わりになっているというわけではない。
録音されたもの、放送されたものを通して、世界のトップピアニストの演奏でも無料または安価で聞けてしまうのはとてもありがたいことだけど、じゃコンサートいかなくていいやって話ではない。
しかし昨日の話で出た「生でない」というのはそういう意味に留まるものではありませんでした。歌って録音したとして、それをせいぜいボリューム調整するとかバランス整えてミックスするといったことだけではなく、ほとんど歌を素材としてデジタルで作り込むような…単にミス部分をカット編集するということに留まらず、音質を変えるというか作り込むとか、効果音を入れるとか、もう別物・別レベルの作品として緻密に作り上げて、YouTubeなり何なりで発表する。(もっといえば元々自分で歌わずにボカロで音源を作ってもよいわけだ)
それをヘッドホンで観賞する、というような世界です。当然ですが、その演奏が気に入って歌い手さんのライブにいっても、同じような演奏は聞けないわけで、その場合まぁ演奏を聞くためというよりは、趣旨が変わって…推しに会いたい的な、別物のイベントになるものだそうです。
そうなってしまうとオペラとミュージカルの違いどころか、はるか遠い話になるわけで、もうマイクや放送を通してはいてもリアルタイムで(作り込みの作業をせず)聞くようなものなら「生」のほうのくくりへ入れてしまったほうがよさそうな情勢です。
そういう作り込んだ、繊細に完成されたものの美しさ、おもしろさを否定するわけではない(否定できない)けれど、生の歌の良さも広めていきたい、ということでした。いやもう私は古い人間だからさ、いわれずともずっと生音楽のファンですよ。
けれど、作り込まれた録音作品の魅力を味わい尽くしているデジタルネイティブ世代が、こっち側の魅力を感じてくれるのかどうかはわからない。難しいかもしれないよね…
そもそも、ガチ生音派を自認する我々でさえ、録音が一般的でなかったころの人とは違う感覚を既に持っているんだと思う。
Oistrakh, Menuhin - Bach - Concerto for Two Violins in D minor, BWV 1043
往年の名演奏家の演奏を聞くと、かなりおおらかに伸び縮みしたりしていて、機械的な意味でそんなにきちっと合っていないし、音のかすれなど些細なミスについてもあまり気にされてない雰囲気。現在、こういう演奏をする(もしくは志向する)プロというのはいないのではないだろうか。聞く人の耳のほうがもっと完璧さを求めているから。
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