ある友人(女性)に「ベランダに植木鉢を置いてたこともあったんだけど、なかなか維持できなくて今は何にもない」と言ったら、
←あなたにとってピアノを弾く時間とは
「あーわかるー、植物選ぶときって、『工数少ないのはどれか』とか考えちゃうよね」だって。
…「工数」なんて言ってる時点で、あなたも植物育てるのに向いてないと思います(-_-;; ちなみにその観点で選ぶなら「ポトス」一択かと(ミントもなかなかよいという噂が)。
その人は開発系のお仕事してる人だからそういう言葉遣いになったんだけど(私はあまり「工数」とは言わない)、要するに手間のかかり方が「1人日」とか「1人月」とかね、そうやって見積もりを立てたり、膨らまないように管理したりするんだけど、そもそもベランダの植物に水をやったりするのにかかる時間を、「少なく済まそう」とか考えてる時点で
じゃあ植物置かなきゃいいじゃん
って話であって(それで実際私は植物を置いてないわけだ)、ベランダに植木鉢を置くのは、その時間が憩いであり楽しみである人がすることだよね。
…私も大きくなったら(?)そういう人になる予定なんだけどさっ(^^)
それで、あることにかかる時間を「工数」といって勘定するか、楽しみの時間と考えるかはものすごく違うことなので、だからたとえばその二種類の人種がPTAの「ベルマーク集め」なんかに関わろうもんなら話が合うわけはなくて。
ベルマークを集めてもらえるあの「ちょんぼり」したものにかかる「工数」は、と考えたらそりゃあ割に合うはずがないのでそんな活動やめちまえ、もしやらなきゃいけないとしたら預かって自宅に持ち帰ってちょきちょきしますって。
一方、それを口実に集まっておしゃべりに花を咲かせるところが楽しいと思えばお持ち帰りとかありえないし。
そういう、二つの時間の捉え方を考えてみると、そういえば「ピアノを練習する時間」って、そのどちらとも違うなぁと。
もちろん、ピアノを練習する時間なんてできるだけ少なくしたい、などと考えてるわけはなくて(だったらピアノやってない)、憩いの時間、楽しみの時間であるという面はあるのだけど、でも、それだけじゃない。「憩いの時間」とは言いにくい瞬間もあったりするし、効率というものもやっぱり考えますよね多少。多少だけど。
ただ、今この瞬間が一番心地よいように、癒されるように、というピアノの弾き方もできる。まぁ既にだいたい弾けるような曲をだらだら弾いてハイ次、みたいな、部分練習したりとかはぜんぜんしないで、流し弾き。これはあんまり練習とはいわないかも?? でも別に悪くはないよね、そんな日があってもかまわないとは思うけど。
でもそんな日ばかりじゃ実はあんまり楽しくないかもしれない。というか、楽しむくらいまで弾けるようにするところは練習したわけで、そうでなければ成り立たない(笑)
逆に、「ピアノがうまくなる」なり「この曲を弾けるようにする」なりの目標に沿って、ひたすら効率を追求するというのも…たとえばだけど、次のレッスンまでに練習できるのが10日間におよそ15時間、練習するのはバッハのインベンションとショパンのこれこれと、バッハには5時間、ショパンには10時間かけることにして、ショパンは4ページなので部分練習中心に2時間あたり1ページ、仕上げに全体練習を2時間、なーんてことをやって手帳にチェックつける人もあまりいないだろう(いるかもだけど)。
私も稀に、締切(合わせ練習とか、本番とか)があってぜんぜん間に合ってないときに、「工数」割り振るモードに突入し、がぜん本気に計画立ててがりがり進めることがある。いつもこんなに真剣に練習してたらさぞかし捗るだろうと思うけどそんなことはたぶんできないししたくもない(^^;;
たいていはこの二つのモードの間のどこかで「練習」しているけど、長続きする楽しみのためにはその自分なりのバランスを取るというのが吉だろう。
でも、稀に「工数」モードに入ってるときってハイになってるから、別に嫌々そのように練習してるわけじゃなくて、それを楽しいと感じてるんだよね?? もしかしたら人によっては、ぎゅっと効率よく、かつ進行を管理しつつガシガシ進めることが苦にならない、というかそれ自体がおもしろく楽しくて(癒しというとちょっと違うとしても)、いつもいつもそうやって練習してる人がいるかも。そしたらそれは(うまくなるための)才能があるっていうことになるんだろうな(ある意味)。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←あなたにとってピアノを弾く時間とは
「あーわかるー、植物選ぶときって、『工数少ないのはどれか』とか考えちゃうよね」だって。
…「工数」なんて言ってる時点で、あなたも植物育てるのに向いてないと思います(-_-;; ちなみにその観点で選ぶなら「ポトス」一択かと(ミントもなかなかよいという噂が)。
その人は開発系のお仕事してる人だからそういう言葉遣いになったんだけど(私はあまり「工数」とは言わない)、要するに手間のかかり方が「1人日」とか「1人月」とかね、そうやって見積もりを立てたり、膨らまないように管理したりするんだけど、そもそもベランダの植物に水をやったりするのにかかる時間を、「少なく済まそう」とか考えてる時点で
じゃあ植物置かなきゃいいじゃん
って話であって(それで実際私は植物を置いてないわけだ)、ベランダに植木鉢を置くのは、その時間が憩いであり楽しみである人がすることだよね。
…私も大きくなったら(?)そういう人になる予定なんだけどさっ(^^)
それで、あることにかかる時間を「工数」といって勘定するか、楽しみの時間と考えるかはものすごく違うことなので、だからたとえばその二種類の人種がPTAの「ベルマーク集め」なんかに関わろうもんなら話が合うわけはなくて。
ベルマークを集めてもらえるあの「ちょんぼり」したものにかかる「工数」は、と考えたらそりゃあ割に合うはずがないのでそんな活動やめちまえ、もしやらなきゃいけないとしたら預かって自宅に持ち帰ってちょきちょきしますって。
一方、それを口実に集まっておしゃべりに花を咲かせるところが楽しいと思えばお持ち帰りとかありえないし。
そういう、二つの時間の捉え方を考えてみると、そういえば「ピアノを練習する時間」って、そのどちらとも違うなぁと。
もちろん、ピアノを練習する時間なんてできるだけ少なくしたい、などと考えてるわけはなくて(だったらピアノやってない)、憩いの時間、楽しみの時間であるという面はあるのだけど、でも、それだけじゃない。「憩いの時間」とは言いにくい瞬間もあったりするし、効率というものもやっぱり考えますよね多少。多少だけど。
ただ、今この瞬間が一番心地よいように、癒されるように、というピアノの弾き方もできる。まぁ既にだいたい弾けるような曲をだらだら弾いてハイ次、みたいな、部分練習したりとかはぜんぜんしないで、流し弾き。これはあんまり練習とはいわないかも?? でも別に悪くはないよね、そんな日があってもかまわないとは思うけど。
でもそんな日ばかりじゃ実はあんまり楽しくないかもしれない。というか、楽しむくらいまで弾けるようにするところは練習したわけで、そうでなければ成り立たない(笑)
逆に、「ピアノがうまくなる」なり「この曲を弾けるようにする」なりの目標に沿って、ひたすら効率を追求するというのも…たとえばだけど、次のレッスンまでに練習できるのが10日間におよそ15時間、練習するのはバッハのインベンションとショパンのこれこれと、バッハには5時間、ショパンには10時間かけることにして、ショパンは4ページなので部分練習中心に2時間あたり1ページ、仕上げに全体練習を2時間、なーんてことをやって手帳にチェックつける人もあまりいないだろう(いるかもだけど)。
私も稀に、締切(合わせ練習とか、本番とか)があってぜんぜん間に合ってないときに、「工数」割り振るモードに突入し、がぜん本気に計画立ててがりがり進めることがある。いつもこんなに真剣に練習してたらさぞかし捗るだろうと思うけどそんなことはたぶんできないししたくもない(^^;;
たいていはこの二つのモードの間のどこかで「練習」しているけど、長続きする楽しみのためにはその自分なりのバランスを取るというのが吉だろう。
でも、稀に「工数」モードに入ってるときってハイになってるから、別に嫌々そのように練習してるわけじゃなくて、それを楽しいと感じてるんだよね?? もしかしたら人によっては、ぎゅっと効率よく、かつ進行を管理しつつガシガシ進めることが苦にならない、というかそれ自体がおもしろく楽しくて(癒しというとちょっと違うとしても)、いつもいつもそうやって練習してる人がいるかも。そしたらそれは(うまくなるための)才能があるっていうことになるんだろうな(ある意味)。
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
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