ちょっとした出会いから、何か「メシの種」を得たあとに。
←大学受験がなくたって、勉強が必要なことに変わりはない
大学受験というのは、どんな意味があるか…??
私の場合、「言葉(文法)というのはおもしろい」というのが小さなちいさな「メシの種」だったと思うのだが、それと大学受験って、ほとんど関連付けられていなかった。どこを受験するか決めるための考え方は、
優先順位1: 不得意教科(社会)を避ける
優先順位2: よさげな結婚相手のいそうなところ(?)
優先順位3: 得意教科(英語、物理、国語)を生かす
といったところか。
どだい、職業意識がないわけだから、「メシの種」という発想もなかったし、仮に、あったところで、そんなもんが「メシの種」になるとは想像だにしなかっただろう。
職業意識を持って学部選択するのは、一般的には奨励されることだけれど、たぶん、まじめに考えたところで、仕事に関しての知識も想像も、非常に限られたものになるわけだし、あんまり適切なものにはならないことが多いんじゃないだろうか?? あまりまじめに(そして狭く)考えると、せっかくの「メシの種」をつぶす場合もあるかもしれない。
結局のところ、私は「メシの種」と何の関係もなく、「なんとなく理系」を選び、受験勉強として英数国理に取り組むことになった。けれど、このときにやった勉強は何一つ無駄にはなっておらず、全部ひっくるめて仕事の役に立っている。
・英文をきちんと読み、正確に日本語で表現すること
・英文を(やや)すらすら読むこと
・根拠を持って読解すること
・数学に含まれた概念と道具の操り方を経験すること
・物理と化学の範囲で、基本的知識と操作をモノにすること
これらは、教科内容に直接含まれている事柄であり、ある程度仕事に役に立ってはいるが、そんなに中心的な役割を果たしているわけではない。
むしろ、どうしても必要だったことは
・ある程度深みをもった言語能力
・より速くより大量に情報を処理する能力
・論理的思考能力
を身につけ、なるべく高めておくことだったと思う。大学受験の英数国理はそういう意味でもとてもよかったし、ぶっちゃけこういう能力が無駄になる職業なんてものはないだろう。
要するに、大学受験でする程度の勉強は、「読み書きそろばん」の延長である、何かしようとしたらどのみち必要になるスキルを育てるものなので、将来の職業が何であれ、遠慮なく(^^)ばんばん進めておけばいいのだ。
だから、「大きくなったらなんになる」について迷いに迷い、ちっともそれらしい解にたどり着いてない高校生であっても、とりあえず大学受験きっかけで勉強しておくのはお得だよと言ってあげたい。
それで、なぜ自分の息子たちにはそのような大学受験を勧めなかったのかということだけど。それは、自分がした大学受験のための勉強は、確かに無駄になったところはないしすべて役に立ったけど、「狭かった」というのが私の反省なのだ。
私が大学受験にこだわってしまったことの弊害については、たとえば「主要教科という考え方」に書いた。もっと広く、もっと自由に、自分の興味に応じて学んでいけたら理想だと思う。ただし、言うまでもなく、大学受験というモチベーション(プレッシャー?)がない分、ただ易きに流れるという危険も考えられるわけで(^^;; 実際どうだったのかは…まだわからない、と日記には書いておこう。
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私の場合、「言葉(文法)というのはおもしろい」というのが小さなちいさな「メシの種」だったと思うのだが、それと大学受験って、ほとんど関連付けられていなかった。どこを受験するか決めるための考え方は、
優先順位1: 不得意教科(社会)を避ける
優先順位2: よさげな結婚相手のいそうなところ(?)
優先順位3: 得意教科(英語、物理、国語)を生かす
といったところか。
どだい、職業意識がないわけだから、「メシの種」という発想もなかったし、仮に、あったところで、そんなもんが「メシの種」になるとは想像だにしなかっただろう。
職業意識を持って学部選択するのは、一般的には奨励されることだけれど、たぶん、まじめに考えたところで、仕事に関しての知識も想像も、非常に限られたものになるわけだし、あんまり適切なものにはならないことが多いんじゃないだろうか?? あまりまじめに(そして狭く)考えると、せっかくの「メシの種」をつぶす場合もあるかもしれない。
結局のところ、私は「メシの種」と何の関係もなく、「なんとなく理系」を選び、受験勉強として英数国理に取り組むことになった。けれど、このときにやった勉強は何一つ無駄にはなっておらず、全部ひっくるめて仕事の役に立っている。
・英文をきちんと読み、正確に日本語で表現すること
・英文を(やや)すらすら読むこと
・根拠を持って読解すること
・数学に含まれた概念と道具の操り方を経験すること
・物理と化学の範囲で、基本的知識と操作をモノにすること
これらは、教科内容に直接含まれている事柄であり、ある程度仕事に役に立ってはいるが、そんなに中心的な役割を果たしているわけではない。
むしろ、どうしても必要だったことは
・ある程度深みをもった言語能力
・より速くより大量に情報を処理する能力
・論理的思考能力
を身につけ、なるべく高めておくことだったと思う。大学受験の英数国理はそういう意味でもとてもよかったし、ぶっちゃけこういう能力が無駄になる職業なんてものはないだろう。
要するに、大学受験でする程度の勉強は、「読み書きそろばん」の延長である、何かしようとしたらどのみち必要になるスキルを育てるものなので、将来の職業が何であれ、遠慮なく(^^)ばんばん進めておけばいいのだ。
だから、「大きくなったらなんになる」について迷いに迷い、ちっともそれらしい解にたどり着いてない高校生であっても、とりあえず大学受験きっかけで勉強しておくのはお得だよと言ってあげたい。
それで、なぜ自分の息子たちにはそのような大学受験を勧めなかったのかということだけど。それは、自分がした大学受験のための勉強は、確かに無駄になったところはないしすべて役に立ったけど、「狭かった」というのが私の反省なのだ。
私が大学受験にこだわってしまったことの弊害については、たとえば「主要教科という考え方」に書いた。もっと広く、もっと自由に、自分の興味に応じて学んでいけたら理想だと思う。ただし、言うまでもなく、大学受験というモチベーション(プレッシャー?)がない分、ただ易きに流れるという危険も考えられるわけで(^^;; 実際どうだったのかは…まだわからない、と日記には書いておこう。
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深く考えずに、不得意でない教科で受けられる上限の大学の学部を選び、結果的には、推薦入学(二人とも)。
1校しか受けなかったという意味では親孝行かもしれませんが…。
そして、私は自活するために4年で社会に出ましたが、
夫は就職を避け続け、大学に9年間も通い(親のすねをかじり続けて)
「足の裏に着いた飯つぶ(取らないと気持ち悪いけど、取っても食べられない)」を取りました(-"-)…が、実際なんの役にも立ってないのがまた悲しいやら笑えるやら。
一校しか受けなくていいので効率的、経済的。その一方で、幅広く内申をそろえておかないといけないので勉強は手広く、という感じですかね。
「足の裏についた飯つぶ」って言い方、父からも聞いたわ(^^;; 就職をしばらく避けるにしても、ずーっと大学に居られるわけじゃなし、いつか社会に出てみて、出てみたらなんとかなるもんだってこともありますよね。私は勉強も特にしたくないんで、大学にいる時間を延ばそうとは思わなかった(-_-;;
オケやってた仲間は理系は大学院進学で、文系は司法試験を受けたい・・・とか口実設けて、在学期間引き延ばしを図ってました。
単位不足で卒業延期ってのも多かったですが。
”足の裏についた飯つぶ”って表現、初めて知りました。
私の場合マスター修了後、就職して論文の方で取ったクチですが・・・
でも今の私の主業は大学時代最もやりたくないと考えていた職業で、副業でかろうじてかつての専門を生かしています。
兼業しないと「メシと学費」の種にはならないんで(涙)。
父は、「一級建築士」についてそのように表現してました。ま、いろんな人がいろんなものについてそう言ってるみたいです。
考えたら、勉強するだけで自動的にメシが食えるようになるものもあまりないんで、何についてもそういえるってことなんじゃないかな。
専門で食ってるとも限りませんね…