「エスカレーター式」といって思い浮かべるのはたとえば、こじろうの行った学校みたいなとこ。
←好みが分かれるところですけどね
こじろうの場合、受験して中学に入学したあとは、入試なくずるずるっと大学まで行けて、仲間もほぼ全員一緒。まぁそんな感じ。
「ほぼ」のところを細かくいえば、中学から高校に上がらなかった/上がれなかった人が少々、高校での留年が数名、他大学を選んで出て行った人が数名。
部活に遊びに打ち込む子どもを、緊張感なく生暖かく見守れるので親にとってはたいへんありがたい。十分、「エスカレーター校」と呼ぶにふさわしいメリット(そしてたぶんデメリットも)がある学校だと思う。
…けど、いくらエスカレーターといっても、学力のハードルがないわけじゃない。特に、中学から高校に上がるときは成績条件があるので、それに引っかかりそうな低空飛行をしている子にはまず中三夏くらいに、外部受験の準備をするようお声がかかる。そしてどこかの進学先を確保させておいてから、学年末の成績がやっぱり足りなければそこへ、結果として足りていれば内部進学も可能というシステムだ。
ところが、「エスカレーター」が「エスカレーター」じゃなかったといって訴訟沙汰になった事例があるというのでびっくり。
名門校進学を巡る裁判が示した、「エスカレーター式」の真実
----------
平成28年3月7日、東京地裁の判決で、幼稚園2校、小学校1校、中学校3校、高等学校3校、大学1校等を運営する学校法人を相手に、付属小学校6年生の息子が系列の中学校に進学できなかったことを理由に、両親が”小学校”を訴えた事件の判決があった。
----------
この記事のトーンは、、
----------
厳しい小学受験に合格してエスカレーター式に系列の中学校、高等学校、大学に行けると思っていた親にとって、理由の如何を問わず内部進学できないというのは大変なショックだろう。しかも、その理由が不良行為等ではなく、学力不足というのなら、それまで学校に寄せてきた信頼(と高い授業料)は何だったのか!
----------
という論調なので、まさかお金で(学力が足りなくても)学歴が買えるシステムだと思っていたのか!? と思ってしまう。
もしも、いわゆる「エスカレーター校」がほんとに学力ハードルまったくなしだったら、中学・高校・大学と進むにつれて、ある程度のレベルで授業したら全然理解できない子がいるという困った事態になって、そしたらそこに(本人にとって)在学する意味もなければ、(世間にとって)その大学を出たというラベルへの信頼もまったくないわけで、そりゃ意味ないのでは。
こじろうの学校の場合、内部進学での学力ハードルというのはそんなに高いものではないけれど、先生方は全力でそのハードルを越えさせようとあの手この手(補習やら追試やら)、とにかく○大に行って困らないような基礎学力をつけさせたうえで、できることなら全員を送り込みたいから本気である。一部の秀才君に大学合格実績を作ってもらえばいい進学校あたりとはわけが違うんで、これはこれでプロの覚悟をもってあたる困難なお仕事といえる。
生徒のほうも、そのハードルを越えることはもちろん、大学に行って困らないようにしようということでさすがに思うところは同じであるから、
結果として、よほど学校に通うこと自体が嫌になったり、勉強すること自体が嫌になって、先生が差し伸べる手も振りほどこうって勢いにならない限りは、たいていその(決して高いとはいえない)ハードルを無事クリアして進学していく。
たいていどこの「エスカレーター校」もそんな調子だと思うし、このシステムの中で、最低限の学力ハードルがあることは必須だと思うけどね。それがほんとにない「エスカレーター校」なんてもんがあったらさすがに見向きもされないのでは? まさかそんなものを求めて裁判を起こしたの?
ところが、裁判内容に触れる部分を読んでみると、
「担任教師が適切な受験指導をしていれば系列中学の偏差値に見合う他の中学を受けることができたはずであるのに、それを怠ったため同レベルの中学入試を受ける機会を失った」という損害賠償請求
ということなので、学力条件なしに進学させろという主張でもないようだ。このまま読めば、学力ハードルを越えられないのにそれを早めに教えてくれなかったということのように見える。(まぁしかし、内部進学できないような子が「系列中学の偏差値に見合う他の中学」に合格できたとも思えないけど)
裁判所の判断は、小学校に受験指導の義務はないというものだったようだけど、まぁ法律的(?)にはそうなのかな。個人的には、仮にもエスカレーター校だったら早めに「この成績では上に行かれませんよ」とか警告してくれるのが筋というか親切だろうと思うんだけど…この親が警告を聞きいれたかどうかわからないからなんともいえない。というか、「付属小学校の6年生だったA君(小学校をBにする)は、系列の付属中学校に進学しようとして内部進学単願試験を受けたが不合格となり、その後の一般入試も受けたがやはり不合格となってしまった。」とあるので、遅くとも内部試験を落ちたところでこりゃダメそうだということがわかったはずだからそれから外も受けたらどうなんだろね。
というわけで、この裁判事例は実のところ対応に不満があったのであって「学力ハードルをなくすべき」という訴えではないようなんだけど、この記事はそれをがんがんに煽って「学力で落とすなんて!!」という話に捻じ曲げていたようである。ところがこの記事の結論部分は急転直下なぜかとてもふつうなところに着地する:
「学力を伸ばすための学校の役割と心構えを養う家庭の役割が相まって、初めてエスカレーター校(?)の真価が発揮されるのだろう。」
この、木に竹を接いだような結論は何だろう。でもほんと、エスカレーター校ってそんな感じ。居心地いいし、部活は盛んで、勉強は基礎学力や教養として受験プレッシャーなくできるしで天国。お金に余裕があれば(←私大は高いからね)けっこうお奨めです。でもとにかく、エスカレーター校といえども学力ハードルは必須ですよ。
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←好みが分かれるところですけどね
こじろうの場合、受験して中学に入学したあとは、入試なくずるずるっと大学まで行けて、仲間もほぼ全員一緒。まぁそんな感じ。
「ほぼ」のところを細かくいえば、中学から高校に上がらなかった/上がれなかった人が少々、高校での留年が数名、他大学を選んで出て行った人が数名。
部活に遊びに打ち込む子どもを、緊張感なく生暖かく見守れるので親にとってはたいへんありがたい。十分、「エスカレーター校」と呼ぶにふさわしいメリット(そしてたぶんデメリットも)がある学校だと思う。
…けど、いくらエスカレーターといっても、学力のハードルがないわけじゃない。特に、中学から高校に上がるときは成績条件があるので、それに引っかかりそうな低空飛行をしている子にはまず中三夏くらいに、外部受験の準備をするようお声がかかる。そしてどこかの進学先を確保させておいてから、学年末の成績がやっぱり足りなければそこへ、結果として足りていれば内部進学も可能というシステムだ。
ところが、「エスカレーター」が「エスカレーター」じゃなかったといって訴訟沙汰になった事例があるというのでびっくり。
名門校進学を巡る裁判が示した、「エスカレーター式」の真実
----------
平成28年3月7日、東京地裁の判決で、幼稚園2校、小学校1校、中学校3校、高等学校3校、大学1校等を運営する学校法人を相手に、付属小学校6年生の息子が系列の中学校に進学できなかったことを理由に、両親が”小学校”を訴えた事件の判決があった。
----------
この記事のトーンは、、
----------
厳しい小学受験に合格してエスカレーター式に系列の中学校、高等学校、大学に行けると思っていた親にとって、理由の如何を問わず内部進学できないというのは大変なショックだろう。しかも、その理由が不良行為等ではなく、学力不足というのなら、それまで学校に寄せてきた信頼(と高い授業料)は何だったのか!
----------
という論調なので、まさかお金で(学力が足りなくても)学歴が買えるシステムだと思っていたのか!? と思ってしまう。
もしも、いわゆる「エスカレーター校」がほんとに学力ハードルまったくなしだったら、中学・高校・大学と進むにつれて、ある程度のレベルで授業したら全然理解できない子がいるという困った事態になって、そしたらそこに(本人にとって)在学する意味もなければ、(世間にとって)その大学を出たというラベルへの信頼もまったくないわけで、そりゃ意味ないのでは。
こじろうの学校の場合、内部進学での学力ハードルというのはそんなに高いものではないけれど、先生方は全力でそのハードルを越えさせようとあの手この手(補習やら追試やら)、とにかく○大に行って困らないような基礎学力をつけさせたうえで、できることなら全員を送り込みたいから本気である。一部の秀才君に大学合格実績を作ってもらえばいい進学校あたりとはわけが違うんで、これはこれでプロの覚悟をもってあたる困難なお仕事といえる。
生徒のほうも、そのハードルを越えることはもちろん、大学に行って困らないようにしようということでさすがに思うところは同じであるから、
結果として、よほど学校に通うこと自体が嫌になったり、勉強すること自体が嫌になって、先生が差し伸べる手も振りほどこうって勢いにならない限りは、たいていその(決して高いとはいえない)ハードルを無事クリアして進学していく。
たいていどこの「エスカレーター校」もそんな調子だと思うし、このシステムの中で、最低限の学力ハードルがあることは必須だと思うけどね。それがほんとにない「エスカレーター校」なんてもんがあったらさすがに見向きもされないのでは? まさかそんなものを求めて裁判を起こしたの?
ところが、裁判内容に触れる部分を読んでみると、
「担任教師が適切な受験指導をしていれば系列中学の偏差値に見合う他の中学を受けることができたはずであるのに、それを怠ったため同レベルの中学入試を受ける機会を失った」という損害賠償請求
ということなので、学力条件なしに進学させろという主張でもないようだ。このまま読めば、学力ハードルを越えられないのにそれを早めに教えてくれなかったということのように見える。(まぁしかし、内部進学できないような子が「系列中学の偏差値に見合う他の中学」に合格できたとも思えないけど)
裁判所の判断は、小学校に受験指導の義務はないというものだったようだけど、まぁ法律的(?)にはそうなのかな。個人的には、仮にもエスカレーター校だったら早めに「この成績では上に行かれませんよ」とか警告してくれるのが筋というか親切だろうと思うんだけど…この親が警告を聞きいれたかどうかわからないからなんともいえない。というか、「付属小学校の6年生だったA君(小学校をBにする)は、系列の付属中学校に進学しようとして内部進学単願試験を受けたが不合格となり、その後の一般入試も受けたがやはり不合格となってしまった。」とあるので、遅くとも内部試験を落ちたところでこりゃダメそうだということがわかったはずだからそれから外も受けたらどうなんだろね。
というわけで、この裁判事例は実のところ対応に不満があったのであって「学力ハードルをなくすべき」という訴えではないようなんだけど、この記事はそれをがんがんに煽って「学力で落とすなんて!!」という話に捻じ曲げていたようである。ところがこの記事の結論部分は急転直下なぜかとてもふつうなところに着地する:
「学力を伸ばすための学校の役割と心構えを養う家庭の役割が相まって、初めてエスカレーター校(?)の真価が発揮されるのだろう。」
この、木に竹を接いだような結論は何だろう。でもほんと、エスカレーター校ってそんな感じ。居心地いいし、部活は盛んで、勉強は基礎学力や教養として受験プレッシャーなくできるしで天国。お金に余裕があれば(←私大は高いからね)けっこうお奨めです。でもとにかく、エスカレーター校といえども学力ハードルは必須ですよ。
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
一読しただけでは 意味がよくわからなかったけれど、
昔JGが、
「縁あって 入学してきた子どもたちたちだから 何があっても卒業するまで 面倒を見ます。」
というようなニュアンスのことを 言ってたのを意味するんじゃないかしらね?
うちの母も それが教育機関としては当然の姿勢だって言ってます。
そうは言っても 現実は授業についていけない子が 少数とはいえ出てくるわけで、
それを無理に置いといても 学歴を金で買う意味になってしまうから その子のためにならない。
真摯に努力する心構えを養うのは 親の役割だっていう話だと思うんだけれど…
なんで これがわざわざ記事になるんだろうね?
もともと、そこのくくりが一つの学校でもいいと思うし、
ややこしい年齢だから、
途中で横道逸れたりテンションダラ下がりになったり反抗的になったりいろいろあってもまた高校生になると何かのきっかけで戻ってくる…そのあれやこれやを長い目で見るよってのは頼りになるなって感じ。
学力は、もちろん中学入学時に揃えておいてもどんどんばらけてはくるけれど、素質的にはだいたい測れるから一つの学校の中で面倒見るのもそんなに的外れではないと思うんだよね。
でもたとえば、幼稚園の入園テストに合格したら、その大学までどんな学力でも保証するといったらそりゃ無理だろって。
> なんで これがわざわざ記事になるんだろうね?
元ネタの裁判もかなりトホホな裁判だけど、それをたぶん意図的にねじまげて(煽って)「学力で振り落すなんて!!」って記事を書いていると思うんです。私、この筆者にはなんとなく近い内容で出版したという親近感を持っていたんだけれどなんか情けないわ。