あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

やぐらって何?

2009年02月06日 06時29分53秒 | 鎌倉
鎌倉を散歩すると「やぐら」という名詞を聞くんですよねえ。
でもそれって何?
なんか、地元では当り前っぽくて特に説明板が立ってるってこともない。
鎌倉を何度かぶらついてわかったんですけど、「やぐら」ってあちこちにあるんですよ。
そりゃあ、地元では当り前でわざわざ説明することじゃないや。でもこれ、全国区で言うと、大層珍しいと思うんだよね。
そもそも鎌倉という土地は平地が少ないんです。で、ポコポコした小山が多いのね。この立地が「やぐら」という独特のものを生んだんじゃないかな~?
WIKIで調べると、やぐら(窟・岩倉)は、神奈川県鎌倉市地方を中心に存在する中世の横穴墳墓、供養場所である。とあります。
つまり、お墓なのです。
中世とWIKIでは書いてありますが、鎌倉のお寺に隣接する墓地には大概このやぐらがあります。
んでもって、やぐらの中には当然お墓の石が入ってます。中には中世から受け継がれる墓もあるようですが、やぐらは大概現役の墓が入ってます。
上の画像は報国寺でみかけたやぐら。
やくらの大きさは一辺1メートルから5メートルで、大体直方体。地味です。
鎌倉のお墓はちょっと変っていて、石造の五輪塔の形に組まれてるのが多い。もちろん新しいのになると単なる直方体を段組みしてるよくある形なのですが。五輪塔のを見ると、歴史があるなあとか、風流だなあとか思っちゃいます。
中には壁に彫刻があったり、内部に彩色してあるやぐらもありますが、やぐらは本当にあちこちにあるので、いちいち確かめる為にやぐらに入ろうとは思いません。
あんまりあちこちにあるもんだから、目当ての墓を探すのも大変。確かにここの墓地にあるハズなのに~って笑えない状況になったりもする。(体験談)
なぜ、平成の世までやぐらが残ったのか?
そりゃやっぱり平地に墓を作らなかったからです。
平地は利用し易い土地です。
里山に墓地があることもありますが、今時山を潰すのは簡単。でもその山が岩山だと話は別。
岩山を潰せないこともないけど、それは費用がかかる。その費用を回収出来る価値あるものを作れないと採算が合わない。
なので、やぐらは残ってるのです。岩山を潰して建築資材に転用してもいいのでしょうが、鎌倉の道は細いんですよ。んでもって、道の際まで家が立ち並んでたりしてるので、ダンプカーなんか入れません。つーか、普通に自動車も入れん道が多数ある。だからかな~?鎌倉観光は徒歩部分が多いのよ。観光用人力車もありますが、坂道と階段が多い観光地なので、それは含み置いて観光地を絞って回ることをお勧めします。
つーても、鎌倉観光したのは秋からなのであんまり大したこと知らないんだけどね。
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寿福寺

2009年02月06日 05時49分14秒 | 鎌倉
鎌倉には五山という制度があります。
各禅刹の寺格を決め、官が任命した住持を順次上位の寺へと昇任させていくという中国の制度です。
北条氏がこれを取り入れ、始めは建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺など、鎌倉の主な禅刹が五山と呼ばれていました。
その後何度か変更がありましたが、1368年に足利義満が改定し現在の鎌倉五山が定められました。
鎌倉五山は
1位建長寺
2位円覚寺
3位寿福寺
4位浄智寺
5位浄妙寺
です。この秋の散歩三昧で5つのうち4つを制覇し、上の画像の寿福寺だけが残ってました。
最後まで残った理由。それはここが現在境内非公開だからです。
このお寺の歴史。
北条政子が夫の菩提を弔うため、源氏家父祖伝来の地で頼朝の父、義朝の屋敷があった所に建てた頼朝も当初幕府を構えようとした場所でもある。
創建は1200年。
開基は北条政子
源実朝、北条政子、高浜虚子、大佛次郎のお墓がある。
拝観は参道のみ。
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現在は登れません

2009年02月06日 05時40分02秒 | 鎌倉
寿福寺の裏山に墓地がある。
目的はここにある北条政子と息子の源実朝のお墓を見ること。
秋に北条政子のだんなさん、源頼朝のお墓(12月12日の記事)を見た。ずいぶんあっさりしてた。
その時に奥さんのお墓はなかったので、それどこにあるのかなあ?と疑問だったのだ。
英勝寺に行くと決めて地図を眺めたら、すぐ近くに「北条政子の墓」があると知り寄ってみた。
寿福寺は境内は非公開のお寺です。脇道を登る。
脇道と言ってもアスファルトも張られていないじゃり道だ。そこを登っていくと立ち入り禁止の柵があった。
「危険なので立ち入り禁止。北条政子の墓にお参りしたい方は左手の突き当りから迂回して下さい」
上の画像は、そもそもの墓所への道です。下からは柵が邪魔で写しづらかったので、上から見下ろして撮影しています。
耐震基準は満たしてないから仕方ないね。
情緒台無し。
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