品川神社の宝物殿に納められたお神輿を、ボランティアガイドさんの解説付きで拝見。BGMはちょっと変わったお神楽の生演奏です。もうね。これだけで旧品川宿文化財ウォークラリーに参加したかいがあります。
宝物殿の後は、手水舎で清めて参拝しました。
上の画像はピンボケで申し訳ないのですが、手水舎にあった板絵です。これよく出来てるんだよね。品川神社さんの所縁の徳川将軍家の葵の御紋。葵のお神輿。品川拍子の音曲。葵のお神輿の屋根に天下一嘗の面と、みるべきものが全部描かれてるのだ。
本殿に参拝。こちらにも葵の御紋がありますね。
さて、ここで品川神社さんの見物はおしまいなのですが、文化財ウォークラリーの最初に品川観光協会でいただいたコピーには、こんな境内図が挟まってたのだ。
ポイントは、見取図の左上にあるお墓です。
ン~???神社にお墓~~??何でやねんっ?
ともあれ、行ってみる。
右、板垣退助の墓。左、奥様の墓。
明治時代って、個人個人で墓なのね。今みたいに、一家に一つじゃないのね。
板垣退助って誰?という方にはこの言葉を言った人です。
この石碑をよく見ると、左に自由民主党総裁 佐藤栄作って書いてあるんだよね。
実は板垣退助夫妻のお墓がポツンとあるのではなく、周囲に一族のお墓もありました。
これ全部板垣さんち関連のお墓です。でもお花とか全然ないのな。所縁の人が近くにいないのかな?つーか、なぜに神社の境内にお墓があるのか?と思ったので聞いてみた。
そうなのね。ここにも歴史ボランティアガイドさんがいらっしゃって、ラリー参加者に蘊蓄を教えてくれるのだ。うわ~。いっつもこんなんだと歴史散歩も楽しいのに~。
さて疑問ですが、実はかつてこの場所はここから西へ300メートルにある東海寺さんの塔頭で、高源院さんの墓地でした。関東大震災のあと高源院さんが世田谷に移転した時に墓所だけここに残されたのだとか。う~む。それでも寺が移転したら墓所もなんとかするんじゃないか?と思うんだけど、そこまで詳しくは聞けなかったよ。まあ板垣退助といえばもう歴史の偉人扱いだからして、お墓も文化財扱いなのやもしれんが。
ちなみに、東海寺さんは沢庵和尚の寺です。文化財ラリーは11月9日に開催されたのですが、1週間前の11月3日は北鎌倉の円覚寺・建長寺の宝物風入れを見物してました。そこに沢庵和尚が寄贈した品々が沢山展示してありましたが、沢庵さんは品川にいた人だったのか~。つーか、なぜ私は沢庵さんを知ってるのだろう??たぶん小さい頃にどっかの誰かに教えられたと思うんだけど…。いや、悩んでる場合ではない。今回は旧品川宿文化財ウォークラリーに参加してるのです。チェックポイントの受付時刻に全部回らないとイカンのだ。時刻は既に14時過ぎ。先を急ぎましょう。
上の鳥居は品川神社にある鳥居の中で一番古いもので、慶安元年(1648)東海寺を建立した徳川家光の側近、堀田正盛寄進です。
堀田正盛は春日の局の義理の孫です。ちなみに主君家光の死の際に44歳で彼は殉死してます。墓所は品川神社さんの西側にあり、沢庵和尚のお寺・東海寺さん。
ちなみに、私のブログで以前堀田正盛さんが登場したのはこちらの記事>仙波東照宮の狛犬(2011年6月22日)の記事 川越歴史巡りをした時に立ち寄りました。
ついでにいつもの狛犬チェックです。品川神社には狛犬が何体もいてましたが、ここは私好みのを撮影して。
ウォークラリーコースは通りに第一京浜に沿って京急新馬場駅の交差点を左折して旧東海道へ戻ります。
ン~。でもこのコースだと、虚空蔵尊の出店は素通りしちゃうよな~。って、脇道をうっかりナナメに進んだら、迷った!!
あ。看板建築の長屋や!珍しい。パチリ。とか写してる場合じゃなかった!
あれ~~??出店に行き合ったので、取りあえず直進したらば…。ぬわんと!!品川神社に戻ってしまった!
何でや~~っ!!
慌てて道を修正。到着したのはかつての品川宿本陣跡です。
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宝物殿の後は、手水舎で清めて参拝しました。
上の画像はピンボケで申し訳ないのですが、手水舎にあった板絵です。これよく出来てるんだよね。品川神社さんの所縁の徳川将軍家の葵の御紋。葵のお神輿。品川拍子の音曲。葵のお神輿の屋根に天下一嘗の面と、みるべきものが全部描かれてるのだ。
本殿に参拝。こちらにも葵の御紋がありますね。
さて、ここで品川神社さんの見物はおしまいなのですが、文化財ウォークラリーの最初に品川観光協会でいただいたコピーには、こんな境内図が挟まってたのだ。
ポイントは、見取図の左上にあるお墓です。
ン~???神社にお墓~~??何でやねんっ?
ともあれ、行ってみる。
右、板垣退助の墓。左、奥様の墓。
明治時代って、個人個人で墓なのね。今みたいに、一家に一つじゃないのね。
板垣退助って誰?という方にはこの言葉を言った人です。
この石碑をよく見ると、左に自由民主党総裁 佐藤栄作って書いてあるんだよね。
実は板垣退助夫妻のお墓がポツンとあるのではなく、周囲に一族のお墓もありました。
これ全部板垣さんち関連のお墓です。でもお花とか全然ないのな。所縁の人が近くにいないのかな?つーか、なぜに神社の境内にお墓があるのか?と思ったので聞いてみた。
そうなのね。ここにも歴史ボランティアガイドさんがいらっしゃって、ラリー参加者に蘊蓄を教えてくれるのだ。うわ~。いっつもこんなんだと歴史散歩も楽しいのに~。
さて疑問ですが、実はかつてこの場所はここから西へ300メートルにある東海寺さんの塔頭で、高源院さんの墓地でした。関東大震災のあと高源院さんが世田谷に移転した時に墓所だけここに残されたのだとか。う~む。それでも寺が移転したら墓所もなんとかするんじゃないか?と思うんだけど、そこまで詳しくは聞けなかったよ。まあ板垣退助といえばもう歴史の偉人扱いだからして、お墓も文化財扱いなのやもしれんが。
ちなみに、東海寺さんは沢庵和尚の寺です。文化財ラリーは11月9日に開催されたのですが、1週間前の11月3日は北鎌倉の円覚寺・建長寺の宝物風入れを見物してました。そこに沢庵和尚が寄贈した品々が沢山展示してありましたが、沢庵さんは品川にいた人だったのか~。つーか、なぜ私は沢庵さんを知ってるのだろう??たぶん小さい頃にどっかの誰かに教えられたと思うんだけど…。いや、悩んでる場合ではない。今回は旧品川宿文化財ウォークラリーに参加してるのです。チェックポイントの受付時刻に全部回らないとイカンのだ。時刻は既に14時過ぎ。先を急ぎましょう。
上の鳥居は品川神社にある鳥居の中で一番古いもので、慶安元年(1648)東海寺を建立した徳川家光の側近、堀田正盛寄進です。
堀田正盛は春日の局の義理の孫です。ちなみに主君家光の死の際に44歳で彼は殉死してます。墓所は品川神社さんの西側にあり、沢庵和尚のお寺・東海寺さん。
ちなみに、私のブログで以前堀田正盛さんが登場したのはこちらの記事>仙波東照宮の狛犬(2011年6月22日)の記事 川越歴史巡りをした時に立ち寄りました。
ついでにいつもの狛犬チェックです。品川神社には狛犬が何体もいてましたが、ここは私好みのを撮影して。
ウォークラリーコースは通りに第一京浜に沿って京急新馬場駅の交差点を左折して旧東海道へ戻ります。
ン~。でもこのコースだと、虚空蔵尊の出店は素通りしちゃうよな~。って、脇道をうっかりナナメに進んだら、迷った!!
あ。看板建築の長屋や!珍しい。パチリ。とか写してる場合じゃなかった!
あれ~~??出店に行き合ったので、取りあえず直進したらば…。ぬわんと!!品川神社に戻ってしまった!
何でや~~っ!!
慌てて道を修正。到着したのはかつての品川宿本陣跡です。
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