日野宿脇本陣は、嘉永2年(1849)正月18日の大火によって古くからの主屋は焼失してしまいました。
現存する建物は、佐藤彦五郎俊正が10年を費やして準備を進め文久3年(1863)4月に上棟し、翌元治元年(1864)12月から住み始めたものです。
日野宿本陣には、佐藤彦五郎が近藤周助に師事して開いた「佐藤道場」がありました。ここでは、後の新選組局長となる近藤勇や、副長の土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちが激しい稽古に励んだのです。
長屋門は大正15年の大火で類焼し、現在はありません。
また、明治26年に54軒を焼いた日野大火によって有山家(佐藤彦五郎の四男彦吉の養子先)が焼失したため、「上段の間」と続きの一間は有山家に移されています。(有山家は非公開です)以上入館時に渡されたパンフレットより。
日野宿脇本陣跡の見学料100円を支払いしばし待つ。日野宿本陣は希望すればガイドさんが案内してくれるのだ。
かつての土間は今は資料展示がなされています。これを見てますと、ガイドさんがやってきた。今回のガイドさんは以前ガイドして下さった方とは違う方でした。
そうなの!実はここを訪れるのは2度目です。
前回の記事はこちら。新選組ファン憧れの日野本陣(2011年6月11日)の記事 この時のガイドさんは、「みなさん、新選組ファンの方ですか?」と確認の上、新選組のエピソード中心でガイドして下さったのですが、今回のガイドさんの萌えは新選組ではなく、レトロ建物の鑑賞ポイントである本陣建築にありました。普段ならそれも楽しいんだが、ここは新選組のエピソードを楽しみにしているだろうあっこさんの為にもぜひともそっち押しでガイドして欲しかったんだけど…。まさかの事態です。
ん~、どうすっかなぁ~??悩むう~~。
何に迷ってるかというと、建物萌えのガイドさんに従って日野宿脇本陣解説の記事にするか?
それとも、前回のガイドさんの新選組エピソードを加えての記事にするか?って事。
………。
決めました!どっちも紹介します。
まずは土間を上がると、ある主屋の18畳の広間から。
ガイド「この部屋はかつて周囲の人達の会合の時などに使われてました。ここで紹介したいのがこの素晴らしい桟です。こうね、年輪の出方がね、こっちが町民・農民向け。反対側は本陣用です。綺麗な正目模様でしょ?」
あまりにも嬉しそうに解説するんで、ぜひとも画像を写したかったんだが、木の色が黒くって挫折しました。私の携帯電話では木の年輪の出方まで再現出来ません。無念。
そんで本陣用側にあったのは…。

玄関あがった所にある10畳間です。
以前のガイドさんは「佐藤彦五郎の奥さんは土方歳三の姉でした。姉の家に遊びに来た歳三は、この部屋に寝転がって昼寝していたそうです」
ちなみに、上の画像の額は、『すなわち武。すなわち文』と読みます。

これはかつての式台です。
玄関でもあります。しかし式台から入れるのは大名のような身分の高い人のみ。
がしかし。以前のガイドさんは「京都・鳥羽伏見の戦いで敗北した新選組は江戸に引き上げてきました。その頃には沖田総司は肺病を患い戦線離脱。江戸で療養していました。沖田総司は日野から甲州勝沼へ向かう新選組を見送りに日野までついてきました。そんな総司を見て彦五郎は尋ねます。『総司、身体大丈夫か?』すると総司は『大丈夫です』と、この式台で四股を踏んでみせました」というナイスな解説を入れてくれましたわ。つーか、数年前の事だったので、ガイドさんの言葉とか記憶からポロポロ抜け落ちてるんだが、土方歳三の昼寝の現場&沖田総司の四股踏みの現場エピソードはバッチリ覚えてます。
しかしガイドさんの萌えは別だった。
釘隠しはこんなの。
この部屋の釘隠しのデザインの解説でした。あれ?確かこの部屋の釘隠しは「こうもり」だったような…。この画像は隣の部屋だったかもしれません。
式台つき玄関を上がって正面の10畳間右並びに6畳・6畳の小部屋二つ。

一番奥の6畳間にも新選組のエピソードがあります。
たぶんこの画像の奥が鉄之助くんが匿われていた部屋。
かつてのガイドさん「明治2年(1869)、函館において歳三は戦死しました。歳三は死の直前、小姓を務めていた市村鉄之助に遺髪と写真を渡し、「日野の家族の元に届けてくれ」と命じます。佐藤彦五郎邸に写真を無事届けた鉄之助は、明治政府の逆賊狩りから彦五郎により2年この部屋で匿われました」
まさかのエピソードです。鉄之助くんが歳三に函館で写真を託されたのが16歳の時です。
そんな部屋を歩きつつ、中廊下へ移動です。
建物萌えのガイドさん「上をごらん下さい。欄間に透かし彫りの技が光ります」

「さて、こちらの12、5畳の間が現存する本陣で一番いい部屋です。今に残る職人技をごらん下さい」
さて、歯にものがはさまったような書き方なのは理由がある。この部屋は確かに今一番格が高いけど、かつてはそうではない。以前はこの部屋の左手にまだ2つ部屋があった。大名や公家が休息する「上段の間」です。今現存していない訳は。明治26年(1893)にあった大火事で、彦五郎の4男が養子に入った有山家が類焼。上段の間部分は有山家へ移築されたからです。

「床の間の脇をごらん下さい」

「こちら、表と裏で透かし模様が違って見えます!」

建物萌えのガイドさん「この廊下の上を見てください。天井と壁の間の木が凄いんです」
え~と?
建物萌えのガイドさんは「つなぎ目が…云々」と。木の切り出しから詳しく説明を受けたんだけど…。
ゴメン!思い出せないっ!これ去年の11月14日に訪問したのだけど、さすがに3か月近く前だからな~。所々思い出せないんです。
こちら、かつての彦五郎さんと奥さん、土方歳三の姉の夫婦の部屋です。
この部屋の釘隠しは多産のウサギがモチーフです。
この部屋でもかつてのガイドさんは新選組のエピソードを語ってくれました。
「京都から戻り、甲州へ向かう時に歳三は姉に『この後どうなってしまうのか?』とこの部屋で心情を吐露したそうです」
歳三、姉ちゃん子だったんや~。

上の画像は夫婦の寝室の隣の四畳半から眺める庭です。
彦五郎と歳三の姉とは仲のいい夫婦でした。しかし姉の方が先になくなってしまいます。
俳句も嗜んだ彦五郎は「この庭を共に楽しんだ貴女はもういない」という主旨の俳句を残しているそうです。

しか~し、建物萌えのガイドさんはそんなの全く紹介してくれなくて、建物の説明ばかりですわ。
「天井をごらん下さい。並びの3部屋で違いがあります。分かりますか?」
ン~~??何だろう?
「現在はこの先にもう一つ6畳の畳敷きですが、かつてはこの先がお勝手でした」

天井を見比べると、お勝手に近い部屋程黒いんです。煮炊きの火でいぶされていた事が見て取れるんですよ」

「柱の上に釘が並んでるのが見えますか?」と。以後のあれこれとどう使われていたか熱心に語って下さいました。普段ならそれも嬉しいんだけどね。ガイドさんは『新選組』をかすりもしないままガイドを終了しちゃいました。なんだろう?このやり残し感は??あっこさんに聞いてみる。
「新選組の羽織を羽織って記念撮影出来るみたいだよ?」
ンでも、あっこさんの答えはNO!だった…。やっぱりな。
同じ場所へ2度訪れてみて、ガイドさんの萌え方向でガイド内容が全く違うのだと発見出来たのだけ嬉しい。
さて。次に向かうは、佐藤彦五郎夫妻のお墓と新選組六番隊組長、井上源三郎のお墓です。だって、私らは『新選組ゆかりの地めぐり』がメインの日野歴史散歩なんだも~ん。
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現存する建物は、佐藤彦五郎俊正が10年を費やして準備を進め文久3年(1863)4月に上棟し、翌元治元年(1864)12月から住み始めたものです。
日野宿本陣には、佐藤彦五郎が近藤周助に師事して開いた「佐藤道場」がありました。ここでは、後の新選組局長となる近藤勇や、副長の土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちが激しい稽古に励んだのです。
長屋門は大正15年の大火で類焼し、現在はありません。
また、明治26年に54軒を焼いた日野大火によって有山家(佐藤彦五郎の四男彦吉の養子先)が焼失したため、「上段の間」と続きの一間は有山家に移されています。(有山家は非公開です)以上入館時に渡されたパンフレットより。
日野宿脇本陣跡の見学料100円を支払いしばし待つ。日野宿本陣は希望すればガイドさんが案内してくれるのだ。
かつての土間は今は資料展示がなされています。これを見てますと、ガイドさんがやってきた。今回のガイドさんは以前ガイドして下さった方とは違う方でした。
そうなの!実はここを訪れるのは2度目です。
前回の記事はこちら。新選組ファン憧れの日野本陣(2011年6月11日)の記事 この時のガイドさんは、「みなさん、新選組ファンの方ですか?」と確認の上、新選組のエピソード中心でガイドして下さったのですが、今回のガイドさんの萌えは新選組ではなく、レトロ建物の鑑賞ポイントである本陣建築にありました。普段ならそれも楽しいんだが、ここは新選組のエピソードを楽しみにしているだろうあっこさんの為にもぜひともそっち押しでガイドして欲しかったんだけど…。まさかの事態です。
ん~、どうすっかなぁ~??悩むう~~。
何に迷ってるかというと、建物萌えのガイドさんに従って日野宿脇本陣解説の記事にするか?
それとも、前回のガイドさんの新選組エピソードを加えての記事にするか?って事。
………。
決めました!どっちも紹介します。
まずは土間を上がると、ある主屋の18畳の広間から。
ガイド「この部屋はかつて周囲の人達の会合の時などに使われてました。ここで紹介したいのがこの素晴らしい桟です。こうね、年輪の出方がね、こっちが町民・農民向け。反対側は本陣用です。綺麗な正目模様でしょ?」
あまりにも嬉しそうに解説するんで、ぜひとも画像を写したかったんだが、木の色が黒くって挫折しました。私の携帯電話では木の年輪の出方まで再現出来ません。無念。
そんで本陣用側にあったのは…。

玄関あがった所にある10畳間です。
以前のガイドさんは「佐藤彦五郎の奥さんは土方歳三の姉でした。姉の家に遊びに来た歳三は、この部屋に寝転がって昼寝していたそうです」
ちなみに、上の画像の額は、『すなわち武。すなわち文』と読みます。

これはかつての式台です。
玄関でもあります。しかし式台から入れるのは大名のような身分の高い人のみ。
がしかし。以前のガイドさんは「京都・鳥羽伏見の戦いで敗北した新選組は江戸に引き上げてきました。その頃には沖田総司は肺病を患い戦線離脱。江戸で療養していました。沖田総司は日野から甲州勝沼へ向かう新選組を見送りに日野までついてきました。そんな総司を見て彦五郎は尋ねます。『総司、身体大丈夫か?』すると総司は『大丈夫です』と、この式台で四股を踏んでみせました」というナイスな解説を入れてくれましたわ。つーか、数年前の事だったので、ガイドさんの言葉とか記憶からポロポロ抜け落ちてるんだが、土方歳三の昼寝の現場&沖田総司の四股踏みの現場エピソードはバッチリ覚えてます。
しかしガイドさんの萌えは別だった。

この部屋の釘隠しのデザインの解説でした。あれ?確かこの部屋の釘隠しは「こうもり」だったような…。この画像は隣の部屋だったかもしれません。
式台つき玄関を上がって正面の10畳間右並びに6畳・6畳の小部屋二つ。

一番奥の6畳間にも新選組のエピソードがあります。

かつてのガイドさん「明治2年(1869)、函館において歳三は戦死しました。歳三は死の直前、小姓を務めていた市村鉄之助に遺髪と写真を渡し、「日野の家族の元に届けてくれ」と命じます。佐藤彦五郎邸に写真を無事届けた鉄之助は、明治政府の逆賊狩りから彦五郎により2年この部屋で匿われました」
まさかのエピソードです。鉄之助くんが歳三に函館で写真を託されたのが16歳の時です。
そんな部屋を歩きつつ、中廊下へ移動です。
建物萌えのガイドさん「上をごらん下さい。欄間に透かし彫りの技が光ります」

「さて、こちらの12、5畳の間が現存する本陣で一番いい部屋です。今に残る職人技をごらん下さい」
さて、歯にものがはさまったような書き方なのは理由がある。この部屋は確かに今一番格が高いけど、かつてはそうではない。以前はこの部屋の左手にまだ2つ部屋があった。大名や公家が休息する「上段の間」です。今現存していない訳は。明治26年(1893)にあった大火事で、彦五郎の4男が養子に入った有山家が類焼。上段の間部分は有山家へ移築されたからです。

「床の間の脇をごらん下さい」


「こちら、表と裏で透かし模様が違って見えます!」

建物萌えのガイドさん「この廊下の上を見てください。天井と壁の間の木が凄いんです」
え~と?
建物萌えのガイドさんは「つなぎ目が…云々」と。木の切り出しから詳しく説明を受けたんだけど…。
ゴメン!思い出せないっ!これ去年の11月14日に訪問したのだけど、さすがに3か月近く前だからな~。所々思い出せないんです。


この部屋でもかつてのガイドさんは新選組のエピソードを語ってくれました。
「京都から戻り、甲州へ向かう時に歳三は姉に『この後どうなってしまうのか?』とこの部屋で心情を吐露したそうです」
歳三、姉ちゃん子だったんや~。

上の画像は夫婦の寝室の隣の四畳半から眺める庭です。
彦五郎と歳三の姉とは仲のいい夫婦でした。しかし姉の方が先になくなってしまいます。
俳句も嗜んだ彦五郎は「この庭を共に楽しんだ貴女はもういない」という主旨の俳句を残しているそうです。

しか~し、建物萌えのガイドさんはそんなの全く紹介してくれなくて、建物の説明ばかりですわ。
「天井をごらん下さい。並びの3部屋で違いがあります。分かりますか?」
ン~~??何だろう?
「現在はこの先にもう一つ6畳の畳敷きですが、かつてはこの先がお勝手でした」

天井を見比べると、お勝手に近い部屋程黒いんです。煮炊きの火でいぶされていた事が見て取れるんですよ」

「柱の上に釘が並んでるのが見えますか?」と。以後のあれこれとどう使われていたか熱心に語って下さいました。普段ならそれも嬉しいんだけどね。ガイドさんは『新選組』をかすりもしないままガイドを終了しちゃいました。なんだろう?このやり残し感は??あっこさんに聞いてみる。
「新選組の羽織を羽織って記念撮影出来るみたいだよ?」
ンでも、あっこさんの答えはNO!だった…。やっぱりな。
同じ場所へ2度訪れてみて、ガイドさんの萌え方向でガイド内容が全く違うのだと発見出来たのだけ嬉しい。
さて。次に向かうは、佐藤彦五郎夫妻のお墓と新選組六番隊組長、井上源三郎のお墓です。だって、私らは『新選組ゆかりの地めぐり』がメインの日野歴史散歩なんだも~ん。
