見学開始です。とはいえ、建物内は撮影禁止なので画像がない。味気ない文字解説ばかりにならないよう気をつけなくっちゃ~!!
日本銀行は、明治15年(1882)10月10日に開業しました。
当時は、永代橋のたもとで借り物の店舗(旧北海道開拓使東京出張所)で営業していましたが、3代目の川田総裁の時に本館が建設されました。
この土地は「金座」(江戸時代に徳川幕府の金貨の製造所があった場所)の跡地であり、両替商が軒を連ね貨幣に縁の深い土地柄であったことや、金融機関が集中していたことから、現在の土地が移転先となったと言われています。
設計者は、当時建築学界の第一人者で、東京駅のレンガ造り駅舎や旧両国国技館の設計も手がけた辰野金吾博士です。竜野博士は海外を視察した結果、ベルギーの中央銀行をモデルに、ルネッサンス様式を加味したネオバロック様式の西洋式建物を設計しました。工事着工は明治23年9月、完成は明治29年2月。
地下1階、地上3階建ての石積みレンガ造り(外装は1階部分は花崗岩貼り、2階、3階は安山岩貼り)となっています。昭和49年には、国の重要文化財に指定されました。
トップ画像は本館中庭です、
入館前に、外観を少し撮影しました。
こちら、馬車が使われていた当時の馬の水飲み場。
咆哮の獅子像(青銅製)
設計者の辰野金吾が欧米を視察した際に、欧州の宮殿・寺院などに王者のシンボルである獅子をあしらった紋章飾りが多く使われていることを知り、デザインしたと言われています。
2匹の獅子が抱える図柄は、日本の「日」という漢字の古代書体の一種が由来となったもので、現在もお札に印刷されています。」以上パンフレットより。
この咆哮の獅子像は本館正面西門の隣のアーチ上にあります。見学申込せずともすぐ側で観察可能です。
西門をくぐって本館中庭へ。数段階段を上がった所が集合場所。
ここで見学許可証が回収。そして手荷物はロッカーへ預けます。
上の画像右に少しロッカーが写ってますね。館内は撮影禁止なので、メモ帳・ペン・財布を除き全部預けちゃいます。
予約申込者はそこそこ多かった!でも半分近くはレクチャー付きの団体見学申込の大学生グループだったので一般見学者は…。20人強でした。
ガイドさんにくっついて移動。まずはビデオ上映視聴ですが、その前にセキュリティーチェックを受けました。
その先で見学資料セットと、服の分かり易い場所につける見学者プレートを受け取りました。
見学資料セットを撮影。
注目は中央のビニールの小袋です。コレ実は痛んだりして使われなくなったお札(日本銀行券)のクズの一部なのです。
日本銀行は日本で唯一の「発券銀行」としてお札を発行しています。痛みの酷いものは取り除き、クズに裁断してお札として使えなくして綺麗なお札だけ流通にさせています。
ちなみに、裁断されたお札のうち半数はエコ利用されていて、住宅の建材やトイレットペーパーに再生されています。
会議室のような大部屋で大画面ビデオ上映会開始。大人の社会科見学です。
ってな事で、日本銀行のお仕事について~。
1)銀行の銀行
2)政府の銀行
3)お札の発行・流通管理 以上、大きく分けて3つです。ちなみに、硬貨の発行は大蔵省造幣局なので別組織なのだ。
ビデオは日本のお札の歴史を解説。
きっかけは西南戦争。費用を賄うために大量にお札を発行してインフレを招いたから。ちなみにお札はあちこちで発行されてました。
ちなみに、去年平成25年のお札の流通量は、銀行の預入金を除いて90兆円。これは地球55周、富士山の377倍に積上る量なんだって。
すんごく多いんだけど、日本の現在の借金が1000兆円超えとかを知ると、たった90兆しかないの~??ってなものです。
ビデオ上映は最後に偽札対策です。日本のお札は偽札が造れないようにさまざまな対策を立てていて、お札にはホログラムや潜像模様を採用してます。日本銀行は偽札を許しません!でフィニッシュ。ビデオ上映は約20分。会議室には戻りません。後ろに設置してある資料が欲しい人はここでゲットするのを忘れずに。
これから40分かけて建物内を見学します。とはいえ、館内撮影禁止なので見学したものを個別に紹介出来ないのが無念です。なのでいただいた資料を撮影します。
まずは上の画像の左側の旧営業場へ。
窓口本館は昭和44年までここを使用していました。現在は裏の新館にて営業しています。本館は現在は、見学者用・図書資料の保管場所として利用しています。
ガイドさん「明治29年に完成した本館は、今年で117年目。建物は石積みレンガ造りで軽いぶん地震に強く造ってあります。下部から上部へとレンガの数を減らしてありますが、外装を安山岩・花崗岩で覆っているため内部は見られません。
ちなみに、関東大震災でも本館建物は耐えました。しかし、明り取りを上部から取り入れる造りとなっていて、隣の日本橋からの火の粉で内部は丸焼けになりました。
ドームが焼け落ちる被害を受けつつも、震災があった1923年(大正12)9月1日は土曜日。翌日曜に消防に頼み内部を消火作業をしてもらい、翌3日は月曜。地下の金庫は無事だったので1日の営業日も休みませんでした。」
おお~ッ!!素晴らしい~~。旧営業場の通路には、東日本大震災・神戸淡路大震災の時、痛んだお札を新しいお札と引き換えた時の写真が展示してありました。
寒空にズラリと各銀行の出張所が並び、混乱を招くことなく営業を続ける写真には感動します。ちなみに、痛んだお金は面積が2/3以上のこっていれば全額として引き換え、面積が2/5以上2/3未満の場合半額として引き換え。面積が2/5未満の場合はお札として価値がないとして失効するのです。例えば、火事でお札が萌えてしまっても、灰となったお札もお札だと確認出来れば引き換え出来るのだよ。日本って凄い~~。
続いて地下へ移動。移動はかつてお札運搬に使用されていた大きなエレベーターを使用します。1回で見学者全てが移動出来ました。
ガイドさん「地下金庫は明治29年から平成16年まで現役でした。地下金庫の外扉は、アメリカ製のスチール製、ハンドルを2人以上で回し人の手で開け閉めします。地下金庫の外壁扉は90センチの熱さがあります。中は釉薬を塗った防火性を高めたレンガが壁を覆っています」
とはいえ、見学者は中へは入れません。金庫の扉の外から伺うのみ。
ガイドさん「視界の奥が地下金庫ですが、左右にも部屋があります。1パレット40億を積み上げたものや、麻袋に納められた2000枚入りのコインや、1本14キロ・6300グラムの金塊が納められてました。
地下金庫の扉前に、レプリカの現金パレットや麻袋、金塊が積み上げられていて、デモンストレーションとして、1億円分のお札の束のレプリカが置いてありました。
ガイドさん「興味のある方は持ち上げてみて下さい。一束で10キロあります」
同じ旧現金運搬用エレベーターを利用して1階へ戻ります。次は上の画像中央にある昭和初期に設置されたエレベーターを使い2階へ移動。ちなみに、このエレベーターは日本で2番目に出来たエレベーターで、現存するエレベーターとしては日本最古のものです。ちなみに、日本で一番古いエレベーターは、浅草の凌雲閣のものでしたが、関東大震災で崩壊しました。当時としては最新鋭の、防火シャッターや避雷針、水洗トイレが日本銀行には残っています」
2階に到着。ますは上のガゾ右下の赤じゅうたんの通路の両側に架けられた絵画を見学。
ガイドさん「歴代総裁の絵画です。スペースの関係で全ては展示出来ないので一部のみ展示してあります。廊下の奥の左手に、総裁室があり続く廊下はかつて行員の間で『松の廊下』と呼ばれていました」
ちなみに、総裁の絵は現在は描かれていないんだとか。展示してある絵で私が見て一目で名前が分かったのは『高橋是清』さんくらい。『坂の上の雲』で日露戦争の時に戦費調達で欧州で奔走してた映像を覚えてますわ。
続きまして、上の画像の右上。これはドーム屋根内側の八角堂の天井部です。かつてここで重役会議をやっていたんだとか。この周辺には日本銀行の歴史の品を展示してあります。中でも面白かったのはかつて営業開始を告げていた樫製の拍子木です。この音もテープで再生出来るようになってまして、営業場内に鳴り響く感じが味わえて楽しいです。
ガイドさん「よく日本銀行本館は上から見て『円』の字であると言われるのですが…。辰野博士の時代に使用されていたのは『圓』の字なので、偶然の一致だと思われます」
えっ!?そうなのっ!!
はっきり言ってこれが今回の見学の中で一番驚いた事だったりする!日本銀行の建物が上から見ると「円」の字というのは、定着したトリビアだと思っていたのに、偶然の一致なのかよっ!!!
展示品の中に日立製の古っるいパソコンがありました。
ここからは本館から廊下で繋がる本館へ移動。現在の日本銀行の業務を見学です。しかし建物内は静か。というのも、現在は日銀ネットで各地の銀行とのやりとりはほとんどまかなえていて、一部ネットに繋がっていない地方の信金などが窓口に来る意外は直接来店する必要もないからです。
ちなみに、日本銀行の行員は、全世界で総勢4700人いるんですって。多いんだか少ないんだか。って事で見学は終了です。引き続き、日本銀行本館向かいにある貨幣博物館の見学に向かいます。しかしここも内部撮影禁止だったんだよね~。見学はとても楽しかったんだけど、画像がないんだよな~。記事、どうしょっかな~。
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日本銀行は、明治15年(1882)10月10日に開業しました。
当時は、永代橋のたもとで借り物の店舗(旧北海道開拓使東京出張所)で営業していましたが、3代目の川田総裁の時に本館が建設されました。
この土地は「金座」(江戸時代に徳川幕府の金貨の製造所があった場所)の跡地であり、両替商が軒を連ね貨幣に縁の深い土地柄であったことや、金融機関が集中していたことから、現在の土地が移転先となったと言われています。
設計者は、当時建築学界の第一人者で、東京駅のレンガ造り駅舎や旧両国国技館の設計も手がけた辰野金吾博士です。竜野博士は海外を視察した結果、ベルギーの中央銀行をモデルに、ルネッサンス様式を加味したネオバロック様式の西洋式建物を設計しました。工事着工は明治23年9月、完成は明治29年2月。
地下1階、地上3階建ての石積みレンガ造り(外装は1階部分は花崗岩貼り、2階、3階は安山岩貼り)となっています。昭和49年には、国の重要文化財に指定されました。
トップ画像は本館中庭です、
入館前に、外観を少し撮影しました。
こちら、馬車が使われていた当時の馬の水飲み場。
咆哮の獅子像(青銅製)
設計者の辰野金吾が欧米を視察した際に、欧州の宮殿・寺院などに王者のシンボルである獅子をあしらった紋章飾りが多く使われていることを知り、デザインしたと言われています。
2匹の獅子が抱える図柄は、日本の「日」という漢字の古代書体の一種が由来となったもので、現在もお札に印刷されています。」以上パンフレットより。
この咆哮の獅子像は本館正面西門の隣のアーチ上にあります。見学申込せずともすぐ側で観察可能です。
西門をくぐって本館中庭へ。数段階段を上がった所が集合場所。
ここで見学許可証が回収。そして手荷物はロッカーへ預けます。
上の画像右に少しロッカーが写ってますね。館内は撮影禁止なので、メモ帳・ペン・財布を除き全部預けちゃいます。
予約申込者はそこそこ多かった!でも半分近くはレクチャー付きの団体見学申込の大学生グループだったので一般見学者は…。20人強でした。
ガイドさんにくっついて移動。まずはビデオ上映視聴ですが、その前にセキュリティーチェックを受けました。
その先で見学資料セットと、服の分かり易い場所につける見学者プレートを受け取りました。
見学資料セットを撮影。
注目は中央のビニールの小袋です。コレ実は痛んだりして使われなくなったお札(日本銀行券)のクズの一部なのです。
日本銀行は日本で唯一の「発券銀行」としてお札を発行しています。痛みの酷いものは取り除き、クズに裁断してお札として使えなくして綺麗なお札だけ流通にさせています。
ちなみに、裁断されたお札のうち半数はエコ利用されていて、住宅の建材やトイレットペーパーに再生されています。
会議室のような大部屋で大画面ビデオ上映会開始。大人の社会科見学です。
ってな事で、日本銀行のお仕事について~。
1)銀行の銀行
2)政府の銀行
3)お札の発行・流通管理 以上、大きく分けて3つです。ちなみに、硬貨の発行は大蔵省造幣局なので別組織なのだ。
ビデオは日本のお札の歴史を解説。
きっかけは西南戦争。費用を賄うために大量にお札を発行してインフレを招いたから。ちなみにお札はあちこちで発行されてました。
ちなみに、去年平成25年のお札の流通量は、銀行の預入金を除いて90兆円。これは地球55周、富士山の377倍に積上る量なんだって。
すんごく多いんだけど、日本の現在の借金が1000兆円超えとかを知ると、たった90兆しかないの~??ってなものです。
ビデオ上映は最後に偽札対策です。日本のお札は偽札が造れないようにさまざまな対策を立てていて、お札にはホログラムや潜像模様を採用してます。日本銀行は偽札を許しません!でフィニッシュ。ビデオ上映は約20分。会議室には戻りません。後ろに設置してある資料が欲しい人はここでゲットするのを忘れずに。
これから40分かけて建物内を見学します。とはいえ、館内撮影禁止なので見学したものを個別に紹介出来ないのが無念です。なのでいただいた資料を撮影します。
まずは上の画像の左側の旧営業場へ。
窓口本館は昭和44年までここを使用していました。現在は裏の新館にて営業しています。本館は現在は、見学者用・図書資料の保管場所として利用しています。
ガイドさん「明治29年に完成した本館は、今年で117年目。建物は石積みレンガ造りで軽いぶん地震に強く造ってあります。下部から上部へとレンガの数を減らしてありますが、外装を安山岩・花崗岩で覆っているため内部は見られません。
ちなみに、関東大震災でも本館建物は耐えました。しかし、明り取りを上部から取り入れる造りとなっていて、隣の日本橋からの火の粉で内部は丸焼けになりました。
ドームが焼け落ちる被害を受けつつも、震災があった1923年(大正12)9月1日は土曜日。翌日曜に消防に頼み内部を消火作業をしてもらい、翌3日は月曜。地下の金庫は無事だったので1日の営業日も休みませんでした。」
おお~ッ!!素晴らしい~~。旧営業場の通路には、東日本大震災・神戸淡路大震災の時、痛んだお札を新しいお札と引き換えた時の写真が展示してありました。
寒空にズラリと各銀行の出張所が並び、混乱を招くことなく営業を続ける写真には感動します。ちなみに、痛んだお金は面積が2/3以上のこっていれば全額として引き換え、面積が2/5以上2/3未満の場合半額として引き換え。面積が2/5未満の場合はお札として価値がないとして失効するのです。例えば、火事でお札が萌えてしまっても、灰となったお札もお札だと確認出来れば引き換え出来るのだよ。日本って凄い~~。
続いて地下へ移動。移動はかつてお札運搬に使用されていた大きなエレベーターを使用します。1回で見学者全てが移動出来ました。
ガイドさん「地下金庫は明治29年から平成16年まで現役でした。地下金庫の外扉は、アメリカ製のスチール製、ハンドルを2人以上で回し人の手で開け閉めします。地下金庫の外壁扉は90センチの熱さがあります。中は釉薬を塗った防火性を高めたレンガが壁を覆っています」
とはいえ、見学者は中へは入れません。金庫の扉の外から伺うのみ。
ガイドさん「視界の奥が地下金庫ですが、左右にも部屋があります。1パレット40億を積み上げたものや、麻袋に納められた2000枚入りのコインや、1本14キロ・6300グラムの金塊が納められてました。
地下金庫の扉前に、レプリカの現金パレットや麻袋、金塊が積み上げられていて、デモンストレーションとして、1億円分のお札の束のレプリカが置いてありました。
ガイドさん「興味のある方は持ち上げてみて下さい。一束で10キロあります」
同じ旧現金運搬用エレベーターを利用して1階へ戻ります。次は上の画像中央にある昭和初期に設置されたエレベーターを使い2階へ移動。ちなみに、このエレベーターは日本で2番目に出来たエレベーターで、現存するエレベーターとしては日本最古のものです。ちなみに、日本で一番古いエレベーターは、浅草の凌雲閣のものでしたが、関東大震災で崩壊しました。当時としては最新鋭の、防火シャッターや避雷針、水洗トイレが日本銀行には残っています」
2階に到着。ますは上のガゾ右下の赤じゅうたんの通路の両側に架けられた絵画を見学。
ガイドさん「歴代総裁の絵画です。スペースの関係で全ては展示出来ないので一部のみ展示してあります。廊下の奥の左手に、総裁室があり続く廊下はかつて行員の間で『松の廊下』と呼ばれていました」
ちなみに、総裁の絵は現在は描かれていないんだとか。展示してある絵で私が見て一目で名前が分かったのは『高橋是清』さんくらい。『坂の上の雲』で日露戦争の時に戦費調達で欧州で奔走してた映像を覚えてますわ。
続きまして、上の画像の右上。これはドーム屋根内側の八角堂の天井部です。かつてここで重役会議をやっていたんだとか。この周辺には日本銀行の歴史の品を展示してあります。中でも面白かったのはかつて営業開始を告げていた樫製の拍子木です。この音もテープで再生出来るようになってまして、営業場内に鳴り響く感じが味わえて楽しいです。
ガイドさん「よく日本銀行本館は上から見て『円』の字であると言われるのですが…。辰野博士の時代に使用されていたのは『圓』の字なので、偶然の一致だと思われます」
えっ!?そうなのっ!!
はっきり言ってこれが今回の見学の中で一番驚いた事だったりする!日本銀行の建物が上から見ると「円」の字というのは、定着したトリビアだと思っていたのに、偶然の一致なのかよっ!!!
展示品の中に日立製の古っるいパソコンがありました。
ここからは本館から廊下で繋がる本館へ移動。現在の日本銀行の業務を見学です。しかし建物内は静か。というのも、現在は日銀ネットで各地の銀行とのやりとりはほとんどまかなえていて、一部ネットに繋がっていない地方の信金などが窓口に来る意外は直接来店する必要もないからです。
ちなみに、日本銀行の行員は、全世界で総勢4700人いるんですって。多いんだか少ないんだか。って事で見学は終了です。引き続き、日本銀行本館向かいにある貨幣博物館の見学に向かいます。しかしここも内部撮影禁止だったんだよね~。見学はとても楽しかったんだけど、画像がないんだよな~。記事、どうしょっかな~。
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