あられの日記

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北インドの旅5日目朝日に照らされるタージマハル

2016年04月09日 05時56分29秒 | インド旅行記
2016年2月17日、旅の5日目。
うっかり目覚めてしまった。まだ夜中の2時半だった…。やっちまったぜ~。日本とインドの時差は3時間半だからして、2時半は日本の午前6時です。となると今更もう寝れない。何しろ明日…もう今朝か。今日の観光は朝日に照らされるタージマハルを鑑賞することから始まるんである
もうワクワクが止まらない~
子供か…。もういい大人だんだからさ。落ち着けよ自分

仕方ないんで絵はがきでも書くか。旅行会社から日本までのエアメール代4枚分の切手をもらったので、ジャイプールで絵はがきは購入済み。ってな頃で仕上げたけどさ。2枚はタージマハルなんだけどさ。まだ見てないんだけどさ。夜中に起きて寝れないんだから仕方がないや。ハガキのネタは『絵ハガキの切手の男の方はインドの自動車メーカーTATAの創業者です。インドでは珍しく、ゾロアスター教の信者さんです』
ちなみに、添乗員からは「インドから出す郵便は7割届きません。踏まえて挑戦して下さい」と言われましたが、この時書いた絵はがきは、アグラのホテルのレセプションに出しました。4枚とも無事に届きましたよ。ま。ミニ情報ですが。

さてと?バスの中で取ったメモ整理でもするかな?ついでだからガイドさんへのQ&Aも作っておこう。シコシコ書きものをして時間つぶし。にしても早く起き過ぎた!ん~?インドのテレビ番組ってどんなのかな?あ。ポチッとな!

女性の為のスリムギアをつけ、シャープに見えるボディを手に入れよう!(2016年2月25日)の記事  この時にガン見した通販番組の記事です。

ムトゥ踊るマハラジャはヒンドゥー語ではない?(2016年3月31日)の記事
何コレ~~っ!!面白過ぎる~~っ!!
何つーの?しゃべってる事は全く分からないのですが、これなら何時間でも見てられるわ~。うわ~~。今までテレビつけなかったの失敗だったかも~~。(以後、テレビ番組が楽しくてメモの整理やら前日予習をしなくなる。今後悔してる)この時、テレビ通販のメモをA5版の紙にびっしりさし絵付きでとってしまいました~。何つーの?綺麗になった妻に、バラの花束を差し出す夫の映像が頭にこびりついてしまいましたわ。笑撃ですわ。お腹がよじれそう~。
午前6時、モーニングコールがかかってきた。ようやく6時です。長かった!

6時半、ロビーに集合です。
暇なんでうろうろしていたら、ドアマンに「今日はレイニーディ」とか言われた!
「え?今日雨降るの??」聞き直すと「そうだ」という。
ちっ!せっかくの朝日を楽しむイベントなのにさ。台無しだぜ~。と、テンションを下げつつ部屋に傘を取りにもどる。
幸いこれは完全なドアマンの間違いだったんだけどさ。翌日は夜明けから雨降りだったので、私達のツアーはぎりぎりセーフだったのかもしれません。
なんつーの?今回の旅は旅仲間に絶対に豪運の持ち主がいるわ~。トラブルが向こうから逃げて行ってる気がするわ~。ありがたやありがたや。
何はともあれ、まだ夜明け前の暗い街をバスは進みます。
次第に空がぼんやり明るくなってきた。バスの右手に川が流れていました。反対側は左手はアグラ城の城壁が続いています。川を渡り対岸へ。着いたのは● マターブ・バーグです。
2016.4.8左のデジカメ画像を携帯電話撮影画像と差し替えました。
ぼんやり明けですね。朝日は出るんだろうか?まあ思った程寒くないのは良かったけど。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
朝日は出た。ぼんやり夜明けで、朝焼けはなし!
2016.4.8左のデジカメ画像を携帯電話撮影画像と差し替えました。
楽しみにしてたけど、タージマハルが朝日に照らされて赤く染まる~なんてイベントもなし!
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。 ねえそこのワンコ、私のがっかり具合を察してくれたかな?
ちなみに、撮影はタージマハルとヤムナー川を挟んだ対岸から撮影しました。実はですね。今日のトップ画像のワンコが座っている土台ですが、これが遺跡なのでした。
その名も● マターブ・バーグです。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。 
上の画像の手前部分が黒いタージの土台の遺構です。
分かりませんよね?ならば、黒いタージマハルの建設予定地だった!と言えば、ああ!と気付く方も多いかと。今日の記事はタージマハル1本ですので、先にタージマハルについて書きますかね。
● 世界遺産タージマハル 1983年ユネスコ認定
タージマハルはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年から愛妃ムムタースのために22年の歳月と、湯水のように莫大な予算をつぎ込んで建てた白大理石の豪華なお墓です。(完成は1653年)
高さ67メートルのドーム。シンメトリな造りはどの角度から見ても素敵。42メートルの4本のミナレットに囲まれている。
ここでシャー・ジャハーンと愛妃ムムタースの愛のお話がガイドさんから紹介がありました。既に帰国して一月半ともあると記憶があやふやになってきてるのですが、「シャー・ジャハーンとお妃は18才と22才で出会い深く愛し合ってました。皇帝の地方遠征などにもお妃は同行していました。この時代にはとても珍しい事です。二人の間には子供が次々と生まれました。<息子だけで4人>15人目の子供をみもごっている時に、お妃は妊娠中毒症にかかり死んでしまいます。
皇帝は深く嘆き哀しみます。お妃は遺言を残しました。「この世に二つとない墓を作って下さい。私の他に妃を迎えないで下さい」
やがて皇帝はヤムナ河畔に豪華な墓を作り始めます。タージマハル建設後、皇帝はヤムナー川の反対側に自分の墓を作る計画でした。しかしあまりの予算の駈け過ぎを危惧した息子により計画は頓挫。皇帝はアグラ城の一角に幽閉されます。
左の画像の右奥に写っているドームが、シャー・ジャハーンが幽閉されていた塔です。内部は立ち入り禁止。午後のアグラ城観光で回りました。
皇帝は亡き妃の墓が見える塔から死ぬまでの7年間を幽閉されて過ごしました。今皇帝は愛する妃と共にタージマハルで眠っています」という感じだったような?
何人目の子供を妊娠していた時だったかどこにメモしたのか突き止められず、もうあやふやな記憶で書いてます。でもさ、18才から毎年産んでも15人だとしたら、お妃は最低でも33才。それが17世紀の軍の遠征先にいくら愛してるからと言ってお妃様を帯同し、更に妊娠。やがて妊娠中毒症。う~む。時代を考えても医療知識も未熟だろうし、お妃様はなるべくしてなった死因じゃないかな~?
黒いモスクの基礎工事は既に手をつけていたようです。今はモスクの基盤が残っています。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
シャー・ジャハーンの構想では、お妃様の霊廟であるタージマハルと自分の霊廟になる黒いタージを結ぶ橋を架ける予定だったとか。
トップ画像のワンコの手前、撮影してる背後に基盤がありました。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ここから見て太陽は左手から登ります。朝日に照らされるタージマハルを楽しむというのが主眼です。ならば、ここで不慣れなデジカメに慣れないといけません。
不慣れなのが祟り、測光方式の変更だの明るさ補正だのの技を今更タージマハルの夜明けを教材に実践する私。いいですか?こういうのは旅に出る前に試すべきなのです。でないと、私のように二度とないタージマハルの夜明け写真の撮影に失敗するハメになりますよっ!(泣く)

ぼんやり日の出だったので、残念ながらタージマハルの白い大理石がバラ色に染まるということもなく鑑賞は終了しました。

まあワンコ達がいいモデルになってくれたからそれで満足するか…。

ね。いい画像でしょ?
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
帰り道、添乗員が「以前案内したお客さんが、ここの花壇のお花越しにタージマハルを写してらっしゃいました」と。
ならば私も混ざってみようではないかぁ~!
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
バスへと戻る。ん??すぐにバスが止まりました。
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
メインゲートが道路から見えてます。あ!そうだっ!念の為に聞いておかないと。
私「汚い靴下はいりますか?」
旅人は観光の時に出来るだけ荷物を軽くしたいのです。
添乗員「この廟は靴を脱いで靴下を履いて観光しますから必要です」
そういうのは早め早めに言ってくれ!
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
白大理石の霊廟が朝の光を受けて輝いてるようです。

● イティマド・ウッダウラー廟
ヤムナー川の対岸にある。第4代ジャハンギール帝(アクバル大帝の息子&シャー・ジャハーンの父親。彼の時代に細密画が発展)の皇妃の父母の墓。
タージマハルの1/10程度の規模ながら、廟全体に色大理石の象嵌加工が残され、ムガル建築の中でも装飾が非情に美しい。
ベビー・タージの名前で親しまれている。

朝日に白い大理石が照らされてとても綺麗でした。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。

つーかさ。朝日に照らされるタージマハルを楽しむんだから、あと5分~10分あのまま対岸から眺めてたらそこそこタージマハルも綺麗に見えたんじゃないかな~??なんか今目の前の廟が綺麗な色なのが悔しいのはなぜだ?!
ヤムナー川の方角に小さなもうひとつのゲートがあった。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
真ん中のアーチの奥、ヤムナー川から直接廟に入れるようになってるんじゃないか?と思ったのですが、そうではなさそうですね。川舟用の門かと思ったんだけどなー?

さて、汚い靴下の出番ですっ!
旅人はこの廟の内部を見学する為に、自宅から汚い靴下を持参しました。ここを見学するには、靴を脱がないと上がれません。係員も朝早く(午前7時過ぎ)だというのに既に待機しています。(上の画像中央の一段上に立つおじさんが係員)
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
霊廟の外側の彫刻と色大理石のモザイクがとても綺麗です。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
上の画像左にいるのはうちのガイドさんです。ここから廟の内部に入ります。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
内部のモザイクは更に華麗です。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
こちらは漆喰塗りの上にフレスコ画。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
フレスコ画をアップで撮影してみました。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
肉眼では霊廟の中は暗い部屋もありまして、上の画像を撮影した部屋も暗かったのですが、念のため撮影した天井の画像はとても綺麗でした。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
フレスコ画が一部欠損してます。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。一部が剥がれてしまったフレスコ画は、早めに修復しないとどんどん痛みが広がるんじゃないかな~?
ところで上の画像の赤い花の種類は何じゃろか?左のはダリア?右のはチューリップかな?
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
石棺と木棺が複数安置してありました。石棺が安置してある部屋は、床の大理石の象眼細工も華麗です。漆喰のフレスコ画の一部がはがれている画像は、この部屋の壁です。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
石棺にかかる透かし彫りを通って届く朝の光が綺麗です。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ここがイディマド・ウッダウラー廟正面中央にあるアーチを廟の中から見た所。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
木棺は石棺とは別の部屋に安置されています。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。

2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
あれっ!?ヤムナー川側のゲートの中央ですが、もしかして外が見えてるんじゃ~??つか、これ同じゲートです?別物にしか見えないんだが。場所は同じなんだけど~??
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
メインゲートの外、道路側にいたワンコです。絵になるワンコばかりで嬉しいっ!
この後、バスで一旦ホテルに戻り朝食を手早く取りました。
午前8時45分 グラスの赤い液体はスイカジュースです。
さあ着替えです。旅をしたのは2月ですが、この日の天気予報はくもり。最低気温16度・最高気温28度でした。ヤムナー川の川岸から朝日が登るのを待つならばと、長袖ジャケットとセーターを着込みましたが、最高気温が28度なら薄着で充分です。出来れば来年の年賀状用の写真に使いたいからマシな服で写りたい。ついでに日焼け止め代わりのメイクもバッチリ決めないと~。うん、やること一杯あるね!

2016年4月21日に、この記事にデジカメ画像を11枚追加しました。
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