あられの日記

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藤沢レトロ旧近藤邸

2019年08月01日 05時20分03秒 | レトロ建築
2019/6/23訪問。実は先に投稿した鵠沼の蓮池で舞妃蓮を楽しんだ後、徒歩で藤沢駅へ向かう途中、体育館のそばにある旧近藤邸を見学しました。時系列で投稿する予定が、以前訪問した蓮池の記事の閲覧が多く、ならば!と先に蓮の開花情報を投稿してたのです。で、続きの旧近藤邸がようやく紹介できます。
旧近藤邸の後ろに見えるのは、藤沢市の体育館です。
平日はリーズナブルな喫茶店として使われてる旧近藤邸。訪問したのは日曜日。入れないのか?と肩を落としかけて説明板を見つけた。「日曜日に見学した人は見学時間午前9時から午後5時まで(入場無料) 見学を希望する人は向かいの市民会館内の受付に申し出てください。」ということで受付へ。鍵を開けてくださり見学開始。ちなみに、見学が終わったら携帯で係りの方に「見学終わりました」の電話を入れるだけの簡単仕様。自由に見学出来て素敵。では画像増量で。
画像中央が入り口。入ってすぐ説明ペーパーをゲット
旧近藤邸:旧近藤邸は、関東大震災の直後1925年(大正14年)、藤沢市辻堂の松林に別荘として建てられました。当時の和洋折衷の代表的な建物といわれています。建て主の近藤賢二氏没後、所有者が変わり、老朽化に伴って取り壊しが決定されましたが、保存を望む声が、近隣の住民や建築家から起こり、1981年3月、藤沢市民会館の前庭に移築されました。
旧近藤邸を設計した遠藤新は、1914年(大正3)に東京帝国大学を卒業後、帝国ホテル(旧館)の設計で知られるアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに6年間師事し、その思想を学ぶと同時に、日本の生活と風土に合わせた独特の様式を編み出しました。常に建築と人間との調和を考え、西欧の模倣ではない「真の日本の住宅」を追い求めた遠藤新の精神を、旧近藤邸の随所に読み取ることができます」
1階の居間兼食堂部分。現在は喫茶店として使用中。上の画像の右端に見切れてる場所に暖炉があります。
大谷石を使ってる。ライトっぽい。
画像奥に畳が見えてます。和室になっていて、藤沢市のレトロ建築がパネル展示で紹介されてました。非公開物件が多くて気軽に見学出来ないのが残念だなあ。
移動。もう一つ1階にある和室。ここも喫茶店で使われてます。
窓のデザインが素敵だったので。
窓の外が見える。
水平を強調する横線がいっぱい。
かつての使用人室。和室。テーブルの上に説明文「この食卓は、もと松井眞邸(1938年・昭和13)遠藤新設計で東京都東久留米市学園町に建築された。にあったが、1991年旧近藤邸へ内納眞様より寄贈された。
なお、もとの姿は、横1665×幅750×高さ665であったが、旧近藤邸にあったテーブルの形を考慮して改造した。 1992年6月19日 旧近藤邸を守る会」
2階へ移動。
階段が細い。しかも急です。
平面図を見ると、バルコニーが2つある。ちなみに上の画像はサンルームよりバルコニーに向けて撮影。けどバルコニーには出れません。


8畳の和室から、サンルームに向けて撮影。すりガラスです。
和室。白いしっくい塗。

今でもいけてそうだったので、もう1枚。
レトロ建物の窓の鍵。アルミサッシの偉大さがわかるよなあ。アルミサッシを発明した人は偉大だ。
玄関を中から外に向けて撮影。周りに喫茶店のあれこれがあるのでデザインがわかりにくかも?外へ移動。
外から見ると窓はこんな感じ。
窓。
庭側からホール入り口を撮影。
中に近藤邸のミニチュアがあったので撮影。
さて、受付に電話して「見学終わりました。ありがとうございました」と伝えて藤沢駅に向けて出発。
なんかあった!名誉市民:片山哲先生「片山哲氏、明治20年紀南に生まれる。こよなく湘南を愛し、居を構えてより50有余年。清節道を守って湘南の人となる。市民諸君より推されて衆議院銀に当選すること11回。昭和22年5月には内閣総理大臣に就任し、戦後の難局処理に当たる。その后外遊数回、世界の人物と風光に接し、益々わが湘南の風物、世界に秀でたるを信ず。」
何かあった!
2階の回廊みたいなデザインでイトーヨーカドーまで続く。そこで1階に降りると商店街。藤沢駅まですぐだった。
自販機がワグビーワールドカップ仕様になってました。もうすぐですね。

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