13時26分、上粕屋神社を出発。太田道灌のお墓に向かってると七人塚を見つけた。そりゃなんだろ?
説明板発見:七人塚
江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌 謀反あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客により暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられています。この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、明治の末に開墾するとき一つ残された伴頭のものといわれ、今でも七人塚と呼ばれています。
へえ〜!ど〜みても塚が7つもない!と見えたのはそういう訳か〜。ってか!!やっぱ上粕屋神社さんと道灌の暗殺現場の上杉家の館って関係あったんじゃん!なぜに御由緒の説明板に触れてないのか??
ともあれ、ここで頭をひねっててもどないもならんので、道灌のお墓に移動しましょう。
13時32分、太田道灌のお墓に到着です。
え〜と??赤いキャップは何かしら〜??神社仏閣めぐりをしていると、こういうキャップを時折見かけます。大概名のある木とか言い伝えを持つ木が枯死した時に根元まで切り倒してこのキャップをつけてあるんですよ。これもたぶんそうじゃないかな〜?
ということで、説明板を見つけたら図解がありました。
説明板発見:洞昌院(太田道灌の墓)
蟠龍山洞昌院は、太田道灌が開いたと伝わる曹洞宗のお寺です。太田道灌は江戸城築城などで知られる室町時代に活躍した武将で、文武両道の鑑(かがみ)とされています。洞昌院には、太田道灌の墓(市指定文化財)があり、15〜16世紀のものと推定される宝篋印塔がまつられています。
文明18年(1486)の太田道灌の最期には様々な伝承がありますが、敵に囲まれた道灌が洞昌院まで逃げ延びたが、門が閉まっており中にはないれず、ついに力尽きて刃に倒れたとも言われています。以後、洞昌院には山門に扉をつけてはならないと語り注がれています。」
説明板を読み歩くと土地の歴史や伝承が書かれてることがあるので面白いです。
歴史好きとしては何故に殿が優秀な配下を騙し討ちして排除したのか?が気になるところ。
確か〜?
太田道灌の殿の扇谷上杉家は関東管領筋で、親戚筋から羨まれていた。優秀な道灌がついていたら扇谷上杉を追い落とすのは難しい。そこで道灌の殿の上杉定正に「道灌 謀反あり」と囁いて道灌排除を嗾ける。うかうかと乗った定正は道灌を自分の館に呼び寄せ暗殺した。
で、道灌を失った扇谷上杉家は凋落の末滅亡した。だったような〜?調べてないから私の記憶ではそうなっている。
道灌の最期が悲劇だったとは残念です。
あ。観光めぐり太田道灌公の墓付近を訪ねての地図がある。
え〜と??上粕屋神社の裏手に上杉館跡があるわ〜。上粕屋神社さんで本殿の裏を見に行こうとしたら、立ち入り禁止と書いてあって、行けなかったんだけどね。でもってその辺に「からぼり」も通ってるけども。そんなん見かけなかったよな〜??ってなことで、またいつか訪問する目的が出来てしまいました。今引き返せばいいけども、今更戻るのはなんか嫌!という訳のわからん理由でパスする。おいおい。
13時37分出発。「道灌塚」バス停へ。
で、待ち時間があったので次の訪問先を考える。実は今回の丹沢・大山フリー切符で巨木探訪!も昨年からずっとぼやいてる腰痛と右足痛の回復具合をチェックする目的があったのですが、じんわり右足首が熱くて痛み始めてる。それまでならば痛みが出るのはお尻っぺたと足のジョイント部分から痛みが始まるので足首から痛くなるのは変なんだけど?確認のため触れてみたら、じんわり熱い。そして腫れぼったい。
これは無理しちゃいかんな。と、バス路線の途中にある伊勢原大神宮に寄ってから帰宅することにする。
元はね〜、246号線に面する高部屋神社さんの巨木を見にいくつもりだったけどさ。そこは次回の丹沢・大山フリーきっぷ利用時に行こうと思う。
説明板発見:七人塚
江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌 謀反あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客により暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられています。この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、明治の末に開墾するとき一つ残された伴頭のものといわれ、今でも七人塚と呼ばれています。
へえ〜!ど〜みても塚が7つもない!と見えたのはそういう訳か〜。ってか!!やっぱ上粕屋神社さんと道灌の暗殺現場の上杉家の館って関係あったんじゃん!なぜに御由緒の説明板に触れてないのか??
ともあれ、ここで頭をひねっててもどないもならんので、道灌のお墓に移動しましょう。
13時32分、太田道灌のお墓に到着です。
え〜と??赤いキャップは何かしら〜??神社仏閣めぐりをしていると、こういうキャップを時折見かけます。大概名のある木とか言い伝えを持つ木が枯死した時に根元まで切り倒してこのキャップをつけてあるんですよ。これもたぶんそうじゃないかな〜?
ということで、説明板を見つけたら図解がありました。
説明板発見:洞昌院(太田道灌の墓)
蟠龍山洞昌院は、太田道灌が開いたと伝わる曹洞宗のお寺です。太田道灌は江戸城築城などで知られる室町時代に活躍した武将で、文武両道の鑑(かがみ)とされています。洞昌院には、太田道灌の墓(市指定文化財)があり、15〜16世紀のものと推定される宝篋印塔がまつられています。
文明18年(1486)の太田道灌の最期には様々な伝承がありますが、敵に囲まれた道灌が洞昌院まで逃げ延びたが、門が閉まっており中にはないれず、ついに力尽きて刃に倒れたとも言われています。以後、洞昌院には山門に扉をつけてはならないと語り注がれています。」
説明板を読み歩くと土地の歴史や伝承が書かれてることがあるので面白いです。
歴史好きとしては何故に殿が優秀な配下を騙し討ちして排除したのか?が気になるところ。
確か〜?
太田道灌の殿の扇谷上杉家は関東管領筋で、親戚筋から羨まれていた。優秀な道灌がついていたら扇谷上杉を追い落とすのは難しい。そこで道灌の殿の上杉定正に「道灌 謀反あり」と囁いて道灌排除を嗾ける。うかうかと乗った定正は道灌を自分の館に呼び寄せ暗殺した。
で、道灌を失った扇谷上杉家は凋落の末滅亡した。だったような〜?調べてないから私の記憶ではそうなっている。
道灌の最期が悲劇だったとは残念です。
あ。観光めぐり太田道灌公の墓付近を訪ねての地図がある。
え〜と??上粕屋神社の裏手に上杉館跡があるわ〜。上粕屋神社さんで本殿の裏を見に行こうとしたら、立ち入り禁止と書いてあって、行けなかったんだけどね。でもってその辺に「からぼり」も通ってるけども。そんなん見かけなかったよな〜??ってなことで、またいつか訪問する目的が出来てしまいました。今引き返せばいいけども、今更戻るのはなんか嫌!という訳のわからん理由でパスする。おいおい。
13時37分出発。「道灌塚」バス停へ。
で、待ち時間があったので次の訪問先を考える。実は今回の丹沢・大山フリー切符で巨木探訪!も昨年からずっとぼやいてる腰痛と右足痛の回復具合をチェックする目的があったのですが、じんわり右足首が熱くて痛み始めてる。それまでならば痛みが出るのはお尻っぺたと足のジョイント部分から痛みが始まるので足首から痛くなるのは変なんだけど?確認のため触れてみたら、じんわり熱い。そして腫れぼったい。
これは無理しちゃいかんな。と、バス路線の途中にある伊勢原大神宮に寄ってから帰宅することにする。
元はね〜、246号線に面する高部屋神社さんの巨木を見にいくつもりだったけどさ。そこは次回の丹沢・大山フリーきっぷ利用時に行こうと思う。
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