2019年2月3日の巨木探訪。小田急のお得きっぷ、丹沢・大山フリー切符Bを使い、
厚木市・妻田薬師のクス、
秦野市・鶴巻の大ケヤキを見物。次に向かったのは伊勢原駅です。
北口4番バス乗り場から伊41系統12時53分発で山王原バス停下車。東へ徒歩数分。13時10分上粕屋神社に到着しました。
目的のケヤキはどこかしら?
あれっ!!YAHOO!の地図をプリントアウトしての散歩なのですが、着いたところは参道入口でなく、途中の境内入口だった模様です。せっかくなので参道入口まで参道を逆向きに引き返す。
改めて、上粕屋神社さん到着〜。上の画像奥に白い鳥居が見えますね。そこがトップ画像の撮影場所。
にしても上粕屋神社さんの参道って巨木が多いなあ。せっかくの巨木探訪なので、やはり巨木は紹介しておくべき?と思いまずは参道入口から参道奥に向かい紹介します。
ああっ!!上粕屋神社さんの参道をお手入れしてる方は植物好きな模様ですっ。参道の植物にネームプレートや樹齢プレートを設置してくれている。
ってなことで、設置してある樹齢プレートを合わせて紹介。まずは参道入口左側から。
イチョウ・樹齢200年
参道入口右ケヤキ・樹齢600年
参道中央右に2本並びカヤ・樹齢200年2本とも同じ樹齢でした。
参道最奥左カヤ・樹齢600年
参道最奥右カヤ・樹齢600年
む〜ん?先ほど見たばかりの鶴巻の大ケヤキは、樹齢600年で幹周囲10、3メートルでした。樹齢プレートに書いてある上粕屋神社さんの樹齢は同じケヤキで600年と書いてありますが、巨木だけどそこまで太くないんだよねえ。まあ、木は生えてる環境や土の栄養によって樹形も大きさも変わるから一概には言えないけども。一説には設置されてる樹齢は推定樹齢。本当の樹齢は➗2が目安です。と、もう10冊以上図書館で借りた巨木・巨樹の本のどれかに書いてあったんだよね。上粕屋神社さんの樹齢プレートは➗2に含まれるんじゃないかな〜?まあ私は去年から巨木巡りし始めたばかりなので迂闊なこと言えないけどね。
あ、説明板発見:上粕屋神社由緒
本神社の勧請年月は詳らかでないが、大同弘仁の頃近江の国の日吉神を当初に移し勧請したと伝える。又風土記によれば天平年中に僧良弁の勧請なりという。
元禄4年幸末社を再建し、山王権現と称した。徳川幕府御朱印高一石5斗であった。
明治2年6月日枝神社と改称し、当地の例大祭は3月2日で、競馬神事神楽を奉納、6月22日と12月2日には歳の市を執行した。
明治6年葵酉7月、字、和田内鎮座の熊野神社(朱印高2石)と字、石倉上鎮座の白山社を合祀し、上粕屋神社と改称した。
更に、昭和39年4月、字、峰岸鎮座御嶽神社を昭和41年10月字、秋山鎮座の五霊神社を合祀して現在に至っている。
例大祭:4月3日
御祭神:大山咋神 大穴牟運命 若山咋命」
うわ〜、説明板にも明治以降m多すぎる神社さんを統合整理した政策で上粕屋神社さんにも他4社が合祀されたからか、合祀御祭神の数が多いわ〜。
御由緒説明板はこう続きます。
「合祀御祭神:伊奘諾命 速玉男命 事解男命 伊奘冊命 菊理姫命 泉道守命 天穂日命 大己貴命 少彦名命 事代王命 三穂津姫命 日本武尊」
実は撮影画像にはここまでしか写ってない。私の携帯は二つ折りのガラパゴス。この日はお天気が良すぎて手元の画面が真っ黒なんで、撮影時は勘でシャッター切ってまして、画面に説明板全部入ってると思ったんだけどな〜。やっちまったぜ。ヤマトタケルの尊の後にも合祀されてる神様がいらっしゃったかもしれん。
ってか、元々は一軒家暮らしだったのに、長屋に変わり、気づけばマンション暮らしになった神様たち。賑やかでいいと思える神様ばかりじゃないと思うけども。賑やかなのがいい神様には合祀はアリだったのかな〜??
ところで!
私が今回かながわの名木100選に選出されていない上粕屋神社さんに立ち寄ったのは、変わった形の巨木がここにあるとWEBで見つけたのもあるのですが。今を去る事約10年前、5月の末に脳梗塞を発症した私は、7月初めに退院し以後リハビリを頑張りまして、その時初めて伊勢原市の大山阿夫利神社と大山寺を参拝しました。行き帰りのバスの中で「道灌塚」というバス停を見つけまして、「道灌ったら太田道灌??」とひらめき、勢いでボタンを押してしまいました。
太田道灌の所縁の地なの?(2009年11月29日)の記事
この時は太田道灌のお墓を見つけて参拝できたことで満足したのですが、帰宅後記事を書くにあたり、「太田道灌は殿に呼び出された上杉館で風呂に入ってる時に暗殺された」とありまして、墓の近くに暗殺された上杉館があったのを知ったのです。で、もしや(上)粕屋神社って、元はそこに太田道灌が暗殺された上杉館があったのじゃないの?と思い確かめに来たんですよ。でも、上粕屋神社さんの御由緒を書いた説明板には一言もそんなことは書いてませんね。あれ〜?ま。いいか。もひとつの目的WEBで見た面白い形の巨木を見物しよう。
黄昏て鳥居前の見頃の白梅を見上げる。本当に見頃だなあ。これ。
参道奥の左右にある2本の大ケヤキ。その奥に白い鳥居が見えますね。これがトップ画像に写る鳥居です。鳥居の奥にも参道が続いてまして、巨木があります。
根元にあるプレートに伊勢原市保存木のクスノキとありました。
で、目的の変わった形の巨木が見えてきた。
ダンナにハイライト代わりに木の横に立ってもらう。
これまた洞のある巨木です。個性ありますよね。ケヤキかな?ってかご神木だったんじゃん!
WEBには載ってなかった木の裏からも鑑賞。
訪問は2月3日なので、完全落葉状態で枝ぶりがよくわかります。葉っぱがあると枝ぶりが見えなくなるので、イチョウやケヤキのような落葉樹は冬が観察に適してると私は思います。桜だけは花の咲く時期に見たいと思うけども。しかし、参道には樹齢プレートがあるのに、一番知りたいご神木に説明板も樹齢プレートもないってどゆこと??いや〜、でっかい洞が空いてるからこれが個性なんだけどさ。こうも特徴的な木だと、洞が出来た時期とか言い伝えとか残ってそうなものだけどなあ。ご神木の樹齢は謎のまま。
後回しにしてしまったけど、今喪中なので神社で参拝は極力控えてるのですが「境内を撮影させていただきました」とご挨拶だけは済ます。
あれ?ここの社殿の正面って亀?それも海亀??なぜだ〜??注連縄の形も少し違ってるし??神社鑑賞ポイントは多いなあ。私には神社仏閣鑑賞の知識が不足してる。
これは手水舍のそばにあった伊勢原市の保存樹木のケヤキです。伊勢原市の保存樹木には樹齢プレートが置いてなかったよ。ちなみに参道にはちらほらベンチがあって休憩できるようになってました。時刻は13時26分出発です。せっかくなので、太田道灌のお墓にも参拝していこう。
厚木市・妻田薬師のクス、
秦野市・鶴巻の大ケヤキを見物。次に向かったのは伊勢原駅です。
北口4番バス乗り場から伊41系統12時53分発で山王原バス停下車。東へ徒歩数分。13時10分上粕屋神社に到着しました。
目的のケヤキはどこかしら?
あれっ!!YAHOO!の地図をプリントアウトしての散歩なのですが、着いたところは参道入口でなく、途中の境内入口だった模様です。せっかくなので参道入口まで参道を逆向きに引き返す。
改めて、上粕屋神社さん到着〜。上の画像奥に白い鳥居が見えますね。そこがトップ画像の撮影場所。
にしても上粕屋神社さんの参道って巨木が多いなあ。せっかくの巨木探訪なので、やはり巨木は紹介しておくべき?と思いまずは参道入口から参道奥に向かい紹介します。
ああっ!!上粕屋神社さんの参道をお手入れしてる方は植物好きな模様ですっ。参道の植物にネームプレートや樹齢プレートを設置してくれている。
ってなことで、設置してある樹齢プレートを合わせて紹介。まずは参道入口左側から。
イチョウ・樹齢200年
参道入口右ケヤキ・樹齢600年
参道中央右に2本並びカヤ・樹齢200年2本とも同じ樹齢でした。
参道最奥左カヤ・樹齢600年
参道最奥右カヤ・樹齢600年
む〜ん?先ほど見たばかりの鶴巻の大ケヤキは、樹齢600年で幹周囲10、3メートルでした。樹齢プレートに書いてある上粕屋神社さんの樹齢は同じケヤキで600年と書いてありますが、巨木だけどそこまで太くないんだよねえ。まあ、木は生えてる環境や土の栄養によって樹形も大きさも変わるから一概には言えないけども。一説には設置されてる樹齢は推定樹齢。本当の樹齢は➗2が目安です。と、もう10冊以上図書館で借りた巨木・巨樹の本のどれかに書いてあったんだよね。上粕屋神社さんの樹齢プレートは➗2に含まれるんじゃないかな〜?まあ私は去年から巨木巡りし始めたばかりなので迂闊なこと言えないけどね。
あ、説明板発見:上粕屋神社由緒
本神社の勧請年月は詳らかでないが、大同弘仁の頃近江の国の日吉神を当初に移し勧請したと伝える。又風土記によれば天平年中に僧良弁の勧請なりという。
元禄4年幸末社を再建し、山王権現と称した。徳川幕府御朱印高一石5斗であった。
明治2年6月日枝神社と改称し、当地の例大祭は3月2日で、競馬神事神楽を奉納、6月22日と12月2日には歳の市を執行した。
明治6年葵酉7月、字、和田内鎮座の熊野神社(朱印高2石)と字、石倉上鎮座の白山社を合祀し、上粕屋神社と改称した。
更に、昭和39年4月、字、峰岸鎮座御嶽神社を昭和41年10月字、秋山鎮座の五霊神社を合祀して現在に至っている。
例大祭:4月3日
御祭神:大山咋神 大穴牟運命 若山咋命」
うわ〜、説明板にも明治以降m多すぎる神社さんを統合整理した政策で上粕屋神社さんにも他4社が合祀されたからか、合祀御祭神の数が多いわ〜。
御由緒説明板はこう続きます。
「合祀御祭神:伊奘諾命 速玉男命 事解男命 伊奘冊命 菊理姫命 泉道守命 天穂日命 大己貴命 少彦名命 事代王命 三穂津姫命 日本武尊」
実は撮影画像にはここまでしか写ってない。私の携帯は二つ折りのガラパゴス。この日はお天気が良すぎて手元の画面が真っ黒なんで、撮影時は勘でシャッター切ってまして、画面に説明板全部入ってると思ったんだけどな〜。やっちまったぜ。ヤマトタケルの尊の後にも合祀されてる神様がいらっしゃったかもしれん。
ってか、元々は一軒家暮らしだったのに、長屋に変わり、気づけばマンション暮らしになった神様たち。賑やかでいいと思える神様ばかりじゃないと思うけども。賑やかなのがいい神様には合祀はアリだったのかな〜??
ところで!
私が今回かながわの名木100選に選出されていない上粕屋神社さんに立ち寄ったのは、変わった形の巨木がここにあるとWEBで見つけたのもあるのですが。今を去る事約10年前、5月の末に脳梗塞を発症した私は、7月初めに退院し以後リハビリを頑張りまして、その時初めて伊勢原市の大山阿夫利神社と大山寺を参拝しました。行き帰りのバスの中で「道灌塚」というバス停を見つけまして、「道灌ったら太田道灌??」とひらめき、勢いでボタンを押してしまいました。
太田道灌の所縁の地なの?(2009年11月29日)の記事
この時は太田道灌のお墓を見つけて参拝できたことで満足したのですが、帰宅後記事を書くにあたり、「太田道灌は殿に呼び出された上杉館で風呂に入ってる時に暗殺された」とありまして、墓の近くに暗殺された上杉館があったのを知ったのです。で、もしや(上)粕屋神社って、元はそこに太田道灌が暗殺された上杉館があったのじゃないの?と思い確かめに来たんですよ。でも、上粕屋神社さんの御由緒を書いた説明板には一言もそんなことは書いてませんね。あれ〜?ま。いいか。もひとつの目的WEBで見た面白い形の巨木を見物しよう。
黄昏て鳥居前の見頃の白梅を見上げる。本当に見頃だなあ。これ。
参道奥の左右にある2本の大ケヤキ。その奥に白い鳥居が見えますね。これがトップ画像に写る鳥居です。鳥居の奥にも参道が続いてまして、巨木があります。
根元にあるプレートに伊勢原市保存木のクスノキとありました。
で、目的の変わった形の巨木が見えてきた。
ダンナにハイライト代わりに木の横に立ってもらう。
これまた洞のある巨木です。個性ありますよね。ケヤキかな?ってかご神木だったんじゃん!
WEBには載ってなかった木の裏からも鑑賞。
訪問は2月3日なので、完全落葉状態で枝ぶりがよくわかります。葉っぱがあると枝ぶりが見えなくなるので、イチョウやケヤキのような落葉樹は冬が観察に適してると私は思います。桜だけは花の咲く時期に見たいと思うけども。しかし、参道には樹齢プレートがあるのに、一番知りたいご神木に説明板も樹齢プレートもないってどゆこと??いや〜、でっかい洞が空いてるからこれが個性なんだけどさ。こうも特徴的な木だと、洞が出来た時期とか言い伝えとか残ってそうなものだけどなあ。ご神木の樹齢は謎のまま。
後回しにしてしまったけど、今喪中なので神社で参拝は極力控えてるのですが「境内を撮影させていただきました」とご挨拶だけは済ます。
あれ?ここの社殿の正面って亀?それも海亀??なぜだ〜??注連縄の形も少し違ってるし??神社鑑賞ポイントは多いなあ。私には神社仏閣鑑賞の知識が不足してる。
これは手水舍のそばにあった伊勢原市の保存樹木のケヤキです。伊勢原市の保存樹木には樹齢プレートが置いてなかったよ。ちなみに参道にはちらほらベンチがあって休憩できるようになってました。時刻は13時26分出発です。せっかくなので、太田道灌のお墓にも参拝していこう。
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