あられの日記

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その6)男装の麗人川島芳子所縁の地

2010年09月10日 04時11分58秒 | 旅順・大連旅行記
203高地から程なく、旅順市街に入る。
バスが止まったのは「粛親王府旧址」。
1912年から清王朝の粛親王の住居だった。
男装の麗人川島芳子(1907年5月24日-1948年3月25日)は清朝の皇族粛親王の第14王女で、本名は愛新覚羅顕(あいしんかくらけんし)。
彼女は粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり、日本で教育を受けた。1927年に蒙古族のパプチャップ将軍の次男、カンジュルジャップと旅順の大和ホテルで結婚したが、3年で離婚。その後上海へ渡り同地の駐在武官だった田中隆吉と交際して日本軍のスパイとして諜報活動に従事した。戦後まもなく中華民国政府によって漢奸として逮捕され、銃殺刑となった。
粛親王府旧址にも川島芳子は暮らしたことがある。
ちなみに、この建物には清朝最後の皇帝溥儀も住んでいたことがある。
戦後ソ連軍に引き継がれ、最近まで旅順に駐屯していた中国軍が使用していた。
が、現在は廃墟となっていた。

入口は閉鎖。建物の窓も割れていて、通路の足元はガラスだらけで周囲にはトランプカードが散乱していた。

窓から覗き込んだ屋内。

建物の右手には雑草だらけのかつての庭の姿が。一部はこっそりどこかの住民が畑を作ってたり…。
旅先で廃墟に出合うことはそうそうなかったが、実は旅順は現在廃墟だらけです。やはり、軍が管理していた場所を外国人の立ち入りを認めた辺りから軍の施設や建物を移転の最中のようで、移行の利用が未定な場所が多数あるようで。


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