2022/4/22参拝。ぼたん寺薬王寺さんへ勘で行こうとして迷ったダンナは、GPSに次の目的地を入力して出発した。
私が車を降ろされたのは明らかに別の場所の砥石観音です。
ダンナは「探してくる」と言い残し車は言ってしまったので、暇潰しに石段を上がる。
八重桜が綺麗。
誰もいない。けど説明板発見。
砥石観音:由緒 大同3年(808)弘法大師が本山寺を建立された時、渓道の大師谷から用材を伐り出したが、斧の刃が折れて伐子たちは大いに困っていた。そこへ行脚の巣が現れて砥石を与えた。彼らは早速斧を研いで用いたところ、驚くほどよく伐れ、容易に用材を伐り出すことが出来た。村人たちは霊験新たかな砥石を当地に持ち帰り、堂宇を建立して安置したものと伝えられている」
うん。あ。ダンナの車が戻ってきた。
曰くGPSの住所は「財田町財田上3519はここだ」という。「けど目的地のふじ寺の萬福寺さんはここと違う」と私。
「ん?萬福寺さん?」それは財田川の岸にあったよ。ってことで出発。
着いたのが目的地です。
藤の花の見物客が大勢。
見事。けど香りはほとんどない。既に見頃も終盤に入ってる模様。
ちなみに萬福寺さんの住所は「三豊市財田町財田上3519」で砥石観音と同じです。
ダンナの愚痴が止まらない。「昔の住所とか。かつては同じ寺の境内というオチか?」そうなのね。実際は砥石観音と萬福寺さんは600メートルは離れてます。「なんで同じ住所なんや」と私「3000番台から始まる住所はクソ田舎!」と互いに愚痴が止まらない。けどまあ花に罪はない。
藤棚にはよく観察すると4つの藤が混じってた。
側に花観音もいらっしゃる。
参拝。今回は客が多いので少し離れた位置からそっと手を合わせる。
萬福寺:大同3年(808)四国霊場第70番本山寺建立の時、阿讃山脈の大師谷にて用材を切り出した。その際、観音様が砥石に変化して木こりを助け、わずが1夜で建立した。そこでその用材置き場を記念して、弘法大師が一宇を建立させたのがこの寺の開創である。
なお、9年後の弘仁8年は大旱魃に見舞われた年であるが、財田石野地区だけは稲穂が実ったので、人々はその稔りを天皇に献上した。喜ばれた天皇の命により、大師は毘沙門天を祀り、現在の寺号をつけられたという」
似てる。やはり同じ場所じゃん。
ちなみに裏に回る。塀の向こうは財田川。本山寺は同じ財田川を下流に下った袂にある。現在の財田川は上流にダムがあり、水量がショボいけど。かつての咲いた川ならばここから木材を運ぶのは便利だったことだろう。
藤の花の房が長め。
アップで。一部は既に花が落ちてる模様。
この地面近くに咲いてるの。うちの庭にもあるなあ?何だっけ?
では次へ移動です。巨木→花(ボタン・ふじ)ときたら次はグルメです。
フジの花がすごいですね。香りも漂ってくるでしょう。