関東では2度目の緊急事態宣言が長引きました。延長もありまして、2021年3月21日にようやく明けました。
一度帰省したい!
田舎の親に会ったのは去年のお正月ですよ?
けどもコロナ感染症が発生し、世の中は自粛自粛と連呼され。それは私も必要だ!と我慢してました。
コロナ感染症が蔓延してる関東の人が、我慢して田舎に帰らないことが田舎の親達を守る!コロナ感染症が広がらない為には田舎に帰らないことが必要なのです!と自分に言い聞かせ。去年のゴールデンウィークもお盆も9月にあった父の3回忌と祖母の13回忌も帰省しませんでした。まあ、父の3回忌は田舎の母と弟から帰って来ないでね?とハガキが来たこともあり、神奈川県住まいの私も、奈良県住まいの妹も帰省しませんでした。
そして年末年始ですよ!?神奈川ではコロナ陽性者が大爆発!
相模原市では12月23日にコロナ陽性者が累計1000人を超え。
1月18日にコロナ陽性者が累計2000人を超えました。(ちなみにコロナ陽性者の累計が3000人を超えたのは3月14日です)
1月はぶっちゃけ医療崩壊してました。せめてもの自衛で血中酸素濃度測定器を購入したのもこの頃です。
この状況で田舎に帰れるか!
自分らが無症状のコロナ陽性者でないと断言はとても出来ない状況でした。
で、年末年始も帰省を諦めた。けどもう〜〜〜。
一度帰りたい!帰らねばならん!!と2021年に入ってからは強く思うようになってました。
Xデーは神奈川県の緊急事態宣言明けです。
で、待ちに待った緊急事態宣言がもうすぐ解除になりそうと思った3月初旬、田舎へお手紙を出しました。
「お父さん達の顔が見たいです。すぐに神奈川に戻ります。コロナ感染対策は万全にするので心配しないで下さい」と。
実は2020年末ごろからダンナのお父さんの具合があまり良くない感じなのだ。
とはいえ、ダンナの父も母も耳が遠くて、電話は一方通行なのですよ。向こうは言いたいことを言えるけど、こちらの声は届かない。で、同じ市内に住む義姉と連絡を取り合ってました。
ヤバい気がする。とても!ならさ。緊急事態宣言が明けたタイミングで一度顔を見に戻りたいと思いました。
お便りを出した。
「朝一に帰る!密を避けるためこっちを6時34分発で帰る!顔だけ見たら翌日には神奈川に戻る。近所の人にも会わないようにするからね」
とか訴えて。
早朝便なので事前にJRのみどりの窓口で切符を購入する。
ようやく会えるんだ〜!と浮かれまくりの3月22日から25日でした。
あれこれ用意して。
トップ画像も介護食のパックです。義姉がダンナの父のために購入してるのはキューピーの介護食とのことだったので手土産に購入して嬉しげ〜に荷物を準備していた金曜日3月26日の午後、義姉から連絡があったのです。
「父が今日入院しました」
な、何だってぇ〜〜!!!
聞けば血を吐いたらしい。で、家の近所のかかりつけ病院まで自分で運転して行ったらば、大きな病院に即入院させられたとのこと。
「入院したら面会させない。肉親でも1日に10分だけしか面会出来ない」と義姉に言われた。
コロナ!のせい。入院患者は病人なのだ。免疫力が落ちている。健康な人でもコロナに感染したら危ない場合もあるのに。入院患者に合わせられない!のだろう。私が通ってる神奈川の病院も同じ。入院患者は面会謝絶の対応をしている。
それは十分理解できるのだけども。去年のお正月から会ってないの!明日会えるハズだったの。手土産の介護食に食材足して、義母さんと一緒に義父のご飯作って。義父の好みの介護食のレトルトを大人買いして贈るつもりだったの!楽しい規制になるハズだったの〜〜〜〜!!!
「もう切符も買ったし。手土産も買った」
「少しの時間でもいいのでお父さんに会いたいです」と訴える。
けども相手はコロナなのだ。わかってるんだ。けどもけどさ。
後は義姉にお任せです。入院先の先生に言ってみてくれるらしい。
金曜の夜、会社帰りのダンナに状況説明。
「お父さんが今日入院したって。明日帰省しても会えないかもしれん」
無言のダンナ。
「でも帰るよ?最悪お母さんだけでも顔がみたいし」
いや、実はこのへん既に記憶が曖昧になってしまった。
でもまあ。大筋は変わってない。記憶が曖昧なのは後で分かります。ので今はツッコミは無しで。
翌朝、3月27日の6時10分すぎ自宅を出発。
しかししかし!!最寄駅に近づくと様子がおかしい。視線の奥にパトカーが止まってて、車の通行を止めていた。
何事〜〜〜!!
小田急が止まってました。
ほんの少し前に駅で人身事故が起きたらしい。どうやら飛び込み自殺を図った人がいたようだ。現在救助中とアナウンスがあった。
マジか!?何で今日なんだっ!!
そうなのですよ。今から乗るハズの小田急が止まってた!しかも事故現場はまさに利用駅でした。
バスだ!
「まだ諦めるのは早いよ!?」
ってな事でバス乗り場に直行したらば、隣駅の相模大野駅行きのバスが止まってました。あれに乗れば間に合うやもしれん!
コロナって何?密??そんなん知らん!コミケバスより酷いギュウギュウ詰めで路線バスは出発した。
小田急の路線をご存知ならば、私が利用しようとした小田急相模原駅は小田原線ですが、江ノ島線というのが相模大野駅で分岐してましてね。相模大野駅までたどり着けば、JRの最寄駅の町田駅へは一駅なのだ。例え小田原線が人身事故で不通になったとしても、まだ江ノ島線は動くのだ。
そんなこんなでJR町田駅に到着したものの、乗車予定の電車に乗り遅れた。けどもまだ諦めるのは早い!新横浜駅は乗り換え時間を多めに取ってある。
「横浜線から新幹線に3分で乗り越えれば岡山から予定の特急に乗車出来るから!」
ダンナに宣言して階段前の乗り降り口で待機。一番に電車を降りて新幹線のホームへ可能な限りの早歩きです。オバさんは走れない。
で、ギリギリで予定ののぞみに乗車した。JR四国の運行本数の少なさから、乗り継ぎの新幹線に乗れないと大変なのだ。一安心〜。
特急しおかぜからの眺望。四国の人はこれがおかしな事と思わないけど、電車の窓から海面が見えるのって結構レアかもしれん。
朝一に相模原を出ても、新幹線が新大阪に到着する頃には人が増えていた。緊急事態宣言が一足先に明けた関西は、人の移動が多くなってて随分驚いたよ?まあその後、大阪・頭の感染者は再び急増し、状況は変わったのですが。私が帰省した3月27日には新幹線では割とのんびり、いや浮かれた空気が漂っていました。だってさ、窓の向こうは延々と桜が咲いてるんだもの。
特急は予定時間に観音寺駅に到着した。観音寺駅には実家の母に車で迎えを頼んでいた。田舎では路線バスなんかほぼない。みんな車が足がわりなのだ。そういや前回の帰省時は義父が迎えに来てくれたんだった。
(長くなったので記事を分けます)
*この記事は4月中頃に作成して予約投稿したものです。
記事を書いてから2週間少ししか経ってないのに、今日(2021/4/30)の朝のニュースが伝える大阪はまるで1月の相模原市の状況をトレースしてるようです。
本来なら病院に入れる高齢者のコロナ陽性者が自宅待機。
本来なら酸素吸入が必要な中等者がエクモのある病院に転院出来ない。
あの頃の相模原が今大阪で大規模になって再現されている。
たった3ヶ月しか経ってないのに、変異株は更に強力に凶悪化してるように思う。
いっつもおもうのだけれど、なぜに日本は初動が遅いのだろうか?
一旦流れが出来上がると早く、計画通りになるのも同じだろうけど。
どうも今は上の方がまだのんびりと机上で計画を立てる段階だという。
それではいかんのだよ。
それでは間に合わないのだよ。
と、大阪の上の人が行き当たりばったりで行動してたのは去年。今年こそ去年計画を立て終えていたなら実行に移して欲しかった〜。と。大半の日本人は今思ってる。
まあ、彼もやってたけど現状を見ると全く足りてなかったのですが。
けど!
けどですよ?
せめて海外からの変異株の流入は停めて欲しかった!!!
俺が、私達が経済を回す!と。桜の季節に歓送迎会を開いたり。今、路上飲み会で盛り上がってる若者。昼カラオケを楽しんでる年配の人。
今一度、本気で「我慢」する時ではなかろうか?
まあ、自粛が年単位になるとは!!覚悟が足りなかったんだ。
それをこの記事に付け加えようとは、記事を書いてた4月中旬には微かに予想してたけど。よもやよもや。ですわ。まさかのここで「よもや」を使おうとは〜。虚しい。
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