2017.4.2に池上本門寺に訪問した目的は、本門寺春祭り限定公開の国の重要文化財五重塔でした。参拝後ふとダンナに尋ねてみる。
「本門寺には歴史に名前が残る人々のお墓があるんだけど、知ってる?」
「知らない」と答えが返ってきたので、ガツンとくるお墓へ案内しました。
造るのに1万両かかったという芳心院墓所です。
説明板発見。芳心院墓所:万両塚に埋葬されている「芳心院殿妙英日春大師」は、徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室です。
宝塔背面の銘文には、芳心院の家系・人となり・信仰の深さと「逆修7分全得」(生前に墓を作るなどの善行を積めば、七の功徳全てを得ることができる)のために生前に建てた自分のお墓であったことが記されています。
宝塔内部からは、法華経巻子本8巻と火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されました。自身の法華経信仰を300年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓です。」
周囲に空堀があります。一説によると、芳心院が生前蛇が嫌いだったので、濠を作ったと言われています。でも造成当時から濠に水は入っていなかったとか。
この石垣も上等ですね。まるで江戸城の基壇の石垣のよう。
家系図もありました。
ビッグネームがいっぱいです。
宝塔の説明文もあります。
宝塔の正面には、芳心院と生活を共にした侍女たちのお墓もあります。(一部供養塔も)
実は、芳心院墓所の空堀の外に別の遺跡があります。
古墳時代のものです。池上本門寺は小高い丘の上にあります。
古墳時代のお墓ですかね?
お墓だけでなく、生活の跡も残ってます。
分厚い富士山の火山灰。江戸時代の富士山の噴火は、江戸中期の宝永4年(1707)の宝永大噴火が有名。噴火は2週間続きました。
弥生時代の集落ですって!
トップ画像の芳心院の宝塔の背後に、しだれ桜が見えていたので見物に行きました。
そもそもは、桜の名所でもある池上本門寺ですからそれも楽しみに訪問しましたが。
2017年4月2日は桜の咲く進行が遅く、まだ開花してませんでした。残念〜。
既出記事です。
万両塚(2012年2月23日)の記事こちらの記事は池上本門寺の有名人のお墓めぐりです。
「本門寺には歴史に名前が残る人々のお墓があるんだけど、知ってる?」
「知らない」と答えが返ってきたので、ガツンとくるお墓へ案内しました。
造るのに1万両かかったという芳心院墓所です。
説明板発見。芳心院墓所:万両塚に埋葬されている「芳心院殿妙英日春大師」は、徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室です。
宝塔背面の銘文には、芳心院の家系・人となり・信仰の深さと「逆修7分全得」(生前に墓を作るなどの善行を積めば、七の功徳全てを得ることができる)のために生前に建てた自分のお墓であったことが記されています。
宝塔内部からは、法華経巻子本8巻と火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されました。自身の法華経信仰を300年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓です。」
周囲に空堀があります。一説によると、芳心院が生前蛇が嫌いだったので、濠を作ったと言われています。でも造成当時から濠に水は入っていなかったとか。
この石垣も上等ですね。まるで江戸城の基壇の石垣のよう。
家系図もありました。
ビッグネームがいっぱいです。
宝塔の説明文もあります。
宝塔の正面には、芳心院と生活を共にした侍女たちのお墓もあります。(一部供養塔も)
実は、芳心院墓所の空堀の外に別の遺跡があります。
古墳時代のものです。池上本門寺は小高い丘の上にあります。
古墳時代のお墓ですかね?
お墓だけでなく、生活の跡も残ってます。
分厚い富士山の火山灰。江戸時代の富士山の噴火は、江戸中期の宝永4年(1707)の宝永大噴火が有名。噴火は2週間続きました。
弥生時代の集落ですって!
トップ画像の芳心院の宝塔の背後に、しだれ桜が見えていたので見物に行きました。
そもそもは、桜の名所でもある池上本門寺ですからそれも楽しみに訪問しましたが。
2017年4月2日は桜の咲く進行が遅く、まだ開花してませんでした。残念〜。
既出記事です。
万両塚(2012年2月23日)の記事こちらの記事は池上本門寺の有名人のお墓めぐりです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます