昨日紹介した、羅漢堂&唐金灯籠の敷地の左側にあるのが大黒堂です。トップ画像が大黒堂です。
説明板発見:大黒堂(旧歌塚堂)
このお堂は、歌聖柿本人麻呂ゆかりの地、奈良極楽寺境内に建立された人唐の歌塚堂である。
当時の歌人達が、歌会を開いた堂宇であると伝えられている。
昭和38年5月、当境内に移築され、後大黒天をお祀りした。
構造形式 本瓦葺き 入母屋造り
大黒天
このお堂のご本尊は、東叡山寛永寺山内の見明院に奉安されていた尊天である。
この度、当山の開削にあたり、御尊天をお迎えいたしました。
昔から大黒天を拝むと一生食べるに困らないといわれます。
どうか、是非このご本尊をお詣りなさいまして、広大無辺なご利益をお受けになる様つつしんでお勧め申し上げます。
昭和50年4月26日 天台宗別格本山狭山不動寺 だそうで。
う~む。もう何も言うまい。
空家に適当な神様を祀っちゃえってこと??無茶するなあ…。
上の画像に右手前に見える建物が大黒堂。その奥右手に 石の柵が見えます。この中に唐金灯籠があります。
んで、アスファルトの道の左右に、やっぱり芝増上寺から移設した石燈籠群が配置してあるの。一つ一つ画像撮影して、ぜひとも由来を突き止めた楽しみたい所ですが…。この時点で既に携帯電話の撮影枚数が120枚!!ヤ~バ~イ~~っ!!今回、撮影してはこまめに電源落としてどこまで節電になるか実験中なんだけどね。普段通りに撮影してたら、ぼちぼち電池切れになる枚数です。まだ予定の半分も回ってないのに…。
とはいえ、狭山不動尊は撮影枚数が増えてしまう~。
アスファルトの坂を奥まで上がると、門がある。
桜井門
説明板発見:桜井門
この門は、奈良県十津川の桜井門の山門として建立されたものである。
桜井寺は、幕末天誅組本陣として利用されたこともある。
構造形式 千鳥破風 四脚門 本瓦葺き 入母屋造
天誅組:江戸時代末期の尊王攘夷志士の一派。文久三年(1865)8月17日、吉村寅太郎、藤本鉄石らの志士は、公卿中山忠光を擁立し、大和国(現在の奈良県南部)で倒幕の兵をおこし、五條代官を襲撃した。これを五條の変、十津川の変、大和義挙という。
志士らは、翌18日より行われる筈であった孝明天皇の大和行幸が政変のため中止となり、大義名分を失い、諸藩の兵士を相手に十津川にこもって戦ったが、吉村、藤本は戦死。他は捕らえられ、天誅組は一月余りで壊滅した。
兵を挙げるに際して、重税に苦しんでいる百姓を組織して戦い始めたが、目的の食い違いにより、疑いを持つものがあり裏切り密告等が続出。これが敗退の原因ともいわれている。
昭和50年4月26日 天台宗別格本山狭山山不動寺 だって。
門に残る「天誅組本陣」の表札にこう~~妄想が…。
妄想が膨らんだのは私だけではないようで、やたら説明板に力が入ってますね。だから今日のブログランクングのカテゴリーは「幕末・維新」に分類してみた。
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説明板発見:大黒堂(旧歌塚堂)
このお堂は、歌聖柿本人麻呂ゆかりの地、奈良極楽寺境内に建立された人唐の歌塚堂である。
当時の歌人達が、歌会を開いた堂宇であると伝えられている。
昭和38年5月、当境内に移築され、後大黒天をお祀りした。
構造形式 本瓦葺き 入母屋造り
大黒天
このお堂のご本尊は、東叡山寛永寺山内の見明院に奉安されていた尊天である。
この度、当山の開削にあたり、御尊天をお迎えいたしました。
昔から大黒天を拝むと一生食べるに困らないといわれます。
どうか、是非このご本尊をお詣りなさいまして、広大無辺なご利益をお受けになる様つつしんでお勧め申し上げます。
昭和50年4月26日 天台宗別格本山狭山不動寺 だそうで。
う~む。もう何も言うまい。
空家に適当な神様を祀っちゃえってこと??無茶するなあ…。
上の画像に右手前に見える建物が大黒堂。その奥右手に 石の柵が見えます。この中に唐金灯籠があります。
んで、アスファルトの道の左右に、やっぱり芝増上寺から移設した石燈籠群が配置してあるの。一つ一つ画像撮影して、ぜひとも由来を突き止めた楽しみたい所ですが…。この時点で既に携帯電話の撮影枚数が120枚!!ヤ~バ~イ~~っ!!今回、撮影してはこまめに電源落としてどこまで節電になるか実験中なんだけどね。普段通りに撮影してたら、ぼちぼち電池切れになる枚数です。まだ予定の半分も回ってないのに…。
とはいえ、狭山不動尊は撮影枚数が増えてしまう~。
アスファルトの坂を奥まで上がると、門がある。
桜井門
説明板発見:桜井門
この門は、奈良県十津川の桜井門の山門として建立されたものである。
桜井寺は、幕末天誅組本陣として利用されたこともある。
構造形式 千鳥破風 四脚門 本瓦葺き 入母屋造
天誅組:江戸時代末期の尊王攘夷志士の一派。文久三年(1865)8月17日、吉村寅太郎、藤本鉄石らの志士は、公卿中山忠光を擁立し、大和国(現在の奈良県南部)で倒幕の兵をおこし、五條代官を襲撃した。これを五條の変、十津川の変、大和義挙という。
志士らは、翌18日より行われる筈であった孝明天皇の大和行幸が政変のため中止となり、大義名分を失い、諸藩の兵士を相手に十津川にこもって戦ったが、吉村、藤本は戦死。他は捕らえられ、天誅組は一月余りで壊滅した。
兵を挙げるに際して、重税に苦しんでいる百姓を組織して戦い始めたが、目的の食い違いにより、疑いを持つものがあり裏切り密告等が続出。これが敗退の原因ともいわれている。
昭和50年4月26日 天台宗別格本山狭山山不動寺 だって。
門に残る「天誅組本陣」の表札にこう~~妄想が…。
妄想が膨らんだのは私だけではないようで、やたら説明板に力が入ってますね。だから今日のブログランクングのカテゴリーは「幕末・維新」に分類してみた。
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今日は横須賀のサマーフェスタですねっ。
たのしみですっ。
吉祥寺?行けそうなら行ってみようかな?
情報ありがとうございます。
前回コミティアで、海自等に付いてお話しさせて頂いた者です。
横須賀でイベントも有りますが、昨日より吉祥寺東急での沖縄展に、沖縄の刺繍屋「タイガーエンブ」が来京しています。
米軍と自衛隊へ納品している刺繍を見るのも面白いかと思います。