あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

新宿御苑の大温室

2014年01月09日 06時46分33秒 | 新宿御苑
ずいぶん長い間工事していた新宿御苑の大温室です。なんか以前の温室もうっすら覚えちゃあいるんですが、新しい温室の出来具合は??
 
訪問したのが2013年12月3日でした。タイミングが悪かったのか。温室の花はあまり咲いてませんでした。

まあ、新しいって事は、植林された植物達もまだ馴染んでないだろうから、楽しみは後年に訪問した時にとっておこう。
 
実のなる植物は、バナナとチョコの素、カカオです。カカオって、変わった場所になってるので、画像を大きめに掲載しますね。

窓の外に大イチョウが見えてます。温室は湿度が凄いので(温度はさほど高くはない)、寒い日に新宿御苑を散策するならいいかも~。ンでも温室内に休憩出来るベンチとかないんだよな。ちっ!

さて、新宿御苑の温室の歴史を少し。
新宿御苑の温室は、明治8年に御苑の前身である内務省内藤新宿試験場に約100メートルのガラス張りの温室が建てられたことにはじまります。
明治26年に加湿式の洋風温室が建てられ、洋蘭をはじめ、熱帯・亜熱帯の植物などを栽培するとともに、技術者の養成・指導など、日本の温室園芸の先駆的な役割を果たしてきました。
第二次世界大戦で空襲により植物と建物の大部分を失いましたが、その後復興し、昭和26年から一般公開されました。
昭和33年、冬至としては東洋一の規模を誇る大温室が完成し、その後数回にわたり増改築を重ねました。
平成24年、全面的な建替えを行い、絶滅危惧種の保存、展示も行う環境配慮型の温室に生まれ変わりました。
現在では約2700種を栽培するほか、ハナシノブなど絶滅のおそれのある植物の保護増殖にも力を入れています。 以上パンフレットより。
画像は撮影してませんが、特別室のランや小笠原の絶滅危惧植物のガラス越しの展示が面白かったです。でもこれ見て楽しいのは、園芸を専攻してる学生か、専門家だけだと思うけど??こうな。まだ温室に目玉になる展示植物がないのね。夢の島の温室だとでっかいバショウ。神大寺植物園だと様々な熱帯スイレンとかこう目玉な植物があるんだけどな。う~む??作り込みが足りてないような…。
ま。こうご期待かな~??
さて。新宿御苑の散策に戻ります。

毎年チェックしてるカエデのタムケヤマは…。ハイ。もう終わってました!
タムケヤマは見頃の早いカエデですからね。2013年の関東の紅葉は早かったし、12月3日に訪問したのではさもあらん…。
1枚だけ撮影して移動です。

NTTドコモタワーがくっきり見えてます。もう冬の空ですかねえ。
ところで…。
新宿御苑の芝生広場の芝は紅葉するんだな。紅葉つっても一見枯れてるみたいだけど。ここは季節が違うと綺麗な緑なんだよな。

芝生広場を突っ切って、レストハウス近くに池まで来ました。この辺りは春は桜が咲いてる所。桜の紅葉もオレンジと黄色で綺麗なんですが、遅かったみたい。
ここのタムケヤマなんかとっくに落葉済みだしな!!でも、なぜ白い花が咲いてるのだ??キミら、まさかツツジじゃないよな?今、12月だぜ~??
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新宿御苑の紅葉

2014年01月08日 05時49分35秒 | 新宿御苑
年末帰省の際、田舎への往復切符の新幹線の指定席の争奪戦は大変です。私の場合、新横浜から岡山までの約4時間を立ちっぱなしで移動したくないので、指定席発売日に町田駅に向かいます。しかも予約券をゲットする為に朝一で行列し、切符の受け渡しにまた並ぶ。待ち時間を利用して、小田急線の町田駅から新宿駅へ移動して、新宿御苑で時間つぶしを兼ねた紅葉散歩をする訳です。2013年の年末年始は、11月29日に帰省チケットを予約して…。ンで、新宿へ向かうハズが、携帯電話のSDカードの残り撮影可能枚数があと40枚とわずかになってました。
新宿御苑の紅葉の盛りに訪問して、40枚はあり得ないんですよ。とりあえずやってきた各停電車に乗り込んで、撮影済みの画像消去に勤めましたが、そんなに大量の画像を消去出来る訳もなく…。11月29日は登戸で小田急を下車。JRに乗り換え国分寺駅から殿ケ谷戸庭園ー武蔵国分寺歴史散歩を楽しみました。
そして12月3日、今度は岡山ー新横浜の新幹線の指定席をゲットする為に町田駅に予約に行き、今度こそ新宿御苑へ向かいました!もちろん新品のSDカードに入れ替えて。
そんなこんなで新宿御苑到着はまだ10時前。既に大勢の写真愛好家が笑顔で詰めかけてます。
みなさん目当ての木があるのです。私もですが、毎年新宿御苑に桜や紅葉を撮影に訪れる人も多く、「私だけの撮影ポイント」を持ってる人も多いんだよ~。
ってな事で、画像を貼付けていきますので楽しんで下さい。

2013年の関東の紅葉は早かった!
人気のハナモモの紅葉。
みんなが楽しみにしてる人気の大イチョウは…。

遅かった~~~~っ!!!

だいぶん葉が散ってますぅ~~~~っ!!!



え~とね。帝王ダリアの花もない|~~。例年イチョウとピンクのダリアのコラボが撮れるんだけどなぁ~。帝王ダリアは霜に弱いのだ。霜が来るとまだ咲いてない蕾があったとしてももう咲かないんだな。2013年の新宿御苑のダリアがどうだったか?それはわからんのだけど。





さて、次は。延々工事してた大温室がついに完成したのです。いつの事や~?そうなの。もうだいぶん前に温室は完成してたんだけどね。新宿御苑は広いから大概疲れて今回はパスを繰り返して、まだ行ってなかったの~。温室はどうなってるんだろう…?
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旧黒田長成別邸

2014年01月07日 05時20分41秒 | 箱根・小田原周辺
小田原文学館・白秋童謡館をゆっくり見てまわると、凡そ小一時間でした。と言う事は、小田原宿観光回遊バスの発車時刻がすぐです!って事で、バス停に向かいましたら、既にグループ客が待ってました!
ーーーーバスが来ない…。
発車時刻は既に過ぎている。
5分…10分…未だ来ない!
ようやくやってきたバスは朝一に乗車した小型バスでした。
ヤバい…。
そうなの。
観光回遊バスの乗車定員は、法律で定められています。満席の場合には、次のバスにご乗車ください。の一文が書き添えられていたのです。
案の定…。
バスガイドさん「満席なのでご利用出来ません」
私の前に並んでいたグループには杖の必要な年配客もいて「一人だけでも乗せて下さい」などと食い下がっています。でもバスガイドさんも「無理です。小田原漁港でお積み残ししたんです」と交渉は平行線。
そっちも気になるが…。既に時刻は15時20分!
これはイカンのですよっ。
なぜなら本日の最終目的地の旧黒田長成別邸(清閑邸)の入館時間は16時までなのです!
時間短縮の為にバスを待ったのに、これでは…。
ダンナの様子は…?
ハイ!諦めなそうにないっ!!
ダッシュするよっ!!」
まだもめてるバスガイドとグループ客は気になるが。今は先を急がねばならないっ!
「ハイ、ここっ!!鈍翁in西海子」
目は止めても足は止めない。
「ハイ、ここっ!かつての旧東海道!」

こんなんあった~~~~~っ!!
国道1号線を渡って細道を抜けると。
「ハイ、ここっ!『坂の上の雲』の主人公、秋山真之氏終焉の地にして、山下汽船の創始者・山下亀三郎氏の邸宅跡」
ちなみに、今はトップ画像の石碑しか現存してません。ちょっと詳しい記事はこちら。
「坂の上の雲」秋山真之終焉の地(2011年11月10日)の記事
と~ま~ら~な~い~~っ!!
時刻は既に15時25分を回りました。マジに時間がないのよ~~っ!!
やがて見えてきた山角天神社&瓜生外吉海軍大将の別邸跡。今は胸像しか残ってません。胸像の画像はこちらの記事
瓜生外吉の胸像(2011年11月11日)の記事
ここからが辛いっ!!激坂ですっ!!
足を止めるな~~っ!!Facebookするな~~~っ!!
そんなこんなで到着した清閑邸は。

工事中でしたっ!!
ンでも内部は見えるから~~
清閑邸では小田原ビエンナーレ2013の開催中でした!(11月13日ー25日、午前11時から午後4時まで)
うう…。時間がギリギリなのがもったいない~~。

でもアレ。窓の外がこれじゃあ~明治の歴史に浸れない~。
ちなみに、清閑邸ではお茶も出来ます。



メニューには侯爵の紅茶(700円)というのがあります。窓際の席を確保すると、かつての小田原城の土塁の上から見下ろす小田原の青い海。
頭を上げると、目の前にあるのは豪華な杉板です。





説明板発見:
黒田長成侯爵(慶応4年<1867>から昭和14年<1939>は、旧福岡藩主です。清閑邸は明治39年(1906年)につくられました。
現在、数寄屋風書院造りの母屋と海への眺望に優れた庭園が残されています。
建物は木造平屋建て(一部2階)入母屋造りの和風建築で、母屋は数寄屋書院造りとなっており、大正初期頃の様式を備え、かつての邸園(邸宅・庭園)の趣きを伝えています。明治40年(1907)には隣に閑院宮別邸が設けられ、宮家と飼田家とは交流を深めていました。その後、昭和21年(1946)から昭和38年(1963)には東京国立博物館館長などを歴任した浅野長長武が住まい、東洋学者ルネ・グルッセ、松永安左エ門ら著名人も数多く訪れました。
母屋は平成17(2005)7月に国の登録有形文化財となり、平成22年(2010)6月から小田原邸園文化の交流拠点として公開されています。




こちらの屋敷にも蔵があります。現在の内部は棚などなにもない広い空間で、訪れた時は現代美術家の作品がぐるりと壁にかかってました。
さて時刻はそろそろ16時。清閑邸の閉館時刻です。小田原城は今回はパスですねえ。
となると、最短コースは、報国二宮神社の境内を突っ切って…。
 訪問は11月23日でしたが、既にイチョウが黄色く色づいてます。
とりあえず参拝して…。
ン?

なんか、右手に伸びている回廊を、巫女さんが歩いてます。
撮影したけど失敗した!iPhotoで明るさ調整してますが、ピンボケが…。残念だ~。
この回廊の下に小田原城ほ天守に向かう道がある。ここは小田原城の空堀の側に出る。天守に上らず遊園地の脇を駅の方面へ抜ける。

上の画像はちょっと前まで小田原城の駐車場でした。
現在発掘中です。

やっぱさあ~。小田原城の城内だから、掘れば遺跡が出てくるの。ンでも時代が重なって見つかるから、判別とか大変そうだね。
小田原城天守閣では、現在「よみがえる小田原城・史跡整備30年の歩み」特別展は12月23日まで開催中。小田原宿観光回遊バスの小冊子には、割引の特典チケットもついてましたが、今回は時間切れです。
やっぱさあ~、スタートが朝10時だったのがもうダメでしたね。や。小田原城天守閣は入場16時半。閉館は17時なので、無理すれば観光出来ないでもなかったんだけど。私ってば太陽がないと動けないんです。つまり、今までこんなに沢山の記事を書いてるのに、イルミネーションの紹介がない訳も同じくなのだ!
ツー事で、小田原駅に戻ります。小田原始発の小田急線に。間もなく、車窓に富士山が見えた!

「富士山だよ~」ってダンナに教えたらば。「ああ」って生返事を返すだけで、顔を上げもしないんでやんの~。
ムっ!
もっぺん声を少し大きくして「富士山だよっ!」って言ったら、座席の向かいの客が一斉に振り返った!!
ほら~。これが正しい日本人の反応だよっ。でもやっぱりダンナは見もしない~~~。
キィイイイイ~~ッ!!

席を立ち、富士山の写真を撮影した。なんでポッチな気分やねんっ!つーか、観光に来てるのに何度もFacebookすな~~っ

(ダンナが小田原文学館で綺麗なモミジをまるっと無視でFacebookやってる所)
これが彼と彼女のデートなら、別れる原因になってもおかしくないわぁ~。
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北原白秋童謡館

2014年01月06日 05時55分12秒 | 箱根・小田原周辺
北原白秋(1885-1942)と言われて今どきの人は「それ誰?」かもしれん。
彼は福岡県柳川市に生まれ、大正7年から15年までの8年間を小田原で過ごし、この間に全童謡作品の半分近くを創作しました。

洋館の鎌倉文学館から和館の北原白秋童謡館に移動しました。
童謡館の2階に、白秋を紹介する映像と、彼が作詞した童謡の映像が見られます。トップ画像は童謡を聞いているところ。
白秋の作詞した童謡のうち、今でも残ってる有名な曲を書き連ねると。
からたちの花・トンボのめだま・雨降り・ゆりかごのうた・砂山・この道・ペチカ・あわて床屋・待ちぼうけ・ちゃっきり節など。そういえば、以前三浦半島の先っぽの城ヶ島を訪問した時、あそこにも北原白秋記念館があったなあ。あれは白秋が小田原に暮らす前の出来事ですね。
さて、小田原に移り住んだ白秋は、小田原の伝肇寺(でんじょうじ)の境内に「みみずくの家」と名付けた家を建てます。


白秋童謡館の入場料は、小田原文学館との共通券となっています。半券を見せればOKです。中の展示資料は撮影禁止です。だから作品が写らない様に工夫しつつの内部画像を撮影しました。


 
2階の部屋の装飾。欄間は鳳凰と鳳凰が唯一とまる事が出来る桐の花がモチーフです。
2階の窓の外にもちょっとした細工がなされています。

1階の座敷からお庭を撮影。

1階部屋の外の廊下です。



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ご飯を食べて小田原文学館

2014年01月05日 06時09分53秒 | 箱根・小田原周辺
小田原宿観光回遊バスの石垣山一夜城歴史公園バス停を12時50分過ぎに出発。
小田原漁港に13時過ぎに到着。すると、周辺は車と観光客で大にぎわいでした。
でもここでひるんでてても仕方ない。
小田原宿観光回遊バスの切符代わりの小冊子には、特典チケットがついてます。小田原漁港で使えるチケットは、三太郎鮨と魚市場食堂の二つ。
目指したのは魚市場食堂です。

魚市場の2階にあります。言ってみると、行列が…。
待った!
30分待って中に入った!自販機のチケットを購入して…。
「あの~、小田原宿観光回遊バスの特典チケットがあるんですが…」
特典はあじつみれ団子もしくは磯味一品サービスでした、
「今日はみなさんにあら汁をお出ししています」ってな事で更に待つ!んでもって15分が経過した。
私「ここでお知らせがあります。次のバスの発射時刻は14時ちょうどです。これを逃すと2時台のバスはなくて、15時発になるから、徒歩で城下に戻るしかありません
ごはんが来たのは13時50分だった!ならば5分で食べるしかあるまい~~

ちなみにこれで1000円です。客が多いからってこれで1000円。新鮮な魚が食べたかったのに、地魚は刺身の一部のみ。はっきりいってメニューの選択ミスでした!その上猫舌の私はせっかくの特典あら汁は熱過ぎて食べられないという…。ふんだりけったり…。
ンでもって、バスには間に合った!予定時刻より遅れ気味でバスが来たからね。

次のバス停は小田原文学館です。
かつては武家屋敷が集っていましたが、今は閑静な住宅街です。

小田原文学館の建物は、かつて田中光顕伯爵の別邸として建てられたものです。

田中光顕は土佐藩の郷士。幕末に陸援隊に参加し、明治維新後は、警視総監・宮内大臣などを歴任しました。
本館はスペイン風建築(昭和12)、別館は純和風建築(大正13)で、ともに国の登録有形文化財に指定されています。
和洋折衷の回遊式庭園は、四季折々の風情が楽しめます。
ここで小田原宿観光回遊バスの切符代わりの小冊子登場!
小冊子に載っている特典チケットを利用すると、入場料250円のところ、団体割引の180円で入れました。
訪れた時、【アルプスに挑んだ小田原の登山家 辻村伊助】展が開催されてました。彼はイギリスのスコットランドやアルプスの山を踏破しました。帰国後、兄と共に小田原の辻村農園を経営。高山植物などの研究も。しかし大正12年の関東大震災の時、山崩れに巻き込まれ亡くなりました。
私もスコットランドを旅した事あるのでつい読み込んでしまった~。
文学館の展示物は撮影禁止です。でも小田原ゆかりの文士って結構いるのね。
サンルームから庭を撮影。
2階に上がって庭を見下ろすと…。

更に3階に上がってみると。
 
鮮やかな彩色瓦。とても昭和12年の建築とは思えず…。おしゃれ~。
外へ出た。さっき上から見た赤いモミジを見に行く。

すごいいい感じ。
洋館の鎌倉文学館から和館へ向かうと、途中に尾崎一雄邸書斎がある。

梅で有名な下曽我に尾崎一雄の自宅がありました。その書斎部分を移築し、内部も当時使われていたままに展示されています。

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太閤の一夜城

2014年01月04日 06時00分31秒 | お城&御所
太閤、つまり豊臣秀吉の天下統一の関東攻めのキモとなったのが小田原北条氏の本拠小田原城攻めです。
天正18年(1590)4月、関白豊臣秀吉は率いる諸大名水陸合わせて22万で包囲します。
って、以前から疑問だったんだよね。石垣山一夜城は、中々ギブアップしない小田原方をして「もうダメだ!」と心を折る決め手になった戦略の要だった訳です。小田原を散策していて、一夜城ってどこにあるの?見えないじゃん!と。
今回一夜城を初訪問。本丸の物見台から小田原城が見えました。それがトップ画像です。
今では大きなビル等に埋もれるように小田原城天守閣が見えます。
トップ画像の矢印の先に天守があるのですが分かりますか?
これでも携帯電話で目一杯拡大して撮影した後、IPhotoでトリミングしてます。小田原城と一夜城は直線距離で3キロあります。
3キロ離れてたって、一目見てギブアップするものなの~?とはなはだ疑問だったのですが…。ガイドさんが見せてくれた往時の一夜城の姿を見て納得しました。

これが一夜城の姿です。
対する小田原城は今の天守閣や漆喰と瓦屋根の乗った櫓で出来た姿ではなく…。しいていうのなら『隠し砦の三悪人』にでも出てきそうな木製。平屋の室町の屋敷でしかありませんでした。
こんにちの私たちが想像するお城が一夜にして現れたら、そりゃあ魂消るよな。つまり当時の北条一族からすると、トップ画像の小田原城が敵方の本陣がある視線の先の山の上に突然出現したに等しい。
ギブアップもするわ~~~。
戦いを劇的に展開する素晴らしい演出家でもあった秀吉は、豊富な財力・兵力をつぎ込んで城を作りました。ンでも完成するまで建築現場を悟らせなかった。小田原城側は目隠しの木があったのです。さあ!という時になり夜の暗さを利用して目隠しの木を一斉に切り倒し…。翌朝バーンっ!と最新式の城を出現させる。

それに攻め手の豊臣方の軍勢には、兵糧もふんだんに用意されて、小田原方を包囲してる…。
しかも包囲してる面々は、徳川家康らが東海道を豊臣秀吉と共に進み、前田利家・上杉景勝率いる北国勢が上野国(群馬県)から北条の領地に侵入。長宗我部元親・九鬼嘉隆らの率いる水軍が兵員・物資を搬送し、海上を封鎖。これがゲームなら、「詰み」ですわ。
それでも北条方は6万人が中世最大規模を誇る小田原城に籠もり、3ケ月に渡り攻防戦を繰り広げました。

本丸(本城曲輪)から太平洋を望む。

画像はかつての本丸跡。奥に見えるのがかつての天守台。今はなにもない。
さて、巻き巻きでガイドさんは歴史ロマンに浸る私たちを先をせかします。何しろ小田原宿観光周遊バスは30分に一度しかやってきません。1時間で一夜城を案内しないといけないんです。
本丸の跡は下り坂。またまた酷い道を降りて行くと、

西曲輪が現れました。かつて淀君を始めとした武将達の側室が一時暮らした場所です。
ガイドさん「秀吉は筆まめな男でした。秀吉は奥方・北政所に手紙を送っています。曰く「配下の大名達に一夜城の側室を連れて来るように言った。ついては自分も淀君をよこしてくれ」と。確かに位置からしても安全に守られた場所ですね。
さて、もう少し下ると
南曲輪がありました。
ガイドさん「この石に落書きが残っています」

ガイドさん「加藤ーーと刻まれています。加藤清盛は小田原攻めには参戦してませんが、一門の誰かが刻んだらしいですね」

アップで撮影してみた。判読出来なかった…。
さて、一夜城巡りもそろそろおしまい。にしてもガイドさんはさっさか降りて行きます。とてもじゃないがあのスピードではついてかれない。
私「ガイドさん、何歳なんですか?元気過ぎですっ!」(青息吐息)
ガイドさん「70歳を超えました。定年してから歴史を勉強し始めました」
と。すぐさままたさっさかさかと。
70歳っ!!
我が身の体たらく…。ま・待って~。

そして説明板の立っていた場所に戻りました!説明を聞いた時、まさかこれをあのスピードで降りるとは思いもよらず…。
ガイドさん「もう少し頑張って。最後にバス停横に置いてある大石を紹介します」
大石?

ガイドさん「一夜城を築くにあたり切り出した石です。大きな石にたがねを打ち込み、夜水を掛けて放置。すると石が収縮して翌日には割れているという仕組みです。どこで石を切り出したか分からなかったのですが、発掘場所が見つかり、そこから移動させてここに設置しました」

へえ~へえ~へえ~。
鎌倉を散策していると、古い時代には細工し易い鎌倉石が使われているのですが、時代が下がると石が不足するようになります。だから、日本初の築港の施設ともいわれる和賀江島の石は関東大震災で崩れたのを契機に再利用されて、ずいぶん破壊されてしまったとか。山道を上りながらガイドさんに「石垣山の石はどこから持って来たのか?」と質問しましたら、「周りにいくらでも石はあるから」との回答。
あ。そうだった…。江戸に入ると伊豆は石の一大採掘地になったんだった。忘れてた~~。

12時50分、小田原宿観光回遊バスがやってきました。
ラッキーにも座席確保出来ました。

石垣山から小田原城下へ戻ります。途中車窓にみかん畑が広がっています。
ガイドさん「調度露地ものの収穫期です。みかん狩りの出来る所もありますよ~」
さて既に午後1時。お腹がすいたので、小田原漁港バス停で下車します。
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田舎から戻って来ました!
ええ。昨日…。
お察しの通り、新幹線がもう大変っっ。
なんつーか、かんつーか。もう岡山出発時点で1時間遅れだったのですが。
駅と駅の間に新幹線が数珠つなぎになってまして、新横浜到着するまでなんと!3時間遅れになってしまった~~。
ま。
3時間遅れなんで、どうやら特急料金が戻ってくるらしいんだけどね。
「1年以内にみどりの窓口で手続きして下さい」とか。
ンでも町田駅に到着したら、既にみどりの窓口はシャッター降りてた…。
疲れた。
ま。帰りの小田急OXの総菜売り場は50%オフだったしな。小市民は3時間遅れで得したからそれなりに幸せよ~~。
なんつーか、狂想曲的な実況記事をそのうち書きますわ。
母の愛でパンやらお茶やらもたせてくれてたので、飢えずに済みました!
時間つぶしに持ち込んだ「中国歴史人物史」の本も片道9時間もかかったらば、そりゃあ完読出来ますわ…。3冊持ち込んでてよかったぜ。夜の分の降圧剤のお薬もなぜか余分に盛ってたからねっ。備えあれば憂いなし!って本当だよな。幸いあの大混雑の岡山駅の新幹線待合で椅子をゲットして読書にふける事が出来たし、今年はなんかついてるかも~~。
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石垣山一夜城の二の丸周辺

2014年01月03日 06時14分43秒 | お城&御所
説明板発見:国指定史跡:石垣山一夜城
所在地 小田原市早川字梅ケ窪1383-11
指定 昭和34年5月13日
史跡石垣山は、JR早川駅の西方約2、5キロ、国道1号線から東へ約1キロのところにあります。
また小田原城までわずか3キロのところにあり、標高257メートルの本丸からは小田原城や城下の様子が一望できます。
石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲したとき、その本営として総石垣の城を築いてから石垣山と呼ばれるようになりました。この城を秀吉が一夜にして築いたようにみせかけたという伝承から、石垣山一夜城とか太閤一夜城などとも言われています
秀吉は、この城に滞在していた100日余りの間に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿学師等を呼び寄せました。また自ら淀君などの側室も予備、参陣の諸大名にもこれにならうよう勧めたと言われています。
この城は単に小田原攻めの本営であるというだけでなく、太閤秀吉の威信を示すと共に、長期戦に備えた本格的な城構えであったといえます。
この城は関東で最初につくられた石垣の城です。
石積みは秀吉が連れてきた近江の穴太衆による野面積みといわれるもので、小田原藩の管理下におかれていた江戸時代にも、度重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影を大変よく残している貴重な城跡です。
この石垣山は、土地所有者の松岡氏を始め地元関係者のご厚意により昭和62年に公有地化することができ、現在歴史公園として一般に公開しています。(小田原市)
細い山道を上っていく。途中に対岸にも石積みがあるのを望む。
っと!携帯電話の撮影機能の限界です。遠目の石積みが判別出来ない~。一応画像奥には石垣が左右に伸びてるのが見えるんですが。
登っていた細い道が、やがて緩やかになり普通の山道ハイキングみたいになった!道の先にあったのがトップ画像の広場です。かつての馬屋曲輪跡(二の丸)です。
ハイキング気分でお弁当を広げている観光客もちらほらほら。
画像の右の石柱には櫓台跡と刻まれてます。
訪問は2013年11月23日だったのですが、既に赤く色づいているモミジがありました。

モミジの下に石のひょうたんのオブジェがありますね。やっぱ秀吉だからひょうたんの選択だったのかな?ひょうたんの石柱は石垣山一夜城の行き先案内になっています。城の縄張りを散策していたら、あちこちに設置してありました。
二の丸の平坦な広場の端っこにガイドさんが案内。

ガイド「あれが近年パワースポットとして人気の井戸曲輪です」
ひょえっ!!
上の画像で確認出来ますかねえ?右手の二本の木の間に人がいるんですが。こ・高低差…。
ハイ!見なかった!
ガイドさんが次に向かったのは展望台です。

入生田の長興山紹太寺が一望出来ます。紹太寺といえば、春日局の息子、稲葉一族の墓所や、有名なしだれ桜があります。

眼下を箱根登山鉄道の赤い電車がゆっくりと駆け抜けて行きます。山は秋色に染まりつつあり今日は散歩にはぴったりですね。

ガイドさん「秀吉はこの場から集まった兵士に向かって演説をしました」ってな事で、秀吉目線で画像を撮影。

ガイドさん「二の丸の下に道があるのが見えますか?」
ん?
あ。確かに左右に伸びる細道がある。
ガイドさん「かつてはあそこに兵士が並んで物見をしていました」
ここから先、本丸に登る道はまた軽い山登りの自然道。う”。落ち葉が滑る…。
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石垣山一夜城歴史公園

2014年01月02日 06時15分20秒 | お城&御所
今日から去年の12月11日に中断した小田原散策の記事を再開します。訪問は2013年11月23日。
1日何度乗っても200円ポッキリの小田原宿観光回遊バスを利用して、石垣山一夜城歴史公園にやって来た。

現地ではNPO法人の小田原ガイド協会の無料案内があります。

ところが!ガイドに着いて行く客は、バスを降りた観光客のうち一部でした。
何で~~??何しに一夜城に来たの??
彼等が向かう先は、一夜城ヨロイヅカ・ファームです。シェフ鎧塚さんのお店が一夜城にはあるのです。広い駐車場は満車に近い。流行ってるのねえ~。
でも私の目的は一夜城です。ガイドさんにくっついて散策開始!

石垣山一夜城は、天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原城攻めの際に陣を構えた、日本史でおなじみの場所です。
秀吉は密かに築城をすすめ、完成後周囲の林を切り倒したため、小田原城から見るとあたかも一夜にして城が出来たかのようだったので「一夜城」と呼ばれるようになりました。
最近は風水などのパワースポットとして話題を呼んでいる「井戸曲輪」と呼ばれている遺構も見学する事が出来ます。(以上、小田原宿観光周遊バスの小冊子より)
ガイドさん「一夜城は既に城の上物部分は現存してません。残っている石垣が在りし日の姿を想像させるだけです。でも石垣は強固。崩れずに現在まで残ってます」
(上の画像の石垣が崩れてる部分を拡大しました)
ガイドさん「あの部分のぽこっと崩れてる石は先年の地震の折りに飛び出しました」
って?そのまま放置したらマズいんじゃないかな~?
こういう遺跡ってどこまで修復するのか?復原するか?判断が悩ましい所ですね。
さて、順路へ戻ります。
と。石垣の残骸ま見えてきました。
 
二の丸(馬屋曲輪)と南曲輪の分岐の所に説明板発見!

や。ガイドさんはちゃんと解説してくれたんですね。でも私のポンコツ頭がねっ。思い出そうとしても記憶の彼方へと…。
最近とみに記憶力が落ちてるんだよなあ~。やっぱ脳外科の先生にお墨付きをもらってる既に80歳超えの脳みそがイカンのではないかと…。(寝言は寝て言えっ!)
とはいえ、記憶力の落ちてる自覚があったのでメモを取りつつ一夜城を回ったのですが、我ながら自分の文字が酷過ぎて判別不可能…です。更に途中で山登りの様相となってしまいガイドさんについてくだけで一杯いっぱいとなりました。そっからはメモすらないという…。
いや~ん。せっかく楽しみにしていた一夜城なのにぃ~~。
なので、一夜城の残存遺構のあれこれをサクッと紹介します。

あ。上部は南曲輪へ続く上り坂。一夜城観光の最後にこの坂を降りてきました。ええ。これが標準。足元注意です。
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明けましておめでとう

2014年01月01日 06時46分38秒 | 
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

いや~、今年のはじまりにふさわしい画像がなかったので、うちのベランダから見える朝日の画像にしました。

こうね。もう空は充分明るいのに、なかなか太陽が顔を出さなくてね。

こうなってからトップ画像になるまでまさかの30分くらいかかりました。や。冬の日の出は遅いんですね。

さて、毎年やってる今年の抱負ですが。
マイペースのブログで続けたい。
去年、夏の終わりに体調を壊してしまいましてお出かけ出来なかったのね。となるとブログのネタもなくしばらくブログ更新をお休みしてたのね。
ンでも日々のアクセスがあんまり減らなかったの。嬉しいと共に、やっぱブログ書かなきゃなあ~。と。
今年も日々更新とはいかないかもしれませんが、マイペースでこれからもブログを書いていこうと思います。どうぞこれからもよろしくお願いします。
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