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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

ヴァラナシ・祈りの儀式アールティ

2016年04月14日 06時00分47秒 | インド旅行記
北インドの旅7日目午後の観光スタートです。
といいつつも今日は夜明けのガンジス河と沐浴風景を楽しみました。ヒンドゥー教の聖地ですから街を行き交う人々の様子もとても面白かったです。ホテルに戻り朝ご飯。お腹がふくれて時刻は午前9時半。ど~してもバスの車窓から見えた赤い花の咲く木(木綿の樹か火焔樹)を見にちょろりと近所のホテルまで走る。(コラコラコラ!ツアーでは添乗員に勝手に出歩くなとキツく言われていたので内緒でちょろり)ツアーではここから自由時間になります。ここまでが昨日の記事で紹介した内容です。

でもさ、外に行けないんじゃホテルの部屋で何をせえと?
って事で午前11時ロビー集合。希望者のみヴァラナシ・シルクのお店へご案内にバスでお出かけです。もちろんFacebookしたいダンナはホテルに居残りです。何しにインドまで来てるのか?と思うのですが、ダンナの自由なのでほっておくぜ!
今から行くヴァラナシシルクの工場は、半分聞き逃したんですが、JICAがインド国内の貧しい人の生活を向上するために農家が屋内で野蚕を育てて作るシルク製品のお店です。つまりだな。嬉しい事に日本円での買物可能だったのだ!
野蚕?ん~??普通の蚕とどう違うの~?
11時20分、ヴァラナシシルク工場に到着しました。
まずはシルクを織ってる織機の場所を見学。

日本語でヴァラナシシルクについてレクチャーしてくれるおじさん登場。
おじさん「かつては1日に3センチしか織れませんでした」

おじさん「パンチカード付きの織り機だと1日に30センチ織れるようになりました」

おじさん「本物のシルクとナイロンの見分け方を紹介します」と。ライターの火で炙って見せてくれたり、触らせせてくれたり。
おじさん「ではお店に案内します」ってな事で店内のお店に移動です。
まずは店の奥まった白い台のある区画に案内され、際にそって全員着席する。なぜかしら~?
おじさん「こちらは1枚500円です」

貴女が想像するクッションの1/2~2/3位の大きさのクッションカバー登場です。いかにもバラ巻き土産にぴったりな品ですわ。にしても1枚500円って…。(ジャィプールで買った普通サイズは売値1800円だった!1枚1500円で買ったけどさ~。くっ!あれもボラれたのか…)
枚数がいるバラまき見上げにはぴったりなので旅人の手が次々と伸びます。
私はジャイプールのインド更紗工場で大きいサイズのクッションカバーを購入済だからさ。撮影だけど数枚撮りました。
 
いい感じの柄もあるから自分土産用に数枚買おうかな~?象のがいい感じだし…。と、物色しようとしたタイミングでおじさんが。
おじさん「これからサリーの着付けをお見せします。どなたかモデルになりませんか?」
といいつつもおじさんの視線は私に固定してるような…?
あれ??これは…。
私「やります。着たいです」
立候補しました。まずは邪魔なシャツとスカーフを取ってTシャツになる。

モデルになるのはいい。いつもの事だし。
でもさ。せっかくサリーを着てるのに、ダンナがいないから写真を撮れないっ!!
ああ~、私が二人いればいいのに~~。でも諦めない~~。
私「すみません、私のカメラで私を撮って~~っ!!」とお願いしてゲットしたのが上の画像です。
ちなみに上の画像がサリーのスタンダードな着方です。この後、年配女性のサリーの着方へとおじさんが変化させたのですが、この画像がねっ。ないのな…。無念じゃ!
何をこだわってるか?というと、このサリー買っちゃいました!!
アホかぁ~~~っ!!
ツアー仲間からもさんざんどこへ着て行くの?どうするの~?と言われてしまいましたよ…。
ああ、衝動買いの恐ろしさよ…。
ちなみに、私はサリーの布を購入したつもりだったのですが、小さなおじさんがおもむろにメジャーを取り出して胸回りとか肩幅とか測り始めたのですよ。
ええ?何事??これってまさか、サリーそのものを仕立てるって事???
うをっ!!
なら中に着るブラウスとか下にはくパンツの色とかはどうなるのか??
焦って尋ねる。
すると「ブラウスの色は決っている。サリーの布の外側の色と柄だ。パンツの色も決っている。サリーの布の内側の色だ」
へ~?そういうものなのね。
ちなみにサリーのお値段はサリーの布・ブラウス・下のパンツ・仕立て代込みで6000円の所を値切って5000円ポッキリでした!
うわぁ~どうすっかな~?買っちゃったよ~
この旅では>私の布が欲しい物欲が留まる所を知りません。
サリーのあれこれを質問しまくっていたら、おまけでサリーの着方(英語バージョン)と額に貼る赤いビンディのシートをもらっちゃいました
なんつーの?日本のJICA繋がりで日本式の販売方法も学んだのか??
サリー売り場のオジさん達と別れて出口へ移動したら、ツアー仲間が絶賛お買物中だった!
これはぁ~。私も混ざろう~っと
まずすすめられたのはチェックの布
私「私が欲しいのはインドらしいものです。その布は英国テイストなのでパスです」
って事で暇そうなチェックの布売り場のお兄さんにさよならしてツアー仲間でにぎわう区画へ。
そこはまたしてもスカーフゾーンでした。
……ま。いいか!
自分用のスカーフが欲しい!ならば自分の顔映りがいいのを選ばねばなっ!
しかしですね。ヴァラナシシルクは色のバージョンが決っているのか。赤と黒がベースのものばかりです。
私「他の色はないのか?例えばインディゴカラーのものが欲しい」
おじさん「ないよ! 1枚2000円ね」
またしても日本円かよ。それはともかく、ないならば仕方ない。
この年になると黒色は顔が沈んで見えて年寄り臭く見えるからな。ともかく巻いてみないとな~。と、巻いては鏡に写して見るを繰り返す。んで結局これ買いました!
いいだろ~?結局また買ってしまったが
もうね、帰国後に節約は確定してますが、お出かけの回数も減らさねばなるまい…。ダンナ~ゴメ~ンっ!
ちなみに、野蚕製のシルクは私が知る普通のシルクに比べシャリシャリと音が鳴ります。でも思ったより軽いな。
上の画像は帰国後何度か撮影に失敗したのでキ~~~っ!となりまして、部屋の壁に押しピンで貼付けて撮影しました…。アホだ…。

12時半、ヴァラナシシルクのお店を出発。
添乗員「皆様大いに買物を楽しまれたようですね。皆様の買物欲の凄さに驚きました
うん。私も自分で自分の買物欲の暴走に驚いた!。
あ、ちなみに本日は旅の7日目。明日は午前だけの観光でその後はもう帰国です。となると、今日のうちに手持ちのルピーを使い切らないとなりません。日本ではルピから円への両替も出来ませんからね。さっきのお店での買物でついその事が脳裏をかすめましてね。
私「2000円だとインドルピでいくらになりますか?」
おじさん「1120ルピになります」
とうっかり、インドルピで支払いました。この店のレートは1ルピ=0.56円でして、旅の中で一番レートが良かったからさ…。ええ、ついうっかりね。
初日の1ルピ=0.5円がいかにレートが悪かったかぁ~~!!(心の叫び)
しかしこの後すぐ行ったスーパーマーケットではルピしか使えなかったの。欲しいものが一杯あったのに、インドルピが足りない~と大後悔したのです…。

ヴァラナシシルクのお店から13時ホテル到着
一旦部屋に戻りダンナに「このサリー買っちゃった~」とデジカメ画像を見せてやらかした事を報告する。
ダンナ「つか、集合時間は1時半だったよね?早く行こう!」
14時過ぎ、今日のランチは別のホテルのレストランです。
今日のはナンじゃないような?チャパティかな??
デザートはアイス。紅茶はマサラティ。
え~残念なお知らせです。この後デジカメも携帯電話も画像が夕方まで一気に飛んでましてね。ランチの後一旦ホテルに戻ったような?そのままスーパーマーケットに買物へ行ったような?記憶が確かではありません。インドで私達日本人が思うようなスーパーはここが最初で最後です。車窓からの風景でスーパーなない!と思ってましたから。
ちなみにスーパー、ザ・ホームメイカーは、ラマダホテルの敷地内にあるモールの3階か4階にスあります。
ここでダンナのバラマキ土産とスパイスをゲットせねばっ!と気合いが入り過ぎうっかり撮影し忘れました~。何やってんだ~。
ちなみに、この時買ったものはこちら。

帰国後の撮影です。撮影の前にスパイスうちクミンを使い始めてます。画像の真ん中の段の右端。中味が減ってるのは使いかけの為。
一応値段解説しておきましょうか?これからインドの旅をする人の参考になれば。
上段はスナック菓子です。左からマサラ味のポテトチップス35ルピ・インドのお好み豆ミックス揚げ46ルピ・ムング豆の揚げたの49ルピ・マサラ味の何かのプライ20ルピ。
2段目はスパイスです。左から。黒こしょう(カーリーミルチ)250グラム 333ルピ・カルダモンのパウダー200グラム 42ルピ・Ramdevのクミン100グラム 37ルピ・DAILYのクミン(ジーラー)100グラム 28ルピ・DAILYのクミン(ジーラー9100グラム 31ルピ
同じメーカーの品物なのに、値段が違うという事は、最近値上げがあった模様です。
3段目左から13種のスパイスを使ったガラムマサラ 42ルピ・ブルックボンドの紅茶100パック入り 130ルピが2箱。BIOTIQUEのキャロットシードオイル(日焼け止め)220ルピ
撮影時に既に手元にないそれにダンナが会社の人へのばらまき土産(インドのキットカット15個)150ルピ合計1391ルピ
でした!
この時大活躍したのが、図書館で借りた『旅の指差しヒンドゥー会話』からコピーしてメモ帳に貼付けてあった香辛料のページです。
「旅の指差し会話」は便利なのですが、とっさにページを開くとか時間がかかって面倒だし、本は重いからショルダーバックにいれて持ち歩くのはツアー旅では難しいのです。そこで今回は自分が欲しいもの、香辛料・豆類・紅茶・ドライフルーツ・色の名前とかだけをコピーして切り抜いて貼付けました。
欲しいものを短い時間で広いスーパーの店内から素早く見つけるには店員さんに聞くしかありません。
私は店員さんを探してまずはバスの車内でおやつとして配られた「ムング豆スナック菓子」の袋を見せて「これと同じのが欲しい」と。店員さんに売り場の棚まで案内してもらいました。
続けて旅の指差し会話から香辛料のコピーを貼ったメモを見せ「クミン(ジーラー)が欲しい」と見せて店員さんに案内してもらいました。
所要わずかに2~3分!大成功です。いや~、今まで出番なしのコピーでしたが、作ってて良かったわ~。
しかしレジを通して店を出る前に別の女性店員さんに捕まりました!
店員さん「あなたのコピーは面白い。ついてはインドの商品名をあなたの国ではどう言うのか教えて欲しい
ああ。この旅2回目ですわ。
旅の指差し会話は1段目に日本語。二段目にヒンディー語。3段目にヒンディー語を日本語でふりがな書きというスタイルで書いてありまして、私が指差した香辛料のページもクミンの下にヒンディー語でジーラーと書いてあり、店員さんはこれを読んで品物を見つけてくれました。
私「ではリピートアフターミーで行きましょう」
私「まずはジーラーはクミン」
店員さん「クミン」
私「カーリーミルチは黒こしょう」
店員さん「くろこしょう」
私「イラーイラーはカルダモン」
ってな事でまたメンバーで最後に集合となり、添乗員さんに笑われた。
ちなみに1回目はジャイプールのレストランのウェイターに「あなたの国の言葉で【グッドモーニング】をどういうか教えて欲しい」と頼まれまして、「【おはようございます】と言います」と教えてあげ、リプートアフターミーがありました。
給仕さんは何度か繰り返し早速うちのツアー仲間に披露したら不評だった模様です。
不憫な…。
まあね。外国気分に浸りたくて海外旅行に出てるんだからさ。あんまり外国で日本語聞きたくないという気持ちが分からんでもないけどさ。
私は正解の「【グッドモーニング】は日本語で【おはようございます】」と教えてあるので、次の日本人に披露してあげるといいよ。そのうちいいこともあるさ。
ところで…。スーパーでかさ張る商品ばかり買ったものの、Mサイズのスーツケースに全部入るんだろうか??不安だわ~。
ま、何はともあれ15時35分ホテルに戻る
ツアー案内に書いてある予定より既に30分遅れです。
すっかり遅くなったので、荷物だけ部屋に置いて~~。あ!上着がいるんだった!つーか、まだデジカメ充電中なんだけど夜の撮影分は充電出来てるのかな?どれくらい充電終わってるのか?
ンな時間はもうなかった!化粧直しの時間ももうないっ!
急いでホテルのロビーに戻る。実は今からオートリキシャに乗ってガンジス河へ行くのだ!
ええ。散々今までにバスの車窓から見ているオートリキシャですよ。
添乗員「1台に3名様で乗り合わせてください」
ええッ?これに3人も乗れるの~?
乗れた!ずいぶん詰め詰めになったけどな!
ちなみに私は後部座席の真ん中で小さくなってましたが、左右の席は走りながら外の風景がよく見えるけ。しかしオートリキシャに横のドアはついていないので、窓側ってか外側に座る客は電車の手すりみたいなのが下がってるからオートリキシャから落ちないように手すりを持って座るのです。
ンでもってオートリキシャの運転は荒かった!
なんつーの?ヴァラナシの道は狭い道が普通で、車が走れる道も少ないのです。細い道をオートリキシャが突っ込んで行きます。
30分後の16時30分、目的地の「パレス・オン・ガンジス」到着です。
いや~~、予定の遅れを一気に取り戻す走りだったわ~。オートキリシャは小さいから、余計にスピードが出てる気になりましたよ。オートリキシャが走っている間は写真が全く撮れなかったけどさ。貴重な体験だったわ。

パレス・オン・ガンジスは昔はマハラジャ一族の館でしたが、今はレトロホテルです。上階にティールームがあります。
ガンガービューです。

添乗員が紅茶の注文を取る。もちろん今日も「マサラティー」をオーダーする。でもさ案内された席からはガンジス河の流れがまったく見えなかった!なぜホテルの壁を見ながらお茶せねばならんのか!
つまらな~いっ!なので紅茶が出て来るまで屋上を撮影してまわる。
ん?お隣は黄色い建物ね。って事は…。

あ。やっぱりお寺さんでした。祈る場所(2016年3月25日)の記事 こちらの記事にこの建物の画像があります。建物は屋根伝いに移動が出来て、ついつい隣の建物も気になってしまい足を伸ばしてたら怒られた。撤収~。

やってきたマサラティーとお茶請けです。ここのお茶請けはインドテイストのかき揚げと何のてんぷだったっけ?覚えてないけど、お好みでケチャプをつけていただきます。
17時30分ティータイム終了。
階段を降りながら踊り場の装飾に使っているインドの楽器を撮影。

朝、ガンガ~ガンガ~と歌っていた集団もこんなの持ってました!

こちらがかつてマハラジャ一族の館だった頃の趣きが残るパレス・オン・ガンジス」の通路。

ホテルの外観、レリープ装飾。

何気にこの旅でホテルの外観写したの始めてかも?いや~、こんな所にも「勝手に外歩きをするな」が影響してたのね。今回宿泊ホテルにはホテルの庭というものもなく、本当に外歩きしてなかったのね。毎朝散歩していたベトナムとえらい違いです。
17時30分過ぎ、再びオートリキシャに乗り込みます。同じ運転手のオートリキシャです。運転手が『オレのオートリシャは顔が緑のきれのオートリキシャだ』というので『ハラー(緑)ね』とやり取りしたのを覚えてまして、すぐに見つける事が出来ました。しかし夕方の渋滞が始まったのか、今度は道がとても混雑してる!
18時、目的地のモール前に到着したら空が既に暗くなりつつありました。
そして道に観光客やヒンドゥー教の信者が続々と詰めかけてます。
目的地はみな同じなのです。

ここは朝ガンジス川の夜明けと沐浴風景を見学した時に船に乗船したのと同じ道ですが、同じ場所と思えない程両側の店が賑やかです。通りの両側の店が綺麗に飾り付けられてます。
歩きながら携帯電話で撮影した画像は光量が少なかったため殆どピンぼけでした。使えません~…。やっちゃったぜ~~。
ガンジス河の岸辺に到着です。ここは本当に朝と同じ場所なのか!!朝と同じダシャーシュワメード・ガートなのですが、すごい熱気と人の数です。
これは~。撮影するしかあるまい~。前方にダッシュだっ!!



皆もうすぐ始まるアールティの儀式がはじまるのを待っています。
アールティとはサンスクリット語で「偉大なる神の愛」という意味です。毎晩神を称えガンジス河に祈りを捧げます。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
ここが7人のヒンドゥーの僧侶がガンガーに祈りを捧げる場所ですね。
所で私はどこでいればいいのかな?別に勝手に撮影しててもいいんだけど、集合場所と集合時間は聞いておくんだったな~。
と?私を呼ぶ声が聞こえた。
添乗員「移動しますよ~
はい?どこへだよっ!
添乗員「滅多に桟敷席が取れないんですが、幸運にも押える事が出来ました!」
あれ?これはラッキーなのか?
ってか本当に豪運の持ち主がツアーメンバーの中にいるんだねっ。ここまで来るともうね。普通じゃないだろ?
でも桟敷席に連れて行かれちゃったら、自由に撮影出来なくなるなぁ~。それはマイナスだわ~~。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。


アールティの儀式は午後7時、人々の声と古典楽器の音が聞こえ7名の僧侶の登場と共に始まります。私達のいる桟敷席にスピーカーが設置してあり、そこからノリのいいインド音楽が流れ始めました。
帰国後のこと。
ガンジス河の女神ガンガ・最高神シヴァ・太陽神スーリャ・火の神アグニ。そしてこの世を称える祈りの儀式がアールティです。
ロウソクに火が灯ると、アールティは更に盛上がりをみせます。
かつて天上界を流れていたガンジス河が地上を流れるようになると、その流れはあらゆる罪を清め再生してくれる聖なる河の流れとしてあがめられるようになった。」
と、極上のクルーズ紀行『光の街・バラナシ』という番組の中で説明してました。旅に出る前に見たい番組です。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
音楽に合わせて僧侶の祈りも始まります。やがて僧侶を補助する男性が僧侶に火を灯した燭台を差し出します。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
と音楽の調子が更に盛上がりました。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
火を持つ僧侶の動きも大きくなります。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
ワクワクとこれから何が始まるんだろう??と気分を盛り上げて待っていたのは私だけ。

いつまで経っても似たような感じが続くのね。あれ~??何か思ってたのと違うわ~~???
そこへイヤホンに添乗員の「そろそろ戻りますよ~。混み出す前に撤収しましょう~」という予想外の声が届いた!!
ん?ナンデェ????????これからクライマックスじゃないの???????
ヒンディー教徒がこんなに大勢集まってるのに、あの僧侶達は火を持って踊ってるだけなのか?(注:踊ってません。祈りを捧げてます)
日本の神主さんみたいに、白い紙の代わりにその火のついた燭台みたいなのを振って信者のお祓いとかしないの~??
疑問に思ったのは私だけでした。ツアー仲間はさっさと手荷物を持って階段へ向います。

翌朝のQ&Aでガイドさんに質問すると、「僧侶はガンガに祈りを捧げます」と答えが返って来た。
って事は、ヒンディー教徒らは、僧侶がヒンドゥーの神様の世界を称える祈りを捧げる様子を見学する為だけに集まってたって事??
う~~む…。何だか思ってたのとチガウ…。盛り上げた私の気持ちはどうすればいいのか!?か・肩すかしだわぁ~~~~っ!!
そう思うのは私だけか…。
私だけでした!
ダンナは桟敷席でアールティの音楽を録音していたようで、ホテルの部屋で再生してくれた音楽はウキウキとした気配が伝わって来て「これはなかなかない音楽だよ」と。彼は悦に入ってます。
ちっ!お手軽な奴め!

さて、私達はオートリキシャの待つ場所まで再び徒歩で戻ります。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
帰り道は観光客とヒンドゥーの信者で一杯です。アルティーの儀式が続いてるうちに引き上げたのは正解だった模様。

道の両側は更に賑やかで明るい。

2016.4.25画像追加しました。
ぶら下がってるのはカミタバコです。
2016.4.25画像追加しました。
ヒンドゥーの神々の絵を売るお店。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
これもヒンドゥーの祈りて使うあれこれのお店。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
ヒンドゥー教徒が神様に捧げる花輪や、自分の首にかける。
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
お祈り終わったら腹ごしらえする。
この道沿いの店はアールティを見に来た信者や観光客が目当てです。でも私達は脇目もふらず歩くのみ。
ちっ!買物したかったな~。ここでヒンドゥーの神様グッズを買う計画だったのに。私が神様グッズを買わないなんてぇ~~
2016.4.25デジカメ画像を追加しました。
オートリキシャが待ってるショッピングモールの駐車場入口で見かけたバイク。写真撮ってたらライダーが決め顔でポーズをとってくれました。ピンぼけになってしまい残念でした。

20時、オートリキシャを連ねホテル到着
添乗員「すぐに夕食にします。荷物だけ部屋に置いたらレストランへ集まって下さい。今夜は旅の最後のディナーパーティですから」
エレベーターに向っていると、ロビーに仕上がったサリーブラウスを持ってヴァラナシシルクのお店の人が待っていた。
旅仲間「あら、素敵。ディナーパーティーで着るの?」
私「いや、さすがに汗まみれでシルクのサリーを着るのは危険なのでパスします」(何しろ日中は30度近くあったのです)
「時間がない!」と納品に来たお店の人に礼を言ってサリーブラウスを受け取ったものの、ここまでインドクオリティにはさんざんやられているのですよ。ふと不安がよぎる。
急ぐのは分かっている!時間がないのも分かっている!でもさ~~。
急いでバスルームに飛び込んで、夜のアールティー用に着込んだジャケットを脱ぎ、長袖シャツも脱ぎ、Tシャツを脱いで、仕上がったばかりのサリーのブラウスを…。
小さいじゃないかっ!前のボタンが止まらないじゃないか~~。え??何の為にメジャーで採寸してたのだっ!!
案の定でした。予想を裏切らないインドクオリティ…
がっくりとね。もう力が身体から全部抜けてね…。
ダンナ「いつまでバスルームにこもってるの!時間が来てるよ!!
ンなの分かっとるわ!
ともかくだね。急がないと!!
急いで行ったけどレストランに着いたのは私達が最後でした。またしてもなのでツアーの皆さんんに放置されて、既に飲み物も揃ってます。しかしこちらにも理由というものがっ!!
遅れたわびもそこそこに添乗員に訴える。
私「先ほどサリーが出来て配達してくれたんですが、ブラウズのサイズが合いません」と言えば…。
添乗員「ありがちなんですよね~。店に連絡します」
私「間に合いますか?明日帰国なんですよね?」
添乗員「おそらく明日の朝ホテルに店の人が取りに来て、やり直したブラウスをランチのレストランに配達してくれるよう手配出来ますよ」
私的にはピンチなんだけどね。何度もインドツアーの添乗をしている添乗員にとってはいつもの事らしい。
ってか、念のためブラウスを着てみた私、ファインプレーでした!
今夜はセットメニュー。ウェイターさんが次々と皿に料理を取り分けてくれる。

添乗員「今夜の飲み物は会社持ちです。1杯分の飲み物は無料です」
ダンナはいつものビール。いままでに大体1本1000円前後のおなじみのキングフィッシャービールです。
私は旅仲間が一番オーダーしてるスィートラッシーのマンゴー味にしてみました。
せっかくのツアー最後のディナーなのですが、私は相変わらずメモ取りに忙しい。おかしい、今日のツアーの予定では自由時間がたっぷりあったハズなのに、部屋でメモを書く時間が全くないのはおかしいわ。
既に連日の睡眠時間不足から記憶力が曖昧になりがちで、今メモを書かないと全部忘れそうなのでやらざるを得ない。既に旅仲間は呆れてまして、生暖かい目で私を放置してくれてます。
そんなこんなで本日の出来事の書き出しに夢中でディナーメニューの撮影を忘れた…。アホか~。

唯一撮影してあったのはデザートで、ドーナツ団子のバニラアイス添え。グラブ・ジャムーンというデザートで、ミルクを煮詰めたものに小麦粉を混ぜて団子状にして揚げてからシロップに浸してあります。
もう~~~~、何やってんだぁあ~~っ!!
さてと、そうそうに最後のディナーパーティは終了です。今夜の旅人達は大変なのです。
荷造りをせねばなりません。何しろ明日は午前中観光したらそのままヴァラナシ空港へ移動。デリーへ国内線で飛んだら国際線へ。そのまま帰国するのである。
一番問題なのはこれだ!明日のバラナシの天気予報は晴れ。最高気温は33度。最低気温は21度。帰国日の東京の天気予報は雨。最高気温は13度、最低気温は11度
気温差が20度もあるんですが…。更に東京が雨なら折り畳み傘も出しておかないと…。
んで、買いまくったお土産の数々が全部Mサイズスーツケースに入るのか?
あ!サリーも出しておかないとイカンのだった~~っ!!
そうだっ!!ボチボチ生理の出血量が増えてるから生理ナプキンも長い時間用と普通用と数を出しておかなきゃ~~~っ!!
持参してるリックサックもおしゃれなタウン歩き用だからさ。容量が…。うわ~~~っ!!やっちまった~~。
テンパったまま夜はふけていく…。
疲れた。先に寝よう…。起きてから荷造りするわ…。

*2016年4月25日にデジカメ画像を13枚追加しました。

2016.4.25にアールティと夜のお店の様子のデジカメ画像を13枚追加しました。
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北インド旅行7日目夜明けのガンジス河

2016年04月13日 05時57分36秒 | インド旅行記
2016年2月19日(金曜)旅の7日目。
朝4時半、また早く起きてしまった~ちゃんと寝ないと注意力や記憶力が落ちてしまうのに~~。
でもやっぱり寝られないので起床する。今日もガイドさんへのインドQ&Aを作成して、後はテレビをポチットな!


今日もインドテレビは安定して面白い。ってか、昨日と同じ番組を放送してるのね。そしてやっぱり一番組の放送時間が長くて最後まで見れないのでした~。
5時15分、モーニングコール
5時45分、ロビー集合。今日の天気予報は晴れ最高気温26度・最低気温12度です。今からガンジス河でツアーで1隻ボートを貸し切り、河を下ったり上ったりしながら昇る朝日に祈りを捧げつつ沐浴するヒンドゥー教徒を眺めるという趣向です。ガンジス河で1時間半ボートの上で揺られるので、服装は暖かい格好にします。

バスに乗ると外はまだ暗い。ボートが出るのはダシャーシュワメード・ガートから。ガンジス河沿いの6.8キロにガート(沐浴場)は84程あります。ガイドブックにはたくさんのガートが乗っていて、どのガートが目的地か分からなくて尋ねる。
ここが一番観光のキモのガートです。ちなみに夕暮れにアールティというヒンドゥーの儀式があるのもここ。人々が集まるガートです。
さて、バスはダシャーシュワメード・ガートからだいぶん離れた場所で降りねばなりません。ヴァラナシの街は道が狭いからね。仕方ないのですよ。
バスを降りてもまだ暗い。でもジャイプールやアグラに比べると街に街灯が設置してあって、懐中電灯は必要ありません。何しろヴァラナシはインドの82%が信仰するヒンドゥー教の聖地です。全国から、いや世界中のヒンドゥー教徒がヴァラナシのガンジス河で沐浴する為に集まるのです。だから暗い時間でも信者や観光客が安全に歩けるように街灯があるようです。
暗い道を歩いていると、道の両側にマリーゴールドの首飾りを売る女性達があちこちにいました。

河を目指して歩いていると、賑やかな音が聞こえてきます。ガンガ~ガンガ~お祈りするぜ~。と楽器を打ち鳴らし歌を唄い熱く盛上がる信者さん達が!!
ヒンドゥー教にとって朝日に祈る事は大切なんですね。
やがて道が更に細くなります。そして朝も早よから店が開いている。

あっちの店では何を売ってるのか??と思えば、小さな壷や白いビニールのボトルです。

「ヒンドゥー教徒はガンジス河の水を詰めて持って帰ります」
ジャイプールのマハラジャも、ファテープル・シークリーにもガンジス河の水を詰めた壷が置いてありました。あれの現代版なのですね。家族へのお土産にもぴったりなのか?
添乗員「この先、マリーゴールドの首飾りを勝手にかけてくる人がいますが、絶対に受け取らないで下さい。目が飛び出る程の金額を要求されます

ガイドさん「先日この道で、スリが出ました。皆さん持ちものには気をつけて、身体の前にカバンを抱えてください」
全国からヒンドゥーの信者が集まりますが、悪い人も大勢集まってるようですね。まあ、観光地にはありがちです。
前方が坂道になりました。もうすぐガンジス河です。信者も集まってます。しかし、沐浴する気配もなく、道ばたで座り込んでる人も大勢いました。

ガイドさん「ヒンドゥー教徒はヴァラナシのガンガーで沐浴すると現世の罪を洗い流し、来世に幸せになれると信じています」
ほうほうそれで?
ガイドさん「ヒンドゥー教徒が死ぬと遺体を火葬し、灰をガンガーに流す風習があります」
そ・それから?
ガイドさん「彼らは死期を悟りここで死ぬために集まっています」
………。
ガイドさん「もちろん中には物乞いもいます。サードウ(ヒンドゥー教の僧)、巡礼者もいます」
…観光客からすれば見た目はあまり変わらないのがなんともな~。
旅人は物乞いに施しをするな!と口を酸っぱくして言われてるので見て見ぬ振りするけどな。日本人はそういうの得意だしな。複雑は複雑だよな~。
ボートの手配を待つ間に周辺を見て回る。

と?ガンジス河の女神様ガンガーを祀る祠がありました。夕暮れのアールティーの儀式ではこの神様に祈りを捧げるんだとか。
デジカメ画像を追加します。


ツアーで用意したボートに乗り込みます。
2014.4.10携帯写真で撮影した画像からデジカメ画像へ差し替えました。
結構大きいボートですが運航は静かです。なぜなら動力は2人の少年がボートの左右に櫓を出して漕いでボートを動かしてるから。
う~む。何気に凄いな…。ツアー総勢22名も乗っているのに動力が少年二人なのか。
乗船すると旅人達にマリーゴールドとろうそくが乗った小さな皿が配られる。
デジカメ画像を追加しました。
ガイドさんが順に皿のろうそくに火をともして周る。その間にボートは出発、火がつくと旅人は自分の罪を流すように祈りを込めて皿をガンガーに流します。

ボートはゆったりと上流へ向います。
私「なんでヴァラナシのガンジス河がヒンドゥー教徒の聖地なんですか?ここ限定で沐浴しに集まる意味があるんですか?
日本人の素朴な疑問です。
ガイドさん「ヴァラナシのガンガーは南から北に向って流れています。そこが大切なんです。シヴァ神は夏にヒマラヤで過ごし、冬はヴァラナシに移動する」
よくわからんが、ヴァラナシのガンジス河の水がヒンドゥー教徒に尊ばれる意味があるのですね。ま、当たり前か。
ガンジス川の水の採取場所(2016年2月26日)の記事

途切れなく次々と現れる沐浴場を眺めている。まだまだガートは先に続いてますが、ここでボートはUターン。今度は河を下ります。
Uターンしたのは火葬場でもあるハリシュリャンドラ・ガートの近くでした。火葬場は撮影禁止です。観光客は信仰を侵すとどんなトラブルになるか分からない昨今、特に気をつけて下さい。
と、反対側が明るくなってきた。ついに夜明けです。

光量が増えて撮影し易くなりました。
デジカメ画像を追加しました。


立ち並ぶガートは長い歴史のあるものもあり、沐浴場の背後にそびえる建物も見応えあります。
デジカメ画像を追加しました。
沐浴場の人も増えてくる。

ここで撮影カメラを携帯電話からデジカメメインにしてガンジスに昇る朝日の撮影をだいぶん長い時間楽しみました。



赤い朝日と黒いシルエットのボート。暗めに写り込む川面。ヒンドゥーの祈りを考えると、川を多めに画面構成して~。
今は乾季なので対岸ではなく画面奥に中州が見えてます。

ボートに水鳥も集まります。明るくなったから鳥も活動を始めたようです。
ン?でもなぜにボートに野鳥が群がるのか??目を皿にして観察していると、観光客が乗るボートの側で豆か?エサを巻いてます。これを目当てに鳥が群がってるのですね。でもラッキー、シャッターチャンスです!まだ太陽が出たばっかりなので鳥もシルエットで叙情的に写ります。観光客の姿もシルエットなので叙情感アップです~。
中央重点で測光して、少しだけマイナス露光して。今こそタージマハルの日の出撮影の失敗を生かす時っ!
ひとしきりガンガーに反射する朝日の撮影を楽しんで満足したので振り返る。
朝日に夢中になりすっかりガートは見てなかったんだけどね。ガードには沐浴するヒンドゥー教徒の姿が増えています。さすがにこれはイカン!とガート側の撮影開始です。


2016.4.24デジカメ画像を追加しました。
たくさんの人が沐浴していたガートの最上段の上に、ヒンドゥーの神々の像が載っていたので拡大してみました。
あ。忘れてた!その前にと、ショルダーバックから空のペットボトルを取り出す。
んで、ボートの縁からガンジス川の水を汲む。
そして観察。
思ったより全然綺麗ですわ。ヒンドゥー教徒はこの水を飲むそうですが、これなら飲めるかも?まあヒンドゥーの皆さんが火葬した灰をここに流しに来るそうなので私はガンガの水は保管するだけですが…。
ガイドさん「ヴァラナシのガンガーの水は腐りません」と自信たっぷりでした。
今ガンガの水は我が家の冷蔵庫に入ってます。インドのミネラルウォーターのペットボトルに詰めてあるから間違えてダンナが飲む事はないと思うけどさ~。夏コミに当選したらインド旅行漫画を描くので夏コミのスペースに持っていこうかな?私は旅先であれこれ集めてくる癖があるのですが、さすがに水を持ち帰ったのは始めてでして…。どないするか…。さて、考えるのは後回しにして撮影再開です。
朝日に照らされて写し易い環境になりました。何しろシャッタースピードが早くなりますからね。こっちは常に動いているボートの上から写してるのです。ピンぼけ画像はイカンのじゃ!と思ったのに~~。帰国後画像をチェックしたら、この時についつい望遠で撮影したぶんは全てピンぼけ画像になってました。



学習はどうした?予想以上に動くボートと望遠撮影のコンボはピンぼけ要素が大きかったようですわ。ショボ~ン。
2016.4.24デジカメ画像を追加しました。
たくさんの人が沐浴していたガートの並びに、洗濯屋さんかお仕事中です。撮影は女性をピックアップしましたが、数名の男性も洗濯してました。え~と?洗濯屋さんがいる所がガンジス河の上流だから、人が大勢沐浴していた場所ってその隣って事は…。
ハイ!見なかった!信者さんが沐浴しながらガンガーの水を飲んでない事を祈ろう…。
つーか、私が汲んだガンガーの水は…。岸辺じゃなくて沖だから。そんで中州側の船縁から汲んだから汚れてないハズよ~~~~っ!!


2016.4.24デジカメ画像を追加しました。
出発したダシャーシュワメード・ガードを行き過ぎて下流へ向います。



上の画像の左下に、ヒンドゥーの神様を祀った祠があります。望遠撮影してみました。下の画像です。
2016.4.24デジカメ画像を追加しました。
やがて、ヴァラナシのガートに2つだけの火葬場マニカルニカー・ガートが見えてきました。
上の画像の特徴的な建物と樹を超えたら火葬場がすぐです。
煙が見えます。火葬が行われているようです。
万一にもカメラに写らないように、旅人はカメラを降ろします。
うわっ!目の前でおじさんが豪快に川へ潜ったぁ~~~っ!!シャッターチャンスなのに、場所が悪い~~。仕方ないんで目に焼き付けましたけど…。
火葬場の手前でボートはまたUターン。出航したダシャーシュワメードガートに戻ります。
2016.4.24デジカメ画像を追加しました。
さっきは気付きませんでしたが、ガートの奥にこちらにもヒンドゥーの神様が描かれています。

そこをどけっ!!土産もの売りのボートが寄って来て、奥の女性が盛んに沐浴してるのに撮影出来ない~~。トップ画像ですよっ

太陽が出たからか?6メートルはある一枚布で出来たサリーをガートの階段を使って乾かしてますね。色とりどりな様子がインドらしいです。
2016.4.24デジカメ画像を追加しました。
沐浴する人々。
2016.4.24デジカメ画像を追加しました。


サリーを着て沐浴した後、乾かしてるのかな?濡れたままで宿まで戻れないだろうし。

朝日が上ると先ほどまではシルエットだった舟や人影、鳥も色がついてきました。ってか、白い鳥だったのね。


2016.4.24デジカメ画像を追加しました。
私達が乗船しているボートの動力を担う少年達。手漕ぎボートは音が静かでいいよ~。夜明けや沐浴風景を眺めるのだから、いらん音は情感を壊すからいらんのですよっ。
2014.4.24デジカメ画像を追加しました。
こちらのは2柱のヒンドゥーの神様が描かれています。

7時40分、下船する。乗船した時に比べ人が増えている。

下船場所に近づきました。ああ、もうボート降りちゃうのね。楽しい時間は短いなあ。



修行僧やヒンドゥー教徒が増えてます。360度全てが撮影スポットです。

た・楽しい~!

紹介したい画像が一杯過ぎです。

この後、バスまでまた徒歩で戻るのですが、道行く人が増えて、ついでにコブ牛と並走して道を歩き、撮影を楽しんでいたら絵はがき売りに貼り付かれ、うっかり1冊200ルピで絵はがきを買ってしまい(買うな!と注意されていたのに、あまりにしつこくてね。最初のうちは絵はがき1冊1000円とか言って無視してたら最後は1冊200ルピになりまして、1冊買ったらもう1冊は100ルピとか言われてうっかり絵はがきを買ってしまった~。これだからちゃんと寝ないとイカンのじゃ…大反省する。つーかさ、もう絵はがき買ったので売り子のおっちぁんをモデルに写真もゲットしたがな。んでうっかり自分のバスと間違えて他の外国人観光客のバスに乗ってしまったがな(乗ったら金髪の人ばっかで驚いた!ガイドさんが迎えに来た!この時の私はだいぶんテンパってたらしい)

この時のガンジス河河畔からバスまでの様子は、4月17日から5日間に渡り連載しています。主に画像を貼付けてます。
ガンジス河でボートを降りて(2016年4月17日)の記事 ボートを降りて修行僧や沐浴に来たヒンドゥー教徒撮り放題!

ヴァラナシの街にコブ牛登場!(2016年4月18日)の記事 神様の牛登場で、テンション瀑上げで撮影しました。

ホテルに戻る。部屋で買ってしまった絵はがきをチェックしたら、半分くらい同じ写真だった~~!
ちくそ~~。やられたせ
仕方ないんで、5月のイベントで【インド写真集】を発行するからさ。この時に買ってくれたお礼でプレゼント用に使うかな?それとも夏コミ合わせに描く予定の【不思議の国インド旅漫画】の新刊記念で配るか?
あ。書いてませんでしたが、5月5日の創作同人誌即売会コミティアはスペースが取れました。N28a サークル名『竹里館出版局(ちくりかん)』で参加します。去年の夏コミ合わせの【ベトナム旅行記】も持参しますのでよろしく~。

ちなみに、旅の最初に注意されたレンタル赤ちゃんを抱えた物乞い女(汚い衣装と汚いメイクも完備)もここで登場しました。
物乞い問題(2016年2月23日)の記事 こちらはインドの抱える物乞い問題の記事です。
ヴァラナシの朝は混沌として楽しかったです。出来たらここで1時間くらい自由行動時間が欲しかったな~。神様グッズを買うならここだったのにな~。観光客目当ての悪い人が集ってる場所でもあり自由時間はナシでした。残念だな~。
明るくなると車窓も人も動物も動きだし楽しいです。
う~む。ガンジス川からバスに戻る道は人間ウォッチングが面白過ぎるわ。そうだ!この道だけで記事建てすれば楽しいかも?
ガンジス川の岸辺からバスまでの街歩きで5本記事を作りましたので楽しみにして下さい。旅日記の連載が終わったらアップします。
8時半、バスは出発。

さすがヒンドゥー教の聖地というべきか、車窓に見える祠も大きいのから小さいのまで多く現れては消えていく。
祈る場所(2016年3月25日)の記事 こちらの記事の最後の方の祠の画像はこの時に撮影したものです。下のは屋台でココナツ売りですかね?

ペプシコーラばかりのインドでコカコーラの看板は珍しい。



ホテル到着です。そのまま朝食へ。
 
せっかくなのでスクランブルエッグとオムレツをシェフに焼いてもらう。ケチャップがあったのは嬉しい。さすが有数の観光地ですわ。
朝食終了。まだ9時半なので、こっそりダンナを誘ってすぐそばの別のホテルへ急ぐ
バスの車窓から真っ赤な花の咲く木が見えたのですよ。

この木はかつて中国の広西チワン族自治区の徳天瀑布(ブログのプロフィールに使用してる画像です)や、去年のベトナム旅行の時ハノイの歴史博物館でも咲いていたのを見ましたが、まだ咲き始めの風情でして、それがヴァラナシでは真っ赤でした!これは、ぜひとも写真を撮りたいんですっ!
「勝手に街歩きするな!」と注意されてるんだけどさ。忘れたふりで写真だけ撮ってダッシュでホテルに戻りました。
デジカメの充電を忘れずに、夕暮れにヒンドゥーの儀式の見学がありますから。
と?ホテルの清掃の人が来た!ダンナを残してホテルチェックへ。
私が宿泊したのは123号室(?)です。グランド階+食事階+プール階+1階だったので、日本と同じなら123号室は4階です。外に出られないのでインドの旅では宿泊したホテルの必ず一番高い所から見える景色をチェックしてました。
すると?私の部屋からは見えなかったんだけど、近くに仏塔らしきものが見える。

分かります?上の画像右上の塔がありますね。そのすぐ下に赤い木が見えます。さっきチェックした赤い樹は、この画像に写ってませんが、画像を右ナナメに走る道の右奥でした。

こちらは反対側。橋を渡った先に赤い木が数本ある模様。これさ、この後11時ロビー集合で希望者のみヴァラナシ・シルクの店に案内するってので当然参加しましてね。その時にバスが橋の向こうへ向ったので、カメラを用意してました。

赤い木の画像ゲットですぅ~。なかなか素敵でしょ?
2016.4.24画像を追加しました。

2016.4.24画像追加しました。
ちなみに、私は現地でこの花を世界三大街路樹の一つ火焔樹(カエンボク)と信じて疑わなかったんですが、もしかしたら木綿(キワタ)の樹だったかもしれません。
木綿の樹の別名はコットンツリーもしくは赤綿の木。植物にはあまり詳しくないので判別出来ないんですが、世界三大街路樹<ジャカランダ・鳳凰樹・火焔樹>という響きがそそられる物があるでしょ?
本当はどっちだったんだろうなあ?
くっ!美しかったらいいじゃないかぁ~~。長くなったのでここで一旦切ります。
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北インドの旅6日目、移動日です。

2016年04月12日 06時01分58秒 | インド旅行記
2016年2月18日(木曜日)。今日もまた早く起きてしまいました~。旅はもう後半です。こうなったらもう日本時間で最後まで行こうやないか~い(ヤケクソ)。仕方ないんでいつものガイドさんへのQ&Aの作成と、旅のネタ帳を書き出して行く。(つまり、2月末からブログの記事立てをしてるネタの書き出しです。この時あれこれA4用紙に表裏にびっしり書いたのが元になっています)これを終えたら昨日も見たテレビ通販やドラマの視聴する。

いやね。この後アグラからデリーに移動し、デリー発ゴア経由、ヴァラナシ行きの13時半の国内線に乗らねばならないんですが、デリーは交通渋滞が凄いので、用心を兼ねて早朝5時半ホテル出発することに。
5:00モーニングコール&バゲージダウン
5時半ホテル出発。
今日の朝ご飯はお弁当です。

すみません。バスの中で撮影した後食べたんですが、帰国後再生したら盛大にピンボケしてました。お弁当はバナナ・洋なし。ゆで卵2個。サンドウィッチとカップケーキ。水・パックのストロベリー牛乳。
さすがに出発が早かったので、バスの中で降圧剤など日々飲んでるお薬を飲みました!いや~、今日はバス移動だからね。お薬飲んだら必ず出るめまいや頻脈もどうせバスの中だからね。座ってるうちに辛い時間も過ぎるからね。…私は何に言い訳してるのだろう…。
あ。小ネタですが、ってか私的には大ショックですが、昨日より生理が始まってしまいました~。もうがっかりですわ…。てか!!脳梗塞発症後、あれこれのお薬を毎日飲まねばならない身体になっていまして、中に血液サラサラに保つバイアスピリンがあります。このお薬は血管内に血栓が出来て血管がつまらないように保つ大事な薬ではあるのですが、反面出血するとなかなか止まらなくなるという欠点がありましてね。何が言いたいか?というと、生理も出血なんですよ。だから生理になると子宮の中で組織が剥がれる時、たま~に毛細血管を道連れにしてしまい、その場合は出血量がとても多くなるんですわ。いや~、今までにも旅行中で何度か生理になった事がありまして、それには慣れてるのですが。脳梗塞発症後の旅先で生理になった事はなく。今回が始めてですわ。もうね「出血量が少ないように!」と祈るしかありません。一応添乗員には申告して、「飛行機の席は通路側にして下さい。」とお願い済みです。更に保険で生理用ナプキンは多い日用と夜間用を持参してスーツケースに詰めてはあるんですが…。生理2日目で一日移動日にあたるとは…。さあ~?どうなるかな~??
不安とともに明けた空はどんよりしてます。

ってか??雨が降ってます!いや~、ホテルのロビーに降りた時にやたら寒いっと思ったんだよね。(前日に添乗員がくれた旅のご案内には2月18日のアグラの天気予報は晴れ、最高気温は29度。最低が17度となっていたのに、ジャケットと長袖シャツの重着をしてるのに寒いのはおかし過ぎるっ!
ふと、昨日の朝、アグラのホテルのドアマンが「レイニーデイ」と言ってたのを思い出しました。ドアマンのフカシやなかったんやぁ~。
いやぁ~~!!今日で良かった~。
これが昨日だったらタージマハルの朝日も見えなかったし、タージマハル観光が白い空に白いタージマハルの建物で見ないとダメだったかも?移動日が雨ならまあ、許せます。
途中ドライブインでトイレ休憩。午前7時55分ー8時15分。
ドライブインではチケット売り場で欲しい食事のチケットを購入する方式です。

見れば値段が書いてある!
ドライブインのチケット販売所。画像では見づらいですが、画像下部に金網が見えますか?金網の下に左右2つオレンジの棚のような物がありますね。ここがドライブインの食物チケット売り場です。
あれ?チャイが12ルピって本当に~??(見づらいと思いますが、上の画像の一番左上がチャイです)
注文するかどうか迷って止めた。今日の私は弱虫だ…。ホテルで水筒に熱いお茶を詰めて出なかったのを本当に後悔した。
あ!うちのバスの運転手さんたち発見!記念写真が欲しいっ!
旅の1日目からずっと使っていた観光バスですが、この後インドラガンディ空港に到着するとお別れです。ここはぜひとも写真が欲しいっ!ってな事でさっき弱虫と思ったのは忘れた事にして突撃しました。
 
せっかくなので、バスの運転手のラジさんと2ショット!ついでにラジさんにデジカメのシャッターを押してもらって観光ガイドさんと真ん中に私。左にバスのアシスタント君と3人並んで3ショット画像ゲットです。
バスの出発時間までまだ時があったので、ガイドさんと運転手さんともおしゃべり開始。ってか、この時アシスタント君はあとから現れて、手には小さな紙コップに入った3つのチャイを持っていたのです。そう私がさっき諦めた1杯12ルピの正体がはからずも判明しました。
ガイドさんが私にもチャイを進めてくれます。しかし私は見てしまいました!チャイは3つしかないのです。すなわちガイドさん、運転手さん、アシスタント君の分です。もちろん断りました!しかしそうするとガイドさんもバスの運転手さんもチャイに口をつけません。
うわ~。どないしようか~~。
困った!でもどないもしようがない!ここは大人しくアシスタント君の分のチャイをもらってしまいました。
しかし、もらいっぱ!はイカンのです!
何か持ってないか??とショルダーバックを探ったら、飴ちゃんが出て来ました。もうこれしかない!と。アシスタント君に渡して気付く!
ああ~~!!その飴ちゃんはマズいと不人気なキシリトールのしょうが味!!それはイカ~ン!嫌がらせかよっ!!
焦る私をよそに、アシスタント君の先生でもある運転手のラジさんから教育が入ります。
ラジさん「お客さんに何かもらった時はお礼を言いなさい」
アシスタント君「分かりました!」と答えすぐさま礼をしてくれました。それからようやく全員でチャイに口をつけたのです。アシスタント君も飴ちゃんを口の中へ。
あ~美味しいと思ってくれるのか~。つーか、これはアキマセン。
あれはジャイプールを出発する朝の事。みんなが揃うのをロビーで待ってる間を使ってガイドさんにQ&Aをしました。これが面白かったので、以降毎日Q&Aを続けてました。そんで「神様の牛を曳いてしまった場合…」などと突っ込んで質問した流れで、バスの運転手さんとアシスタント君の1ヶ月の給料も聞き出してました
バスの運転手さんの給料が一月1万円。アシスタント君が一月2000円
その状況で、1杯12ルピとはいえ、アシスタント君のチャイを私が横取りして許されるだろうか?
答え:私は人だ~。人間のクズだぁ~~~っ!!
バスが出発時間になりおしゃべりは終了しましたが…。バスの席に戻るやいなや、ショルダーバックの中を再点検。更には傘やガイドブックなどを詰めてるリュックサックをチェックしました。すると~~!!
あったぜ!!おやつにするつもりだったキットカット!(日本製)2個!助かった!
これを何とかバスを降りる時にアシスタント君に渡したい。でもうまくやらないと、バスを降りる時はスーツケースを出す仕事がアシスタント君にあるから、この場合運転手のラジさんに渡して後でアシスタント君に渡してもらわないと~。ついてはヒンドゥー語でないとイカン!そういう時の為にリュックサックに会話ブックが…。
うそ~ン!ヒンドゥー語の会話ブックが入ってないや~ん何でやぁ~??
しばし考えて思い出す!私の荷物が増えたから、スーツケースの重量制限にひっかからないように(スーツケース1個23キログラムまで)ダンナに預けたんだった…。おそらく彼は会話ブックをスーツケースに入れた。つまり今使えない…。
焦りつつ時間はたっぷりあった!何故って添乗員が懸念していた渋滞にハマっちゃった~~っ!!

まだ暗いアグラの街からヤスナエクスプレス(JP)が造ったばかりのインドで一番という高速道路は快適でした。しかしそれも料金所を過ぎるまで。ここから先は左右の道から自動車が合流して大渋滞になってしまいました…。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
道路は渋滞していても、車窓はのどかです。湿地です。

車窓ウォッチングは楽しくて飽きない。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
川を過ぎたら湿地のような土地で、牛や犬や鴉が多くウロウロしてました。
 
鴉といってもインドの鴉は日本のような黒一色ではなく、頭が灰色の色分けカラスです。鳥なのに歩くんかいっ!雨なのに気にしないんかいっ!と鴉に突っこんでいたらば…。
何を喰ってんだぁ~~~~っ!!
鴉が啄んでいたのは野良犬の死体でした…。ワァオ~野良だからね。野生だからね。凄いなあ~。軽く引いていたらようやくバスが流れ始めました。

高速道路から一般道へ。雨は降り止みましたが、雨に濡れたバスの窓は茶色いスジが!!北京超えの大気汚染の街ですからね。雨も降る途中で大気中のゴミやら街路樹やビルの汚れやらも混ざって落ちてくるんだな。ああ。せっかくアシスタント君が2時間かけてバスを洗ったのに…。
車窓は楽しい。今まで走っていたバスの車窓は田舎街でした。でも首都の道は全然違う。

地下鉄工事中。
や。車窓に夢中になってる場合じゃなかったな!
手持ちのガイドブックは2冊。簡単なヒンディー語の会話集が載ってるハズ。
「どうもありがとう=バホット ダニャワード」
「さようなら=ビル ミレーンゲー」
これしかないっ!これだけ暗記する!!
10時30分、インドラガンディ空港到着です!
さてミッション開始!(大げさな~。でもやり直しは出来ないのだ。もうこれでお別れなので)
まずはバスを一番最後に降りる。
降りる前にバスの運転手さんに「ばほっと、ダンニャあード」噛んだぁ~~~っ!!
何やってんだぁ~~~っ!!
焦って咄嗟に「サンキューベルマっチ!」と英語で言い直す。ラジさんはにこっと笑ってくれた。少し気分を上げて続けて「アシスタント君に『チャイ、ダニャワード』。キットカットチョコお礼です」と英語で付け加える。ラジさんはもう一度ニコっと笑ってくれた。
よし!伝わった!!ラジさんと握手して『ビル ミレーンゲ(さようなら)』」バスを降りたらスーツケースの受取もほぼ終わっていて、最後にアシスタント君にダニャワードでお別れです。
ちっ!こんなに失敗するならもっとヒンディー語しゃべっておけばよかったぜ~
インドラガンディ空港は、ポーターがいない。スーツケースは自分で運ばねばならんのです。
インドではどんなチックインにも時間がかかる。これ常識です。待ち時間を使い空港内を撮影する。
 
自動販売機がありました~!!インドにもあるじゃん!
添乗員さん「買ってみますか?以前挑戦したお客さんは、お金を入れても出て来ませんでした。そのもう一度試したら、2本でて来たという事がありました!」
何そのムリゲーは

そんなん言われて試せるか~!

見た目は普通の、いや進んでる感じの自販機なんですがね?
しかしね。今から飛行機乗るじゃん!今買ったら保安検査でひっかかるじゃん!没収されたくなければ飲むしかないよね?でも寒いから試しに買っても一気飲み出来んわ。
という事で買うのはナシ!そうでなくとも弁当でイチゴ牛乳飲んでるしな。チャイもな。

インドの保安検査も時間がかかります。見越して日本の空港より早めにインドの空港へ行く必要をひしひしと!
手荷物を預けて検査待ち。その間に着用の服をチェックが終わると、女性客はすぐそばのーービニールBOXの箱みたいな所で女性係員さんにより一人づつ手で触りボディチェックを受けねばなりません。チェック後に預けた手荷物の検査が終わるまで待ちます。これが時間がかかる。その上でこっちから催促しないと手荷物が揃わない。もうね。キ~~~ってなる。
全員の保安検査が終わった所で、フードコートへ。

途中でお店や企業のPR看板が立ち並ぶ区画に心惹かれるものがありますが、先にランチです。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ピザハットやらマクドナルドやらケッタッキーフライドチキン日本でもおなじみの店が並んでます。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
しかしツアーなので、みんな同じのインドカレーセットメニューをオーダ。

チャパティ&インド米にチキンカレールウとヴェジタブルカレールウとダールカレールウ。スイーツにドーナツ団子のシロップかけ。飲み物はミネラルウォーター。確か後から紅茶が届いたような?
添乗員さん「ただ今の時刻は11時30分です。12時45分まで自由行動にします。時間になりましたら、エア・インディア433便の搭乗ゲートに来て下さい」
ランチタイムは12時過ぎまで。早めに席を立ち、ダンナと向ったのは同じフードコート内のマクドナルドです。
いやね。かつてエジプト旅行に行った時、カイロの宿泊ホテルの部屋の向いのビル内にマクドナルドが入ったいたのに見に行かなかったのが未だに悔しいんだよね~。って事でレッツトライ!

マクドナルドの記事は既出です。
北インドの旅小ネタ集(その2) (2016年3月29日)の記事
さてと?マサラチキンバーガーを食べ終えたら空港内のお店を~~~って!!
ファーマシー発見!
ガイドブックには各種アーユルヴェーダ・コスメが紹介されてまして、見るととても欲しくなったシャーナーズフセインとヒマラヤとバイオティーク(日本でいう所の資生堂や花王みたいな感じ)メーカーさんの一押しコスメが載っててね。
「あ!ヒマラヤ発見!」
添乗員「それ、前に1シート買って行ったお客さんがいましたよ~」と小ネタを教えてくれる。
これ、知る人ゾ知るアールユヴェーダコスメブランドなんだよね。無添加&天然自然成分だし試してみたい。
添乗員「店員さんに聞いたら1本30ルピだそうです」
おお!バラ巻き土産にピッタリね。
「おおっ!これはっインドマダム御用達、シャナーズ・フセインのソープだ!!アーモンドやオリーブオイル、ハチミツなどの天然成分ブレンドの石鹸なんだよね。いくらだろうか?すみませ~ん」
高かった!まさかの1個240ルピでした!石鹸1個で約480円とは…。さすがインドマダム御用達!
ちなみに、インドの買物は基本値切り可ですが、一部商品は値切り不可です。
例えば石鹸・シャンプー。紅茶の葉。封筒などは値切るだけ時間の無駄。だからファーマシーの取扱品はほとんど値切り出来ないのですよ。買物が楽でいいですね。

上の画像の赤い2本がヒマラヤの洗顔クリームで左下のがシャナーズフセインのアーユルヴェディック・ソープです。お肌に潤いを与えてくれる石鹸らしい。
画像に写ってる他のヴァイオティークの各種コスメは、ヴァラナシのホテルからお持ち帰り。この石鹸はヴァラナシのホテルで使いましたが、とてもいい石鹸でした。
とかやっていたら早くも集合時間が迫って来ました。いか~んっ!急いでゲードへ行かねばっ!
ツアー仲間発見。搭乗が始まるまで待つ間の暇つぶしに、マクドナルドのちらしとか2ルピと1ルピのコインを旅仲間で回し見る。
搭乗が始まり滑走路に目を向けると?
うおっ!!空港の奥が見えないっ!これは大気汚染なのか?それとも霧が出てるか??
もちろんスモッグでもやってる状態でした。翌日の新聞にもカラー写真で掲載されていたしね。

搭乗機は予定時間の13時半にテイクオフ!飛行が安定してすぐにまさかの機内食登場です!

「ううっ。もう食べれない~」
つついただけで終了です。飛行機はデリー発ガヤ経由ヴァラナシ行き。直行便でゆけば所要は90分の所を、ガヤ経由になると所要3時間10分。ちなみにブッダが悟りを開いたブッダガヤはガヤの近くにあります。
デリー~ガヤ間は窓際にインドの女性が座っていたのですが、ガヤで降りた後は誰も乗って来ませんでした。

これ幸いと窓から外を見ました。左上のガヤの空港ターミナルが写っています。ガヤでは機外に出られません。機内待機です。暇なので座席前のポケットを見ると、インドの新聞が入ってました。

 

ヒンドスタンタイムスとかヒンドゥー語の新聞です。ついでに面白いの発見!

飛行機の座席の前ポケットに大概入っているこれですが、インドテイストに溢れてますね。だって絵の女性がサリー姿なんですよ!

とかやっていたらあっと言う間に時間が過ぎ、出発時刻になりました。時刻は16時です。
せっかくの窓側ですが、すぐに視界が悪くなり地上が見えなくなりました。晴れてるハズなのですが。

次に地上が見えた時には、既に建物がずいぶん大きく見えまして、16時30分、予定時刻にヴァラナシの空港に到着しました。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ヴァラナシのバスはデリーのバスに比べ小さめです。これはヴァラナシの街の道が狭い道が多いのと、車が入れない道も多いので少しでも小回りが効くようにですって。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ヴァラナシの街で見かけました。

18時、ホテル到着。ロビーはこんな感じ。
19時50分、夕食はバイキングです。でもさぁ~、今日は一日移動だったので、さすがにお腹はすいてない。う~~ん~~。うなっていたら添乗員「シェフにオーダーしたら目の前でパスタを作ってくれますよ」とアドバイスをいただきましたので早速オーダーする。
 
マカロニトマトソースでした。肉は入れても野菜は入れるな!の法則でもあるのか…。
ちなみに、このホテルのバイキングはメニューも豊富でスイーツもまだ多く残ってました。


何故だろう?お腹はすいてないハズなのに、スイーツは食べてみたくなるんだよな~。
まったり紅茶を楽しんでいると、添乗員「お疲れさまでした。明日はガンジス川でボートに揺られてヒンドゥー教徒の沐浴を見学しますので、5時45分にロビーに集合して下さい
おおう…。また早いのね…。今夜も早く寝ないとアカンわ。

2016年4月21日に6枚のデジカメ画像を追加しました。
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世界遺産アグラ城

2016年04月11日 06時19分27秒 | インド旅行記
北インドの旅の5日目、2016年2月17日、午後の観光再開です。
の前に、午前の部の最後に「希望者はおいしい紅茶の葉のお店に案内します」という事で紅茶を買いました!
午後2時、ガイドさんが連れて行ってくれたのは宿泊ホテル前の普通の土産物屋でした…。んん~???
ま。紅茶さえ美味しかったら問題ないんだけどさ~?紅茶の味見も出来ないお店ってどうよ??ないわぁ~。
でもツアーですから!気に入らないからって他の店という訳にはいきません。ガイドさんを信用する!ですかね?
でもまあ、お店のおじさんのお話が楽しかったので紹介します。
おじさん「インドで生産している有名紅茶の銘柄はダージリン・アッサム・ニルギリです」
あ。それ知ってる銘柄だわ。
おじさん「ダージリンは強くないから一日中飲める。100グラム500ルピ。
アッサムは世界一強い。カフェイン多い。朝起きたら飲む。目が覚める。
ニルギリは咽とお腹にいい。昼ご飯に飲む。アイスティーにもよい。
カシミール茶は香辛料を少しまぜて飲む。生産量が少ない、香辛料を多く入れて飲むとのどの薬になる。
ホワイト茶は紅茶の宝石。カフェインなし。健康茶です。生産量が少ない。100グラム1000ルピする」(メモを書き間違えかもしれませんが)
マサラチャイの茶葉はダージリンの新茶を使うことが多い。茶葉の取れた標高によぅって茶葉にの値段が違う。標高が高いと値段が高い。標高が低いと値段が安い。うちの商品は100グラム400ルピ」
おじさん「紅茶の茶葉は10月から11月に収穫して、1月-2月に新茶が出回ります。うちの商品は今年の新茶です」
旅仲間「あの~、マサラチャイの作り方が分からないんですけど~?」
おじさん「作り方は簡単です。マサラチャイの茶葉をスプーンに1杯。同量の砂糖を1杯。牛乳に入れて煮立てるだけ」
旅仲間「牛乳にですか?」
おじさん「鍋に水を入れて茶葉を直接入れて湧かしてから牛乳を足す方法もありますが、日本の牛乳は味が薄いので牛乳に直接茶葉を入れる方がおススメです」
旅仲間「面倒くさいんでティーパックとかありませんか?」
おじさん「ティーバックを使うのは怠け者の飲み方です。茶葉を使って煎れるほうが美味しい」
取り扱う紅茶に自信があるのか、おじさんの口調が強くなる。
おじさん「本当はマサラチャイの茶葉はアッサムがおススメです。アッサムの茶葉にティマサラを少し入れる。Tスプーン1杯の砂糖を入れて煮立てる。出来上がり。簡単です。私の店には紅茶の茶葉にブレンド済みの香辛料を入れてマサラチャイを作れるティマサラもある。これね。1瓶200ルピ」
それもいいな。茶葉を味を楽しむならティマサラがよさそうだわ。
おじさん「最後に、茶葉は冷蔵庫で保管してはいけません。香りが飛びます」
小ネタも教えてくれる。
おじさん「紅茶の茶葉の値段は収穫する茶木の植えられている場所によって変わる。高い所の茶葉は高い。低い所の茶葉は安い」
ついでだから「料理に使う香辛料はないの?」と聞けば、
おじさん「うちで取り扱っている香辛料は、ガラムマサラ100グラム入りの瓶で300ルピ。チキンマサラ100グラム入りの瓶で300ルピ」
た・高い~~~っ!!さすがお土産屋さんの取り扱う香辛料ですね
おじさん「皆さんにおススメは4個セット1000ルピの茶葉です。これを4つ1個おまけ(個数がうろ覚えですごめんなさい)」
旅仲間達は一斉に欲しい紅茶の茶葉を出してもらう。お土産買いスタートです。でもさ~~。
あやし過ぎっ!私の「紅茶が欲しい」購入熱は醒めた。
なんつーの?紅茶が大好きな私は買う気マンマンでお店に来たのですが、
試し飲み出来ない!
販売用に出した茶葉に製造年月日を貼ったシールのあるのとないのがある!
シールの製造年月日の日付がバラバラ。(新しいのは先月、1月製造がついていたのですが)*インドで紅茶の新茶が出回るのは1月です。
そもそもインドでは紅茶のぱっぱは値引き出来ない商品のハズ。
「5個買えば1個おまけします」とかいう中国でよくある土産物商法してる店なんか信用出来るか~~っ!とマイナス要素満載ですっかり買う気が失せてしまった。
だがしかしだね。
インドの朝と昼の食事では必ずと言っていい程マサラチャイを飲んでいた私は、負けた気がしつつもマサラチャイ用の茶葉100グラム400ルピと香辛料(チキンマサラ300ルピとガラムマサラ300ルピとティマサラ200ルピ)の計4種、1200ルピ(約2400円)分を購入しちゃいました~。
これね。あ~、負けた気がする~。
昨日、ホテルに着いてすぐに5000日本円をインドルピに両替しました。
円ルピの両替レートでは2718ルピでした。が『お釣りがない』で2710ルピを手渡されました!
レートは1インドルピ=0.54円ですね。
わ~なんて良心的!!
初日のグルガオンのビジネスホテルのレート1ルピ=0.5円だったのがひど過ぎました!更にお釣りがないで100ルピ少なかったしな!
で、今1200ルピ使ってしまったので残りは1510ルピです。部屋に戻りダンナに「あとどれ位欲しい?」って聞いて取りあえず更に6000日本円を追加で両替しました。3306ルピ。ここからこのホテルのサービス税が36ルピでして、差し引き3270ルピになりました。
もうね。あちこちで買物の度にレートを気にするの面倒くさいっ!面倒だわ~。
ついでに予想以上にビールが高かった(大体瓶ビール1本1000円程度)のと、ネット利用代金がホテルによりマチマチでさ~(料金がいる場合利用代が1000円くらい。料金がゼロ円の場合もあり)。しかもインドルピは日本に持って帰っても仕方ないからさ。これも経験と5000円程度をちびちび両替しました。
旅仲間は「そんなの面倒くさいしストレスよ!」とカードで支払い可能な場所ではすべてカードで買物をしていました。後から考えたらそっちのが良かったけどさ。国によってカードの使い勝手ってマチマチなんだよね~。

15時半ロビー集合、午後の観光が始まります。
15時45分、世界遺産アグラ城到着です。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
● 世界遺産アグラ城
アグラ城はムガル帝国第3代皇帝アクバルにより1656年から10年をかけて建てられました。高さ20メートルを誇る赤砂岩の城壁に囲まれ、2.5キロメートルに渡って続く。歴代皇帝が宮殿を造っているムガル帝国の権力の象徴です。
高さ20メートルの城壁は濠が巡らせてあります。かつては長さが5キロメートルもありましたが、現存してるのは長さ2、4キロメートルです。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。

アマル・シン門
上の画像奥のアーチがアグラ城の入場口。観光客は画像右手前へ進みます。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
こちらの画像がアグラ城の観光順路。日本の城の枡形門と同じ。守り易く攻めにくい。ここだけ見れば城塞。フォートレス。中に入ると宮殿パレスの建物がある。
門を入ってすぐ、道の両側の壁が高く緩やかな上り坂がある。
画像を差し替えました。
左右の塀の途中に縦に入った切れ目は、敵が攻めて来た時に上から熱湯(熱した油だったかもしれん)を流したそうです。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
坂を登り切るとゲートがあります。ゲートを潜ると緑の中庭が視界に飛び込んでくる。
緑の庭の奥にジャハン・ギール宮殿があった。

● ジャハン・ギール宮殿
ムガル帝国3代皇帝アクバル帝が息子のジャハンギールのために建てた宮殿です。

赤砂岩に白大理石の象眼細工を施した建物は、左右のシンメトリーが美しいイスラムとヒンドゥー様式を融合させたデザイン。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
アクバル帝はヒンドゥー教とイスラム教の融和策をとり、ムガール帝国の勢力を拡大しました。アクバル帝が作ったジャハンギール宮殿の装飾も、ヒンドゥーとイスラム両方のデザインが使われています。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
宮殿入口の右側です。よく見ると、下の縁飾りみたいなデザインの中にイスラムの星があります。
アーチの所にはヒンドゥーの花がデザインされています。
2016.4.21デジカメ画像を拡大掲載します。

2016.4.21にデジカメ画像を追加しました。
上の画像はジャハンギール宮殿前の庭におかれています。浴槽です。が、結婚の結納で浴槽一杯の財宝が入っていたとかいないとか。どっちが先だったのでしょうかね?財宝が先かな?
2016.4.21にデジカメ画像を追加しました。
石造りの浴槽の近くに人が集ってる一角がありました。何やってるんだか??
確認したらそこにリスの姿がありました。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。ジャハンギール宮殿中庭確か建物に並ぶ部屋は、皇帝の子ども達の部屋だったハズ。
2016.2.21デジカメ画像を追加しました。
ジャハンギール宮殿の中庭です。アーチのデザインはヒンドゥーですね。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像はジャハンギール宮殿を北に抜けて、東に向いて撮影してます。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
2つ上の画像の左から撮影してます。この画像の左手はアグラ城の城壁で、覗き窓からタージマハルが見えました。
2016.4.11デジカメ画像を追加しました。
確かこの辺りは浴場の建物があった所。この窪みは浴場の水を溜める場所だったような~?すみません。うろ覚えです。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
こちら、浴場から城壁側のテラス。
この先はカース・マハール。大理石で出来た皇帝の寝室。天井が高いため風通しがよい。両側に子ども達の寝室がある。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
子ども達の寝室の建物から見たタージマハルです。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。

2016.4.11デジカメ画像を追加しました。
皇帝の寝室正面にある中庭。確かかつては緑の区画にぶどうの樹が植えられていて、中央でワインを作っていたと聞いたような?すみません。これまたうろ覚えです。メモ取りながらデジカメを写して更に肉眼で見ながら移動するのは結構大変で、どこかが抜け落ちてしまいます。
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
皇帝の寝室の内装は豪華です。天井です。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
テラス窓からタージマハルが見えたので撮影しました。
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像の壁にあいている穴は、おそらく中国の陶器などを飾っていたと思われます。そして床には水が張られてたと思われます。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
柱の色大理石のモザイク。上の画像の左奥の壁に変わった形の穴がありますね。これも陶器がはめ込まれてたのでしょう。壁沿いの窓からはヤムナー川とタージマハルが見えます。

その先に5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムダス。マハールの寝室として建てた八角の塔● ムサンマン・ブルジュがあります。
ここはぜひともシャー・ジャハーンの視点で見るタージマハルの画像を撮影したかったのですが、塔の内部は立ち入り禁止です。

画像の右手の暗い場所が入口なんですが、中に入れません。画像でオバさんが覗いているのは、ここに穴がありまして外が見えました!もちろん私も覗いてみた。

柱の場所にシャー・ジャハーンが立って愛妃が眠るタージマハルを見つめていたと思われなす。
柱の向こうにヤムナ川が見えます。ヤムナ川の河畔のタージマハル。河を挟んで対岸にシャー・ジャハーンの霊廟の幻の黒いタージが望めます。
実は昨日の記事で紹介しましたが、タージマハルを造った4代皇帝シャー・ジャハーンは、ここアグラ城でも贅沢な建物を造りました。黒いタージが出来る前に国の財政を心配した息子達によりシャー・ジャハーンはこの塔に幽閉されてしまいます。74才で亡くなるまで、シャー・ジャハーンはここから愛妃が眠るタージマハルを眺めて過ごしたとか。
ついでに上の画像をよく見て欲しい。手すりに緑色の鳥が停まってますね?これは野生のインコです。この画像では分かりにくいのですが、インコが停まってる手すりの下に、インコの巣穴がありまして、周りにインコが一杯いました。
動物は街にいるのか?(その3)(2016年4月8日)の記事 こちらの記事にインコの画像があります。
●貴賓接見室のディワニ・カーズ
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
貴賓接見室の左手にあるテラスからシャ・ジャハーンが幽閉された八角の塔がよく見えます。



ってか、八角の塔は立ち入り禁止なのでヤムナー川とタージマハル。王が幽閉された塔の立ち位置が分かるのはこの場所だけです。
2月は北インドでは乾季です。ヤムナー川の水量が下がっていて小さな川に見えてしまうのが残念です。
2016.4.8に携帯電話の画像を左のデジカメ画像に差し替えました。
さて。このディワニ・カーズですが、建設当時1階には池がありました。緑の芝生部分です。皇帝は2階から釣りをして楽しんでいたそうです。だから名前もマッチ・パワン(魚の宮殿)と呼ばれていました。

やがて池は埋められ、アグラ城で暮らす女性達が買物ごっこをして楽しむバザールの場所になりました。

画像で見る通り、とても大きい建物です。

白と緑のコントラストが綺麗だったので、何枚も撮影してしまいました。

上の画像奥に人影が写ってますね。ここの左に降りる階段がありまして、
この先に皇帝が一般市民と謁見する一般謁見の間、ディワニ・アームがあります。これが今日の記事のトップ画像になります。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
せっかくなのでトップ画像と同じ場所から撮影した画像をもう1枚追加掲載します。複雑なデザインなので、少し撮影場所の角度を変えると、別の味わいの画像になり楽しい場所でした!
この建物はシャー・ジャハーンが造ったので派手派手。イスラム様式のアーチや彫刻がふんだんに使われています。綺麗でしょ?
2つ上の画面奥に人影が見えますよね?観光客は画面奥右手奥の階段を降りてここへ出ました。そして観光動線は画面奥の左手へ進みます。だからトップ画像をゲットする為に、私はこの場所に出るとすぐに建物の端まで走りました(や、気持ちだけですが)。
今回のツアーでは観光解説はガイドさんがマイクに話し、ツアー客はイヤホンで聞いています。幸いこの程度離れているだけならイヤホンの声は普通に聞こえます。
建物の端に2・3段降りる階段があり、撮影は階段の下から特徴的なアーチが綺麗に写るように床すれすれに携帯電話を構えて撮影しています。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像を解説しますと、一般謁見の間。ディワニ・アームの外観です。
観光動線では上の画像の中央奥から手前へ移動します。上の画像の右手に数段だけ降りる赤い階段がありますね。ここからトップ画像を撮影しました。
ディワニ・アーム見学後、観光動線は上の画像左奥手前へ進む。左側に高い壁の向こうに真珠のモスクと呼ばれるモティ・マスジッドがありますが、ここは非公開。この先は実はかつてはアグラ城だった場所を現在は軍隊が使ってるそうなのでモスクは絶対に非公開のままでしょう。
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
アグラ城の観光はここでおしまい。出口へ向います。観光客に解放されている入口と出口は同じです。
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像は入口(出口)近くのアマル・シン門の枡形に植えられたヤシの木にいた野ざるです。

16時50分バスはアグラ城を出発しました。向かうはダバダ・ホテルの屋上。ここで今日のティータイムです。
市内から日暮れ時のタージマハルを眺めよう。
という趣向です。
ツアーでは毎日のようにティータイムがあったのね。何しろ年配向けツアーだからね。休憩はたっぷり取ってあるのだよ。

注文するのはいつものマサラティー。用意が出来るまで街から見えるタージマハルを撮影を楽しみました。画像のようにダバダホテルの屋上は鳩が入らないように檻が巡らしてあります。

旅仲間のYさんが「あの黄色い塀の上に何かいるように見えるんだけどな?」と指差す。
ンン~??望遠望遠っと?
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
これがデジカメでの望遠の限界ですが…。もしかして?黄色い塀の上に猿がいるかも?また野猿なのかぁ?どこにでもいるなあ。

そういえば、さっきから民家の屋上で布を振り回してる人がいるけどさ、あれはハトを呼んでるのかな?って事は、ハトの群れは野良鳩じゃなくて飼い鳩なかも?

あ。布を振り回していた人の家の屋上にハトの群れが降りる。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。 と?また飛んでった!
ああ。また布を降ってるわ。…楽しそうだね。

あ。お茶菓子が出て来たようなので席に戻ります。
こちらはペーターというお菓子です。
冬瓜の仲間のシロップ漬けで、アグラの名物お菓子です。冬瓜の代わりにオレンジを使う事もあります。アグラの街ではペーター屋さんで買う人気のお菓子だそうで。

お茶請けはペーターだけでなく、塩味ビスケットとクッキーもありました。夕暮れも残念ながら夕焼けにはなりませんでしたぁ~…。残念です。白大理石のタージが赤く染まる所を見たかったんだけどね。
ティータイム終了。ホテルに戻ります。
ホテル着17時55分。
19時より夕食。ここで添乗員から重要なお知らせが!
明日は早朝5時にバゲージダウン。5時半出発です。バスがデリーの渋滞に合うと思われますので協力願います」
うわ~。マジかぁ~~…。
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タージマハルを効率よく見学するには?

2016年04月10日 05時56分47秒 | インド旅行記
午前10時、いよいよタージマハル観光へ向うのですが、旅人には守らなければならない厳しいルールがありました!
旅人が守らねばならないタージマハル観光のルール
★タージマハルの観光は、持ち込み制限があります。

1)持ち込みOKなもの(小さいカバン・パスポート・カメラ・帽子・水)
2)持ち込みNGなもの(ボールペン・えんぴつ・紙類(しおり含む)・電池・イヤホン・ライター・三脚)

つまりだね。メモ魔な私はショルダーバックからあれもこれも出さねばならんのです。
これはあれだ。この世に二つとない世界の宝タージマハルを守るため、落書き出来ないように。火事にならない様に。持ち物制限してるのですね。
旅人は従うしかないね~。
ちっ!タージマハルを背景に、実家のあられの写真が撮りたかったのに~~~っ。
ともあれ、準備万端で出発です。

バスはタージマハルから1キロ程離れた場所で止まります。タージマハルの白さを保つ為、ここから先は観光客は電気自動車の送迎カートに乗換えねばなりません。
入口の持ち物検査は厳重です。まずは手荷物は全て預け保安検査機械に通します。
ここで旅人は勝手に自分の荷物を回収してはいけません。一旦機械でチェックしたハズのカバンも、係のおばさんが再度全てのチャックを開けて目で確認してから後荷物を返却するのを待つのです。
私は保安機械検査が終わったからと日本の乗りでショルダーバックを回収したら、係のおばさんに大声で呼び止められ、更にバックに入れてあったデジカメを指差され『これはビデオだ。別料金を払え』とイチャモンをつけられてましましたよ。
手間ですが、インドクオリティなので観光客は大人しく従いましょう。

持ち物検査と身体検査が終わったら、いよいよタージマハル~。

わくわくが止まりませんっ。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
中央アーチの向こうに、ちらりとタージ様の姿が見えてますっ!
赤砂岩で出来たメインゲートをくぐると、視線の奥にドーンとタージマハルのドームが見えました。
でもまだタージには行けないっ!
まずはメインゲートの脇でガイドさんの説明を聞いてから。(ってか、イヤホンの持ち込み禁止なので軽くね)
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ガイドさんの説明中にハトが飛んできた。ので見上げたら、とっても素敵。
添乗員より「これからタージマハルは自由観光とします。。ただ今の時刻は11時です。12時15分にこの場所に集合して下さい」
わああ~いっ!!
実はここで大失敗をしました~
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
タージマハルは上のメインゲートをくぐったらもう正面にどーんと見えまして、旅人の興奮はMAXになるのですが、メインゲートの向こうはゲートの影が落ちてまして、白いタージマハルと影の下での記念撮影では光量に差がありすぎてですね。一応上の画像もデジカメを強制発光させたんですが、ショボいデジカメのフラッシュでは光量が全く足りず…。自分の顔が軽くシルエット!タージマハルが白いものだから白い空にとけ込んで撮影画像で見ると肝心のタージマハルの姿が目立たない~~っ!!
うわ~~っ!!やっちまったぜ~~失敗画像をその場でチェックすれば良かったんですが、ツアー観光は制限時間がある訳で。
気が逸り先へ進んでしまいました~。もうアホとしか
帰国後撮影画像をiPhotoで画像調整して顔を明るくようとしたら、背後のタージマハルの輪郭と空の境い目まで消えると言う惨事が発生してね…。iPhotoの修正も出来ないという…。

さて、タージを目指しましょう!中央の水路を挟み左右2本の道がタージに伸びます。緑の芝生と花壇が綺麗に色を添えてくれます。これでもう少し青空だったら良かったんだけどね。タージが白いから白っぽい空だとコントラストがあまりついてないな。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像はトップ画像と同じ場所から撮影しました。
2枚の画像の見た目の差は、撮影モードのです。
普通のオート撮影だとすぐ上の画像になります。
タージマハルは白い大理石で作られてるので、建物全体が均一になってしまい、のぺっとした画像になりがちです。
白色一色ですが影である部分で立体的には見えるけどさ~。空の青さが足りないのがいかんともしがたい。
画像の出来に不安があったので、モードをHDRモード(露出の異なる複数の撮影を連写して合成することで、明暗さの大きな被写体でも白とびや黒つぶれのない写真が撮影出来る)に変更して撮影したのがトップ画像です。
このモードはぶっちゃけ使ってみたのですがね。出来は…微妙でしたね。
ん?もしかしてHDRモードはCASIOのEXILIMカメラ専用モードだったらごめんなさい。私デジカメはこれしか持ってないので、他と比較出来ません。

さて、上の画像は中央奥に伸びる長い水路がありますね。
画像奥にタージマハルの手前を、白く真横に倒れてる柱みたいな構造物がわかりますか?
記念撮影はここですべきだったのです!タージマハルが背後に大きさく写せる記念撮影にぴったりの場所はここです!
2016.4.8デジカメ画像を追加しました。
こんな感じで観光客が大勢記念撮影をしています。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
なお、このポイントは観光地によるある観光客目当てのインド人カメラマンが集っています。2つ上の画像の左下はインド人カメラマンの手です。
私達のツアーではスルーガイドのランジットさんが交渉して、専属カメラマンを一人キープ。彼に撮ってもらうと1枚100ルピの写真代金でした。
しかし普通は各自で写真代を交渉する所から始めねばなりません。世界中からこれを目当てに観光客がやって来るのです。ボラレ放題になる可能性も。要注意です!

ちなみにうちのツアーは客が19人もいるから順番待ちの時間まもったいないな~?とカメラマンに写してもらうのをパスしたのですが、撮影した写真の出来が悪いのが分かってれば、つくづく写してもらっときゃよかったな!と~~(泣く)
そうなのね。今は自由行動中です。この台付きのプールに上がって今更気付いたとしても、うちのツアーの専属カメラマンが誰だかどこにいるか?もう分からんのです。探す時間がもったいない。しかもこの場所は大人気でして、とてもダンナと私、タージマハルを背景にツーショット撮影は出来ません。せめてシャッターを押してもらえたら~~。
あ~やっちまった~~。
後悔は先に立たずっていうけれど、今回のはダメージが大きいわ~。
来年の年賀状の写真をここでゲットするつもりだったのに~。そのつもりでまともな服を着てるのにぃ~。夢で終わりましたねっ。

上の西洋人4人組の記念撮影画像の背後、プールの向こうで大勢の観光客がタージマハルを眺めてますね。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
そこへ移動し撮影したのが下の画像です。
2016.4.8デジカメ画像を追加しました。
よく観光ガイドブックやパンフレットで鏡面でタージマハルが写ってる画像はここからの撮影です。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。 ね?旅行会社のパンフレットに載ってそうな画像でしょ?でも本当はもっと左の水路も左右対称になる場所で撮影したかったのですが、観光客が多過ぎる。いや、これでも今日は少なめだとガイドさんは言ってましたが…。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
プールからメインゲート側を振り返ってみた。逆光でした!
参道の中央あたりにあるプールの左右も人気の撮影スポットです。こちらにもインド人カメラマンが集っています。彼らは商売なので押しが強い!記念撮影してるグループの間をちょろりと最前列へ。
2016.4.8デジカメ画像を追加しました。
花壇の色鮮やかな花が画面に彩りを足して華やかに…。
あ!飛んだっ!!シャッターチャンス到来!!
2016.4.8デジカメ画像を追加しました。
あ~~~っ!!撮影モードがHDRのままだった~~っ!!
HDRモードは連写撮影出来ません。慌ててオートへ切り替えたのですが、時既に遅く、白い鳥の群れはヤムナー河の方へ飛去りました…。
もうね…。私の年齢がね…。反射神経というものがだね…。
シャッターチャンスに反応するのに時間がかかり過ぎでね…。
いやね。これでも私は高校時代は写真部だったのよ。む・無念です
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
プールを挟んで左手に移動。こちらは撮影してる人が少なくて、写真が撮り易かったです。
さてと、ツアー客は観光時間が限られているのです。落ち込んでいる時間はありません!タージマハルのドーム目指して進みます。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
と?一段高くなってます。観光客が左右へ別れていますが、日本人観光客は左へ進んで下さい。右折してるのはインド人です。そっちに行くと時間がかかる。
2016.4.8デジカメ画像を追加しました。
タージの左右にある建物のうち、上の画像は左側にあるモスクです。
手前の左手の観光客の足元に注目。
1段上がった所で観光順路は右手へターンします。この後タージ正面の階段上がります。が!その前に靴カバーを受け取ります。タージマハルが痛まないように、旅人は自分の靴の上からカバーをつけねば先に進めません。
2016.4.8デジカメ画像を追加しました。
私がタージマハルを訪問したのは2016年2月17日です。訪問の数日前にミナレットの修復工事が始まったようです。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
うををををを~~~っ!!あと数日早く訪問出来てれば~~っ!!聞く所によると、この後全てのミナレットに足場が組まれたよです。タイミング悪かったですね。
あ!ちなみに、タージマハルのドームの左手がモスク。右手に迎賓館があります。後でいけばいいや!と高をくくっていたら、時間が足りなくなって、左のモスクに行けませんでしたぁ
いや~~。観光客の多さを嘗めてた訳じゃなかったけどさ。ドームの中があんなに混雑してるなんてェ~
狭い階段を上がると、足元は白い大理石に変わりました。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
赤い靴カバーをつけてる客はインド人用の入口から来た人。白い簡易靴カバーをつけてる客は外国人用の入口から来た人。
ちなみに、ドームの中は撮影禁止です。とても多い観光客をさばくために、シャー・ジャハーンとお妃の墓を中心にぐるりと一方通行で進まねばなりません。
2016.4.8デジカメ画像を追加しました。
参道から続くタージの中央がドームの中入口です。(フマユーン廟ではドームの入口は建物に向って90度右手にあります)
ドームの真下、中央の部屋にシャー・ジャハーンと愛妃の石棺が2つ並んでいます。
観光客が石棺に触れないようにする為か、石棺の周りは覆ってあります。観光客は石棺の周りを1周してドームの外へ。ドーム左右にも部屋みたいな空間がありましたが、人が多くてパスしちゃって見学してません。そうなのです。ドームの中は混雑してます。警備員もいます。観光客は極めてゆっくりとしか進めません。
はっきり言って時間をロスしました。
でもまあ、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの愛の物語の完結を見たし、感動出来ますわ。

外装を少しだけ撮影しました。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。

2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
この後、タージマハルの裏側へ回ったら、ヤムナー河と向こう岸に朝日に照らされるタージマハルを眺めた黒いタージの遺跡が見えました。

上の画像は観光客ですが、ど~みても日本人か韓国人か中国人の女性が中央にいますね。だいぶんうらやましいけど、これは家族写真かもしれんね。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
タージの周りをゆっくり歩いていたらタージの右手にある迎賓館が目に入った。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
あ!忘れていた!ってか、集合時間までもう残り時間がない。今からタージの右手にあるモスク側にはいけません。でもさ、目の前の迎賓館へは頑張れば行けるかも~?ってか、「ここで見なかったら一生後悔する!」そうと決れば急ぐのじゃ!
ダンナを無理矢理引きずって可能な限りの早さで迎賓館へ向います。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
白大理石製の床がある面から階段で一段下に降りると。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。

一段下がった場所の床は赤砂岩と白大理石の象眼細工になってました。
途中で靴カバーの返却を忘れずに。ってか、靴カバーであって、靴下ではないのですよ。カバーがなかなか外れないのですよっ!あ~~~もうっ!急いでるのにぃ~~~っ!!!
あ。靴カバーはインド人用の入口兼出口にある靴カバーの回収箱に入れました。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。

2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
迎賓館の壁面装飾です。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
迎賓館の3連アーチのある場所の天井部分です。天井だから近くがら確認出来なかったけど、これは赤砂岩の上に白で絵を描いてるのですかね?分かりません。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。

2016.4.8デジカメ画像を追加しました。
迎賓館の中は赤砂岩のーーー何だろうな?フレスコ画?それともモザイク柄かな?
イスラムの黒いアーチ越しに写したタージマハルの写真を、観光ガイドブックに紹介されてるのを見た事ありますか?
あれはタージの左右のモスクか迎賓館のアーチを利用して撮影しているのです。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
つまりこんな感じでアーチを額縁にして撮影してあるのね。
そしてまたHDRモードで撮影しちゃいました~。
てか、オートモードで撮影した分は私がシルエットになり、タージが白飛びして没写真になってしまった~
あ~、スポット測光で撮影しておけばこんな事には…。
もうね、失敗ばっかりですわ。久々にデジカメ触ってるからな~。旅に出る前にカメラに慣れておくのが大切なんですよ。
これからタージマハルへ行く人はうまく時間調節して撮影頑張って下さい。
タージマハルは日本人が死ぬまでに見たい場所のトップを争う場所なんだって!
私はなんとか黒いアーチ越しのタージマハルの画像を撮影しましたが、左右のミナレットにまで神経が行き届かず、アーチの中に綺麗にミナレットをおさめる事が出来ませんでした~
ってか、本格的に時間がない!集合時間まで残り3分じゃ~~~~っ!!ダンナ~っ!急ぐよ~~!!
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ここから集合場所までダッシュで3分で戻りました!つーかさ~。タージ初訪問の人は観光時間短過ぎっ!更にダンナが感動し過ぎっ!今回の旅はダンナの「死ぬまでにタージマハルが見たいんだっ!(魂の叫び)」により旅先が北インドに決定したのですがね。ツアー旅行は観光時間が限られてるんだから、ちゃっちゃと動かないとさ。ダメなんだよ…。感動したら動かない!人の言葉が耳に入らない!というダンナですからね。もうさ。
私「満足した?」と聞けばダンナ「うん」と答えたので、まっいいか!
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
あれ?ツアーのメンバーがいない?でも集合時間になってるんだけどな~?
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
集合場所は他の観光客が占領していたので、うちのツアーメンバーはメインゲートの壁際に集っていました。
上の画像の右手のサリーを着てる女性は、うちのツアーの添乗員さんです。個人情報保護でiPhotoで目線を入れてありますが、本当はインドテイストのメイクもお見せしたいところです。目尻にアイライナーで2本描いてあり、これがテレビドラマに出演するインド女性のメイクと同じなんですよ。
ここで非情に残念な事が起きてしまいました~
この時撮影した集合写真は、添乗員のデジカメで撮影したのですが、後日「データーが飛びまして、写真が送れません」という事態になってしまいました…
これ、すんごく困まるんですわ~。海外旅行の集合写真の顔を見て、毎回ツアー仲間の顔を照合して後、旅の写真を送っています。しかし今回の旅では大気汚染から呼吸器系を守ろうと、みなさんマスク&サングラス&スカーフ&帽子常備でしてね。帰国後に撮影画像を見てももう誰が誰やらさっぱり分からないんでやんの~
それでも出来る限り頑張って写真を送ったのですが、3月初旬に3組5名様へ写真を送った結果…。どうもお一人様、個人特定を間違っておくってしまったようで写真を送って一月立つけど音沙汰がない!やっちまったか~??
連絡先を聞いているのは他に3組4名様。こちらの方々へはメールで画像添付して送付するつもりなんですが、iPhotoのライブラリの空き容量が殆どなく、デジカメ画像を1枚一枚チェック出来なくてまだ放置しちゃってます。なにしろデジカメ画像が2000枚分、携帯画像が1000枚分あるのがもう大変です。楽しみに待ってて下さってると思います。先に旅日記を描き終えたいのでもうしばらくお待ち下さい。(ぺこり)
*2016年4月21日現在、デジカメ画像をチェックして少しづつ画像添付してメールを送っています。作業はまさしく『ウォーリーを探せ!』ですわ個人特定を間違っていても、メール画像だからね。受取側が間違い画像を捨てるだけで問題解決出来ます。

さて、タージマハルを出たら送迎カートを待ちます。これがなかなか来なかったのですが、タージマハルの前にTATAのパトカーが止まってて思わず撮影タイムゲットです~。いや~、楽しかった!

インドのパトカーはTATA製です。(2016年3月30日)の記事
ようやく着た送迎カートですが、ツアー客全部の席がなかったので、通路の前から詰めて乗りました!座ったら目の前が運転席だったので撮影したのですがね。地面が見えてます。

一応タージマハルの白大理石の白さを保つため、「送迎カートはガソリンでもディーゼルでもなく電気自動車です」と紹介を受けたように思うのですが…。これ、本当に電気自動車なのか??
送迎カートはバスが待つ駐車場に到着しました。
バスはそのままランチのレストランへ。

12時40分、レストラン到着。
いつものカレールウ数種類とナンとインディカ米のカレーです。安定のメニューです。そしてまたまた途中で停電に遭遇。旅人は停電にもう慣れました!
ランチが終わったら一旦ホテルへ戻ります。

暑い時間帯を避け、次の観光は午後3時半から再開。それまでは自由行動です。
ここで街歩きをしたいのですが、「治安がよくないので勝手に出歩くな!」が合い言葉の今回の旅です。デジカメの充電はやるとして~、あとはどうするかな~?そこへガイドさんが「希望者がいらっしゃるので、紅茶屋さんへ案内します。」という訳で。
ロビーから希望者はガイドさんがおススメのお店へ移動します。ってか、ホテルの向いの土産屋だったんだが…。
ところで、インドは有名な紅茶の銘柄の産地なのですがご存知ですか?
アッサム・ダージリン・ニルギリです。
ってな事で、明日の記事はお店の人による紅茶のお話から始まります。

2016年4月21日にデジカメ画像を21枚追加しました。
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北インドの旅5日目朝日に照らされるタージマハル

2016年04月09日 05時56分29秒 | インド旅行記
2016年2月17日、旅の5日目。
うっかり目覚めてしまった。まだ夜中の2時半だった…。やっちまったぜ~。日本とインドの時差は3時間半だからして、2時半は日本の午前6時です。となると今更もう寝れない。何しろ明日…もう今朝か。今日の観光は朝日に照らされるタージマハルを鑑賞することから始まるんである
もうワクワクが止まらない~
子供か…。もういい大人だんだからさ。落ち着けよ自分

仕方ないんで絵はがきでも書くか。旅行会社から日本までのエアメール代4枚分の切手をもらったので、ジャイプールで絵はがきは購入済み。ってな頃で仕上げたけどさ。2枚はタージマハルなんだけどさ。まだ見てないんだけどさ。夜中に起きて寝れないんだから仕方がないや。ハガキのネタは『絵ハガキの切手の男の方はインドの自動車メーカーTATAの創業者です。インドでは珍しく、ゾロアスター教の信者さんです』
ちなみに、添乗員からは「インドから出す郵便は7割届きません。踏まえて挑戦して下さい」と言われましたが、この時書いた絵はがきは、アグラのホテルのレセプションに出しました。4枚とも無事に届きましたよ。ま。ミニ情報ですが。

さてと?バスの中で取ったメモ整理でもするかな?ついでだからガイドさんへのQ&Aも作っておこう。シコシコ書きものをして時間つぶし。にしても早く起き過ぎた!ん~?インドのテレビ番組ってどんなのかな?あ。ポチッとな!

女性の為のスリムギアをつけ、シャープに見えるボディを手に入れよう!(2016年2月25日)の記事  この時にガン見した通販番組の記事です。

ムトゥ踊るマハラジャはヒンドゥー語ではない?(2016年3月31日)の記事
何コレ~~っ!!面白過ぎる~~っ!!
何つーの?しゃべってる事は全く分からないのですが、これなら何時間でも見てられるわ~。うわ~~。今までテレビつけなかったの失敗だったかも~~。(以後、テレビ番組が楽しくてメモの整理やら前日予習をしなくなる。今後悔してる)この時、テレビ通販のメモをA5版の紙にびっしりさし絵付きでとってしまいました~。何つーの?綺麗になった妻に、バラの花束を差し出す夫の映像が頭にこびりついてしまいましたわ。笑撃ですわ。お腹がよじれそう~。
午前6時、モーニングコールがかかってきた。ようやく6時です。長かった!

6時半、ロビーに集合です。
暇なんでうろうろしていたら、ドアマンに「今日はレイニーディ」とか言われた!
「え?今日雨降るの??」聞き直すと「そうだ」という。
ちっ!せっかくの朝日を楽しむイベントなのにさ。台無しだぜ~。と、テンションを下げつつ部屋に傘を取りにもどる。
幸いこれは完全なドアマンの間違いだったんだけどさ。翌日は夜明けから雨降りだったので、私達のツアーはぎりぎりセーフだったのかもしれません。
なんつーの?今回の旅は旅仲間に絶対に豪運の持ち主がいるわ~。トラブルが向こうから逃げて行ってる気がするわ~。ありがたやありがたや。
何はともあれ、まだ夜明け前の暗い街をバスは進みます。
次第に空がぼんやり明るくなってきた。バスの右手に川が流れていました。反対側は左手はアグラ城の城壁が続いています。川を渡り対岸へ。着いたのは● マターブ・バーグです。
2016.4.8左のデジカメ画像を携帯電話撮影画像と差し替えました。
ぼんやり明けですね。朝日は出るんだろうか?まあ思った程寒くないのは良かったけど。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
朝日は出た。ぼんやり夜明けで、朝焼けはなし!
2016.4.8左のデジカメ画像を携帯電話撮影画像と差し替えました。
楽しみにしてたけど、タージマハルが朝日に照らされて赤く染まる~なんてイベントもなし!
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。 ねえそこのワンコ、私のがっかり具合を察してくれたかな?
ちなみに、撮影はタージマハルとヤムナー川を挟んだ対岸から撮影しました。実はですね。今日のトップ画像のワンコが座っている土台ですが、これが遺跡なのでした。
その名も● マターブ・バーグです。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。 
上の画像の手前部分が黒いタージの土台の遺構です。
分かりませんよね?ならば、黒いタージマハルの建設予定地だった!と言えば、ああ!と気付く方も多いかと。今日の記事はタージマハル1本ですので、先にタージマハルについて書きますかね。
● 世界遺産タージマハル 1983年ユネスコ認定
タージマハルはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年から愛妃ムムタースのために22年の歳月と、湯水のように莫大な予算をつぎ込んで建てた白大理石の豪華なお墓です。(完成は1653年)
高さ67メートルのドーム。シンメトリな造りはどの角度から見ても素敵。42メートルの4本のミナレットに囲まれている。
ここでシャー・ジャハーンと愛妃ムムタースの愛のお話がガイドさんから紹介がありました。既に帰国して一月半ともあると記憶があやふやになってきてるのですが、「シャー・ジャハーンとお妃は18才と22才で出会い深く愛し合ってました。皇帝の地方遠征などにもお妃は同行していました。この時代にはとても珍しい事です。二人の間には子供が次々と生まれました。<息子だけで4人>15人目の子供をみもごっている時に、お妃は妊娠中毒症にかかり死んでしまいます。
皇帝は深く嘆き哀しみます。お妃は遺言を残しました。「この世に二つとない墓を作って下さい。私の他に妃を迎えないで下さい」
やがて皇帝はヤムナ河畔に豪華な墓を作り始めます。タージマハル建設後、皇帝はヤムナー川の反対側に自分の墓を作る計画でした。しかしあまりの予算の駈け過ぎを危惧した息子により計画は頓挫。皇帝はアグラ城の一角に幽閉されます。
左の画像の右奥に写っているドームが、シャー・ジャハーンが幽閉されていた塔です。内部は立ち入り禁止。午後のアグラ城観光で回りました。
皇帝は亡き妃の墓が見える塔から死ぬまでの7年間を幽閉されて過ごしました。今皇帝は愛する妃と共にタージマハルで眠っています」という感じだったような?
何人目の子供を妊娠していた時だったかどこにメモしたのか突き止められず、もうあやふやな記憶で書いてます。でもさ、18才から毎年産んでも15人だとしたら、お妃は最低でも33才。それが17世紀の軍の遠征先にいくら愛してるからと言ってお妃様を帯同し、更に妊娠。やがて妊娠中毒症。う~む。時代を考えても医療知識も未熟だろうし、お妃様はなるべくしてなった死因じゃないかな~?
黒いモスクの基礎工事は既に手をつけていたようです。今はモスクの基盤が残っています。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
シャー・ジャハーンの構想では、お妃様の霊廟であるタージマハルと自分の霊廟になる黒いタージを結ぶ橋を架ける予定だったとか。
トップ画像のワンコの手前、撮影してる背後に基盤がありました。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ここから見て太陽は左手から登ります。朝日に照らされるタージマハルを楽しむというのが主眼です。ならば、ここで不慣れなデジカメに慣れないといけません。
不慣れなのが祟り、測光方式の変更だの明るさ補正だのの技を今更タージマハルの夜明けを教材に実践する私。いいですか?こういうのは旅に出る前に試すべきなのです。でないと、私のように二度とないタージマハルの夜明け写真の撮影に失敗するハメになりますよっ!(泣く)

ぼんやり日の出だったので、残念ながらタージマハルの白い大理石がバラ色に染まるということもなく鑑賞は終了しました。

まあワンコ達がいいモデルになってくれたからそれで満足するか…。

ね。いい画像でしょ?
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
帰り道、添乗員が「以前案内したお客さんが、ここの花壇のお花越しにタージマハルを写してらっしゃいました」と。
ならば私も混ざってみようではないかぁ~!
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
バスへと戻る。ん??すぐにバスが止まりました。
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
メインゲートが道路から見えてます。あ!そうだっ!念の為に聞いておかないと。
私「汚い靴下はいりますか?」
旅人は観光の時に出来るだけ荷物を軽くしたいのです。
添乗員「この廟は靴を脱いで靴下を履いて観光しますから必要です」
そういうのは早め早めに言ってくれ!
2016.4.8に左のデジカメ画像を追加しました。
白大理石の霊廟が朝の光を受けて輝いてるようです。

● イティマド・ウッダウラー廟
ヤムナー川の対岸にある。第4代ジャハンギール帝(アクバル大帝の息子&シャー・ジャハーンの父親。彼の時代に細密画が発展)の皇妃の父母の墓。
タージマハルの1/10程度の規模ながら、廟全体に色大理石の象嵌加工が残され、ムガル建築の中でも装飾が非情に美しい。
ベビー・タージの名前で親しまれている。

朝日に白い大理石が照らされてとても綺麗でした。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。

つーかさ。朝日に照らされるタージマハルを楽しむんだから、あと5分~10分あのまま対岸から眺めてたらそこそこタージマハルも綺麗に見えたんじゃないかな~??なんか今目の前の廟が綺麗な色なのが悔しいのはなぜだ?!
ヤムナー川の方角に小さなもうひとつのゲートがあった。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
真ん中のアーチの奥、ヤムナー川から直接廟に入れるようになってるんじゃないか?と思ったのですが、そうではなさそうですね。川舟用の門かと思ったんだけどなー?

さて、汚い靴下の出番ですっ!
旅人はこの廟の内部を見学する為に、自宅から汚い靴下を持参しました。ここを見学するには、靴を脱がないと上がれません。係員も朝早く(午前7時過ぎ)だというのに既に待機しています。(上の画像中央の一段上に立つおじさんが係員)
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
霊廟の外側の彫刻と色大理石のモザイクがとても綺麗です。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
上の画像左にいるのはうちのガイドさんです。ここから廟の内部に入ります。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
内部のモザイクは更に華麗です。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
こちらは漆喰塗りの上にフレスコ画。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
フレスコ画をアップで撮影してみました。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
肉眼では霊廟の中は暗い部屋もありまして、上の画像を撮影した部屋も暗かったのですが、念のため撮影した天井の画像はとても綺麗でした。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
フレスコ画が一部欠損してます。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。一部が剥がれてしまったフレスコ画は、早めに修復しないとどんどん痛みが広がるんじゃないかな~?
ところで上の画像の赤い花の種類は何じゃろか?左のはダリア?右のはチューリップかな?
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
石棺と木棺が複数安置してありました。石棺が安置してある部屋は、床の大理石の象眼細工も華麗です。漆喰のフレスコ画の一部がはがれている画像は、この部屋の壁です。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
石棺にかかる透かし彫りを通って届く朝の光が綺麗です。
2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
ここがイディマド・ウッダウラー廟正面中央にあるアーチを廟の中から見た所。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
木棺は石棺とは別の部屋に安置されています。
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。

2016.4.21デジカメ画像を追加しました。
あれっ!?ヤムナー川側のゲートの中央ですが、もしかして外が見えてるんじゃ~??つか、これ同じゲートです?別物にしか見えないんだが。場所は同じなんだけど~??
2016.4.8左のデジカメ画像を追加しました。
メインゲートの外、道路側にいたワンコです。絵になるワンコばかりで嬉しいっ!
この後、バスで一旦ホテルに戻り朝食を手早く取りました。
午前8時45分 グラスの赤い液体はスイカジュースです。
さあ着替えです。旅をしたのは2月ですが、この日の天気予報はくもり。最低気温16度・最高気温28度でした。ヤムナー川の川岸から朝日が登るのを待つならばと、長袖ジャケットとセーターを着込みましたが、最高気温が28度なら薄着で充分です。出来れば来年の年賀状用の写真に使いたいからマシな服で写りたい。ついでに日焼け止め代わりのメイクもバッチリ決めないと~。うん、やること一杯あるね!

2016年4月21日に、この記事にデジカメ画像を11枚追加しました。
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動物は街にいるのか?(その3)

2016年04月08日 05時20分22秒 | インド旅行記
北インド旅行の旅日記の連載の途中ですが、デジカメ画像を追加してたら1記事当りの画像がとても多くなってきまして、画像追加したら読みづらいという状況になってます。こんな事なら旅日記の記事をもっと分割すればよかった~。と、明日から更新する旅日記は既に予約投稿済みなのですが、記事を分割する作業の時間が欲しいです。ンで、旅日記に入れられなかった画像から動物は街にいるのか?と題しまして、今日は第三弾!を紹介します。
● インコ
既に北インド旅行のフォトチャンネルをチェックして下さった方はお気づきですね。デジカメ画像をチェックしたらインコの画像が見つかりました。

撮影場所:サウスデリー世界遺産クトゥブミナール建築群

撮影場所:アグラの世界遺産アグラ城、皇帝シャージャハーンが幽閉されたムサンマン・ブルジュ。
上の画像は観光客は立ち入り禁止ですが、鳥は関係ありません。

一つ上のインコと鳩が止まってる手すりの下は、インコの巣穴になってます。

巣穴の向いにはインコが停まるヤシの木がありました。
● 野良犬

撮影場所:アグラ。タージマハルからヤムナー河を挟んだ向い。シャー・ジヤハーンが黒いタージを建設する予定地。
野良犬が2~3匹いて、いいモデルになってくれました!



野良犬なのにモデル感が出てますよね?モデル料にエサでもあげたい気分ですが、生憎何も持ってなかったわ。ゴメンネ~。

撮影場所:アグラ。イティマド・ウッダウラー廟
赤砂岩とワンコの色合いがぴったり~。
● もんしろ蝶

撮影場所:アグラ郊外、ファテープルシークリー近くのレストランの庭
北インドの旅では昆虫の姿を殆ど見なかった!
理由を考える。
おそらく乾季で水が少ないから発生が減ってる時期かな?とか。昆虫をエサとして捕獲する動物が多い?とか。街中で食草になる雑草がエサとして食べられてしまい増えられない?などと。旅の間にみかけた蝶はレストランの庭とファテープルシークリーのディワニ・アームの庭だけでした。残念ながら捕獲は出来ませんでした。楽しみにしてた奈良のHさん、ごめんなさい。今回は正露丸も乾燥剤もバッチリ用意してあったのですが、使わずしまいです。

● 白い鳥

撮影場所:アグラ郊外、ファテープルシークリー近くのレストランの外の畑
この鳥は何て名前かな?ちょっと見には中サギに似てますが?

背景の緑の畑では既に穂が出た麦が育ってました。2月なんですが…。2016年2月16日のアグラの天気予報は最高気温26度・最低気温11度でした。麦の収穫まであと一月かからない育ち具合です。
● 荷ラクダ車





3枚の荷ラクダ車の撮影場所は、ジャイプールからファテープルシークリーへ向う高速道路の車窓から撮影しました。2枚目は高速道路の料金所の手前でして、向いの車道の車と植木が邪魔してラクダの身体が殆ど隠れてしまいました。
● 野ぶた&野イノシシ

撮影場所:ジャイプール市街
日本では豚は畜産業者の飼育小屋にいて、イノシシは里山で大いに悪さしてるという認識ですね。ま。あってると思います。でもインドでは豚もイノシシも普通に街中を闊歩してるのですよ。豚も牛やネズミと同じく神様らしく、更にイスラム教徒は豚を食べません。私達旅人が食べる肉もチキンでした。
● 野鳩

撮影場所:ジャイプール。シティパレスにて。

撮影場所:ジャイプール旧市街
鳩は群れでどこでも見かけました。野良というか野生のハズなのですが、雑穀を露天で売ってるお店の売り物を直接ついばんでいたり、そのへんで適当にエサをもらったりして平和に暮らしてました。



撮影場所:ヴァラナシ郊外、サルナート。
● コブ牛

撮影場所:ヴァラナシ市街
神様の牛とされるコブ牛と旅人との距離に注目!道幅が狭い上に、リキシャや自転車も同じ道をゆくので牛の側を歩かねばなりません。
● リス

撮影場所:サウスデリー、世界遺産クトゥブミナール建築群
世界遺産の遺跡には、多くのリスが暮らしていました。
これは既出の、動物は街にいるか?(2016年3月19日)の記事 この記事の中で紹介したリスの画像があまりに酷かったのでデジカメ画像を探しました!

という事で、旅日記の記事を編集する間の穴埋め記事でした。でもこっちの記事の方が閲覧してもらえそうに思うんだけども。そのうちまたその4があるかもね。
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北インドの旅4日目ファテープル・シークリー(改)

2016年04月07日 06時03分25秒 | インド旅行記
この記事は4月20日に画像を多く追加して、文章も相当書き換えました。徳にファテープル・シークリーの部分は前の記事の出来が悪かったので、全面に手を入れてます。

2016年2月16日(火曜日)旅の4日目です。今日もいい天気になりそうだ!
7時モーニングコール。7時より朝食。7時半バゲージダウン。8時ロビー集合&8時半出発です。

ダンナの顔が暗い?
「どうしたの?」「ネット代が530ルピだった…」ーーうん。1000円超えだね。
延々とFacebookに投稿&コメント返ししてるのですよ。私はよく分からんが。楽しいようなので530ルピも仕方ないよな。でもさ、この使用代金はホテルによりまちまちでした。無料の所もあったし差は大きいですね。
さて、早速昨夜ボラれたロングスカーフの出番です!いや~、1枚5ドルのロングスカーフが4枚35ドルで買わされたのは業腹ですが、スカーフの色と柄はお気に入りです。手触りもいいのでもう気にしない~。今日はジャイプールからアグラまでロングドライブなんだよね。
では行ってみよう!


2016.4.20デジカメ画像を追加しました。

車窓はデリーとジャイプールの時に見かけた風景と似てて、緑と土色の繰り返し。時折山の上にジャイナ教のお寺が見えるのも同じ。

緑の畑の中に時折レンガ工場の煙突も見える。代わり映えしない。

時折高速道路なのに小さな街も通る。普通のインドの街を車窓から眺める。
車窓に丸い何かが干してある。それが次々と現れては消えて行く。あれは何?
私「すみませ~ん、丸いの何ですか?」と聞けば驚きの答えが返って来た。
ガイドさん「炊事の時に使う燃料です」ほうほう、インドは釜的なもので料理してるのね。
ガイドさん「牛のフンを乾かして作ります」
なんだって~~っ!

確かに丸いのの近くには牛がいる。
ガイドさん「牛のフンで作る燃料はよく燃えるんですよ。皆さんの食べる食事には使ってません。大丈夫です」
牛のウンチだよな?燃料にしたら臭くないのかな?
11時、トイレ休憩です。

ジャイプールの街にはピンク・黄色・白・オレンジなどのブーゲンビリアがあちこちに咲いていました。ホテルに庭がなかったのが残念です。ジャイプールでブーゲンビリアの花の撮影が出来なかったからね。と思っていたら、ドライブインで満開のブーゲンビリアま迎えてくれました。ラッキーです。
トイレ休憩のドライブインは土産物屋が併設されてました。せっかくなのでどんなお土産があったか少し紹介します。
  
 
 


白いのは白大理石に色のついた石をモザイク細工してあるお土産です。
ガイドさん「イスラム教徒は手先が器用で、大理石の小物を作っているのは彼らです」

絵はがきもあった。欲しいのもあったけど、昨日の両替不能事件が響いてる。手持ちにルピーがないんだよね。



ドライブインの駐車場の花壇に小さな昆虫がいました。そういえば…。今回の旅で昆虫を見たの始めてな気がする。なぜかしら~?
う~む。採取…したいけどさ。これさ。ハチかもしれん…。刺されたら…。ハイ、無理っ!!
バスは再び走り出す。

インドの女性は作業する時にも民族衣装のサリーを着てるのか。旅人には異国情緒が感じられて嬉しいわ。

再び車窓を楽しむ。と?ン~~?またまた車窓に変な物が現れては消えていく。

あれは何?疑問に思ったのは私だけではないようで、旅人達がそれぞれに予想を口にする。
「ミツバチの巣箱じゃないの?」「イスラムのお墓だよ。お墓の上に樹を植えてあるんだ」う~む。予想が錯綜してるな。では答え合わせです。
私「すみませ~ん。車窓の樹の根元にあるレンガや青い箱は何の為にあるんですか?」
ガイドさん「動物が植えた木を食べないように囲ってあります」
おおう…。まさかの答えでした。
あ。犯人発見!
毛を刈り取ったところかな?羊の群れですわ。

13時、昼食のレストランに到着です。今日はセットメニュー。

北インドのカレーターリーです。プレートの中央にタンドリーチキンが乗ってますね。実はこれ外国人向けのメニューだからこそです。
今日は火曜日。ヒンドゥー教徒は肉を食べない日です。肉料理は作っても売れない日だから、街中の屋台も火曜日は肉料理は作らない。とか。
また出た~。なんか、ヒンドゥー教徒は占いに従い生きてるからか?取り決めが多いんだよね。
例えば、インドの一般車やオートリキシャにバスにトラック。みんなお守りを吊るしてます。生花を吊るす場合は、花は土曜日に取り替える。
綺麗に着飾ってお金を一杯使う女神の日。使ったお金が倍になって帰って来るんだって。
鉄の日。この日は鉄製品は買わない日。
ヒゲを剃らない日というのもあったな。そういや、日だけでなく日がくれたら髪の毛を触ってはいけない
。っていうのもあった。ガイドさんは敬虔なヒンドゥー教徒でして、ヒンドゥーの教えをちょくちょく挟んでくる。多過ぎて全部覚えてないんだよね。

レストランは屋外でテントを張ってありそこでいただきました。レストランの敷地の外は畑が広がってました。既に大麦か小麦だかの穂が出てました。まだ2月半ばなのですが…。
さて、お腹がふくれたら今日唯一の観光地ファテープル・シークリーに向います。
14時30分、バスは駐車場の到着です。ファテープル・シークリーは、丘の上にあります。道幅が狭いためか、観光バスから小型のシャトルバスに乗換えます。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
他の観光客と乗り合わせ。丘を上がったら観光開始。

● 世界遺産ファテープル・シークリー
わずか14年で捨てられた”勝利の都”
1571年ムガル帝国第3代皇帝のアクバル(1556-1605)が遷都先として選んだのは、政治の要所アグラと聖地アジメールの間の土地。広大な敷地内にはイスラムとヒンドゥーの様式を融合させた独特の建物が残る。
ムガル帝国は300年以上に渡りインドで栄華を極めます。帝国が昇り調子に拡大する時期に財力を支えたのは、ヒンドゥーとイスラムの融和政策をとったから。これを実施したのがわずか13才で即位したアクバルです。(父親はデリー観光で見たフマユーン廟で眠る2代皇帝フマユーン(1530-1540、1555-1556)です。フマユーンはアフガン系民族に攻め込まれ、一時領土の大半を失う。その後奪還。インドも戻ってすぐに階段から落ちて急死した)フマユーン廟の記事は既出です。
北インドの旅2日目フマユーン廟(2016年4月4日)の記事 こちらにサウスデリーにある世界遺産フマユーン廟の画像があります。
アクバルの時代、政治のみならず、芸術面でもムガル帝国の基盤を築いた。彼の時代はイスラムとヒンドゥーが対立することもなかった。
ちなみに、ムガル帝国の財政が傾くのは厳格なイスラム教徒だった6代皇帝アウランクゼーブの時代(1658-1707)。アウラングゼーブは芸術に目もくれず、民衆から反発を招いていく。ヒンドゥー教とイスラムの融和策を廃止したこともあり以後ムガル帝国は衰退に転じる。

さて。ファテープル・シークリーの観光開始です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
● ディワニ・アーム(一般謁見の間)
旅行会社は観光ガイドの説明を、イヤホンガイドを使って行います。
イヤホンは周りに大勢の観光客がいてもガイドの説明が聞こえなくて~~というストレスを感じないようにという配慮です。今回のツアーは客が19人・添乗員・観光ガイドと総勢21人もいますからね。
もしイヤホンを使わなかったら、ツアー参加者全員がガイドの声を聞きながら観光すると、場所によったら建物を写してるんだか日本人を写してるんだか分からない画像だらけになります。
日本製のイヤホンガイドは優秀です。屋内ならともかく、観光場所が屋外ならば、だいぶん離れても聞こえるんだよね~。
って事で、前夜観光ガイドブックをガン見してファテープル・シークリーの見所を記憶&ファテープル・シークリーの見取図を手持ちのメモ帳に書き写したら観光ガイドの話を固まって行くツアーから少し離れて撮影開始です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。

● ディワニ・カース(貴賓謁見の間)
後々「ダンナさんを放り出すな」だの「ダンナの側に少しはいろ!」という主旨の忠告をやんわりと何度も複数のツアー仲間に言われましたが、帰国後再生した撮影済みの画像に、日本人が山盛り写ってて後悔した過去の海外旅行の失敗は繰り返さないのですよ。って事で、離れて撮影した画像が上の。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ディワニ・カースは別名風の塔ともいいます。塔の中に入ります。
2016.4.7左のデジカメ画像を差し替え追加しました。
画像の左下に写っているの白いものは、私が持っていた紙です。

画像右上の丸いものこれが玉座。皇帝は日中、風通しがよいこの玉座で過ごす事が多かったとか。玉座の下の柱は、イスラムとヒンドゥーの飾りが合わされてデザインしてあって必見。デジカメ画像で撮影したぶんは綺麗に写っていたので、携帯画像とデジカメ画像を差し替えました。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。王座が乗ってる柱の彫刻の一部です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。この上に王座が乗っかっています。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
上の画像奥右手にかつての宝物殿があります。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
なんか不思議な飾りがあったので建物に入って見上げてみたら。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
こんなデザインでした!
● パンチ・マハール(五層閣) 最上階のドームに向って4つのフロアが重なる五重塔。176本の柱を使った不思議なデザインはペルシアの建物がモデル。
2016.4.7左のパンチ・マハールのデジカメ画像を追加しました。

パンチマハール1階には、84本の柱がある。これって確かヒンドゥーの縁起のいい数だったハズ。
2016.4.20にデジカメ画像を追加しました。
画像のプールの奥に見えている建物は● クワーブ・ガーです。皇帝のプライベートルームで皇帝の寝室もある。
パンチ・マハールとディワニ・カースの建つ区画の端に豪華な彫刻が残る小さな建物がある。

2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ここが必見の女性用フィッテングルームです。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
女性のフィッティング・ルームとは身だしなみを整える場所。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
かつては壁一面の彫刻に多くの宝石が埋め込まれていたそうだ。(今はデザイン化された花びらがなにもない宝石の穴が一杯です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
上の画像の花のような模様。ここにかつては宝石が埋まってました。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
今でも綺麗に残る石榴模様です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
かつては素晴らしかっただろう壁の彫刻から、ヒンドゥーの神や女性の顔が全て削り取られていました。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
何も鳥の首まで削り取る事ないと思うのは私がイスラム教徒でないからか?
ムガル帝国がイスラムとヒンドゥーの融和を廃止した後、イスラム教徒により削り取られた模様です。優美な彫刻で埋め尽くされているから破壊の後が残るのがより悲しいな。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ちなみに、上の画像がフィッテングルームの天井の模様です。イスラムの星の模様ですね。これこそイスラムとヒンドゥーの融合だったのにな。
● クワーブ・ガー
プールの中央の四角い場所に皇帝が涼み、プールの周りに女性達がいるのを楽しんだとか。上の画像左手に、アクバルが側近と会ったり、執務をしていた2階建ての建物があります。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。

2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像を解説すると、旅人が立つ右上に中二階の場所かありますね。ここが皇帝のベッドです。アクバルのベッドも1階だけど、二段ベッドの上のよう高床式になってました。
上の画像を解説しますと、皇帝のベッドのあった場所の北側、低い天井がありますが、この上が2階です。現在は上がれませんが、暑い日は2階で暮らしてたんだって。
これらの画像を見てお分かりでしょうが、ファテープル・シークリーは暑い土地だったようです。ってか猛暑?こんなに豪華な都を作ったのに、ここはたった14年で放棄されました。理由は猛暑と水不足です。
作る前に調査しなかったんですかね?責任者は首がとんだんだろうな~。物理的に。

上の画像の左奥の更に奥がアクバルが妃達と暮らしたジョダ・バイ宮殿がある場所です
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
食事室です。ジョド・バイ殿の前庭の角にありました。

食事室の外壁です。これはサリーや服の飾りのタッセルがモチーフなんだって。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ジョド・バイ殿に入って奥に抜けると中庭があります。
四角く作られた中庭の3面に、キリスト教徒・ヒンドゥー教徒・ムスリム教徒の妻の為に信じる神への祈りが捧げられるように礼拝所(というかそれぞれがほとんど寺の規模)の建物があります。


2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
今は豪華な枠の棚のように見えますが、かつてはここに信奉する神々の像が飾られていたんだって。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
祭壇飾り。今は石が詰められていますが、かつては飾り枠の中に神様の像がありました。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
この画像奥の建物がヒンドゥー教徒の礼拝場です。
私は「その場合、ヒンドゥーの神様はどんな神様が祀られていたのですか?」とうっかり聞いてしまいました。答えは、
ガイドさん「皇帝の奥さんが祈りを捧げる神様は、子供を授かる為の神様です」だって。
なら愛の神様、クリシュナかな?
ジョダ・バイ殿の前庭に、アクバル帝のお妃でジャーンギールの母のミリアムの館があります。
2016.4.20画像を追加しました。
劣化が進んで分かりにくいですが、館には多数の壁画があります。かつては黄金で装飾されていたとか。今は面影を探すのも難しい。
たまたま新婚旅行に訪れたインドの若夫婦に遭遇しました。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
チャンスと赤いサリーを着た新妻に近づきます。新郎に「奥さんが綺麗だから写真が撮りたい。いいか?」と聞くと笑顔で返してくれた。ラッキーです。
ガイドさん「優しいダンナさんで皆さんラッキーですね」と。ついでなので新婦の赤いサリーについて解説が入った。
ガイドさん「ヒンドゥー教では赤は幸せの色。そして彼らは結婚間もないカップルです」
私「どうして断言出来ますか?」
ガイドさん「奥さんが腕にいっぱい腕輪をつけてますね。これは結婚して6カ月経つとガンジス河へ沈めます。今つけていると言う事は、結婚してまだ半年経ってない証拠です」
また出た。ヒンドゥーの謎習慣。聞けば聞く程いくらでも出て来る。ヒンドゥー教徒の結婚については既出の記事で参照して下さい。 不思議なインドの結婚(2016年3月2日)の記事
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
時刻は15時半。実は世界遺産ファテープル・シークリーはモスク地区として更に奥に大きな公開している空間があるのですが、ツアーでは皇帝の私的空間と政務地区の観光だけで終わりのようです。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
これは前夜しこしこ見取図を写して暗記しただけに、知ってるから悔しい~~~。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
帰りがけ、アクバル帝と妃達が暮らした空間の中庭に残るアクバル帝の妃、ミリアムの館に残る壁画を見学。
更に戻り、かつての宝物庫とかつての浴場を見学したらシャトルバスを待ちます。これが…。観光時間の短さに比べ残念な位待ち時間が長かった!まあ、ハトVSリスやら途中から別の鳥が舞い降りてパニックになる~~ってのも見れたしな~。ま。そんな事もあらあな!

シャトルバスで丘を降りる。車窓からかつて一瞬の繁栄を極めたファテープル・シークリーの各種工房後や廷臣の館の建物の残骸が見えた。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
さて、時刻は15時45分。バスを乗換えて出発です。

また車窓を楽しみます。すぐに高速道路から一般道に入りました。



ファテープル・シークリーはアグラの南西37キロにありまして、アグラに近づくにつれ家が次第に増えます。

住宅が増えたのに、家の隣に牛がいる。うん。安定のインドテイストですね。

あれ?バスが止まった!ってか、全く動かん!渋滞じゃないって事か?ンじゃ何が起こってるのか?前方を見れば、線路です。でも列車は全くくる気配がないのに、なぜに遮断機が降りてるのか???
考えました!日本の線路の遮断機は、電車が接近すると降りるけれど、インドの遮断機は運行ダイヤの通過時間が来ると降りるんじゃないのか?つまり来るハズので列車が遅れてるんだな。たぶん。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ようやく汽車がやってきたようです。

汽車はとても長~かった!そして少し変わっていた。列車が運んでいるのは兵士です。しかも座席車の後に貨物車が繋がれていて、貨物車を兵士を運んでいます。

ちなみに5分以上遮断機が降りてた。都内にも遮断機降りっ放しの踏み切りってあるけどさ。日本の場合は電車が途切れないから遮断機が降りてるんだけどさ。インドって列車が来なくても遮断機が降りる。…のんびりしてるなあ~。
ン??
ようやく上がった遮断機に、バスが動き始めたんですがね。線路の向こうにヘンな生き物が見えた!あれは何??

もしかして、コブ牛に服を着せてる??へ・へんじゃ~~~っ!!
さて。この踏み切りを過ぎると車窓が一変。アグラの街に入ったようです。

え~と?何だか汚いんですけど~~~っ!!

これはアリなのか?今だけなのか??
疑問に思うのは旅人だけど、インドではゴミはどこに捨ててもいいんだそうですよ。世界からアグラ目指して多くの旅人が集まるんだかさら~。少しは体裁を整えればいいのに。

ま。車窓は楽しめればいいんだけどね。





ガイドさん「アグラは住民の40%がイスラム教徒の街です。インドで3番目のモスクがあります。1番はデリーにあるモスクです」
ムガル帝国の中心地だった名残りですかね?
ガイドさん「アグラにあるタージマハルで食べている人が多いです。アグラではタージマハルの白さを保為に、街中に工場は作れません。仕事がないから貧乏な人が多い。街歩きは危険なので、絶対にしないで下さい!」ちっ!念押しするとはなっ。
ガイドさん「アグラの街は水質が悪い。飲み水はミネラルウォーターのみにして下さい。ヤムナー河が流れているので、蒸し暑いです。イスラム教徒が多いので、大理石の工芸品が名産です。」

バスが道をはずれた。と?大きな広場で子供達が野球をやっている。
ん?野球??何かヘンだな~~??あれ、バッドが太くない??
じ~~~~~~ッ!やっぱ違うような??
ガイドさん「あれはクリケットです」
クリケット?名前だけは知っている!

広場の隣が宿泊ホテルだった。入口で観光客向けのサービスで、額にヒンドゥーの印、ヒンディをつけてくれた。パスポートを預けて待つ間、ロビーを見て回る。土産物屋が5~6軒入っている。さすが観光の街!
窓を開けたらさっきの広場が見下ろせる。時刻は17時20分でした。
ん??何か遠くに見えてるのはもしや…。

目を凝らしたら、タージマハルが見えた!
2016.4.20左のデジカメ画像を追加しました。
デジカメで望遠撮影してました。
明日はあそこを見学します!たのしみ~~。
ちなみに。このホテルはロビーでネットする分には無料というダンナが大喜びの環境でした。ってか!ダンナが部屋に戻って来ないんですけど~~っ!!
一言も言わずに姿が消えたので、探しに行ったら、ロビーでFacebookしていたという…。そんなやから!!Facebookに会社の同同僚から「2月22日に発表会をしなければならなくなった!すぐ連絡して」とかいう呼び出しが掛かるんじゃ!ま。いそいそとFacebookやってたからね。知らなかった!とバッくれは出来んよな~。便利なんだか不便なんだか…。
ダンナの「死ぬまでにタージマハルが見たい!」の一言が決め手で北インドの旅にしたというのに…。不憫な…。
幸い、添乗員が持ってる世界中どこでも繋がる衛星電話なるものを借りてすぐに連絡がついたのですがね。「帰国したら可能な限り早く休日出勤して欲しい!」と後輩に泣きつかれたらしい。いきなり雰囲気が暗くなるダンナです。
知らんがな!まあ、「朝の8時には成田だからさ。うまく行けばギリギリ午前中に出勤出来るんじゃないの~?」と冷たい私。しかし旅先でツレにしょぼくれられてはかなわんので。
「元気の出るものあげるから。」と。手渡したのはジャイアンツマークのついたポケットティッシュです。これさ、読売新聞の販促で郵便受けに入っていたのね。ジャイアンツファンならこれで元気だせ!
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世界遺産アンベール城

2016年04月06日 05時37分56秒 | インド旅行記
北インドの旅3日目、2016年2月15日(月曜)午前、ラジャスタン州の州都、ジャイプールの旧市街の観光を終え、北へ。北東11キロ程進むと、丘の上に巨大なアンベール城が見えて来た。
2016.4.6左のデジカメ画像を追加しました。
湖の畔でバスが止まる。アンベール城にはバスでは行けない。旅人の選択は2つ。ジープで登るか象の背に揺られて登るか?もちろん旅好きの日本人は象の一択です!と言いたい所だが添乗員いわく「調教されているとはいえ象は動物です。事故が起こらないとも限らないのでジープで行きます。ジープ1台につき3~4名様で乗って下さい。」
2016.4.6左のデジカメ画像を追加しました。
まあ、建前だよね。今回のツアーは客が19名。添乗員+スルーガイド+ジャイプール現地ガイドの総勢22名もいるからね。象は2人乗りだし無理ですよね。2016.4.6左のデジカメ画像を追加しました。
しかもガイドブックによりますと、「象のタクシーは150頭ほどの象が3回仕事すると終了となる」と書かれてあって、旅人が希望しても朝一でもない限り無理でしょう。なにしろアンベール城は世界遺産ですから。
ってな事で乗り込んだジープですが、ジープとは名ばかりのジープ型のオンボロ自動車でした!更にはアルベール城への道が狭くて、上から対向車が来るとそうそうすれ違えない。

丘の下から丘の上へ移動するだけで20分もかかってしまいました!…歩いた方がずっと楽だ!
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
フロントガラスから見えるゴミを漁る豚だかイノシシだかの画像を押えるべくシャッターを切ったのですが、この画像の見所はむしろ運転席の上のついてるまんじマークです。鉤十字は古代よりヒンドゥー教や仏教、西洋でも幸運の印として使用されていました。ナチスのハーケンクロイツではないのだよ。インドではこのマークはカースト1位の僧侶が描くそうですよ。

愚痴ってましたが、窮屈なジープの荷台から降りると、アンベール「城」というよりむしろ「城塞」が私達を迎えてくれます。
2016.4.20左のデジカメ画像を追加しました。
ジープを降りてアンベール城の入口に向い坂を上ります。

アンベール城から見下ろすと、城は石の壁で何重にも守られ、山の上には敵への備えの砦が立ち、砦と砦を繋ぐ石の壁がある。凄いわ~。
● 世界遺産アンベール城
ジャイプール遷都以前に王国の都が置かれていたアンベール。強大なムガル帝国にも屈しなかった勇猛なラージプート族。アンベール城は王の居城として建設された。無骨な外観とは対照的に、内部はマハラジャ一族の繁栄ぶりを彷彿させる。
16世紀初頭に時のマハラジャが建設を開始。17世紀のジャヤ・スン1世の時代にはほぼ現在の形が完成した。丘の斜面に建設された城は、高低差によってスペースが区切られていて、低層は公的なエリア。上層が王の私的空間となっている。旅人はアンベール城を訪れると、観光が進むに従い少しづつ登りながら進むことになる。

画像奥左手にアンベール城の入口の月門がある。
2016.4.20左のデジカメ画像を追加しました。月の門です。
画面奥の平な場所が前庭で、前庭を取り囲むように宮殿の管理部の建物がある。
2016.4.6左のデジカメ画像を追加しました。
前庭から見える階段を上がるとライオンの門。
2016.4.6左のライオンの門のデジカメ画像を追加しました。
門を抜けると正面に今日のトップ画像のディワニ・アーム(一般謁見の間)がある。
● ディワニ・アーム(一般謁見の間)は、役人との会議や使節への謁見など、主にマハラジャが公務を行った建物。列柱で構成された空間は、外側の柱は赤砂岩。王が位置する中央は大理石となっている。上層はテラスとなっていて、宮廷楽団の演奏が行われてたとか。

日本の神社やお寺の本殿の柱の上に象や獅子の彫り物がついてることがある。分かりにくいけど、ここの柱の上には象の彫り物がありました。あと、トップ画像の左側は一段下の前庭が見下ろせるテラスになっています。テラスからは谷向いの山やアンベールの街も見え眺望が素晴らしい。暑いラジャスタンでは夏でも風が建物を吹き抜けて快適だったと思われます。更に言うと、トップ画像中央奥の大理石の柱の中央の天井に4つの跡が残っており、ここにかつてマハラジャのブランコが吊るされていました。
2016.4.6デジカメ画像を追加しました。
上の画像にマハラジャが揺られていたブランコの設置してあった穴があります。あと、手前の柱の上部に象の彫刻が写っています。

っと言う事は、マハラジャはブランコに揺られながらお仕事をしていたって事ですね。
一般謁見の間がある中庭の奥に、バスを降りてジープに乗換えた場所が見下せる場所があります。列柱が並ぶその場所は一段上がるだけ。狭いけれど湖から吹き上げる風が更に涼しいし、緑の庭も眺められるので観光順路から少し外れても一見の価値あり!

● ガネーシャ門。アンベール城の見所の一つなのですが、現在修復中です!あの~?修復といいつつ、足場がガネーシャ門のフラスコ画を破壊してるよね?コレ??この門はアンベール城の顔なんでしょう?いいのか?
2016.4.6左のデジカメ画像を追加しました。門中央上部にガネーシャのフレスコ画がついています。
ガネーシャ門は精緻なフレスコ画が素敵です。
2016.4.6デジカメ画像を追加しました。
インドでも屈指の美しさと名高い門だとか。門の中央の入口の上にヒンドゥー教のガネーシャ神が描かれている。ガネーシャ以外はイスラムっぽい植物がモチープ。
2016.4.6左のデジカメ画像を追加しました。
門の2階にも上がれます。が!モザイクやすかし彫り、彩色され、2階から下を見おろせるようになってるのだけれど、ガネーシャ門全体を修復してるので立ち入り禁止になってました!
2016.4.6左のデジカメ画像を追加しました。
ああ、すかし彫り越しにアルベール城の公的場所を見てみたかった~。
2016.4.20左のデジカメ画像を追加しました。
少し階段を上がりガネーシャ門を抜けるとマハラジャの私的空間になります。あ、ガネーシャ門の左右には浴室(ハンマーム)やダニングルームがありますが、門の内部は暗くて通路はあまり広くない。でも抜ける時に天井にも植物の綺麗なフレスコ画があるので見るのを忘れずに。(ダイニングルームにも素晴らしい壁画があるそうですが、私が訪れた時は入口が閉じられて入らないようにしてありました。残念です)
ガネーシャ門を抜けると緑の幾何学模様に庭が目に飛びこんでくる。ここで見逃せないのはシーシュ・マハール(鏡の間)です。

● シーシュ・マハール(鏡の間)は、王が賓客を迎える際に用いられた建物で、天井や壁に無数の鏡が埋め込まれていることから鏡の間と呼ばれています。

綺麗なミラーワークの壁を一部ですが、近くから撮影してみました。

画像右の暗い部屋が少し写ってますが、この小部屋で宴会したようですね。かがり火が反射する鏡の間は綺麗だったのだろうなあ~。
2016.4.6デジカメ画像を追加しました。




ちなみに、暑い夏は鏡の間の2階が使われていました。この画像では分かりにくいけど、上の画像左手にドーム付きの小部屋があります。
2016.4.20左のデジカメ画像を追加しました。
小部屋は湖を見下ろせるようになっていて、夏は吹き上げる風で涼を楽しんだと思われます。
2016.4.20左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像の右奥の丘の上に見える建物は、マーン・スィン1世が1600年頃に建てたジャイガル要塞(勝利城)で、下の宮殿より広大な面積を占める軍事拠点でした。
ちなみに、緑の幾何学模様の庭の向いのアーチがある建物は、マハラジャの奥方達の部屋が並ぶ建物です。

2階へはガネーシャ門2階のモザイクや透かし窓を見るためにあがったのですが、残念ながら工事中で入れませんでした。鏡の間の2階も見学路が繋がってない。でもガネーシャ門と鏡の間の2階角にあった楼閣から、湖を見下ろしてみた。何段構えの塀なのか?
2016.4,20左のデジカメ画像を追加しました。
2階の隅に櫓のような区画があり、そこから湖が見下ろせます。昔は衛士が監視していた場所かな?上の画像はシーシュ・マハール(鏡の間)の2階のドームの湖側で、アーチが並んでるのが分かります。涼を得る工夫ですかね?
下から攻められても長い事持ちこたえられそう~。まあ、兵糧攻めにされると厳しいかな?

緑の中庭に降りて来ました。上の画像奥に見えるのが鏡の間です。鏡の間を緑の中庭を挟んでスク・ニワスがある。マハラジャの私室です。基本1階冬・2階夏に使う部屋。

旅人が覗き込んでいるのはマハラジャの私室の左右にある王妃の部屋。

部屋に水を引き入れてある。これも暑いラジャスターンの夏で涼を得る工夫です。確か水路の奥から水が流れ落ちる仕組みと言ってたような…。スマン、既に記憶が怪しいわ。こうならないように頑張って記事を書き進めていたのだけど、ボチボチ私の記憶保持力の限界時間を超えてきたようですね。

緑の中庭から更に奥へ進む。上の画像は緑の中庭に面する建物で、食事室です。明り取りで火を使うからか壁は殆どはがれ落ちたり煤で黒くなってましたが、一部にフレスコ画が残ってました。実はこの食事室を利用していたのは側室や侍女達。中庭を抜けるとゼナーナ(ハレム)がありました。

上の画像左下の暗い入口が食事室。12人の王妃と側室、その侍女達が暮らした場所です。マハラジャ以外の男性に姿を見られることが禁止されていたため、高い塀で囲まれた宮殿の最奥にあるます。中庭に面した建物の2階部分が女性達の部屋。側室の多くは他国出身の王女が中心で、ホームシックにならないよう祖国から連れきた同世代の侍女と共に暮らしていたとか?

こちらはハレムの区画の庭の中央にある建物。画像左手の天井に丸い穴がありますね。これもブランコ設置の跡かな?かつての華やかなマハラジャの暮らしぶりが写真展示してあります。ここの見学時間が短かったのが残念です。



ハレムの建物に残るフレスコ画。
見学コースはここまで。でもアンベール城にはまだ奥がある。でも柔な旅人はお腹がすいてしまったので出口に戻ります。

帰り道は下り階段。観光しながら少しづつ上へ上へと上がっていたのが分かります。

逆に言えば、画像右手の高い壁は、ハレムの建物の壁ですから、マハラジャのハレムにいる女性は、この高い壁にも守られていたのでう。

阪の途中には土産物屋が並んでいます。

城の厨房で活躍していた大きな鍋が展示してありました。…何人分を作っていたのか?
アンベール城は素晴らしい城だったが、修復中だったり入れない場所が多かったのが少し残念だ。

時刻は12時50分。帰りのジープはスムーズだった。バスの待つ場所まで上りの半分の10分で戻って来た。それでも狭い道でスピードが出せないので時間がかかったけど。13時バスが出発。お昼ご飯~。

13時15分。今日のランチはジャイプールの街とアンベールの街の中間にある湖近くのホテルのレストランでいただきます。

このホテルは大理石のモザイクがあちこちにあって綺麗でした。

床だってホラこんな感じです。
添乗員「ツアースケジュールではこのホテルのラウンジで休憩してティータイムを楽しんでいただくことになっていますが、ご希望者の要望で(それは私)今からインド更紗のお店をご案内します」
私(マジで!アノーキーに行けるの??いや~、ゴネてみるもんだな。)
本来は夜8時まで開いてるし、ホテルからもそう遠くないから徒歩かオートリキシャで自力で行くつもりだったんだけどね。添乗員が治安に不安があるからダメと止められてれすね…。
添乗員「希望者を確認します。インド更紗のお店に行きたい人は手を挙げて下さい」
一斉に手が挙がる。
添乗員「ありがとうございます。1名様を除いて皆様ですね」
ん?1名様を除く??誰だよ~~!!
インド更紗の店に行かない変わり者はダンナだった!
協調性がないよな~(オマエが言うな!)。何故全体に迎合しないのか?と言えば、彼には譲れない事があったんです。
ダンナ「自由時間があるなら、このホテルのラウンジでインターネットがしたい!Facebookしたいんじゃ!」
ハイ出た!ベトナムでも景色を見ずにIPadに打ち込みまくってましたけど、またか…。この後も彼は隙を見たらインターネット。ホテルによればロビーでネットする分にはネット利用が無料とかでなかなか部屋にも帰ってきやがらねえっ!という~~~。
そんなこんなでバスはダンナ一人をこのホテルに残し14時30分頃出発しました!

バスはジャイプール市街へ戻ります。
ん?もう止まった?バスが走り出して数分しか経ってない。まだアノーキーは遠いハズなんだけど?

着いたのはインド更紗(ブロックプリント)の観光客相手の工場だった…
コレジャナイ感一杯ですが、まあアノーキーに連れて行ってもジャイプールの観光ガイドさんの儲けにはならないんだろうね。仕方ないよね。団体ツアーだもの。気を取り直し、観光客相手の工場であってもモノはちゃんとしたインド更紗なので買物をしました。この時の話は既出の記事
インドは布天国です!(2016年3月23日)の記事をごらん下さい。実質これがインドでの買物の初体験になったのですが、インドの物価は食事時の飲み物代が軒並みに本のホテル並みだった事から高いと覚悟していましたが、3枚のベッドカバーサイズのインド更紗の代金が1万円超えでした。伝統的な手法と染料を使った布であっても予想の1、5倍から2倍もしたのがお土産の予算を超えてしまいお財布を直撃しました。もうね。これで手持ちのインドルピと米ドルがすっからかん~!今夜は絶対に両替しないとな!と心に誓ったのですが…。何が起こったかは後で。
15時半。インド更紗のお買い物終了。バスが出発して間もなく「これからお客様のご要望のあったアノーキーへ案内します。こちらのお店は日本でも有名で、希望するお客様も多いのですが、なかなか案内出来ないのですが、今日はいけるとのこと。良かったですね」
なんだってぇ~~~!!それを早く言え!手持ちのインドルピを使い切ったじゃないかっ!!ま。な。アノーキーは小物も充実してるからここで友人のお土産も揃えてしまえば、後は旅を楽しむだけだし。インドルピは最悪添乗員から今だけ借りればいいしな。と、ワクワクと心躍っていたのですが…。
バスが突然びだ~~っと止まってしまいました。原因は停電です。大渋滞です。
賑やかになった旧市街の車窓はそれなりに楽しいんだけどね…。

と…。恐れていた事が…。
添乗員「先ほどこれからアノーキーに案内すると言ったばかりなのですが、渋滞によりアノーキーに行くとこの後の観光スケジュールがこなせなくなる可能性がります。そこで予定を変更して、今から旧市街のバザールを見学します」

無念~。でもさ、インドのバザールも見たかったからこれはしょうがないよな。
バスが止まったのは旧市街の大通りの道ばたでした。
実は私はインドのバザールは大きな建物かテントにたくさんの店が並んでいるとイメージしていたのですが、どちらかと言えば、道路に並ぶ商店街でした。商店街は取り扱う商品事にかたまっていて、ガイドさんが案内してくれたのは食べ物のバザールです。ガイドさんは一つ一つのお店を解説しつつ早足で商店街を歩きます。「牛乳屋さん、1リットル80円くらい」とか「噛みタバコ買いたい人はここで買えます」といいながら足は止まらない。まあ楽しいんだけどね。この記事は既出です。ジャイプール旧市街のバザール(2016年3月17日)の記事 インド庶民の商店街の様子が分かります。
さて?ガイドさんは大通りのバザールを10分で見終わって大通りから逸れて細道へ。
細道は住宅街でした。小さな公園もある。賑やかな旧市街の大通りの裏に静かな庶民の暮らしがあるのね~。とか暢気に歩いていたら、牛が来た!それもすぐ脇を牛が歩いていく!!

うおおお~~っ!これがインドの普通かぁ~~っ!!
やがてガイドさんが案内したのは青空野菜市場でした。

ジャイプールの青物市場(2016年3月18日)の記事 インドの野菜は日本どどう違うのかな~??気付いたのは、葉もの野菜はほとんどなかった!そして青物市場の近くには生ゴミ目当ての牛が多く集まっていたということです。

神様の牛なのですが…(2016年2月24日)の記事 こちらの記事に、野菜市場の近くで見かけた牛達の画像があります。
野菜市場は5分で歩き抜けました。16時20分、バス出発。ランチをいただいたホテルに戻りダンナをピックアップせねばなりません。
16時50分、ホテル到着。予定より時間が押し気味なので、ホテルのトイレを借りて手早く済ませたらすぐに出発です。
昔のマハラジャが作った湖のホテル。

湖畔でバスからジープに乗換えます。次の観光地は山の上にあり、バスでは上がれません。またまた1台に3~4名づつ分譲して出発です。時刻は午後5時を過ぎました!

ががががが~~っ!!ユ~れ~る~~っ!!ンでもってスピードが出てるう~~っ!!
あれ?
今何か見えたっ!あっまた??
「もしかしてあれはピーコック?」と尋ねたら、運転手が「そうだ」という。
まさかの野良くじゃくが山を駈けてます。ってか、野良って…。野生だよな。この場合。野良牛を見過ぎたんや~…。
でもクジャクは野生でも地面にいるのだね。走ってる所が動物園のクジャクとは違うけど、鳥なんだから飛べよな!愚痴ってる合間にもジープは高度を上げて行く。ってか、思ったより時間がかかる。
「ぼちぼちヤバイと思い出したよね?」隣のダンナにチクリ。
この男、バスから降りる時に「上着を持って行けば?」と2回も言ったのに「(今)暑いからいい」と言い張って半袖です。でもさ、さすがにマズイって気付いたよな。だって、今向ってるのは山の上にあるナルガール城塞です。城塞からジャイプールの街に沈む夕日を眺めようって趣向なのだ。確かに日中は30度近かったから、暑がりのダンナには半袖で充分だったろうさ。でも思い出して欲しい。今は2月なのだ!しかもジャイプールはどちらかと言えば沙漠の気候に似てる。更には山のてっぺんで日没を見る事が目的なんだよ。運動するならともかく見る!だけの為に今ジープに揺られてるのだ。
「寒くなって来たよね?」と聞けば素直に「うん」と返事が。だから言ったのに。「今さ、17時を過ぎた所なのね」ダンナは神明に次の言葉を待つ。「今日の日没時間は18時10分から15分くらいのハズなんだよね」つまり、1時間あるの。「~~~~~」だから言ったのに!聞かないからさ。
そんなこんなでナルガール城塞に到着した。時刻は17時35分。思ったよりずいぶん時間がかかったね。さてと?道なりに進むと、黄色く塗られた石の見晴し台のような所に出た。旅人達はすかざす周りから自分用のイスを確保。見晴し台の最前列に自分のイスを並べていく。ここでうっかり周囲を撮影していた私は出遅れてしまった!

見晴し台は思ったより狭くて、ジャイプールの街と夕日がよく見える最前列にはもう空きがない。だからといって他の人も見たいのだ。自分の確保した場所は譲れないのである。やっちまったせ…。
ふと?見晴し台の下を見ると、もう一段下にも見晴し台がある。
そちらにイスはないけれど、石段はある。イスがないならあそこの上に座ればいいじゃない?どうせ太陽が沈むまでは皆場所は動かない。なら5メートル下に私一人が移動しても問題ないハズ…。
さっさと移動した!石段の上は快適だった。

見晴らしも申し分ない。
2016.4.20左のデジカメ画像を追加しました。
眼下にジャイプールの家並みが見えます。
さてと…。時間は日没までたっぷりあるのだから、ここらで久々に引っ張り出してきたデジカメの使い方をマスターしておこう。何しろ今回の旅のスケジュールの中に、ヤムナ川の対岸からタージマハルと朝日の鑑賞&早朝、ガンジス河をボートに乗り河からガート(沐浴場)の風景をごらんいただくというのがあってだね。どちらも朝日&夕日の撮影技術が必要な訳。ならば、慣れてないデジカメでも使い方をマスターしておかねば狙った画像がゲット出来ないのだ!
ということで、レッツチュートリアル。取り出したるはデジカメの取扱い説明書です。(持参した&ショルダーバックに入れて来た)一応旅に出る前にデジカメで必要そうなページは旅の手帳に書き写してあるので、まずは測光方式から。マルチからスポットへ変更する。それで太陽に合わせてロックする。んでシャッターを切る。これで夕焼けっぽく写るハズなんだが…。久々に携帯電話でないカメラを使うと面倒くさいな。
あ。ついでに明るさ補正もすればいいのか?え~と?EVシフトデヨカッタッケ?頼りないんですわ。これでも高校時代は写真部だったんだけどな~。目が悪くなってさ。ピント合わせるのが辛くなってさ。オートフォーカスのカメラが出た頃にもう一度一眼レフ買ったんだけどさ。脳梗塞やっちゃって、カメラが重くてね~。ヤメタ!ストレスなんだもの。重いと距離歩くの面倒になるんだもの。携帯電話ならたくさん写して気に入ったのがあればそれでいいじゃない!でここまで来ました!でも携帯電話で朝日&夕日&昆虫撮影には無理があり過ぎた!だから今マスターする…。あれ?デジカメの電池の表示が赤色なんだけど~?もうほとんど電池がないんだけど~?
や。バザール辺りで気付いてたのね。電池がヤバいかも?って。でもいよいよヤバい。だってシャッターを切ったら、次に撮影可能になるまでの待ち時間が…。え~と?デジカメってそういう仕様じゃないよね??………。しまいしまいしまい。デジカメはおしまいです~。朝日&夕日の撮影技術の習得は、次のタージマハルでやります~。
ってな事で、再び携帯電話を取り出す。

案の定、携帯電話に夕日の撮影は荷が勝ち過ぎた。太陽の形が見えないもの~。
ちなみに、帰国後再生したナルガール城塞からの夕日のデジカメ画像は、EVシフトをいじり過ぎ、マイナス補正しすぎて太陽は丸く赤く写ってるものの、ジャイプールの白い家並みが黒くて見えづらくなってしまった。
2016.4.6左のデジカメ画像を追加しました。
難しいんだね。街に沈む夕日って。
2016.4.6デジカメ画像を追加しました。
私が座ってる石段に、途中で中国人か香港の若いカップルがやってきて、3人で夕日を見てました。途中で男の子が自分のカメラを彼女に渡そうと四苦八苦していたので中継してあげたら「カムサムニダ」的な言葉が帰って来た。そうだよね。外国に出ると、日本人だか韓国人だか中国人だか台湾人だか香港人だか見ただけでは分からないものな。って事で「ノープロブレム」と返しておいた。
ちなみに…。上着を忘れたのはうちのダンナだけではなかったようで、途中で添乗員が熱いチャイの差し入れを持って来てくれた。
そして、晴天のハズなんだけど空が霞んでるのか地平線に太陽が落ちる前に太陽の形が見えなくなってしまい日没鑑賞は終了となる。こうね。白いジャイプールの街並みの上をハトの集団が渡って行く所とか、旧市街の道に赤いテールランプがノロノロ動く所。また城塞の下の崖の上を野良犬や野良ヤギが移動していく様を堪能出来たのは最高でしたし、とても楽しめました!
帰りはまたジープで山道をぶっ飛ばす!早めに撤収したから山道がまだ明るかったのは良かったよ。湖に戻って来たらさすがに暗くなっていたけどな。
ホテルがもうすぐというタイミングで添乗員からアナウンス「渋滞で行けなかったアノーキーですが、希望者はホテルに到着後すぐに出発して行けますが、どうされますか?」と。
ええ~~今言うんかいっ!時計を見る。時刻は既に19時を過ぎていた。今からすぐに出発してもアノーキーに着くのはどれくらいだろ?早く見積もって19時30分か。閉店が20時だし。何しろヤバいことに夜の薬をカバンに入れ忘れててめまいがしてるんだよな。朝4時に薬を飲んだ分、切れるのも早くなってるのだ。夜飲む薬を用意しておくべきだった。車内を見回せば、他に行きたい人もいなさそう~。残念だけど諦めような。
海外で。人生二度ないチャンスを自分で潰すのは本当に残念だけどな。
という訳で、買物にいく勇者がいなかったので、一旦荷物を部屋に置いて20時に夕食と言う事に。何はともあれデジカメの充電しないと!電池が切れてしまうとマズイかもしれんし。何より夜の薬を早よ飲まなきゃ~~っ!おおポカである。以後、1日分の薬は毎日ショルダーバックに入れておくことに。
夕食はレストランの小部屋を確保。なぜならまだ自己紹介をやってなかったのだ。そして今晩はなぜか中華料理。
え~と?ヒルトンマークの紙袋に入った割り箸が…。
インドでヒルトン…インドで割り箸…ヒルトンで割り箸…シュールだ…
せっかくなので、ヒルトンマークの割り箸の紙袋はお宝かも?と持ち帰りました。日本のヒルトンの割り箸と違う証拠になるかどうかは分かりませんが、割り箸の入っていた紙袋には『Chopstick』と印刷されてます。
さてと…。めまいもあるしやっぱ水だな。ん?グラスがない。仕方ないなあ~。と。ボーイさんに「グラス下さい。2個」と頼みにいく。何しろ旅人は19人もいるからね。添乗員は忙しいのだ。自己紹介はなごやかに過ぎて…あれ?18人しかいない。体調崩した人が出たかな?
聞けば車酔いだという。あれだ。山道のジープ。でも車酔いならすぐ直るしよかった!寒さで体調崩してたら旅が台無しになるからね。
食事は滞りなく終わったのですが、この後、両替をしようとしたらまさかの悲劇がっ!!詳しくは
インドでの両替はギャンブル(2016年2月29日)の記事 こちらを見ていただくとして、インド更紗で手持ちのルピを使い果たした私は、明日もインドルピがゼロのまま旅する事になりました!でもさ~、天下のヒルトンで「金庫を閉めたから両替出来ない。次に両替出来るのは明日に正午から」はナイと思うんだよね。ヒルトンだよ?外国人客の利用が多いホテルじゃないのか?両替客も多いはずなんだ!
しかし困った。ってか実はホテルに入ってる土産屋で今買わねばならんものがある。何しろ明日もロングドライブの日なのだ。
そう私はまだ日除けスカーフを買ってないのだよ。インド更紗の工場は、綿素材の布にプリントしてあった。しかも布がしっかりしててスカーフも売ってなかったのだ!となるとホテルに入ってるジャイプール土産の店で買うしかない。ヒルトンならアメリカドルが使えるハズ。な・なんとかなるんじゃないかな~?
「ハロ~。1枚5ドルのロングスカーフを見せてくれ」ここで気付いたんだか、昨日の夜布の店の店員は若い兄ちゃんだった。
でも出て来たのはオヤジ。
聞けば若い兄ちゃんの父親だという。どうもさ。息子にパパの仕事をみせて父親のいいとこみせたかったらしいんだよね~。ハイ。ボラレました!
気持ちいい位にボラれました。天下のヒルトンなのに…。何遍言うんじゃ!もうええって!!
最初に1枚5ドルのロングスカーフを見せてといっているにもかかわらず(前夜旅仲間が同じロングスカーフ買う所を横で見ていたの)「それはバレンタインデー価格だ。きょうは1枚10ドルだ」と言ってゆずらず…。この時自分用のスカーフ2枚。ぶめちゃんとM田さんへのお土産のスカーフで計4枚20ドルは予算です。つーか、財布の中のドルは20ドルぽっきりなのだ。
ゴネた!「何でだよっ!最初に1枚5ドルのスカーフを出せって言ったじゃん!」と言えば、「5ドルなのは小さいサイズのスカーフだった」と答える。
「それは昨日は1枚3ドルで売ってた奴でしょ?」と言えば「だから今日は小さい方が1枚5ドルなんだ」と答える。
オヤジはいいとこを息子に見せたいから強気です。
「どんな商売じゃ!ってか今は20ドルしか持ってないんじゃ!20ドルにしろ!」と更にごねた。「分かった。4枚35ドルに負けよう」と答える。
ちっ!負けたうちに入らんのじゃ!でもロングスカーフは今買わねばならん!こっちの足元見やがぅってぇ~~っ!
腹立つ事にこのオヤジと私のセンスがよく似ていてだね。この店のラインナップが殆ど気に入ってしまった!オヤジが高い値段をつけているカラフルな刺繍のクッションもとても気に入ったけど。
譲らずにいると、オヤジがこんな事をいう「バレンタインデーは終わった。オマエは運が悪かった」う~む。インド的な言い回しだよな~。「分かった。仕方ない4枚35ドル払う。でも今は20ドルしか持ってない。部屋にはある。とってくるからこのスカーフはキープしてくれ」と頼んだら「OK、待っている」と言う。
ちっ!本当ならいちいち自分の部屋まで戻りたくないところだけど、フロントで両替が出来ないんだから仕方ない。(一応私の聞き間違いか?と添乗員に申告して聞き直してもらったんだけど、内容はかわらずでした。ああ。私のヒヤリングが間違っていたら良かったのに)
後に判明したのですが、このロングスカーフと全く同じと思われるスカーフを、ヴァラナシの空港内の布屋で1枚5ドル。もしくは1枚500円で売ってました!!もしかしたら既製品VSコピー品の差だったかもしれませんが、見た目はそっくり。まあデザインは様々なのですが。どう見ても同一商品です。
ええ。全くもってヤラレたんですわ。インド人嘘つかないじゃなかったんか~いっ。疲れた…。もう寝よう…。ね・寝れない。脳みそが興奮して寝れない。し、しょうがないなあ~。1時間くらい寝ようと頑張りましたがムダでした。仕方ないので『ガイドさんにQ&A』の質問状をせこせこ作り始めてしまいました。だってさ~、今日1日で不意義の国インドに対して質問が山ほど出来てしまったんだもの~。何つーの?気付いていちいち聞くより、まとめて聞く法が時間短縮出来てお得だし~。そしてガイドさんにQ&Aは毎朝の恒例となるのであった!ガイドさん面倒な客でスマン。

昨日、ずっとぼやいていたデジカメの画像をパソコンに取り込み出来ました。
いや、iPhotoに直接は読み込めなかったんだけどね。もう1万枚びっちりライブラリに入れてあるからさ。
でも無事に読み込みが済んで一安心です。前のMacはソフトのバージョンアップだかなにかをダンナに頼んで「ポチっと」で壊れましてね。渋谷のMacへ持ち込んだんだけど、全て初期化されて戻って来ました。何が困ったって、初期化の際に中のソフトが全てきれいさっぱり消えてしまいまして。もうね。イラストレーターもPhotoshopも全部消えた!入れっぱなしにしてあった高いソフトも消えた。100万円分くらいがポチっとで消えたのですよ。悪夢でしたね。トラウマってますし。今回は幸い酷い事にならず一安心です。
そんなこんなで既出記事にデジカメ画像の追加を開始してます。気になる記事があれば再確認すると画像が増えてるかも~?
でも今日は今年最初で最後の桜見物に行くから夕方までは画像追加しませんけど。
既に今日のアンベール城の記事にも10枚くらいデジカメ画像を画像フォルダに読み込ませてあるから今晩作業します。気になったら明日またこの記事も再チェックして下さい。
インドの旅のデジカメ画像は2000枚もあるので、作業がまたまた終わらない。1000枚しかない携帯画像ですら整理してブログ記事にするのに1ヶ月以上かかりきりだというのに…。ぼちぼち5月のイベント合わせの原稿を創らないと時間が足りなくなりそうなのに。テンパってたらまた今朝方夢で画像整理してました。そして起きたら夢落ちで凹んでるという…。
もうさ。自分、若くないんだからさ。ええ加減落ち着けよ!ンな事分かってるさ。でもそれが出来たら私じゃないんだよね~。
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北インド旅行3日目ジャイプール旧市街

2016年04月05日 05時53分26秒 | インド旅行記
2016年2月15日(月曜日)北インド旅行旅の3日目が始まります。
4時起床、日本との時差がマイナス3時間半。少しの早起きは問題ないね~。早く起きた訳は薬を飲むためです。私は日々降圧剤を飲んでいるのですが、飲むと1時間後から3時間後くらいの間に動悸・脈が早くなるなどの作用が出てですね。辛いんですわ。だから観光時間の前にその時間が過ぎてしまうように、旅の間は毎朝ほぼ4時頃に起きてました!
朝7時。ホテルのビュッフェでバイキングで朝食。
部屋に戻ったら窓から朝日が見えた。今日もいい天気になりそうだ!
8時出発。ああ。朝外へ散歩に行きたかった!でも無理なのだ!



バスが旧市街に入ると、車窓から見える建物が変わった!異国情緒があって楽しいっ。どこからどこまでが一つの建物なのか?

暢気に眺めていると、突然ガイドブックでおなじみの建物が現れた!
本日一つ目の観光目的地。風の宮殿(ハワー・マハール)です。
つーか、まさかの旧市街の商店街の続きに突然現れるのねっ!びっくりしました。
ってか、なんか正面から撮影した画像はあちこちのパンフレットにも紹介されてますが、この建物薄っぺらいのね?
ともあれ、バスを降りて道路を渡り道の反対側から撮影します。
時刻はまだ8時半。商店街もぼつぼつと店を開け始めたばかりです。
空が出来るだけ青く見える角度から撮影する!窓を望遠で撮影する!夢中になっていると、背後から歓声が上がる。
何?と振り向いたら、建物の屋根の上を猿の群れが渡っていた。
なぜに街中に猿の群れがいるのか!?
驚いているのは観光客のみ。旧市街の住民は猿に慣れっこなのかそしらぬ振りで猿を見もしない。

撮影に失敗しました…。やっぱ日陰だったのが敗因か?望遠撮影したのはボケボケで。標準撮影したら猿がどこにいるか…分かります?上の画像の中央に3連アーチの窓があります。その窓の下の1階の屋根を画像奥に向って親子連れが歩いてます。
2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。

● 風の宮殿(ハワー・マハール)
姿を見られることを禁じられていた宮中女性のために、1799年にマハラジャ、サワーイ・プラタップ・スィンが建てた宮殿。5階建ての正面部分は奥行きのない小部屋に区切られていて、どの方向からでも風が入るように工夫されている。女性達はここから祝祭の行列や日常の活気ある街のようすを眺めたという。

さて、バスに戻ります。風の宮殿は建物外観の撮影ストップのみですね。中には入れません。8時45分バスは出発です。
しかし走り出してほどなくまたバスが止まりました。次の観光地に到着です。実は旧市街の観光は風の宮殿、世界遺産ジャンダル・マンダル(天文台)、シティ・パレスの3つはとても近いのです。一番離れている風の宮殿とも距離にして500メートルしか離れてない。ジャンダル・マンダルとシティ・パレスは道路を挟んで隣接しています。

バスを降りてまずはジャンダル・マンダルへ。大きな木に注目して撮影しましたが、実はこの壁の向こうがジャンダル・マンダルでした。

チケット売り場。

ジャンダル・マンダル(天文台)到着。時刻は早くも9時になっていました。
● 世界遺産ジャンダル・マンダル(天文台)ジャイプールの街を築いたマハラジャ、ジャイ・スィン2世は、天文学に造詣が深かった。彼はペルシャやヨーロッパの書物を集め、中央アジアのウルグ・ベクの天文台なども参考にし、ムガル帝国の皇帝の許しを受けて、インド各地に天体観測儀を集めた天文台を作った。最初に作ったのがデリー(1724)。その後ジャイプール(1728)、ウッジャイン(1734)、ヴァラナシ(1737)、マトゥラー(1738、現存しない)の計5カ所にジャンダル・マンダルを建設した。特にこのジャイプールのものが巨大で、全部で16の観測儀がある。現在あるのは1901年に修復されたもの。
それぞれ時刻や太陽の高さ、星座の位置、日の出と日没の太陽の位置を計測出来る。マハラジャはこれらの測定値をもとに暦の製作や天候予測を行い、政治や祭儀に活用していた。
● ナティヴァラヤ・ヤントラ 南北に剥いた2つのプレートに落ちる影から春分、秋分、夏至、冬至を計測。
● ヤントラ・ラージ 2つの円盤からなり、天体配置から日の出や日没、日食、月食の時刻を計測。
● クラーンティ・ヴリッタ・ヤントラ 円形の断面の台座に金属製の器具を取り付けた、天体の経度と緯度を測る観測儀。
● ウンナターンシャ・ヤントラ 星や惑星の位置を測る観測儀。24時間計測可能。
● ラグ・サムラート・ヤントラ サムラート・ヤントラの小型版。20秒単位で時間が測れる日時計。左側にある白い弧は、ジャイプールの現地時間を決めた(現在のように世界中どこでも標準時から時差を決めるようになる前は、各町それぞれの時間があった)
この画像では分かりにくいのですが、白い半円の弧の部分にメモリが売ってあって、正確な時刻の計測が可能です。

おじさんが何をしてるか?というと、視線の先に基準となる星が見えるとか。

私もしゃがんで見ましたが、昼間だからね。基準の星は見えないよね。
● ジャイ・ブラカーシュ・ヤントラ 地中に窪んだ直径4メートルの半球状の計測儀。他の計測データーを補足する為に用いられた。2つある。地下に空間があり、そこで観測する仕組み。

現代美術のような。科学の教科書の表紙のような。不思議な造形の観測儀です。
● ラージ・ヴァラヤ・ヤントラ 12星座を観測する事が出来る装置で、星座ごとに全部で12台の観測儀が配置されている。
2016年4月5日に左のラージ・ヴァラヤ・ヤントラのデジカメ画像を追加しました。

なぜに星座にこだわるのか?天体観測に熱を入れるのか?もちろん既出の政治や内政に利用してもいましたが、ヒンドゥー教徒はカースト1位のバラモンが占いで結婚相手を決めるのです。その際に天体観測を使います。互いの相性も星座(誕生日)を見て決めるし、結婚式の日取りも決める。更には家に入る時間まで決めるんだって。
ガイドさん「私も簡単な占いなら出来ますよ」
本当に?旅人達はガイドさんに殺到しました。ガイドさんは手相も見てたね。ヒンドゥー教徒って凄いよね。
あ。忘れてた。巨大な三角定規みたいなものは、● サムラート・ヤントラです。高さ27.4メートル。この天文台で最も大きい観測儀。マハラジャは観測機器が大きい程より正確な観測結果が得られると信じていた。現地時間、天頂距離、子午線などを測る複数の役割をもつ。傾斜角度と方向は北極星を指している。日時計としては、2秒単位で時間を計測できる。
撮影画像があるのはここまで。全部で16の観測儀があるそうなので、半分だね。ちなみに、建設から280年以上経ってますが、占い大好きなインドでは現役で使われているんだって!
このあとジャンダル・マンタルの売店で、絵はがきを4枚購入(1枚10ルピ×4枚=計40ルピ)。これでようやく添乗員に立て替えてもらったトイレ代10ルピが出来た。
添乗員は「インドから出した郵便は7割届きません。でも切手を一人2枚用意しました。試してみてください」と言われたのでものは試しだからな。ちなみに、アグラで出した絵はがきは着日はずれたけど4枚とも1週間前後で無事に届きました。
ジャンダル・マンタルを9時50分に出発。シティ・パレスは道を挟んで隣り合わせにあります。すぐにシティ・パレスに到着です。

10時、シティ・パレスに入る。
入口を入ってすぐ、正面に2階建ての建物が見えた。
2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。

● ムバラク・マハール イスラム、ラジャスタン、ヨーロッパの建築様式がミックスされた建。かつてはレセプションセンターでしたが、現在は歴代のマハラジャの衣装やポロが大好きだったマハラジャがインド代表として国際試合に出た時のユニホームなどが飾られていた。中には小錦も着れそうな巨大な衣装もありました!あまりのインパクトにこれしか覚えてないや。残念ながら内部は撮影禁止。
上の画像に右下に少しだけ写っている建物の2階に昔の武器を展示してあるギャラリーがある。こちらも撮影禁止でしたが、なかなかのコレクションでした。
2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像を少し解説すると、武器庫に向う階段の窓から中庭とムバラク・マハールを撮影しました。階段の上から先が撮影禁止区画でした。

ムバラク・マハールのある中庭からラジャンドラ門を通り隣の中庭へ。門はターバンを巻いた衛兵が守ってました。
2016.4.11デジカメ画像を追加しました。
上の画像は門の裏側。裏側から見ても美しい門ですね。
2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。

●ディワニ・カース
 貴賓謁見の間。壁のない開放的な造りで、列柱とアーチが美しい。



巨大な銀色の壷が2つ展示してある。これは1902年にマハラジャがエドワード7世の戴冠式に出席する為にイギリスを訪問した際に、毎日の沐浴の為にガンジス河の水を詰めて持って行ったもの。高さ160センチ容量900リットル。世界最大の銀製品として、ギネスブックに登録されてるんだって!
ってか、1個で900リットルって…。やはり象に乗せて運んだんだろうか?船に乗せてしまえば運べるか。

2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。
観光コースは上の画像の中央奥へ向います。そこがチャンドラ・マハールの中庭です。

● チャンドラ・マハール 「月の宮殿」を意味するマハラジャの住居。内部は非公開。ってか現在もマハラジャが現役で住んでいる。そして私達が訪れた時も中にマハラジャがいる。いるかどうかの判断は、建物の上に立っている旗。
中庭にはクジャクやハスをモチーフにした4つの門がある。




2016年4月5日に左の画像を追加しました。


あれ?3種類しかない…。や、やっちまったぜ…。凹む~。
2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像を解説すると、おじさんらが守ってる門の向こうがマハラジャの居住区画です。
実はもう一つ、歴代マハラジャの肖像画が並ぶギャラリーのサブハ・ニワスがある。ここはマハラジャが領民との謁見をしていた場所でもある。しかし~~っ!!ここも撮影禁止!無念です。
マハラジャの家系図がありました!46代のマハラジャの在位は1970-2011年。47代マハラジャは2011年から現在って…。現在のマハラジャの写真は少年です。
2016年4月6日に左のデジカメ画像を追加しました。
うわっ!ジャイプールの現在のマハラジャは弱冠17歳の少年ですよっ。若い~~っ。

見学後出口へ向う。出口辺りには土産物屋があった。

人形劇やヘビ使いもいました。(人形劇は店の人が食事休憩中で見えなかった)蛇使いはコブラでしたよ。日本人が想像するインド人そのままでした。
さて、旧市街を後に。時刻は11時になってました。実はここからもう一つ観光に向い、その後ランチになります。ジャイプールは暑いので、少しでも涼しい時間帯に観光するのです。
長くなったので続きは明日。

昨日インドの旅のフォトチャンネルを作成しました。
今日ずっとぼやいていたデジカメの画像を一部読み込めたので、デジカメ画像を順次既出の記事に追加してます。また読み込めたデジカメ画像をフォトチャンネルに追加しました。今旅のスケジュール順に記事を予約投稿してるのですが、今後もフォトチャンネルにデジカメ画像を追加する予定です。
北インドの旅

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北インドの旅2日目フマユーン廟

2016年04月04日 04時57分32秒 | インド旅行記
バスは世界遺産クトゥブ・ミナールを9時に出発しました。車窓に次第に車が多くなる。「黄色のナンバープレートをつけた車はタクシーです」この辺りの車はどれも高そうだ。
「インドはガソリン代が高い。1リットル140円位します。でもムンバイはもっと高い。1リットル160-180円位する」
う~む。渋滞解消の為、燃料のガソリンの値段を高く設定してるって事か?あんまりうまく行ってなさそうだが。一般車にまじり多くすれ違うのは黄色いバス。みれば大勢の子供が乗っている。白いバスには有名な僧侶とインドの大統領が貼ってある。なんだろか?「子供は勉強しなさい」って事か?

あれ?でも今日って日曜日じゃん!何で学校へ行ってるんだろうか??
9時半、フマユーン廟到着です。入口を入って全員足が停まった!これは~~っ

大量の民族衣装の女性達!!
何かしら~??でもラッキーですっ!普通は旅人は民族衣装を着た女性を見たいと思っても無理だからね。
聞けば「インド空軍の奥さん達の遠足」だそうです。撮影画像には入ってませんが、周りに空軍の制服を着た男性が女性達を誘導していました。奥さん達は互いを撮影してました。ちっ!私は今朝の内は難民ジャケットと自分で勝手に名付けてる汚いジャケットを着てるんだよな。脱ぐにはまだ寒い。でも脱げばたぶん一緒に写真が撮れる。迷ってるうちに移動時間になっちゃった!無念~。
この時撮影した画像は、既出の>インド女性の服はカラフル(2016年3月16日)の記事こちらの記事で別建てで紹介しました。カラフルな色の洪水です。華やかな画面の記事なので未見ならぜひともごらん下さい。
添乗員「観光は私もご一緒しますが、基本は自由観光になります。10時半にこの場所に戻って来て下さい」
ラッキー今回の旅の旅行会社は、年配向けツアーを得意とする会社です。脳梗塞発症後、本格的な旅をした去年のベトナムで自分でも驚く程あれこれやらかした私は、「リハビリしないと!」と思い、ゆったりツアーの旅行会社のツアーを選びました。年配向けという事は、旅の参加者の体力に差がある人がそこそこいる可能性があるということ。実際今回の旅の間、ツアー参加者の皆さんの話をあれこれ聞いたのですが、皆さん大きな病気をした直後だったり、持病で私のようにたくさんの薬を飲んで体調を整えている人もいました。だから、それそれのペースで回れる観光地の自由観光はありがたいのです。さあ!まずはともかく進もうか?

一つ目の西門をくぐる。六角の星とふたつの大理石のドームが特徴的な高さ5.8メートルの門。

左右にアショカの木が植えられた参道を抜ける。

見えて来ました!フマユーン廟です!
あれ?でもこれ、完全逆光じゃんっ!!

うわ~~~ないわぁ~~
いや。なんとかなる!まだ肩を落とすのは早いな!だって自由観光なんだもんっ!
ともかく、フマユーン廟にもっと近づこう!

正面まで歩いていったら階段があった。上に上がれるらしい。

上がったら、建物の中にお墓があった。

振り向いたら2階の周りにもお墓があった。イスラムのお墓はその人の大きさってかそのまま埋葬するから、一基に一人納まってるのです。
やがて、華やかな女性の声が聞こえてきた。縁に行き下を見下ろすと…。

先ほどのエアフォースの奥さん達がやってきた。うわ~~~写真撮りて~~。


2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。
2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。
でも時間かかりそうだな~。なら先にやる事があるわ。

フマユーン廟をぐるりと反対側へ周ります。予想通り、反対側にも下へ行ける階段があった!急ごう!!
早歩きで(気分だけは全速で走ってるんですけどね)見栄えするポジションを探します。
そして撮影したのが今日のトップ画像です。やはり逆光で撮影した画像とは感動が違うでしょ?
ってな訳で、建物の全景も撮影するぜっ!ダンナ~、何暢気に見とれてんだよっ!時間がないんじゃ!!

後々ここでダンナを見捨てて自分ペースで撮影しておけば、イサ・カーン廟も見れたのに~~と悔やむ。そうなのね。この時の予想は正しく、集合時間まで見る時間が全く足りませんでした~。無念じゃ…。
2016年4月5日に左のイサ・カーン廟のデジカメ画像を追加しました。
ここは集合場所の広場から塀を挟んだ東に位置してまして、メンバー全員が集まるまでの少しの時間に塀まで走って望遠撮影しました。ああ、あと100メートル~~。ダンナ~、これから私が急ぐと言ったら感動フリーズは止めてね~。
ま。いいか。
ともかく欲しい画像は抑えられたので、もう一度フマユーン廟に戻って来た。

あら?廟はエアフォースの奥さん達で一杯ですわ。
ま。な。これは堂々とインド女性達を撮影出来るって事だよな~。と。歴史的あれこれの撮影から切り替えたんですが…。
 
携帯電話で撮影したのはピンぼけ画像のみ!!くう~~~~っ!!泣ける…。

これは奥に窓があったから比較的明るくて分かるかも?中央にあるのはフマユーンのお墓です。フマユーンはムガル帝国2代皇帝。
奥に開いた大きな窓は、メッカのある西側です。

皇帝の墓のある中央とはべつに、周囲には空間があってそれぞれの部屋にもお墓があります。王妃やその子孫が眠っています。

そして案の定時間が足らずイサ・カーン廟は見れなかった…。ダンナ~…。頼むよ~。時間配分というものをだね…。彼は夢中になると他人の声が耳に入らない人なのだ。
● 世界遺産 フマユーン廟
広大な庭園に立つ、赤砂岩と大理石のコントラストが見事な建築物。
ムガル帝国第二代皇帝プマユーンの霊廟で、ペルシア出身のフマユーンの妃ハージ・ベーガムが…建築を指示し、1565年に9年の歳月を経て完成。
ペルシャとインドの建築様式が融合したムガム建築というスタイルがここに発祥した。
総大理石のドームは二重構造になっており、外側のドーム下12メートルのところに内部を覆うドームがある。これが中央墓室のほどよい高さの天井となっている。
建物は90メートル四方の基壇に立ち、4つの正方形の墓室が中央墓室を対角に作られていて、完全な点対称になっている。この建物が後のタ-ジマハルの原型ともいわれている。
2016年4月5日、上のデジカメ画像を1枚追加しました。
2016年4月19日に以下の5枚のフマユーン廟のデジカメ画像を追加しました。










さて、バスは10時半過ぎに出発した。
時間調整を兼ねているのか、サウスデリーから一旦北上する。第一次世界大戦の戦死者を弔うため、1929年に建てられたインド門を車窓から眺める。


2016.4.19に左のデジカメ画像を追加しました。
反対側には議事堂もあったのだが、撮影に失敗した。

辺りは高級住宅街。大臣や金持ちの邸宅が立ち並ぶ。「ここがTATAモータースの社長の家です」うん。車窓からは木々に遮られて何も見えないね。

人々が大勢集まってる建物が見えた。病院だ。
「インドでは病院は無料。薬も無料です。救急車も無料です」そりゃああ患者が詰めかける訳で。

病院の側には薬局が並んでいて、患者目当てのオートリキシャも集まっている。
いいな。それ。年に10万円を超えそうな位病院と薬と検査にお金をつぎ込んでいる私はとてもうらやましい。
「でもベッドが足りない。通路にも患者が寝ている。先生も足りない。ベッドで寝ている患者が死んだら片付ける」
し~ん。
「だから金持ちは有料の私立病院へいく。先生も海外勤務経験者です」
し~ん。便利だか不便なんだか。確か、教育制度の学校も似たような事言ってましたね。
インドの学校制度(2016年2月29日)の記事 こちらにガイドさんが語ってくれたインドの学校制度のお話があります。

こちらは別の日のデリーの病院前に並んでいる救急車です。
さて、時刻は11時15分。昼食のレストランに到着しました。

バスは客を下ろしたら、一旦レストランを離れます。レストランに駐車場がないからね。

昼食はカレーです。画像には写ってませんが、一人一つ、タンドリーチキンも配られました。まずは飲み物のオーダーを添乗員が取って回ります。
「ビール350ミリリットルが300ルピ。グラスワインが600ルピ。スィートラッシーが250ルピ。フレッシュフルーツジュースが200ルピ。ペプシ、ファンタが200ルピです」(日本円への変換はインドルピを2倍して下さい)
おおう。ビール缶一つが600円だと?もしかして、インドって物価が高いのか??価格にビビってしまう。
後々判明するのですが、ツアーの食事は基本宿泊ホテルのレストランか、観光地近くほホテルのレストランが多い。観光地近くのレストランで~というのもありましたが、外国人向けの味付けメニューのある店ですから料理の価格も高めの設定なのでしょうか?まさかの350ミリリットルビール缶300ルピは旅のレストランの中では安かったのですよ!!

大きなレストランではないので、客は昼食の途中で中座して、トイレを済ませます。ツアーでは時間のやりくりが肝心なのです。
と!?
突然店内が真っ暗に!
まさかの昼食の途中で停電が発生しました!
トイレから悲鳴がテーブルまで聞こえてきた。後でトイレにいた人に聞いたら、店のおじさんがすぐに強力ライトを持って来てことなきを得たようです。
そして、停電はなかなか戻らなかった!食事の最後のデザートのアイスクリームが出ても、最後の紅茶が出ても電気はつかない。頼りない外の光の下食事をしたので、この時撮影した食事メニューの画像は撮れなかった!
さて。食事を終え店の外に出たのは12時20分でした。すると、店の前の様子が入る時と一変してました。
道が渋滞していたのです。どうも停電が起きているのはレストランだけでなく、辺りが全て停電してるようです。つまりだね。信号が止まってしまったのだ!でもさ、ここまでの渋滞はおかしいんじゃないの?とガイドさんに聞けば「インド人は警察が見てないと交通ルールを守らない」んだってさ。
そして迎えのバスも渋滞に巻き込まれ来ない。客は待ってるしかないんだね。
あ。暇つぶし発見!

レストランの隣に屋台が出てました。
何屋さんなのか?

これはパン屋さんかな?客の注文に応じて目の前で焼いています。ほうほうほう。結構すぐに焼けるものだね。

屋台の隣には小さな祠もありました。

祈る場所(2016年3月25日)の記事 こちらに上の画像の解説があります。
ようやくバスが来た。出発は12時35分です。う~む。このムダな時間をフマユーン廟で使いたかったぜ。
お腹もいっぱいになったところでロングドライブ開始です。今いるニューデリーから西へ。ラジャスターン州の州都ジャイプールまで266キロ先へ一気に走ります。
インドの高速道路は日本と違いあまりスピードが出せません。到着は夕暮れ頃と思われます
たった266キロですが、移動時間は日本の高速道路と同じではない!んだって。
一般道から高速道へ入った所で、前の座席のおじさんと会話がはずむ。「今までどんなところに行ったの?」と聞いたら「見たいか?」と言われ「もちろん」と答えたら、出て来る出て来る。素晴らしい写真が。ほとんどがアルペン写真です。「これはどこですか?」と尋ねたら「世界の山脈旅でね。これはマッキンリーかな?」それって、植村直己の~~??「行けるんです?え?登ったんです??」と混乱しつつ尋ねたら「ヘリだよ」と答えが!「ヘリ!!」「金を払えば解決出来るなら払えばいいだろ?」とあっけらかん!とした答えが。どうやらアルペン大好きなようで、アルペンツアー専門旅行会社のパンフレットまで見せてくれた。「ここのK保くんがね。私でもいけるツアーはこれ!と送ってくれるんだよね」と。
聞けば、おじさんは究極の南極点ですらヘリの手配で立った事があるらしい。そんなおじさんがなんでインド初心者向けの老人ツアーに参加してるのか?と聞いたらば「いや~、病気やっちゃってさ~。先週まで2クール分の薬を飲まされてたんだよ。でも去年行ったインドのビザがまだ使えるから安いツアーでリハビリしてるんだ」ときたもんだ。
もうね。金持ちの発想だよね。庶民は開いた口が塞がらんわ。
「去年インドってどこへ行ったんですか?」と尋ねたら、「見たい?」と。「え?見れるの??」「このビデオに録画が入ってるんだよ」といそいそと巻き戻し…。見せてくれたのはヘリコプターの中から撮影中の画像でした。山の名前は忘れたけど軍用ヘリをチャーターして、上から雪をかぶる山々を眺める。&ヘリを氷河が残る場所に下ろす。旅人が山の絶景を楽しむ&ヘリが迎えに来て再び上空から山を楽しむという一連の動画を見せていただきました。もうNHKも真っ青の素晴らしい動画です。「綺麗だろ?ここ前も行ったことあるんだけど、同じパイロットだったよ。このツアーは知る人ゾ知るでね。人気でヘリが予約がなかなかとれないんだ」さよか~。お金の使い方って人それぞれなのですね。
おじさんとの話に夢中になっていると、車窓が一変していました。ごちゃごちゃとした建物が多かったニューデリーから、緑の畑の風景になってます。



畑は所々に黄色にはなが咲いている。菜の花かしら?畑の中ににょきっと出てるのはレンガ工場の煙突なんだって。
さてと。1回目のトイレ休憩です。時刻は15時。
 
 
 
いわゆる土産物屋を併設したドライブインです。ザッと見るに、インドの土産物はカラフルです。青い象の人形とかいいかもしれん。買わなかったけど。
車窓ウォッチングは楽しい。高速道路なのに、動物が普通にいる所もおかしい。

恐ろしい事に気付いてしまった!インドの高速道路に街灯がない!高速道路に信号がないのでほとんど完全に止まる事はないけれど、高速道路に両側には普通に民家や店が並んでいる。高速道路に横断歩道もないのですがね。怖い事に時折道路を横断する勇者がいるのですよ。勇者は人間だけど、動物もいるのですよ。
あ?バスのスピードが落ちた!

前方に神様の牛とされるこぶ牛がいました。「牛に車が衝突して牛が死ぬとすごいお金が必要。人間曳くより高い!」
し~ん…。
神様の牛なのですが…。(2016年2月24日)の記事  インドでは街中を牛が闊歩しています。こちらはそんな記事です。
やがてバスの車内を直撃していた日差しも和らいできました。車内は2月だというのに冷房がつけられています。インドでは国内産業保護の為、外国製の車には高い関税がかけられます。なのでインド製のバスの冷房は、ON-OFFしか出来ません。温度調節出来ないのだね。旅人は冷房の入った車内でジャケットを着込んでやり過ごします。ちなみに、バスは後ろよりがより冷房が強い。それが嫌なら前方に座るしなかんですが、今回の旅人は19名+添乗員+ガイドさんなので、一人2座席確保は出来ましたがあまり空き席がありません。前方に移動したくとも無理!しかもバスのカーテンがないので日差しも遮れない。
なぜ病院でレイプ事件が起きるのか?(2016年2月23日)の記事 こちらの記事になぜバスにカーテンがないか?理由が書いてあります。
緑の畑の中に時折スプリングクラーを使って水やりしてる畑があります。お手軽でいいよね。
畑はスプリングクラーで水槍をする(2016年3月28日)の記事 デリーからジャイプールの高速道路の車窓の画像があります。

平かだった車窓に山が見えた。山の上に寺院がある。

「ジャイナ教の寺です。この辺りには野生の猿もいます。車窓から見えるからしれません」

猿は見つからなかったが牛はいた。
山が次第に道路に近づいて来る。と?何故か道行く人も増えた気がする。


2016年4月5日に左のデジカメ画像を追加しました。
ジャイプールの街に入ってすぐに渋滞しまして、なぜかしら~と前方を見たら、花婿が花嫁の家に入るパレード(楽隊つき)親族つきをやってました。インドでは2月は結婚式シーズンです。画像奥に白い服の男性が花婿さん。白い馬に乗ってます。

ようやくジャイプールに到着したようだ。
ホテル到着18時。予定通りのようです。
何はともあれセキュリティーチェック。パスポートを提出し、荷物を預けて機械に通して検査する。あとはボディーチエックも空港においてあるような枠の機械を抜けてチェックする。
宿泊の部屋はこんな感じ。

ヨーロッパのホテルに比べると部屋が広い。
 
 


バスタブの他にシャワー室がついているのは嬉しいんだけど、ジャイプールの水はあまりよくない。少し舐めたらしょっぱかったような?あとヌルっとしてる気も。シャンプーが泡立たない。そして、大変な事実が発覚した!
日焼け止めクリームの使用期限が切れていた!しかも服を脱いだらクリームを塗った腕がうろこみたい。
ピンチです!こんな日差しの強い土地で、日焼け止めがないとは~~~。これは…。明日から化粧で切り抜けるしかないか…。さすが2月に日焼けして近所の商店街は歩けないし。
と。まさかの!!メイクの日々が訪れました…。え~と??顔の塗り方覚えてるのか??
午後7時半、ホテルのビュッフェでバイキングです。
添乗員「生野菜のサラダやカットフルーツも並んでいますが、インドの料理にお腹が慣れるまでは控えた方が無難です」と言われとって来たのはこれ。

生野菜云々というよりは油ぎとぎとの料理でお腹壊しそう~。ちなみにインディカ米で作った焼き飯みたいなのは美味しかったです。
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北インドの旅2日目クトゥブ・ミナールと複合建築群

2016年04月03日 05時47分30秒 | インド旅行記
2月14日(日曜日)朝6時半、朝食。

昨日インドラ・ガンディ国際空港を出たらもう暗くなっていた。北京の3倍超えの大気汚染の街デリー。
宿泊ホテルはそこから南、郊外のビジネス街、グルガオンに宿泊した。手早く食事を済ませエレベーターで屋上へ行ってみた。屋上にプールがあって、周りをぐるりと塀が作ってあり外が見えない。がっかりして階段で下っていたら、外が見える場所があった。

う~む。朝もやと言われたらそうだねとうなづきたくなるし、大気汚染の空と言われたらそうだねとうなづくだろう。でもなんだか奥にテントが林立してるような…??

降りてみた!う~む。どうだろうか?これは空気が汚れているのか??

太陽の側はホテルの裏手。なので正面に回ってみる。前の道をしばらくウォッチングする。



結構面白い。グルガオンはビジネスの街と聞いていたんだけど、これさ、鄙びてないか??まあ、これから立派になる所かもね。
さて、インドではベトナムと違うのか、勝手に街を歩くな!と言われている。治安がよくないそうだ。これは本当に残念なんだけど、ホテルの前で道行く人々をウォッチンングするだけでも楽しい。
7時半ホテル出発。
今日からバスで移動しつつ観光を楽しむので、添乗員さんは旅人達をA・B・Cの3グループに分け、グループ順にバスの席を確保するスタイルを採用する。これ、結構重要な事だとすぐに分かりました。
デリーを走るバスにカーテンがありません。
これは数年前にデリーの市内バスの中でレイプ事件が発生した為、二度とそういう事が起こらないようにデリーのバスは全てカーテンをつけることを禁じられたとか。この日はデリーからジャイプールまでロングドライブになりました。ンで気付いたんですが、カーテンがないということは、日差しが車内を直撃するのですよ。取りあえずバスの車内でも帽子をかぶってましたが、早急にロングスカープを手に入れよう!と決心しました。ついでならインドのスカーフが欲しいな。

今日の観光は、サウスデリーの2つの世界遺産です。
さて、日によると渋滞することもある!と聞かされてましたが、この日は日曜日なのですよ、スイスイとバスが進み、8時過ぎに一つ目の観光地、世界遺産。クトゥブ・ミナールと複合建築群に到着しました。
添乗員さん「まずはトイレに案内します。ここは有料トイレでお一人10ルピになります」
ンなこと言われても10ルピを持ってない!
添乗員さん「分かりました。立て替えておきます」
という事に…。チッ!やっぱり両替で『小銭がない』が悔やまれるぜっ!!
さて。気を取り直し、観光開始です。

● 世界遺産 クトゥブ・ミナールと複合建築群(1993年登録)
インド最古とされるイスラム遺跡群。奴隷王朝~ハルジー朝時代の歴史建築が残る。
ヒンドゥー教徒に勝利した記念として奴隷王朝の創始者アイバクと、その後継者イルトゥミシュによって造られた尖塔(トップ画像です)、クトゥブ・ミナールが最大のみどころ。
2016.5.16デジカメ画像地図を追加しました。


ヒンドゥー教寺院を破壊した石材で造ったイスラム教寺院跡も見逃せない。
2016.4.14デジカメ画像を追加しました。


2-16.4.14デジカメ画像を追加しました。
画像の中央に鉄柱があります。この鉄柱は、4世紀のグプタ朝のインド統一記念に造られました。純度99%の鉄で出来ていて、今もさびずに立ってます。表面にサンスクリット語が刻まれています。



イスラムっぽいのは、ヒンドゥー寺院の時にはあった神様の像や女性の石彫を、イスラムの偶像崇拝禁止の立場から、全て削ってあることですね。
2016年4月5日、デジカメ画像を追加しました。

ちなみに、塔はかつては369段の階段を上がり登れたんだって。でもある日、遠足に着ていた学生が事故って落ちた事があり、以降登るのを禁じてるとか。

全長72平方メートルの塔は、インドで最も高いミナレット。1層目はアイバクが1119年から建てさせたもので、表面にコーランがアラビア文字で刻まれている。上の画像はミナレットの1層目。
アイバクの死後後継者のイルトゥミシュが引き継ぎ、3層目まで完成させた。4・5層目はトゥグルク王朝のスルタンにより、1358年に造られた。
先端にいくに従って直径が小さくなる設計。実際より高く感じる。
携帯で画像をとりそびってましたが、ラルーコートの中庭に、3~4世紀、グプタ朝のインド統一記念に造られた高さ7メートルの鉄柱だ建っている。純度99パーセントの鉄で出来ているため、17世紀経た今でもさびずに残る。表面にはサンスクリットの文字が刻まれている。

上の画像の手前に林立する柱の建物は、イスラム・マスジット。回廊のところどころにヒンドゥーの彫刻が残る。これもヒンドゥー寺院の石材を転用して作ったから。イスラム寺院を作った時に、ヒンドゥーの彫刻は表面に漆喰が塗られて表面には出てなかったとか。
他に基底部の直径25メートル。クトゥブ・ミナールの2倍の塔の残骸がある。これは1312年に着工されたものの、作ろうとしたスルタンが途中で暗殺され未完に終わったもの。こちらも携帯電話に画像がありませんでした。う~む。デジカメ画像をどうやって読み込めばいいんだろうか??そもそもiPhotoにもう空きメモリがないんだよね。
2016年4月5日、デジカメ画像を追加しました。
ところで、遺跡の間をリスがチョロチョロしてます。
2016年4月5日、デジカメ画像を追加しました。
遺跡の上に、緑のインコが停まっています。
これってみんな野生の動物のハズ。北京より酷い大気汚染なのに、インコもリスも普通にいる事に驚きます。
バスの駐車場に戻って来た。時刻は9時。道が込み出す前に出発です。

今日は満開の桜を見に行こう!と5時に起きた!雨が降ってた~。風も強くてね。現在体調が今一の私にはこの来んディションは辛い。午前中は腐りつつIPhotoのライブラリの画像整理をしていたのですが、午後からなんとなくで新しいフォトチャンネルを作成してました!
とりあえず北インドのブログ作成済み分の画像を使ってフォトチャンネルを造りました。
北インドの旅2016年2月13日~21日9日間の旅

よかったら見てあげて下さい。
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北インド旅行1日目出発

2016年04月02日 06時01分35秒 | インド旅行記
今日から旅のスケジュール通り時系列で記事を書きます。今までに記事立てしたブログは、途中で<このネタは既に書いたのでそっちを見てね>で挟みます。んで、残念ながらデジカメ画像は相変わらず読み込めてないので、携帯電話で撮影した画像でもって書きました。あとね、『自分が旅するなら知りたい事』はなるだけ書こうと思います。既にインドを旅した方には「そうだった!そうだった!」と共鳴していただけるかと。楽しんで下さいね~。

2016年2月13日。最寄駅の小田急相模原発午前6時57分発の小田急で新宿へ。途中相模大野駅で乗換、7時40分には新宿に到着。小田急線はよく遅れるのだけれど朝早い時間だからか遅れなかった!
小田急の新宿駅からJR山手線の乗換は、スーツケースを持って移動は大変です。小田急線のホームから上への移動はまだマシなのですが、JR新宿駅がねっ。階段がねっ。スーツケースが重いぜ。
なんとか予定の山手線に乗り、日暮里駅到着です。この時、進行方向の後方の車両に乗ると接続が楽です。
WEBで予約済みのスカイライナーの予約完了画面をプリントアウトしてあり、それを発券所で見せてすぐにチケットと交換完了です。
日暮里発8時24分ー成田空港第2ビル着9時。
集合時間は9時半だったので、空港バスでなく京成スカイライナーを利用しました。でもスカイライナーを利用した方が所要時間は1時間くらい短くて済むしいいかも?
さて。集合は団体のIカウンター。京成の到着は地下なので3階へ移動すると…。Iカウンターははじっこだった!移動する途中で両替出来る銀行の場所を目で探す。しかし今回はインドです。インドの通貨はインドルピーですが、成田で取扱いはありません…。でも念のため円→ドルに少額紙幣を両替する。
100ドル=11460円でした!
この時、去年の4月に旅したベトナムで1ドル札が不足して困った経験がら、50ドル分を1ドル札に両替したのですが、失敗しました!インドでは1ドル札は使わない。両替するなら、5ドル以上の紙幣が便利です。もうね、1ドル札は嫌がられてしまいました。1ドル札使うより、土産物屋なら1000円札の方が便利に使えた!

搭乗案内板はほとんど定時で出発してる模様。
エア・インディアのカウンターへ。この時マイレージカードを持っている人は提出を忘れずに。エア・インディアはANAのマイレージカードが使えます。
第2ターミナルに来たのは久々なので少し見て回る。でも搭乗ゲートが82番はちと遠い。余裕を持って移動したいので、早めに出国手続きを済ませる。
出国手続きが終わったら、ドラッグストアを探す。日本製のかっちり作ってあるペットボトルを確保するのだ!
海外のペットボトルは、飲み口の作りが甘くて、一度開けてしまうと水漏れするものや、ペットボトルが薄くて持ち運びに不安があるものがある。だから日本製のペットボトルを手にいれたいのです。私の場合、飛行機の中でお薬も飲まねばならんしな!
第二ターミナルのドラッグストアは遠かった!出国手続きを済ませて搭乗ゲートは直進なのに、ドラッグストアはだいぶん右手にあったのだ!

ってな事で、82番搭乗ゲートに到着したらすぐに搭乗開始時刻の10時30分になっていた。
ちなみに、82番ゲートの待合のそばに、こんな自販機がありました!

ちっ!これを買えば良かったぜ。
11時30分エア・インディア307便でインディラ・ガンディー国際空港へ。
所要時間は9時間50分 時差マイナス3時間30分 機内食は2回。
エア・インディアの機内食1回目。ランチ。チキンカレーです。日本時間13時30分に提供。



エア・インディアの機内食2回目。サンドウィッチです。日本時間19時15分に提供。ちなみにサンドウィッチの味付けはトマトベースのスパゲティのルウのような感じです。
機内では自分の座席の前にモニターがついているタイプでした。暇つぶしに繋いでみたら、アバターとエレベストがあったのでこの2つの映画を視聴しました。結構番組も充実していました、日本映画は水谷豊が芸術家になってプランスに行くお話が入ってました。
ここからインド時間に時計を3時間30分巻き戻します。
17時50分インディラ・ガンディ国際空港到着。
インドの入国審査は日本に比べて時間がかかります。ターンテーブルでスーツケースを受け取る。
インディラ・ガンディー国際空港にはポーターさんがいません。自分達でスーツケースをバスまで運びます。
インドのスルーガイドのランジットさんの出迎え。バスに乗る時に、ウエルカムのマリーゴールドの花輪をかけてくれました。マリーゴールドは生花で出来ていて、とても綺麗です。
19時20分、空港出発。これから6日のデリー発の国内線に乗るまでこのバスを使います。
本日の宿泊は、デリーの南にあるクルカオンにあるビジネスホテルです。
20時15分。ホテルに到着すると、防犯の為持ちもの検査の機械に通ります。手荷物も別の機械に通します。それから添乗員が旅人のパスポートを一旦集めます。パスポート検査の為です。これらは今回の北インドの旅ではどのホテルでも毎回同じ様な検査がありました。
ロビーからレストランに移動。あれ?また食べるの??と思えば、夕食がクロワッサン1個だったのでと、2種類のサンドウィッチをいただきました。
ピンぼけ画像ですみません。
添乗員「インドルピーへの両替は、ホテルのフロントでしてくれます。希望者はご利用下さい」
とはいえ、ツアー参加者は女性13名。男性6名の合計19名もいるのです。全員が両替をしたら時間がかかるわ。
手早くサンドウィッチをお腹におさめたら部屋へ移動します。
部屋に入ると20時50分頃でした。まずは部屋をチェックですね。

本日はビジネスホテルにつき可もなく不可もなく。
ピンボケですみません。インドのコンセントはこんなの。電圧は220-240V。周波数は50Hz.プラグはB3・BF・B・Cタイプが一般的。

トイレは去年行ったベトナムに似てた。便座のそばにゴミ箱があるので使用済みのゴミはこちらへ。あと、水流が日本に比べ弱いので、うんちなどが詰まったら、左側のホースでうんちを小さくして流します。
今朝は5時起き。今は午後10時だから、日本時間に直すと夜の1時半!長い一日だった!寝よう!
違うわっ!両替せないかんっ!
1階へ向うと同じツアーの旅仲間が先に両替していた。
何やらもめている。
聞けば、レートが悪過ぎる!って事のよう。
レートは1円=0.5インドルピーとか~~~。
あり得ない~~。つまり1インドルピー=2円って事だよね?
前もって調べてきた1インドルピー=1.67円(2016年2月11日現在)でした。
旅仲間は「最低両替が3000円って言うから、私は3000円だけ両替するわ」
そっか~。私はダンナと二人分だからさ、1万円両替するつもりだったんだけども~。
考えて最低両替の2人分。つまり6000円分を両替したら、2900ルピが出て来た。
ン??どうゆうこと??
聞けば、6000円だと3000ルピになる。ここからサービス税が31ルピ。だから残額2969ルピになるが、今細かいお金がないから2900ルピになります。
ハイ!出た!!この後何度も出会う事になる「細かい金がない!」
ちなみに、このホテルでの両替が最悪でした。この辺りの愚痴は既出の記事を参照して下さい。
インドでの両替はギャンブルです(2016年2月29日)の記事
ちなみに両替された2900ルピの内訳は500ルピ札が5枚。100ルピ札が4枚でした。
って事はさ、1ルピ=約2、3円に該当する訳ですね。マジか~~。
本来のレートなら1ルピ=1、67円だから、3592ルピになったハズ。700ルピが幻になった!!なぜに旅行会社は前もって注意してくれなかったのか…。『インドでの両替はギャンブルです』の記事を読めば分かるのですが、しょっぱなの両替のレートが最悪でした。旅の間にインドの布工場でインドの名産品のブロックプリントやサリーを購入した時に、円が使えたんですが、その時のレートと比べてもここは最悪でした。
ちなみに、インドではレストランやホテルの枕銭などのチップは不要でした。そこは嬉しかったんだけどさ…。
もう寝よう!疲れた!!
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動物は街にいるのか?(その2)

2016年04月01日 06時09分51秒 | インド旅行記
既出記事でインドの動物は街にいるのか?(2016年3月19日)の記事で紹介済みです。この時は旅の最初の画像しか読み込めていませんでした。今日は後日に追加で読み込めた旅の後半の画像を使い動物の画像を紹介します。
● 水牛

がっつり街中を闊歩していますね。牛画像はお腹一杯!と思われた方もいらっしゃるかと…。
神様の牛なのですが…(2016年2月24日)の記事 こちらの記事は牛。今回は水牛です。
インドのランチでカレーを食べてると、給仕さんが私の皿に追加で乗せてくれる白い塊があります。
何かしら~?とパクついてみると、チーズです。なんとも言えない味わいで、このチーズは水牛のチーズをタンドリー釜で焼いてあるのです。
ちなみに前回のインドの動物は街にいるのか?の記事の中で経済動物のお値段を書きましたが、水牛は乳牛より高いそうです。ガイドさん曰く「1頭10万円」だそうで。
ちなみに、水牛は乳牛に比べ絞れるミルクの量が少なくて、3~4リットル/日しか取れないんだって。そりゃあ水牛のミルクのお値段も高くなる訳です。
この時目撃した水牛は、牛飼いの少年が群れを移動させている所のようでした。
ちなみに、儀式の時に捧げものとして使われるのも水牛です。「水牛は牛ではない」というのがヒンドゥー教徒の考え方です。

● コブ牛

撮影場所:アグラの街
コブ牛はヒンドゥー教徒にとって特別な牛です。そもそもは耐暑性のある暑い場所で飼い易い牛でしたが、ヒンドゥー教徒にとっては神聖な牛とされていて、殺したり肉を食べたりしない牛。インドではこぶ牛の輸出も禁じている。

こちらは既出の記事に貼っていた画像です。背中にこぶがある牛です。撮影場所は高速道路の中央分離帯。運転手が絶対に事故りたくない牛ですね。

アグラの街で見かけたコブ牛は、服を着てました。

● ヤギ

撮影場所:ヴァラナシの街

野良犬かと思ったらヤギでした。小さいです。ヤギも既出の記事で紹介済みですが、旅の後半、特にヴァラナシの街中でよく見かけました。

やっぱり道ばたでゴミを漁ってる様子は野良犬のようです。

● 馬

撮影場所:アグラの街
荷馬車です。この画像撮影後すぐ、観光の屋根がない馬車も見ました。どちらも道路で見ました。

● 羊

撮影場所:ジャイプールからアグラへ移動中の車窓から
羊の特徴のもこもこの羊毛がない!刈り取ったばかりなのかな?
私「食用ですか?」
ガイドさん「羊毛を取るのです。羊は食べません。」
私「何で?」
ガイドさん「羊を食べると角が生えるからとされてます」
ハイでた!またヒンドゥーの謎の言い伝え。

● ネズミ

撮影場所:ジャイプール市街、ジャル・マハル湖畔
ヒンドゥー教ではネズミはガネーシャ神の乗り物なので駆除しません。どこかの街でも見ましたが、記憶から削除済みです。この画像のはどうみてもドブネズミだよな~。
でもヒンドゥー教徒はネズミが好きなようで、新聞広告にもネズミがマスコットキャラな広告がそこそこありました。アメリカ映画に出て来る白いネズミがモデルのような…。あれは『レミーのおいしいレストラン』だったか?
● シラサギ

撮影場所:ジャイプール郊外。高速道路の車窓から。
ちなみにこの時は、山の上のお寺を撮影していたハズ。そこへ白鷺が飛んで来たんだった!この近くでは「野生のサルが道ばたにいます」とガイドさんから教えてもらったんだけど、私はサルが見つけられなかった。
白鷺はアグラのタージマハルにもいて、いい撮影モデルになってくれました。

● 野良犬

インドの野良犬は人懐こい。更に上の画像のように写真を撮ろうとしても逃げない!とても可愛い。なでなでしたい。でもそれはダメ!「日本と違い万一噛まれると狂犬病のヴィルスを持っているかもしれないから絶対触らないで」と添乗員に言われてまして…。でも可愛いんだ~。ケモナーは撮影だけで我慢するのは難しい。幸いケモナー度が重傷でないから私はまだ我慢出来るが。上の白いワンコは本当に優しい目でなでれないのが辛かった!

● おそらくハチ

昆虫好きな私としては、採取した昆虫をカビさせてしまったベトナムでの失敗を踏まえて、乾燥剤も正露丸も持参して用意万端でインドの旅に望んだのですが、昆虫はほとんど見かけませんでした。季節は2月の真冬とはいえ、気温は連日25度を越えていたのですが、乾季なのがアカンかったのかな?かろうじて見かけたのは上の画像のハチとレストランの花壇にいたモンシロ蝶のみ。モンシロ蝶は頑張れば捕れそうだったのですが、どうにも人目が多くて断念。だってさ、生き物を殺さないヒンドゥー教徒が多い場所ですよ。捕まえづらいではありませんか。どこか他で遭遇する事があるだろう。と高をくくっていたのですが、道ばたの雑草は野良牛やヤギのエサで根こそぎ食べられててないんですよ。これでは昆虫は生きづらかろう…。成果を楽しみに待ってて下さってたかもしれない奈良のHさん、そういう訳で今回のインドでは獲物ナシに終わってしまいました。これが南インドだったら成果も違っていたかもな~。残念無念です。

さて、今日でテーマ別の記事はおしまい。明日からは旅のスケジュールに従い、旅の1日目から順に追いかける旅行記になります。楽しみに~。
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