あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

武道館の余波か、ヒザが痛い(笑)

2003年11月17日 | 生活
両膝が痛い。

ニールのオッサンに負けじと身体動かしまくったからなぁ・・・。
やはり「演者を乗せるには、こっちも乗らなきゃならんだろう」ってんで。日本の会場では全く浸透しない思想なのだが(苦笑)。

アンコールからたっぷり1時間はあったから、その間ぶっ通し立ちっ放しでリズム取ってたワケか。時々飛び跳ねたりして(笑)。

そりゃ翌日・翌々日とガタが来るワケだ。

しかし、当のニールおやじは2時間半演り放しなんだから凄い。
しかも翌日は日本公演の楽日、連日あのテンションでコンサートやるんだから凄いもんだ。

武道館スクリーンで「Live Rust」の映像をチラリと見て、久々に聴くかとCD引っ張り出した同名CD。
70年代の全盛時なのに「今より線が細いなぁ、声も演奏も・・・」なんて思ってしまった。

それくらい今のニールはドスが利いている!
90年代のアルバム「Weld」でも凄味は充分。普通は「全盛には及ばないが良くやってるなぁ」ってのがベテランのライヴだのだが。

音響が良くなったってのもあるだろうが。

機材進歩のお陰で、ベテランも往年の名曲をステージで再現しやすくなっており。
音の「返り」も充分で。昔は「自分でやってる音も自分じゃ聴けなかった」って話だから。
よく合わせられたなって、それだけでも感心するんだが。

スタジオで楽器を取っ替え引っ替えして表現してた楽曲も、今ならステージでそのまま表現出来るワケだ(例:YESの「Roundabout」・・・オープニングのアコースティックギターが今ならステージで再現可能。繋ぐエレクトリックギターも準備できてるし)。

ツェッペリンのメンバーが健在なら「天国への階段」のアルペジオが、アコースティックギターで再現でき、そのままエレクトリックギターのサウンドに雪崩込めるのですよ(もうムリだけど)。

よって、70年代当時の名バンドは、現在は「全盛期の名曲再生装置」として機能できてるワケで。元々がプログレバンドとか演奏技術あるので、少しくらい腕落ちてても機材の進歩でカヴァー可能だったりする。

全盛では機材チェンジでアップアップだったのが、今はスイッチひとつで可能なのだから、少しくらい腕が鈍くなってても余裕なのでしょう。

そんなんで頑張ってる70年代アーティスト達。ELPも90年代に見て充分に感動できた。

―――しかし。
ニール・ヤングのおっさんは、そんなトコロからも掛け離れた地平に居る。
「名曲再生装置」としても機能しているが。70年代よりエネルギッシュに演奏し。新曲半分のコンサートで充分持たせてしまう。
1960年代から2000年代まで、第一線。

そんなヤツいるか?

天才的な作曲能力あった者たち。S・ウィンウッドはマイペースで半隠居、V・モリソンもジャズに逃げ込み、他はブルースやルーツ物に回帰してるって言うのに。

本当に凄いおっさんだ。

今回も分かり辛いコンセプト物の披露だったが、本国でも充分理解されてないだろう。寓話性が豊かな物語アルバムだし。
恐らく御大ニールでも正面切っての自国批判は不可能なのだろう。

田舎町・政府・鷹・・・隠喩を含んだストーリーだが、彼は米国の今を描き出そうとしているような。

ここまで創作性を失わないアーティストも稀だろう。Zappaでさえ晩年はロックに興味を失っていたと言うのに(ただし音楽表現の欲望は枯れる事は無かった)。

一般的には全盛と言われる70年代、フォークロックの人として「アコースティックで大ヒット(孤独の旅路=ハート・オブ・ゴールド)」飛ばした時の人だったワケだが。

実は「体調悪くてエレクトリックギター弾けなかった」副産物って話もあり。
「Live Rust」も半分はアコースティック。

「錆び尽きるより燃え尽きたい」

ニール・ヤングには全盛期の燃えカスが、石油のように皮膚の下に燻っているのかもしれませんな。

――――さて。
ニールが また来るなら、今度は野外でも行くぞ!フジロックでも何でも来い!!

◆11/15(後楽園ホール)の試合結果
○4R
市原崇弘 KO2R 多田裕紀
渡辺一久 判定 田中 元
○8R
萬藤厚史 判定 小林昭義
中根 修 KO5R コブラ川瀬
橋浦憲一 TKO4R 鳥居健二
湯場忠志 KO1R 陳 京哲
中島吉謙 KO10R 金井彰広