車で出かけましたので、「昭和の名人完結編 三代目古今亭志ん朝 弐」を聴きました。2席とも聴き味のいい噺、後味もいいです。どちらも登場人物がみな善人で、往きと帰りでラジオも聴かずに2度聴いてしまいました。
志ん朝の爽やかな語り口が、このような暖かい人情噺を心地よく聞かせています。
①井戸の茶碗
紙屑屋が浪人宅から仏像を預かります。その仏像を見た細川家の高木作左衛門が購入します。その仏像の胎内から50両が出てきます。その小判を受け取る受け取らないで二人が意地の張り合いをします。結局浪人が小判の一部を受け取る代わりに普段使いの茶碗を差し出します。その茶碗が稀な名器の井戸の茶碗と判明。またまた頑固で清廉な二人の武士が意地を張ります。
②幾代餅
搗米屋の奉公人清蔵が錦絵の幾代太夫に一目ぼれをします。親方に諭され一年間働いた金で吉原に繰り出します。清蔵の心根にほだされた幾代太夫は、年季が明けた後、清蔵と夫婦になり幾代餅の店を出し、幸せに暮らしたと言う噺。
「紺屋高尾」というそっくりな噺があります。
清蔵の病のへんはこっけいタッチですが、女将さんや親方が心配するところは親代わりとしてのからりとした、昔の職人の家の気持ちのいい対応です。
どちらも心地のいい噺でした。
志ん朝の爽やかな語り口が、このような暖かい人情噺を心地よく聞かせています。
①井戸の茶碗
紙屑屋が浪人宅から仏像を預かります。その仏像を見た細川家の高木作左衛門が購入します。その仏像の胎内から50両が出てきます。その小判を受け取る受け取らないで二人が意地の張り合いをします。結局浪人が小判の一部を受け取る代わりに普段使いの茶碗を差し出します。その茶碗が稀な名器の井戸の茶碗と判明。またまた頑固で清廉な二人の武士が意地を張ります。
②幾代餅
搗米屋の奉公人清蔵が錦絵の幾代太夫に一目ぼれをします。親方に諭され一年間働いた金で吉原に繰り出します。清蔵の心根にほだされた幾代太夫は、年季が明けた後、清蔵と夫婦になり幾代餅の店を出し、幸せに暮らしたと言う噺。
「紺屋高尾」というそっくりな噺があります。
清蔵の病のへんはこっけいタッチですが、女将さんや親方が心配するところは親代わりとしてのからりとした、昔の職人の家の気持ちのいい対応です。
どちらも心地のいい噺でした。
