1568年秀吉の姉ともの子として生まれた豊臣秀次。
八幡山城を築き城下町を開いて近江八幡を
商都として繁栄させるのに大きく貢献しました。
その八幡山城があったのが、標高271.9mの八幡山で
琵琶湖・比良山系の眺望を楽しめます。
里山をハイキングしながら登るのも良さそうです。
「近江を制するものは天下を制する」
織田信長もこだわった近江。
映画にもなった「信長協奏曲」のロケ地は、
滋賀県内にたくさんあります。
八幡山城(別名近江八幡城)は、現在は石垣を残すのみですが、
展望塔に瓦の一部などが展示されていました。
八幡山最頂部に本丸を設けた二の丸、西の丸、北の丸、
出丸が配置された一大要塞であったと推測されるそうです。
秀次は、秀吉の養子となり一度は関白となりましたが、
淀殿の子秀頼が誕生したため
1595年秀吉の後継者を巡り自害させられました。
享年28歳。
43万石の八幡山城の城下には信長によって
安土に集められた多くの商人が移住し、
大商業都市の賑わいを見せましたが、
江戸時代には幕府の天領として治められるようになります。
城下の商人は幕府の通行手形を片手に全国を商いして回りました。
これが近江商人の誕生なのです。
東西南北のどこの方角も眺めの良い山ですが、
このハートが興ざめです。
意外にも若いカップルが多いのは、
恋人の聖地巡りの効果なのでしょう。
琵琶湖や近江八幡の水郷、安土山などが一望できます。
本丸跡には秀次の菩提寺である村雲御所瑞龍寺が
京都から移築されています。
滋賀県近江八幡市宮内町
2016.1.10