‘08/09/26の朝刊記事から
「核」協議 封印のまま
米軍の「力の象徴」とされる原子力空母ジョージ・ワシントンが25日、米本土以外に初めて配備された。
米側は冷戦終結後から水面下で母港化へ布石を打ち、「核」の議論を封印したまま3年前に配備を突然発表した。
国内の反発という「火種」を懸念しながら判断を先送りし、世界戦略の中「ヨコスカ」を重視する米国の周到さに押し切られた日本政府の姿が浮かぶ。
米に押し切られた日本
「抜き打ち」で配備発表
「原子力空母配備と日米同盟の明るい未来に乾杯」。
米海軍横須賀基地内にある在日米海軍のケリー司令官の公邸で24日夜、横須賀市内の蒲谷亮一市長ら地元有力者約30人を招いて開かれた”前祝い”。
「前の世紀だったら日本の受け入れは考えられなかった」。
米海軍幹部はほっとした表情を見せた。
通常型空母を退役させ原子力空母への衣替えを図って来た米海軍は「地球の裏側を警戒する拠点」となる横須賀基地への配備を着々と準備。
米国防総省は1998年「計画では通常型はなくなる」と将来の配備を示唆した。
当時の沢田秀男・横須賀市長は「日本人が嫌がるのに本当に来るのか」と不快感をあらわにした。
「横須賀が『沖縄』になっては困る」。
外務省と防衛庁(当時)は沖縄のような反基地運動への発展を恐れたが、米政府と正面から協議することはなかった。
「米軍に母港化をあきらめてもらうのは非現実的。『将来の課題』と先送りした」と日本政府関係者は語る。
米政府は2002年末までに配備の決定を日本に非公式に伝えてきたが公表はせず、3年後の05年10月、配備を発表。
日本政府は即座に受け入れを表明した。
地元への事前の根回しがない「抜き打ち」(松沢成文神奈川県知事)だった。
横須賀が地盤の当時の小泉純一郎首相の下、自民党が9月の総選挙で圧勝し、沖縄の普天間基地移設など米軍再編に関する中間報告の内容がまとまった直後の急展開。
「反対論が噴出しても後戻りできないタイミングを米側が見計らっていた」(日本政府関係者)。
沢田氏の後継の蒲谷市長は当初、反対を表明したが、06年6月には容認に。
政府は米軍再編の枠組みに入っていない横須賀市を再編交付金の対象とする「特例」を決め、07年度に約5億8千万円を支給。
関連自治体では異例の高額に蒲田に市長は「協力している地域への配慮と受け止める」と“アメ”の甘受を認める。
「日米のはざまで外堀が埋められた。受け入れざるを得なかった」。
市長に近い市議は明かした。
撮影機材
Kodak DC4800