鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

葛飾八幡宮で必勝祈願

2014-05-30 | 神社

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 前 9 時 3 0 分

千 葉 県 市 川 市

葛 飾 八 幡 宮



日は変わって5月。
所は変わってJR本八幡駅付近です。



国道14号千葉街道、市川市役所のすぐそばに、一の鳥居とともに葛飾八幡宮の参道がのびます。



京成本線の踏切を越え、二の鳥居をくぐると、八幡宮の境内です。

境内の脇にある市川市民会館の駐輪場に自転車を止め、参拝開始です。


公孫樹並木に覆われた境内を歩いていきます。

そうそう、「公孫樹」と書いて「いちょう」と読むんです。
なんだか三国志にこんな名前の武将がいそうな気もしますねぇ。
「いちょう」というと、「銀杏」と漢字表記されるのが一般的ですが、本稿ではあえて「公孫樹」と書いていきます。

公孫樹並木の先に待ち受ける門構え。



両脇に随身が鎮座する随神門【市川市指定文化財】です。
「随身」とは近衛府に所属する警護の官人、現在でいうところのSPにあたります。
随身の像が門の両脇に奉納され、神域を保護する門のことを「随神門」といい、この場合の随身は「随神」と表記されます。

この随神門は、もともとは上野寛永寺の末寺の仁王門であったそうで、以前は随神ではなく仁王像が安置されていました。
明治政府の神仏分離により、この門が葛飾八幡宮のものとなり、仁王像は別所に移されて随神が奉納されて現在に至っているそうです。


随神門をくぐって中に入ると、もうひとつ門構えがあります。



そして左側には源頼朝公駒どめの石があります。

 

平家を打倒すべく伊豆で挙兵した頼朝は、石橋山の戦いで一敗地にまみれ、安房国まで逃れます。
ここで千葉常胤つねたねらの援助を受けて下総まで進撃に成功。
葛飾八幡宮を参拝して戦勝と武運長久を祈願しました。
このときに頼朝の馬がこの石に前脚を掛け、ひづめの跡を残したといいます。


私も頼朝公にあやかって、武運長久を祈願します。



「チャリで無事に横浜に着きますように」
「鬼ヅモ大会、たまにゃ~優勝させてくださいな」


寛平年間(889年~898年)に宇多天皇の勅命で、石清水八幡宮より勧請かんじょうして建立されたといいます。
祭神は誉田別尊ほむたわけのみこと(応神天皇)気長足姫尊おきながたらしひめのみこと神功じんぐう皇后)玉依姫尊たまよりびめのみことです。

神功皇后は仲哀天皇日本武尊の子)の皇后で、仲哀天皇が若くして崩御された後に天皇の位を60年以上!!も代行されました。
皇后はご懐妊の身のまま出兵して海を渡り、戦わずして新羅を屈服させ、さらに百済と高句麗に朝貢(貢物を献上する)を約束させました(三韓征伐)。
三韓征伐の帰り、筑紫国宇美(備前国宇野とも)でご出産されました。
その子が応神天皇です。

応神天皇は第15代の天皇で、歴史学上での存在が確実視されている最初の天皇とされています。
神功皇后が薨去されてから天皇の位につきました。このとき天皇の御年、71歳!!
新羅が百済を圧迫していたときに軍を派遣して百済を援け、百済より多くの民が渡来しました。
日本書紀によると、在位41年目の111歳!!!!で崩御され、子の仁徳天皇が後を継がれました。

なお玉依姫尊は、神霊を宿す女性・巫女一般をいい、固有名詞ではありません。



本殿での祈願のあとは、境内を散策します。



葛飾八幡宮の御神木・千本公孫樹【国指定天然記念物】です。



この公孫樹の根元を見ると、複数の木がまるで束になって一本の木をなしているようにも見えます。
また根回りは10.2m、目通りは10.8mと、上の方が少し太いのも、「千本」のように見える要因になっています。

この公孫樹は千本ではなく一本です。
かつて落雷にあって折れた太い幹を囲うように、多数の枝が根元から合着して立ち上がっています。
またこの公孫樹は雄株なので、銀杏は落としません。



神社なのに鐘楼があります。
これも随神門と同様、神仏分離前にあった寺院の名残です。


境内末社をひととおり。



まずは鐘楼の前にある厳島社



次に富士塚&浅間神社



そのとなりは八坂社



さらに尾上稲荷社



最後に葛飾天満宮です。

このあたりに本宮の鳥居が立っていて、裏参道の入口となっています。



二の鳥居付近まで引き返しました。
時刻は午前9時52分。

これから横浜へ・・・行く前に、私はもう1ヶ所市川市内で寄り道をします。



※「勧請」
  ほかの社の祭神の神霊を分けて、別の神社にうつすことをいいます。

※「摂社」「末社」
  本社の管理に属する別の社を「摂末社」といいます。そして、
   (1)本社の祭神の后神や御子神など、関係ある祭神が祀られている社
   (2)本社の祭神の荒ぶる魂を祀る社
   (3)本社が遷る前に、当地で祀られていた祭神を祀る社
   (4)その他、特別な由縁がある社
  に当てはまる場合は「摂社」、当てはまらない場合は「末社」といいます。
   




飛電憤死

2014-05-30 | 移動の旅

2 0 1 4 年 4 月 2 8 日 ( 月 )

午 後 5 時 5 9 分

千 葉 県 野 田 市

ホ ワ イ ト 餃 子 野 田 本 店 を 出 る



ホワイト餃子で大量の餃子をお見舞いされた私は、やっとこさママチャリ「飛電」に乗り込んで帰路につきました。



ホワイト餃子野田本店から西へ進むと、夕暮れの江戸川野田橋にたどり着きます。



夕焼けでピンクに染まるキッコーマンの工場。
しばらくは江戸川沿いのサイクリングロードを南下して行きます。


カタッ カタッ カタッ
「飛電」から耳慣れない異音が聞こえてきます。
それに構わず、私は「飛電」を走らせます。

カタカタカタカタカタ
「飛電」からの異音は看過できないくらいに大きくなってきました。
おそらくはペダルあたりから聞こえてくるようです。

それでも、暗闇に包まれたサイクリングロードで、工具を持っていない私はどうすることもできず、とにかく早く拙宅に戻ることが肝要と思って、「飛電」を走らせます。

カタカタ(ガタッ)カタカタ(ガタッ)・・・
「飛電」の異音は激しさを増し、ついにはガタッという異音とともにサドルに振動が伝わってくるまでになってきました。


「飛電」を停めて、ペダルを観察してみると、



ペダルを留めているネジが緩んでいるように見え、ペダルもガタガタに揺らいでいました。

このままではペダルが外れてしまう。
こんな川沿いでペダルが外れたら、家に帰れなくなる。

一気に緊迫してきたサイクリングロード。
ひとまずペダルのネジを締める工具を買わなければ。




午 後 7 時 0 8 分

流 山 市 に 入 る


常磐自動車道の橋が見え、とりあえず流山市内に入ったところ。
まずはホームセンターを探さなければなりません。

すると遠方にイトーヨーカドーがあるのが見えます。
ひとまずそこを目指していきます。




一大事に至ることなく、イトーヨーカドーに着きました。

工具を売っていそうなフロアを探してみます。
ですがしょせんはスーパーマーケットにすぎないイトーヨーカドー。
店内図を見ても、工具を売っていそうなところは見当たりません。

店員に尋ねても色よい返事はなく、そのままイトーヨーカドーを後にします。


「飛電」の修理は時間との闘いでもありました。

ペダルのねじが外れて走行不能になる恐怖、閉店時刻が差し迫る切迫。
流鉄流山線の沿線地域に入ったので、最悪の野宿は避けられそうですが、電車で帰る場合はそのまま「飛電」を乗り捨てなければなりません。

それを回避するために、スマホで流山市内のホームセンターを検索します。
するとビバホームがありそうなので、そこへ行きます。



なんだ、イトーヨーカドーの隣りじゃねぇか。
だったら初めからビバホームに駆け込めばよかった。


ここは店の外に自転車が並んでいないな。
自転車は売っていないのだな。当然自転車の担当の店員もいない。

そう勝手に考えた私は、緩んだペダルのネジを自力で締めるため、それにあったレンチを買うことに。

1本目・・・合わない。

払い戻しして2本目・・・合わない。ぬわぁぁっ!!

レンチに傷をつけてしまったため、払い戻しせずそのままお買い上げ(T_T)

3本目・・・合わない、というか入らない。

レジ担当の店員さんが自転車担当の店員さんを呼び出してくださいました。
いままでの私の努力はまったくの無駄であったということです。


店員さんに症状を伝え、ペダル周辺を分解して修理することになりました。
その時間、約20分。

ペダルのネジはしっかり締まっていて、店員さんから「特に異常はない」とのコメントをいただきました。
修理費用は、私が払い戻しできなかったレンチ(700円程度)の分でいいですよ、ということでおまけしていただきました。
これじゃあ申し訳ないので、壊れたライトを交換して新調することとしました。



取付けのLEDライト(1,300円)。懐中電灯にも使えます。
ハンドルに取り付けてもらいました。




午 後 8 時 1 0 分

ビ バ ホ ー ム 流 山 店 を 出 る


さあて準備万端!
そう思って店内から「飛電」を押していきます。

カタ カタ カタ カタ
不穏な音がかすかに聞こえてきます。

カタカタカタカタカタカタカタ
乗車してペダルを漕いだ瞬間から、「飛電」は音を立てました。

私はうんざりしながらも、仕方なく自転車屋を探します。

カタカタ(ガタッ)カタカタ(ガタッ)・・・
異音は再び激しさを増していきます。

先程は川沿いを走行していましたが、帰り道は住宅街を通ります。
「飛電」はもはや騒音公害の根源と化してしまったのです。

絶え間なく続くけたたましいカタカタ音。
時折感じるサドルの振動。
そして何より騒音公害をもたらしているという精神的重圧。

ストレスの塊。


時刻は午後8時、南流山駅付近。
ここで1軒の自転車屋を見つけたのですが、営業時間は午後8時で終了していました。


このまま「飛電」を連れて家に帰るしかない。
家に戻るまで、騒音を出し続けてなければならない。



肉体的疲労よりも精神的疲労が著しいママチャリ旅となってしまいました。




5 月 1 日 ( 木 )

午 前 1 1 時 3 5 分

拙 宅 付 近 の 自 転 車 屋


「飛電」を修理してもらった自転車屋をふたたび訪れることになりました。


そういえば・・・・・・

「クランクが劣化しているので交換が必要ですね」

最初に修理してもらった時に、店員さんが言っていました。
当時は軽く考えていたのですが、異音の原因はそこにあるのではないか。

症状を店員さんに伝えると、原因は後輪のクランチにあると言い、修理には5,000円以上かかると言います。



私は非情ながらも、「飛電」の処分する判断を下しました。