鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

岡山後楽園・後章~後門の烏

2015-10-17 | 公園・庭園


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 前 1 1 時 3 6 分

岡 山 後 楽 園



 

茶屋での一服から立ち上がり、岡山後楽園の回遊を再開。



後半は沢の池越しに岡山城天守を仰ぎ見ます。
「後門の烏」を眺めるのに最もふさわしい場所を探して、園内を歩きます。


なにやら小高い築山に立つお堂は、慈眼堂



池田綱政が元禄10年に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。今は、空室となっています。
境内には、花崗岩を36個に割って組み上げた烏帽子岩、門と仁王像、板張の腰掛などが残っています。
(園内の案内表示より)

この日は、おそらく仁王門とおぼしき建物の工事をしていましたが、問題なく入ることができました。

 

花崗岩の烏帽子岩は、だいたい5メートルほど(適当)と、たしかにデカい。



ここからの岡山城は至高ですなぁ!
そういえば茶屋の淑女だったか?も、「慈眼堂からの岡山城が最高ですよ」というようなことをおっしゃっていました。
慈眼堂から見ると、ちょうど天守の正面にあたります。
手前に見える仁王門のしゃちほこも、なんだかイイ感じ。



慈眼堂から下りたところからの岡山城。
やはり慈眼堂からの景色にはかなわない・・・か?


慈眼堂の近くにある、沢の池に面した造作は五十三次腰掛茶屋です。



幕末から明治時代初期にできた建物で、東海道五十三次を描いた扁額が掲げられていたことから、この名が付いたといわれています。
池に面した連子窓を通して見る城や唯心山の景色には格別の趣があります。
(園内の案内表示より)



東海道五十三次の扁額です。



「東海道五十三次」と聞いて、TPOをわきまえず花火玉を投げまくる主人公のゲームを思い出すのは、私だけでしょうか?
現代であればまず明治十七年太政官布告第三十二号(爆発物取締罰則)によって訴追されます。

脱線はこの辺にして・・・
ここから望む沢の池と岡山城です。



岡山城天守の黒、唯心山の深緑とうす黄色、沢の池の水色が対照的。
画の周りの飾るかのような松がまたよろし。


沢の池沿いを歩きます。



白砂と岡山城。
こちらは唯心山がよく見えます。



沢の池の3島のひとつ、砂利島です。 
ここからだと、岡山城天守はちょうど木の陰に隠れてしまうようです。


ここで沢の池に背を向けて・・・





地表にむしたコケは、後楽園の歴史を感じさせます。
庭園を手入れする庭師さんの仕事の見事さが表れているようです。



沢の池の広がる空間からは一線を画した、木々の繁れる鬱蒼とした空間にたたずむ建物は、観騎亭です。

藩主が家臣の乗馬の技を見るための建物で、馬場側にも窓が開いています。
戦災をまぬがれ、往時の姿を今に伝えています。
馬場の長さは約80メートルで、年若い藩主たちはここで乗馬の稽古に励みました。
(園内の案内表示より)

観騎亭のそばにある水場。



ここから園内に流れ出た一筋の水路は曲水となり、池や滝となって優れた景観を作り、旭川に戻っていきます。
昔は旭川の約4キロ上流から対岸までひいた後楽園用水を利用していましたが、今は伏流水をくみ上げています。
(園内の案内表示より)

ここからの水が、



入口近くの廉池軒を通り、





唯心山を取り囲み、



流店をくぐって、



蘇鉄畑を潤し、



花交の池に注ぎ、そこから旭川へと注いでいます。
なんとなくですが、壮大なストーリーのようなものを感じるのは私だけ・・・でしょうか。


空間の開けた沢の池に戻ります。



寒翠細響軒(かんすいさいきょうけん)という、必殺技みたいな名前の小さな建物。



このあたりはもう沢の池のふちなので、城を仰ぎ見る景色も少々もの足りないかもしれません。


沢の池を離れます。



江戸時代の御殿のようなこの建物は、鶴鳴館(かくめいかん)です。
明治時代にあった社交場と名前が似ていますが、こちらは和風建築ですね。



鶴鳴館に隣接していて、当時絶賛工事中だったこちらの建物は、延養亭です。

藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和35年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。
園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。
(園内の案内表示より)



延養亭付近からの眺めです。
沢の池唯心山と、背後にある借景の(みさお)を望むことができます。
岡山城の天守は見えませんけど。


「陽」の雰囲気がある沢の池からは離れ、「陰」の雰囲気のある木々の繁れる空間にも足を運びます。



まるで陰陽の境界になっているかのようなたたずまいの花歯の池

この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。
池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちています。
(園内の案内表示より)



たしかに、石組みからは静かではありますが、水が池に注がれています。



池のそばに置かれた大立石

巨大な花崗岩を90数個に割り、もとの形に組み上げたもので、築庭にあたり池田綱政が運ばせました。
大名庭園ならでわの豪快さと石の加工技術の高さがうかがえます。
(園内の案内表示より)



大立石の「歯型」のような加工痕は、石を割るときにいれたくさびのあとです。


花葉の池のまわりを歩いていたときのこと。
地面を見ると、黒い紙のようなものがひらひらと地を舞っています。

・・・後楽園でなにかたき火でもやっているんだろうなぁ。

しかし特別名勝でたき火なんて真っ昼間からするでしょうか?
そう思っていると、その黒い紙は珍妙な動きをするのです。



黒い紙の正体はコイツでした。
どうやら羽根を損傷していたのでしょうか、それともコウモリの習性なのか、うまく飛び立つことができないでいました。
捕獲するのは容易だったことでしょう。

つかまえて、修学旅行の中学生にでも見せてやろうか。
・・・などと考えましたが、そのままにしてこの場を立ち去りました。



鳥居が構えられた地蔵堂をあっさり通って、スタート地点の南門まで戻ってきました。



 

最後に旭川からの岡山城を見て、岡山の周遊はこれにて終了。