鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

丸亀城~日本一の高石垣

2015-10-27 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 後 2 時 0 7 分

香 川 県 丸 亀 市

J R 丸 亀 駅



四国へ渡って、最初に下車したJR丸亀駅
ここでの目的は、現存12天守のひとつを擁する丸亀城【国指定史跡】です。

現存12天守のうち、丸亀城の天守はもっとも小さいものとされています。
しかしそれを補って余りある魅力が、日本一とされる高い石垣です。

私がこの旅で楽しみにしていた城のひとつでもあります。


安土、岡山に続き、丸亀でもレンタサイクルの力を借ります。



「まるがめ」の文字が入った、アヒルのエンブレム?
・・・いやいや、ここで亀なんて誰もが考えうるものを使ったところで、失笑を買うだけか・・・なかなかやるのぅ。



そして、JR丸亀駅南口から自転車で10分ほど。





北面に堂々と構えているのは、日本最小の現存天守である丸亀城天守【国指定重要文化財】です!
連なる高石垣に固められた天守は、小さくも凛として立つ姿が孤高であり、かえって威厳を醸しだしているようで美しいです。

そして正面の入口である大手門【国指定重要文化財】は、外側の高麗門が大手二の門、内側の櫓門が大手一の門です。
2つの門で四方を包囲する枡形虎口を形成しています。


丸亀城は、讃岐国の領主となった生駒親正(ちかまさ)によって、小高い丘であった亀山に築かれました。

親正は、まず天正15年(1587年)に豊臣秀吉より讃岐国を与えられると、高松城を築きました。
そして慶長2年(1597年)に讃岐の西部の備えとして丸亀城の築城を始め、慶長7年(1602年)に完成しました。
しかしその後江戸幕府より一国一城令が発布されると、丸亀城は廃城することになります。

その後生駒家が所領没収になり、寛永18年(1641年)山家治(いえはる)が讃岐国西半分の領主となると、廃城となっていた丸亀城は再築されます。
家治死後、山家は後継がなく断絶となると、京極高和が領主となります。
このころ丸亀城は復興し、現在までその姿をとどめています。




レンタサイクルは、大手門と道路を挟んで向かいにある丸亀市生涯学習センターの駐輪場に停めて・・・



大手一の門をくぐります。
大手門から天守が現在もなお望める光景は、意外なことに日本全国を探してもなかなかお目にかかれなかったりします。



櫓が備わっている大手二の門です。
この先は、山下曲輪と呼ばれる一帯。
山の下の平地だから「山下」曲輪という、なんともダイレクトなネーミングです。


大手門から山上まで上る坂は、見返り坂という名がついています。



自転車で上るのは困難であろう、急な斜面。
あまりに急な傾斜のため、ついつい後ろを見返してしまうことから、その名がついたそうです。



「扇の勾配」と呼ばれる、反り返った美しい曲線。



高浜虚子の句碑が立っていますが、それがまったくかすんでしまうくらいの重厚な石垣。

稲むしろあり
飯の山あり 昔今






威圧感たっぷりの打ち込み(はぎ)の高石垣。
お城大好き人間にとっては、飯が何杯もすすむくらい大好物です(#^.^#)



見返り坂で振り返ってみれば・・・
中国人と思われるなかなかかわいい2人組の女の子たち。
一部の読者からは「また女か・・・」との嘆息交じりの声が聞こえてきそうですが・・・


見返り坂を上り、三の丸に到達しました。



三の丸の崖っぷち、月見櫓跡です。
ここから見えるのは「讃岐富士」の異名を持つ飯野山
こんもりとしたフォルムは、ちょうど山盛りの飯のよう。




讃岐では これをば富士と いいの山
朝げ煙 立たぬ日はなし


丸亀製麺にも掲げられた、飯野山と西行法師の歌。
丸亀城を出たら、うどんでも食ってみるか。

 

三の丸の崖っぷちから下を見てみると・・・
この石垣がいかに高いかをまざまざと見ることができます。



ここから上ると、二の丸へ。
おやおや、くだんの2人組に追い越されてしまった。


二の丸まで到達しました。



桜の木々で覆われる二の丸。
天守がちょっと見えにくいですが・・・時季になれば美しい華をそえることでしょうね。



丸亀城の最高所にある二の丸井戸
現在もなお水をたたえているそうです。



坂を上っていきます。
天守がよく見えてきます。


本丸に着きました。



日本で12棟しかない、現存の天守です。



本丸側から見ると、しょぼ~いきわめて質素な天守です。
天守なんてものは、城の外に対して権威を示すものですから、中から見る部分については質素でもなんの問題もないのです!
・・・とフォローを入れてみました。


天守への入場料200円を支払って、天守の中へ。



三角形の穴は、狙撃のための鉄砲狭間。



急角度の上り階段。
いずれも現存天守ならではのものです。
それと、100名城スタンプも、天守の中。



78番、丸亀城!
四国最初のスタンプを押印しましたよぉ~(*^^)v



天守から下界を望むと・・・
入口の大手門、そこから道路が始まり・・・そして瀬戸内海がかなり近い印象を受けます。
天守は北向きなので、瀬戸内海を渡ってくる敵軍を想定して築城されていることがわかります。



天守を出ました。
戻りは、登城とは異なるルートで下ります。



二の丸から天守の足元へと下る二の丸搦手
城の急所ともなり得るところだけあって、石垣はより厳重なものになっています。



 

天守の真下。



左側の出っ張りは石落としで、登り来る敵兵めがけて石を落として撃退する装置です。
よ~く見ると、三角形の鉄砲狭間も見えます。



内側からは質素な天守も、石垣の上にそびえ立つ姿は美しいです。

 

 

 

 

私は狂ったように石垣を撮りまくります。



そして搦め手(裏口)まで下りました。

搦め手からは、山下曲輪を歩いて大手門へ。
かつては京極家の御殿があったところを進みます。



玄関先御門【香川県指定文化財】は、御殿の表玄関にあたります。
こちらは御門の内側です。



御門をくぐって外側へ。
門に併設している建物は玄関先番所・長屋【香川県指定文化財】で、当主にお目通りする者のチェックを行っていました。



大手門前に戻ってきました。



壮麗なる天守&高石垣を振り返って・・・ん!?

DQNオヤジが高校生に絡んでる・・・!
それを尻目に大手門を出ると・・・高校生に導かれる警察職員!



その後の漢たちの姿を見た者はいない・・・?