鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

弘前城・第1章~消えた天守

2016-11-02 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 2 時 3 0 分

青 森 県 弘 前 市

弘 前 駅 城 東 中 央 口



津軽の城下町・弘前に下り立ちました。



めざすは弘前城、アクセスの手段は今回もバスです。

弘前にも「100円バス」というありがた~い交通手段が10分おきに出ています。
往復で乗車しても、レンタサイクルより安いバスを利用しない手はありません。
弘前駅の西口にあたる城東中央口のバスプールより乗車します。



津軽といえばやっぱりリンゴですねぇ。
14時32分、弘南バスさんも定刻どおりの運行で弘前駅を発ちました。
青森のバスは優秀ですなぁ。



バスは順調に弘前の市街地を走行し、14時50分に最寄りの市役所前バス停に到着しました。


※弘前城寄りの駅出口は、「城東口」ではなく「中央口」です。
 お詫びして訂正させていただきます。 (2016年11月16日追記)



【今回のバス乗車記録】

弘前駅前 2番のりば 14時32分発
弘南バス 土手町循環バス
市役所前バス停 14時50分着

*乗車時間 18分  *運賃 100円


バス停から徒歩2分ほどで、



弘前公園(弘前城)入口にあたる三の丸追手門【国指定重要文化財】が見えてきました。

曲輪は水濠で囲われていて、さらに土塁が造成されています。
東日本の城郭の例に漏れず、石垣は造成されておらず土塁のみで枡形が構成されています。
また門構えは櫓門の一棟のみで、外側に高麗門などの門構えがないのは、古い形式の枡形構造とされています。
この門が建造されたのは慶長16年(1611年)、2代藩主・津軽信枚(のぶひら)の治世です。

中秋の青空の下、波紋ひとつ立っていない水濠、端正に整っている土塁と櫓門がとても美しく配置されています。



「史跡 弘前城跡」の石標と追手門。



追手門をくぐって、弘前城の登城スタート!




午 後 2 時 5 5 分

弘 前 城 内 へ


追手門をくぐり、まずは三の丸



三の丸には弘前城植物園三の丸庭園があるようです・・・が、まずは天守をおさえておきたいのでここはスルー。



三の丸と二の丸を隔てる中濠へ。
濠の向こうには二の丸辰巳櫓【国指定重要文化財】が建っています。

 

中濠にかかる杉の大橋
架橋当時は杉材で造られていたそうですが、文政4年(1821年)に付け替えられた際にヒノキ材となったようです。
またこの付替えのときに、橋の両詰めに石垣が造成されたということです。



杉の大橋から眺める中濠
濠の両側には桜が植えられています。



同じく中濠の西側。
向こうには二の丸未申(ひつじさる)【国指定重要文化財】が・・・あまりよくは見えないですね。



杉の大橋を渡るとふたつめの枡形構造。
入口の三の丸追手門と同様、ひとつの櫓門と土塁による枡形によって構成されています。



二の丸への入口・二の丸南内門【国指定重要文化財】。



南内門をくぐり、二の丸へ。



二の丸に入ってからは本丸へ急がず、先ほどの2基の櫓を間近で見ていきます。



まずは南西にある二の丸未申櫓
弘前城の現存する櫓は3基あって、いずれも二の丸にあります。
現存する櫓のいずれもが三階櫓となっています。

次は南東にある二の丸辰巳櫓ですが・・・

 

発掘調査のため立入が制限されていて、なかなか近付けない!
そんな中、立入制限区域に入らないようにして近づいて撮った辰巳櫓がこちら。



う~ん、イマイチ。



立入制限区域限界からの二の丸辰巳櫓、その弐。
・・・やはりイマイチ。早く発掘調査終わらせてよ・・・(T_T)



しつこく二の丸辰巳櫓・・・これが限界です。



弘前城で最も内側にある水濠、内濠です。
土塁には桜の木が植わっていて、桜の名所・弘前城でも指折りの花見スポットとなっています。



二の丸と本丸を結ぶ下乗橋
本丸に上る藩士は、この橋の前で下馬しなければならない決まりとなっていたそうです。

そして下乗橋と天守、満開に咲き誇る桜!・・・というのが弘前城を語る上で欠かせない佳景。
橋から天守を望んでみれば・・・



鮮やかな晴天の下には、天守台のみが残されておりました。