鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

ハイソフト「日本の名城」9城目

2017-01-17 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 1 0 日 ( 火 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



ハイソフト「日本の名城」全16枚中、半分の8枚までをゲットしました。

No.1 五稜郭(函館五稜郭)
No.2 横手城
No.3 鶴ヶ城(会津若松城)
No.4 小田原城
No.5 越前大野城
No.6 上田城
No.7 松本城
No.8 犬山城

見事に東日本の城で占められています。
私がハイソフトを購入するのは、決まって某所のローソンなのですが、関ヶ原を越えることができません。
(越前大野城は関ヶ原を越えてはいますが・・・)

そしてついにこの日、待望の西日本の名城がやってきました。



この天守閣は書籍でよく見ます、なので即座に判明・・・No.14 松江城!

現存12天守のひとつで、姫路、彦根、犬山、松本に加えて平成27年に国宝に指定された天守です。


松江城は、関ヶ原の戦いでの功績により出雲国24万石を与えられた堀尾氏により築城されました。
所領にはかつて尼子氏の本拠地であった月山富田(がっさんとだ)がありましたが、山城であったので城下町を造成するには不向きでした。
そこで当主の堀尾忠氏は、宍道湖畔にあらたに松江城を築城することにしました。
しかし忠氏は築城前に急死、その子・忠晴はまだ幼かったので、隠居していた父の吉晴が当主を代行し、松江城の築城が始まりました。
完成目前に吉晴が急死するも、慶長16年(1611年)に落成しました。

寛永10年(1633年)堀尾忠晴没、嗣子がなかったため改易となりました。
次いで入封した京極忠高は松江城の造営を進め、完成させました。
忠高が没して嗣子がなく、京極家も改易となりました。
その後は松平直政が受け、明治維新まで続きました。



私事ですが、昨年の旅行では北海道とともに、松江城などの山陰が旅先の候補となっていました。
今年の旅先はどこにしようか・・・ハイソフトを口にしながら思案していました。





ハイソフト「日本の名城」8城目

2017-01-17 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 8 日 ( 日 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



この日はともに食事をした知人のIさんからもらったカードです。



雪の天守閣、少しわかりづらいけど見たことがあるなぁ・・・おそらく、

No.3 会津若松城!
カードには雅称の「鶴ヶ城」とありますな。


会津若松城ははじめ「黒川城」といい、南北朝時代に蘆名氏が築城しました。
戦国時代から江戸時代にかけその城主は目まぐるしく変わり、伊達(政宗)、蒲生(氏郷)、上杉(景勝)、蒲生、加藤らが城主となりますが、それぞれ所領を失いました。
ちなみに「若松城」への改称は蒲生氏郷の時代で、彼の故郷の地に由来し、雅称の「鶴ヶ城」も、蒲生氏郷の幼名「鶴千代」から来ています。
加藤氏が改易されたのち、江戸幕府初期の名臣・保科正之が城主となって、以降討幕まで保科松平(会津松平)家の居城となります。

幕末、会津松平家の当主・松平容保(かたもり)は佐幕派の中心となったため「朝敵」とされてしまいます。
明治新政府軍による会津戦争ではその砲撃にさらされ、会津藩は降伏、会津若松城は廃城となりました。
昭和30年代に本丸が復旧され、天守閣も復興されました。



このカードの画は、おそらく天守の南東から撮ったものでしょう。
若松城の特徴である小豆色の屋根瓦が、雪のために見えにくいです。



この日は自分で買わずに、ほかの方からもらったのですが・・・
後日ダブリで若松城が出たので問題なし。

カードは16枚中8枚と、半分まで収集。
ダブリとの闘いが本格的に始まりますが、今日も明日もおやつは森永ハイソフト。