鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

ハイソフト「日本の名城」11城目

2017-02-07 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 5 日 ( 日 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



節分の日にわが御前の家で恵方巻きをごちそうになり、まるかぶりせずに切ってからいただいた私。
そんなことはともかく、おやつはやっぱり森永ハイソフトです。


先週の日曜日に引き続き、11枚目も日曜日に出てきました。



この天守閣は一目瞭然! 名古屋城ではなくて、No.11 大坂城!
戦国一の出世頭・豊臣秀吉の築いた居城が採用されたようです。
そういえばこの城も、某ドラマ「真田●」に関わりがある・・・というか真田丸があった城でしたね。


もとは、織田信長に頑強に抵抗した石山本願寺の跡地です。
天正11年(1583年)、豊臣秀吉の本拠地として築城されました。
しかし秀吉はあまり大坂城に滞在しなかったようで、その後築城した聚楽第(じゅらくだい)伏見城(京都)を居城としました。

秀吉の死後、子の秀頼は大坂を居城としました。

徳川家康関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開くと、豊臣家は一大名家に没落してしまいます。
それでも秀吉の築いた絢爛豪華な大坂城は健在でした。

そして慶長19年(1614年)11月、大坂冬の陣で家康・秀頼が衝突。
真田信繁(幸村)の勇躍もありましたが、この戦いは和議を結ぶことによって収束しました。
和議の条件のひとつに「外堀を埋める」というのがありましたが、徳川方はとぼけたフリして内堀まで埋めてしまったのです。

翌慶長20年(1615年)5月、大坂夏の陣
真田幸村は「日の本一の(つわもの)」と賞賛される活躍をし、家康を死の淵まで追い込むも、及ばずに戦死。
一方秀頼は一度も出陣することもなく、生母・淀(茶々)とともに城内で自害しました。
絢爛豪華な大阪城は炎に包まれました。

程なく大坂城は再建されます。
豊臣時代のそれとはまったく姿を変えての、いわば新築ともいえるものでした。
天守も新たに建てられたが、のちに落雷で再び焼失しました。

昭和5年(1930年)、徳川時代の天守台に豊臣時代の天守を復興。
これが現在の天守で、国の登録有形文化財に指定されています。



大坂城は平成22年(2011年)1月に登城しました。
このとき大阪に着いたのは午後3時を過ぎていて、大坂城の登城が日没のため中途半端に終わってしまったのでした。
ここもいつかはリベンジをしたいと考えています。



残るカードはあと5枚、怒涛のダブリにめげることなく、おやつは森永ハイソフトです。