前日に名城中の名城・姫路城を引いた私。
残るカードは2枚という状況で、この日も驚異の引きをやってのけました。
黒壁の天守閣といえば、No.15 岡山城!
カードの絵柄は「烏城」の異名をもつ天守【外観復元】です。
画角はおそらく南東側、そばを流れる旭川の船上から撮影したか、対岸の後楽園から撮影したのでしょうか。
夕刻の「烏城」もなかなかのものですね(*^_^*)
戦国時代、岡山周辺を支配していた金光宗高を、1573年(天正元年)に宇喜多直家が暗殺して勢力を拡大したところから、岡山城の歴史は始まります。
直家は備前の戦国大名浦上宗景の支配下にあった「暗殺のプロ」ともいうべき謀略家でした。
ついには宗景に反旗を翻して勝利、追放し、備前一国を支配する大名にのし上がりました。
そんな折、近畿からは織田信長が中国地方にまで勢力拡大を図ると、直家は中国攻略の総大将・羽柴秀吉に降伏し、その勢力を保つことに成功。
ですが直家は病に倒れ、嫡子秀家の行く末を秀吉に託し、世を去ります。
このとき直家は、自らの妻を秀吉の側室に出したため、秀家は秀吉の一門と同様の扱いを受けました。
その秀家は成長して備前57万4千石の大名となり、直家以来の居城が手狭になったため、あらたな城を築くことを計画します。
天正18年(1590年)から築城が始まりました。
途中の朝鮮出兵で秀家は総大将になったため中断しますが、帰国後に再開し、慶長2年(1597年)ここに岡山城が建ったのでした。
しかし秀吉死後の関ヶ原の戦いで西軍の首脳となった秀家は八丈島へ流されることとなり、代わって備前に入ったのは小早川秀秋です。
秀秋は岡山の城下の開発に精を出しましたが、2年で死去。
世継ぎがいなかったため家名は絶えてしまい、代わって池田家が入り、明治維新まで続きました。
明治に入ると城の建物は多く撤去され、また戦時には空襲のため天守などが戦災にあって焼失してしまいます。
天守は昭和41年に外観復元というかたちで再建され、現在に至っています。
岡山城は1度登城をしております。
岡山城単独というより、対岸にある後楽園からの岡山城天守が素晴らしく見えました。
また岡山城天守と後楽園を隔てる旭川には月見橋という橋がかかっていて、橋上からの岡山城天守も画になるものでした。
カードで採用された画角は、私が見てきたものとは異なる画角。
私の登城旅もまだまだ甘いのかな~とは考えつつも・・・
カードは残り1枚!
残るカードはNo.10。
番号は北東から南西へ順番に付けられているので、No.10の名城は名古屋城(No.9)以西以南、大坂城(No.11)以東以北ということになりそうです。
考えられるのは滋賀県、三重県、京都府、奈良県のどこか。
Google先生の力を借りればたちどころにわかるのでしょうが、最後の名城は自分で引いて確かめたいと思います。
私の予想としては、
◎ 二条城(京都、二の丸御殿が国宝となっている)
○ 彦根城(滋賀、天守が国宝、ひこにゃんで有名、平成29年の大河ドラマの影響?)
△ 伊賀上野城(三重、石垣が高く天守もある、100名城)
このあたりでしょうか。
最後のカードを心待ちにしつつ、明日もおやつは森永ハイソフトです。