鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

観音寺城登城・後編~打ち棄てられた城

2020-02-24 | 城郭【日本100名城】


令 和 元 年 神 無 月 十 八 日 ( 金 )

午 後 二 時 三 十 三 分

滋 賀 県 近 江 八 幡 市

西 国 三 十 三 箇 所 三 十 二 番 札 所 ・ 観 音 正 寺





観音正寺の大仏様。
そのお背中に回り、



観音寺城本丸や、多くの曲輪に続く通路の入口となる木戸へ。
この木戸、ひっそりと隠れるかのように存在していて、事前にリサーチしておかないと見逃してしまいそうです。
観音正寺の境内にこの木戸を案内するような掲示物はまったくなく、観音正寺が観光地として顧みられていないことをあらためて感じます。



木戸をあけて通路に入ります。
観音正寺から下っていく細い道に、草木が繁茂して迫っているような感じ。
天気は小雨と本降りを繰り返す、城めぐりには不利な状況。



すっかり苔むしてしまった石垣。
六角氏時代のものだとすると、400年以上の歳月がたっていることとなります。

 

石垣を成すひとつひとつの石が、ただ単に積みあげられているのではなく、成型されているように見えます。
石垣の隅に至っては、直方体の石の長辺と短辺を交互に積む算木積みでしょうか。
算木積みは慶長年間(安土桃山時代末期)にあらわれる技術のはずですが、観音寺城ではそれ以前から用いられていたのでしょうか。

石垣ひとつを見ても、観音寺城が当時としては最先端の技術を有する異次元の名城であったことがわかります。
いやいや、観音寺城があった当時は石垣がふんだんに用いられている時点で画期的だったんですけどね。




さらに進みます。
虫やら動物やらがあまり得意でない私にとっては、こういう道を通るだけでもひと苦労です。



分かれ道が現れました。



路傍の看板によれば、本丸はここを左折したところにあるようです。



けもの道じゃねぇのか?!
辛うじて人が踏み分けた道が通っているようですが・・・やだなぁ~。


ん? 雨が強くなってきたなぁ。
やむを得まい、ここは撤退だ!



一応、ここで「城攻め」でもやっておくか。



日本100名城・第52番、観音寺城



日本100名城・第51番、安土城



ここではお蘭森蘭丸さんが家臣に加わりました。




午 後 二 時 四 十 八 分

下 山 へ


ヘビでも出そうな草ぼうぼうの小道に恐れをなし雨が強くなってきたため、断腸の思いで下山を決断しました。



手すりのついている整備された石段を下りていきます。



しかし安全性の高い石段は、林道経由の駐車場のところまで。
残りの約3分の2は、手すりのない石段を下りなければなりません。
天候は降雨、私の左手には杖、右手には傘と、危険な下山を余儀なくされます。
雨のため、石段は滑りやすくなっています。


下山中1回だけ滑ってしまい、尻餅をついてしまいました。
尻餅程度で済んで本当に良かった・・・。




登るときはわからなかった、下り方向への分かれ道。
石寺楽市へは、右の道を下りるのが正解です。


下り始めてから20分強、



長い長い1,200段!の石段は終わり、コンクリートの坂道へ。
下り坂ももうすぐ終わりですが、雨の降っている下り坂はまったく油断できません。
慎重に、慎重に・・・。




午 後 三 時 廿 三 分

石 寺 楽 市 会 館 に 帰 還


はぁぁぁ・・・なんとか無事に帰って来られました。



拝借した杖をお返しして、JR安土駅に戻るとしましょう。
その前に石寺楽市で「城攻め」・・・



観音寺城の支城であった箕作(みつくり)を攻略できました。




午 後 三 時 五 十 分

J R 安 土 駅 前


きぬがさ山を下山した頃には、雨も小降りになっていました。
私は「信長号」にまたがり、往路と同じ経路をたどって・・・



駅前のレンタサイクルふかおさんまで戻ってきました。


店内の媼とその息子氏に、無念ながらも途中で撤退したことを報告。
観音寺城のリベンジをすることを誓って、「信長号」を返却しました。



今回は、鍵の借りパクはしませんでした。






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