「松島の月が見たい!」と江戸を発った松尾芭蕉が立ち寄った瑞巌寺。
十一日、瑞岩寺に詣。
当寺三十二世の昔、真壁の平四郎 出家して、入唐帰朝の後 開山す。
其後に雲居禅師 の徳化に依て、七堂甍 改りて、金壁荘厳 光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。
かくいう私は、瑞巌寺を詣でることはかなわなかった。
「四寺廻廊」のご朱印帳は、不自然なスペースひとつを残すこととなった。
御印は、右上が関山中尊寺、左上が宝珠山立石寺、左下が医王山毛越寺。
瑞巌寺は、もとは「延福寺」といった。
828年(天長5年)淳和天皇の勅願寺として慈覚大師・円仁が開山。
最初は天台宗の寺であった。
鎌倉時代、執権・北条時頼の命により、法身性西(俗名・真壁平四郎)を住職として臨済宗建長寺派となる。
このとき「延福寺」から「円福寺」に変わる。
戦国時代になると寺は困窮し、建長寺派から妙心寺派に変わる。
伊達政宗が領主となると、その師である虎哉宗乙のすすめで寺が復興。
このとき「瑞巌寺」となった。
政宗の死後招かれ住職となった雲居は、伊達家の保護のもと伽藍を整え、瑞巌寺は大いに隆盛した。
さてさて、瑞巌寺をできるだけ歩くとしよう。
杉並木の参道を出口に向かって歩く。
正規の参道はこのとおりまっすぐであるが、脇の参道に回ると・・・
石造りの仏像とともに、岩場を掘った洞穴が残る。
ここは仏法の修行の場であった。
石造りの仏像は、「西国三十三観音」各寺のご本尊を彫ったものである。
総門を出て、瑞巌寺はここまで。
※瑞巌寺の参道は、東日本大震災の津波による塩害で、杉並木の立枯れが目立ってきたため、2012年9月に大部分の杉が伐採されてしまいました。
※瑞巌寺は、2016年まで大修復中です。
東日本大震災の被害による修復も行われているようです。
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