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名胡桃城の検分を終え、
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荷物を預けていた名胡桃城址案内所へと戻り、ひとときの休息をしていました。
この日の群馬県の天気予報は、晴れのち曇り、ところにより一時雨、雷を伴い強く降るでしょうというものでした。
そして私のアイフォンさんにブックマークされている「気象庁・レーダーナウキャスト」によると・・・
強い雨が・・・激しい雷が・・・こっちに近づいている・・・・・・。
私は決断を迫られます。
案内所に留まって雷雨をやり過ごすか、案内所を出るか。
案内所の紳士の意見を参考にして、私は同じルートをたどってJR後閑駅に戻ることとしました。
案内所から駅までは、約2.7km。
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そのうちの半分は下り坂となります。
傾斜は6%、これが約1.4kmも続くのです。
往路ではこの坂に苦しめられましたが、復路でも足に大きく負担をかけそうです。
そしてこの坂の間は雨宿りできるところはありません。
意を決して、歩きます。
後ろから迫り来る、いや~な感じの雲。
次第に早歩き、そして小走りに・・・・・・。
空からしずくがぽつり、ぽつりと落ちてくる中、
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雷雨にあうまえに、なんとかJR後閑駅に到着できました。
ゴロゴロゴロ・・・ザーーー
雷鳴とともに、大雨が降ってきたのです。
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JR上越線の時刻表。
この駅も電光発車標がないので、これを見て次発の電車を確認。
群馬県の続100名城、残るは岩櫃城【東吾妻町指定史跡】のみとなりました。
岩櫃城の最寄駅は、JR
そこで今度の電車は・・・14時32分発 上越線 普通電車 高崎行き・・・。
後閑駅で1時間近く待つことになります。
さらにこの先の行程は・・・
JR東日本 後閑駅 3番線 14時32分発
■上越線 普通 高崎行き
渋川駅 2番線 14時58分着
渋川駅 1番線 15時37分発
■吾妻線 普通 大前行き
群馬原町駅 16時22分着
乗換駅の渋川で40分の連絡待ちが発生し、群馬原町に着くのは夕方にしまいます。
岩櫃城は岩櫃山の中腹にある山城、夕刻の登城は危険です。
残念なことではありますが、今回は岩櫃城の登城、達成ならずということで、この旅は終了・・・・・・。
しかし、このまま帰路につくのも惜しい気がします。
そういえば、ここはみなかみ町。
みなかみ(水上)といえば、水上温泉があります。
名胡桃城から速足で戻ったため、疲労した脚を癒し、汗ばんだ体を洗い流すには温泉が一番ですね。
そういうことで今度の電車は、14時00分発 上越線 普通電車 水上行きです。
画ではよくわかりませんが、夕立の降る後閑駅。
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発車時刻に近づくにつれ、雨は弱まっていきました。
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「城攻め」も忘れずに行い、5人の武将を登用しました。
沼田景義は、沼田城を築城した沼田
真田信吉は、真田昌幸の孫で、真田信之の嫡男で、父が松代城に移った後も沼田に残り、沼田領を統治しました。
矢沢頼康は、真田昌幸、信之二代に仕え、沼田城の城代を務めました。
滝川益重は、織田家の滝川一益の甥で、一説によれば「花の慶次」前田慶次郎利益の父ともいわれています。
織田が武田を滅ぼし上州が一益に与えられると、益重が沼田城の城代に任じられました。
以上4名は大なり小なり沼田城に関係する人物なのですが、沼田
祐光は津軽の津軽為信の軍師となった人物で、弘前城の築城にもかかわっていたとか。
沼田城には関係の薄い人物ですが、この沼田の地で登用できました。
雨はすっかり止み、電車は定刻どおり後閑駅を発ちました。
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夕立に洗われて、よりいっそう澄んだ空気。
田圃の稲が、まぶしく黄緑色に輝いています。
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山に視線を転ずると、鈍い色の怪しげな雲が立ち込めています。
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河岸段丘の底を流れていた利根川が、左側の車窓に見えてきました。
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見えてきた吊り橋は、諏訪峡大橋。
橋の中央にバンジージャンプ台がある橋で、この日も勇猛果敢な者たちが川に飛び込んでいました。
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電車は利根川とともに北へと進み、
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14時13分、定刻どおりに水上駅に到着しました。
【今回の乗車記録】
JR東日本 後閑駅 1番線 14時00分発
■上越線 普通 水上行き 4両
水上駅 1番線 14時13分着
*所要時間 13分
*移動距離 12.5km
*運賃 18きっぷ使用(使用しない場合、240円)
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