鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

東海道線でひたすら西へ

2015-04-22 | 鉄道の旅


2 0 1 5 年 3 月 1 9 日 ( 木 )

午 前 5 時 5 1 分

横 浜 市 戸 塚 区

J R 戸 塚 駅



ブルーラインからJR線への改札を通り、18きっぷを酷使する旅がはじまります。



戸塚駅の発車標は、4日前に開業した上野東京ラインに合わせて、フルカラーLEDのものが新調されていました。
フルカラーLEDのとなりにたたずむ湘南新宿ラインの2色LEDの発車標が、なんともばつの悪そうな感じ。



戸塚駅からは、5時58分発の東海道線・沼津行きに乗車。
西方への旅がここに幕を開けます。




午 前 5 時 5 8 分

J R 戸 塚 駅 を 発 車


東海道線は朝の早い時間でも10両編成。
ただ沿線住民にとっては「短い10両」ですね。



18きっぷに最初のスタンプ。もちろん「JR東日本・戸塚駅」とあります。



ながらの指定席券は温存。

これらのきっぷを撮影したのは、戸塚駅に着く前の段階だったのですが・・・
このきっぷを撮影しておいたことが、のちのちおおいに役に立つとは、このときは知る由もありませんでした。




6時20分ごろ、平塚駅へ。
流れる曲は、季節外れの「たなばたさま」




6時35分ごろ、国府津こうづ
隣に停まっているのは、御殿場線経由の沼津行き電車のようです。



私が乗っている東海道線の沼津行きと、御殿場線の沼津行きが、ほぼ同時に出発。
御殿場線は箱根の向こう側へと消えていきました。


小田原駅を過ぎたあたり。



山肌に立ち並ぶみかんの樹木、順調に生育しているみかんの果実・・・のつもり。


7時10分ごろ、熱海駅に到着。



新幹線も停まる重要駅。
ここから西はJR東海の管区となります。
そうそう、国府津駅で分かれる御殿場線もJR東海の管区でしたね。


7時25分ごろ、熱海駅から函南かんなみ、そして三島駅へ。



三島駅も新幹線が停まります。熱海から在来線でたったの2駅ですが。
100名城では、伊豆山中城へ登城するさいの最寄駅です。


7時27分、最初の電車の終点・沼津駅へ。
いよいよ首都圏を離れ、鉄道事情も変わってきます。




午 前 7 時 3 1 分

静 岡 県 沼 津 市

J R 沼 津 駅 を 発 つ


 

沼津駅の3番線に到着し、次の電車・静岡行きはとなりの2番線から7時31分発。
乗換時間は余裕がありますが、車両数は半減の5両
18きっぷユーザー間で巻き起こるという、座席をめぐる争いがはじまります。

私は駅名標やら発車標やらを撮っていたため、この電車はお立ちのままスタート。



おお、この電車にはトイレがついているぅ~(#^.^#)
静岡県内の東海道線といえば、トイレのない通勤型のロングシートの車両で、延々と3時間の各駅停車に乗せられるという、なかなかの苦行区間だったのです。
わが同好会の大阪遠征でも、トイレのない電車に苦しめられました。
こういう過去があるので、このトイレ付車両は私にとって感慨深いのです。


電車は順調に西へ。
私もこの電車のトイレで小さな用を足し、8時29分、静岡駅へ。




午 前 8 時 3 0 分

J R 静 岡 駅 を 出 発


静岡駅ではなんと乗換時間1分! これではなす術がありません。
なにも撮ることができず、早々に浜松行きの電車に乗り込みます。




午 前 9 時 4 2 分

J R 浜 松 駅 に 到 着


静岡から浜松まで、ほぼ寝てました~。

 

浜松駅でも、乗換時間はたったの2分。でもなんとか駅名標と発車標を押さえました。
次の電車は、18きっぷユーザーの救世主というべき新快速です。

豊橋駅までは各駅停車なんですけどね。

浜松駅から2駅、弁天島駅を過ぎると、車窓に浜名湖が現れます。
しかし外は雨。

 

 

車窓を撮影するスキルも未熟なため、このとおりの画しかありません。。。



そういえば外は雨。
天気予報でも、近畿地方は雨だと報じていました。
ですが荷物を最小限にしたい私は、このとき一切の雨具を持っていませんでした。

本日の最初の目的地は、安土。
かつて12月下旬に一度訪れたことがありましたが、駅周辺には雨具を売っているような店はなかったはず。

なんとしても雨具を手に入れておかねば…!



豊橋駅を過ぎると、いよいよ新快速が真価を発揮します。

(豊橋駅は駅名標なし・・・)

豊橋駅の次は、4駅飛ばして蒲郡駅

(駅名標なし・・・)


そういえば電車の中吊り広告にボートレース蒲郡のものがありました。キャッチフレーズは・・・

 「『1-2-6. キミの誕生日に賭けたよ』
  なんて口説き方もできる。
  ボートレース蒲郡のスペシャルエリアです。」


これを当てはめてみると、

 「7-2-3」・・・ボートは6艇までだからできない。
 「1-2-0」・・・「0号艇」なんて存在しないからできない。
 「1-1-1-2」・・・ボートレースには3連複までしかないからできない。

というわけで、「キミの誕生日では一生ボートレースでは勝てない」「そもそも賭けられない」ことになります。


ボートレース蒲郡の最寄駅である蒲郡を通過した新快速は、



岡崎駅に停車。今度は駅名標を撮れました。この間の通過駅は4駅。



岡崎の次は安城。途中の西岡崎は通過。ここは1駅飛ばし。



安城の次は刈谷です。途中の三河安城東刈谷野田新町は通過。
新幹線の停まる三河安城をすっ飛ばすとは・・・こだましか停まらない駅には用はないってか??



刈谷の次は、1駅飛ばして大府です。
「JR武豊線」・・・タケ・ユタカ線ではなくタケトヨ線の乗換駅です。

大府の次は、5駅飛ばして金山

(駅名標はなし)

JR中央線などの乗換駅で、名古屋市内では交通の要衝ともなる重要駅です。
そして・・・



名古屋駅に到着。しかしこの電車は、その先の大垣行きで、停車時間はそれほど長くありません。
雨具を買ってくる余裕などはなし。


名古屋の次は、2駅飛ばして尾張一宮ですが、その途中の清洲駅付近には清洲城があります。
東海道線は清洲城の城域を貫くかたちで通っています。


清洲城は、織田信長が10年ほど居城とした城で、桶狭間の戦いの際はここから出撃しています。
また徳川家康との清洲同盟が結ばれた地でもあります。

信長が本能寺の変で斃れた後は、織田の重臣が旧領を分割する清洲会議が開かれました。
のち豊臣秀吉子飼いの部下・福島正則が城主となり、秀吉死後の関ヶ原の戦いでは東軍の出撃拠点となり、長い間「歴史の転換点」となった城です。





ぬうう、ちょうどいいところに「日大印刷」が!



ぐぬぬぬぬ・・・今度は上り電車か。車窓風景の撮影は難しいのぅ。


尾張一宮駅の次は、木曽川駅を通過して岐阜駅です。
(尾張一宮の駅名標はありません・・・)



岐阜駅から見える小高い山は、金華山



金華山の頂には、「美濃のマムシ」斉藤道三や「尾張の大うつけ」織田信長の居城であった岐阜城が・・・よく見えませんなぁ。


岐阜駅から先は、終点大垣まで(あと3駅ですが)各駅停車。




午 前 1 1 時 4 6 分

岐 阜 県 大 垣 市

J R 大 垣 駅 に 到 着


青春18きっぷユーザーにはおなじみ、大垣駅に到着です。
次の電車の発車時刻まで約25分あるので、ここで食事をしたいところ。

 

外では雨が降りしきっています。
スムーズな乗り継ぎと、街の規模からして、雨具を購入するのは大垣をおいてほかにはありません。
雨具がないので外には出られません。駅ビル・アクアウォーク大垣の中を歩き回って、手ごろな傘を探します。

お、100均があった。しかし置いてあるのはチープなビニール傘だけ。
手荷物は増やしたくないので、なるべくならコンパクトな折り畳み傘が欲しいところ。

さらにアクアウォーク内を歩き回ったところ、折り畳み傘があるにはありました・・・婦人服売り場で。
アパレル大手・ワールド系列の「SHOO・LA・ROO」アクアウォーク大垣店。
明らかにかわいい傘しか置いてない・・・店員さんも目がぱっちりしてかわいい人でしたが。

背に腹は代えられぬと思い、そのいとしげなる店員さんに話しかけます。
「すいません、この中で一番可愛くない傘はどれですか」
かわいい店員さんと一緒になって選んだ傘がこちら。



ペンケースに見えますが、折り畳み傘(2,500円)です。
白と青のストライプに、縁取りはピンクと、30過ぎの男が使っていても違和感のなさそうな傘をチョイスしました。



大垣駅で食事をしたかったのですが、大垣駅にはそば屋がありませんでした。
列車旅では駅そば屋でしか食事をしないというこだわりがある私は、アクアウォーク内にある並み居る飲食店を拒否して、そのまま電車に乗り込みます。


今度の電車は、12時12分発、普通電車米原行きです。
東海道線最大の難所である関ヶ原を越えていきます。



関ヶ原駅のホームには、このとおり関ヶ原古戦場の案内看板が立っています。

東軍の参戦武将・・・関東・江戸城主(240万石)徳川家康(推定兵数30,000)、上野・箕輪城主(12万石)井伊直政(推定兵数3,000)、・・・美濃・岩手城主(6千石)竹中重門(推定兵数200)
西軍の参戦武将・・・近江・佐和山城主(19万4千石)石田三成(推定兵数6,000)、肥後・宇土城主(20万石)小西行長(推定兵数4,000)、備前・備中岡山城主(57万4千石)宇喜多秀家(推定兵数18,000)、筑前・名島城主(52万2千石)小早川秀秋(推定兵数13,000)、美濃・垂井城主(1万2千石)平塚為広(推定兵数400)

ほかに有力な武将がいるにもかかわらずなぜこの二人が?
竹中重門しげかどは西軍の首魁の一人・小西行長を捕らえているからまだしも、(だったら石田三成を捕らえ、石高もずっと上の田中吉政がいないのはなぜ?)西軍の平塚為広があえてピックアップされているのは・・・おそらく地元・美濃の城主だったからでしょうか。
それにしても小早川秀秋は西軍全体で2番目の兵力・・・やはり彼の寝返りは大きかったようです。


雨雲覆う山間部を越えると、岐阜県から滋賀県へ。




午 後 1 2 時 4 6 分

滋 賀 県 米 原 市

J R 米 原 駅 に 到 着




米原駅からはJR西日本の管区に入ります。
電車の乗り場は「●番線」から「●番のりば」へ。
さらに駅の放送は「黄色い点字ブロックの内側にお下がりください」とわざわざのたまいます。

さて米原駅での乗り換えは、先に急ぐなら新快速電車が4分後に出ることになっていましたが、新快速は目的地の安土を飛ばしてしまいます。
そこで14分後に発車する普通電車に乗ることにします。

そしてこの14分間を使って食事。
事前の情報で、米原駅のホームには立ち食いそば屋があることを把握していました。
そば屋があったのは遠くのホーム・7番8番のりば。



米原の駅弁を製作する「井筒屋」が運営する立ち食いそば屋。期待できそうですねぇ~。

ここからは関西エリアに突入です。
となれば、私がいただくのはそばではなくうどんです。
これより怒涛のうどん食祭りがスタート。

その最初を飾る「井筒屋」の天ぷらうどん(500円)。
あまり時間がないのでパッパッと作ってほしかったのですが、少しゆっくりですねぇ。
まぁよい。うどんがうまけりゃ文句はない・・・と思った矢先、

天ぷらを袋から出して載せた!
その天ぷらが、明らかに大量生産されて作られたであろうシロモノ
どん兵衛の後のせサクサクうどんじゃねぇんだから。



この旅最初のうどんは、なんとも評し難いものでした。



さて気を取り直して、13時ちょうど発の普通電車に乗ります。



JR西日本管区の東海道線は、区間ごとに愛称がついています。
米原~京都は「琵琶湖線」、京都~大阪は「京都線」、大阪~神戸~姫路は「神戸線」


米原の次、彦根駅付近。
車窓をぼけ~っとながめていると、「石田三成修行の寺」という立て看板が見えた。
ほうほう、あれが「三献茶」の舞台となった寺だな~と思っていたその時。

「佐和山城跡」



ああっ! またシャッターチャンスを逃してしまった。
佐和山城石田三成の居城であり、「三成に過ぎたるもの」と称されるほどの豪壮な天守を誇ったといいます。
異説として、三成は善政を敷いて余計なものに金をかけなかったため、壁は粗壁で金目のものなどない質素な造りの城であったとも言います。





13時23分、最初の目的地・安土駅に到着しました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 [JT06]戸塚駅 3番線 5時58分発
[JT]東海道線 普通 沼津行き 10両
JR東海 沼津駅 3番線 7時27分着

沼津駅 2番線 7時31分発
東海道線 普通 静岡行き 5両
静岡駅 4番線 8時29分着

静岡駅 3番線 8時30分発
東海道線 普通 浜松行き 3両
浜松駅 4番線 9時42分着

浜松駅 3番線 9時44分発
東海道線 新快速 大垣行き 6両
大垣駅 1番線 11時46分着

大垣駅 1番線 12時12分発
東海道線 普通 米原行き 4両
JR西日本 米原駅 2番線 12時46分着

米原駅 3番線 13時00分発
[A]琵琶湖線(東海道線) 普通 姫路行き 8両
安土駅 3番線 13時23分着

*所要時間 7時間25分(乗車時間 6時間48分)
*移動距離 429.9km  *運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は7,340円)






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