平泉駅の改札を出て、観光案内所で地図を入手。
最初に向かうは、駅から約1キロのところにある世界遺産・
なるべく多くの名勝史跡に行きたい私は、颯爽と駅を出ると、風を切りながら迅速に行軍。
多賀城ではいくぶん晴れ間があったが、平泉の天気は今にも雨が降りそう。
毛越寺の山門が見えてきたころ、行く手の右側になにやら広場のようなところがあった。
広場の中央になかなか大きな池がある。
公園かなにかか?
案内看板があったので見ると、ここは観自在王院庭園【世界遺産・国指定名勝】であった。
観自在王院は、奥州藤原氏の2代目・藤原基衡の妻が建設した寺院で、毛越寺に隣接していた。
平安時代後期におこった浄土信仰をモチーフとした浄土式庭園がつくられた。
鎌倉政権による平泉攻めがあった1189年(文治5年)以後は荒廃。
江戸時代になると、あたりは水田になったという。
1973年(昭和48年)から1976年(昭和51年)にかけて発掘、復元されている。
2011年6月、「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」のひとつとして世界遺産に指定された。
院の入口であった南門跡から。
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パッと見ではただの広場。
しかし奥に入ると、名勝のゆえんが見えてくる。
院の中央を占める舞鶴ヶ池。
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背後にあるなだらかな山は、金鶏山【世界遺産・国指定史跡】。
平泉の街づくりにおける基準点であったという。
雨が降ってきたが、このまま池を回る。
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大小18もの石を組んでできた滝石組からは、素朴さ、力強さを感じる。
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遣水跡。
毛越寺の池から水を引いていたという。
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なんかいいねぇ~
雨が止んでくれればもっといいんだけど・・・。
院の奥には、かつては壮麗な阿弥陀堂が大小2棟建っていた。
『吾妻鏡』によると、仏壇は銀、高欄は金でできていたらしい。
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今は素朴で小さなお堂と、
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これまた素朴なお地蔵様がたたずんでいらっしゃった。
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