川中島の激戦が繰り広げられた八幡原古戦場を後にしました。
次に向かうは、武田軍の出陣元でもあった海津城です。
海津城は幾たびも名を変え、現在では松代城【国指定史跡】と呼ばれています。
松代の地に向かうには・・・
平成24年(2012年)までは長野鉄道屋代線というアクセス手段がありました。
しかしそれも廃線になってしまったため、今回はJR篠ノ井駅からレンタサイクルという手段を用いたわけです。
戦場の八幡原から、出陣元の海津城へ。
武田信玄や山本勘助が、上杉政虎(謙信)と雌雄を決すべく進んだであろう道・・・
まさに啄木鳥戦法の本隊が進軍したであろうルートを、私はママチャリで逆に進むわけですね。
まずは古戦場が面する県道35号・長野真田線に出ましょう。
上信越自動車道・長野インター方向へと進みます。
「峠の釜めし」で有名なおぎのやさん。
碓氷峠を越えて、信濃国にも進出しています・・・って、JR上諏訪駅でも見かけましたけどね。
かなりの権勢を誇る?おぎのや長野店。
群馬の片田舎にある本店よりも大きいんじゃないかと・・・。
そのまま進んでいくと、松代大橋へ。
流れる川は、日本一の川・千曲川。
河口の日本海までは、225km。
千曲川は、下流の新潟県に入ると信濃川と名称を変えます。
橋詰には、橋名板とともに真田の六文銭、それに兜の前立てをかたどったであろうオブジェが据えられています。
松代の地は真田信之を藩祖とする松代藩の城下町、なので六文銭の装飾はわかります。
ですがこの兜の前立ては・・・???
私は最初、幸村の兜をモチーフとしているのかとも思いましたが・・・松代の地と幸村はまったく繋がりがないので、オブジェに採用されるのもヘンな話です。
調べてみると、信之&幸村の父・真田昌幸の兜をモチーフとしているようです。
昌幸さんも松代とはあまり繋がりはありませんが・・・藩祖の父ですから、まぁいいんじゃないでしょうかねぇ。
松代大橋から、千曲川の下流を眺めます。
こちらは上流側、橋の幅が広いため千曲川は見えません。
Google Map先生を参照しながら仰ぎ見ていた、おそらく妻女山。
上杉政虎(謙信)が本陣を構え、海津城の様子を窺っていたのが、あの山なんですね。おそらく。
橋を渡って、
長野インターはスルーします。
上信越自動車道の高架をくぐって、長野インター南交差点に差しかかります。
交差点脇にある高札のとおり、右に曲がって国道403号に入ります。
国道403号を200メートルほど進み、
左折して県道35号真田方面へ進みます。
県道を進んでいくと、
長野鉄道屋代線の踏切の跡がありました。
もちろん、一時停止をする必要はありません。
逆Y字型の荒神町三叉路は、ヘアピンカーブせずにそのまま道なりに進みます。
セブンイレブン近くの中町交差点を右に曲がります。
「市営無料駐車場」と同じ方向ですね。
少し進むと、
旧松代駅駅舎へ。
駅舎は、現在観光案内所になっているようです。
そして敷設されていた線路ははがされて、市営駐車場になっているのだそうです。
そのまま進み、松代城下町のメインストリートに入ります。
いかにも由緒ありそうな、小山田さんのお宅。
小山田さん家、なんと小山田家住宅【登録有形文化財】という文化財になっているのです。
そしてこういう古民家にありがちな「旧」の文字がないのは、現在も小山田さんがこちらで暮らしておられるのだそうな。
そのため、小山田家住宅は一般公開はされていないのです。
小山田さんといえば、武田家臣の小山田信茂が有名ですが、こちらの小山田さんもその一族なのだとか。
しかしこちらの小山田さん、小山田
以後も松代藩の家老職を代々務めた、名門のお家柄だそうです。
左手に真田宝物館&松代観光案内所が見えたら、あと少し。
右手に石垣と櫓門が見えたら、海津城に到着です。
【今回の行程記録】
川中島古戦場史跡公園 14時22分発
県道35号・国道403号・県道388号経由
松代城跡 14時50分着
*所要時間 37分
*移動距離 4.2km
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます