海津城に到着しました。
復元整備された太鼓門が見えます。
ママチャリは入口向かいの駐輪スペースに停めまして・・・
本丸の南側を守る太鼓門【復元】です。
前方に高麗門、後方に櫓門がひかえています。
前後の門と城壁で囲われた長方形の空間。
お城業界おなじみの枡形虎口でございますね。
そして通常では、枡形虎口の外側にある門を一の門、内側の櫓門を二の門と呼びます。
逆の場合もありますし、この太鼓門のように決まっていない場合もあるようです。
太鼓門を南東方向から見ました。画になりますねぇ~
松代城を紹介する書籍がよく採用する画が、本丸入口の太鼓門の画なのです。
太鼓門の正面に戻ります。
外の高麗門と内の櫓門は、それぞれの位置が互いにずれています。
侵入してきた敵軍の進路を曲げることによって、敵軍の勢いを削ぐねらいがあります。
枡形虎口の門は互いに直角の位置にあることが多く、ここ松代城の太鼓門はこのようにずれているだけのケースはあまり見たことがないように思えます。
本丸に入る前に、太鼓門の東側から。
太鼓門の南西側。
書籍での写真は、この画角がよく採用されるのだとか。
この画像は少し左に寄り過ぎていますけどね。
太鼓門をくぐり、本丸へ。
本丸の北西に立つ海津城址之碑。
松代城は、はじめ海津城と呼ばれていました。
甲斐を制し信濃に勢力を伸ばした武田信玄は、その後の来たるべき上杉謙信との闘いに備え、この地に拠点となる城を築くこととしました。
『甲陽軍鑑』によると天文22年(1553年)、軍師・山本勘助によって築かれた城が海津城です。
信玄は、海津城を腹心・春日虎綱(高坂昌信)に守らせました。
以後、海津城は対上杉の重要拠点となっていきます。
信玄の子・武田勝頼が甲州征伐によって滅亡すると、海津城は織田家臣・森
しかしほどなく本能寺の変が起こると、旧武田領は無秩序状態に陥ります。
長可は武田の旧臣に裏切られ、自らの所領がある美濃へと逃げ帰ってしまいます。
本能寺の変で織田の脅威がなくなった上杉景勝は、空城となった海津城を占拠しています。
慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に移ると田丸直昌、慶長5年(1600年)2月には森忠政が城主となりました。
忠政は、兄の長可が苦汁をなめさせられた信濃の所領を自ら望んだといい、「待ち望んでいた」ということで「
そして兄を裏切った旧臣一族を探し出して皆殺しにする、重税を課したために勃発した一揆を皆殺しにするなどの暴政を行ったそうです。
慶長8年(1603年)森忠政は美作津山へと移り、松平忠輝が入ります。
忠輝は加増されて越後高田に移りますが、その家老・花井良成が城代となり、領内の整備を行いました。
元和2年(1616年)忠輝が改易され、松平忠昌が城主となり、このとき「待城」から「松城」に改名されました。
元和5年(1619年)忠昌が越後高田に移り、酒井忠勝が入ります。
そして元和8年(1622年)酒井が庄内藩に移ると、上田より真田信之が13万石で入りました。
以後明治維新まで、真田家の居城となりました。
正徳元年(1711年)幕命により松代城と名を改められました。
明治5年(1872年)に廃城。
石碑のそばにある石垣は、築城当時のものだそうです。
往時にはその上に
戌亥隅櫓の櫓台に上がってみました。
西を望むと、本丸から土塁がのびています。
この土塁には、かつては漆喰塀がこしらえられていて、二の丸を取り囲んでいたそうです。
画像中央やや上に見えるくぼみは埋門で、土塁を掘って造ったトンネルがありました。
そして向こうに見える山こそ、上杉謙信が本陣を構えた妻女山です。
本丸を見てみると・・・樹木が茂っていてあまりよく見渡すことができませんでした。
かつては本丸に本丸御殿【現在はない】があったようです。
ですが度重なる水害を受け、江戸時代中期にはここを放棄。
南西の花の丸という曲輪に花の丸御殿【現在はない】が建築されたようです。
地上に下りました。
本丸には樹木が多く植わっていますね。
本丸の北側、
北不明門の櫓門【復元】。内側からの画です。
北不明門の高麗門【復元】。やはり内側。
北不明門櫓門、今度は表側から。
搦め手を守る北不明門の枡形虎口。
こちらは、門の位置関係が互いに直角になっていますね。
それでは松代城の本丸に戻って・・・「城攻め」!
松代城、攻略! そして・・・
真田信之&高坂昌信、登用!
海津城時代の名将と、松代城の名君をゲットできました。
さて、100名城スタンプはどこにあるのでしょう???
そういえば入口にこのような看板がありました。
これにしたがい、真田邸に向かうとしましょう。
路傍の掲示にしたがって、真田邸へ。
真田邸の表門に到着。その向かいに・・・
こんなところにありました。
日本100名城・第26番、松代城!
この旅唯一の100名城のスタンプをゲットできました。
絵柄は、本丸太鼓門と本丸戌亥隅櫓石垣ですね。
真田邸の目と鼻の先まで来ましたので、せっかくだからと入場することとしました。
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