令和2年。
赤き帝国から端を発した災厄は、全世界を混乱の渦に巻き込んでいます。
大いなる災厄があったとしても、春は確実にやってきて、桜はいつもと変わらぬ美しい花を咲かせます。
この日は女王様をお勤めの場にお送りし、帰りに少しだけ寄り道をしました。
わが本拠地・柏で桜の名所というと、利根川にほど近いあけぼの山というところがあります。
あけぼの山の桜の様子をチラッと見ていこうというわけです。
そしてあけぼの山の傍らにあるのが、「布施弁天」紅龍山東海寺。
柏市随一の名刹なのですが、私は今まで参拝したことがありませんでした。
そこでこの機会に、布施弁天さんにも参拝していきましょうというわけです。
柏ナンバーのかわいいクルマを駐車場に停め、
段葛?から参拝開始。
鳥居が立っていますが・・・でもここってお寺ですよねぇ?
楼門【千葉県指定文化財】をくぐります。
楼門はけやき造りの二階建てで、階上に釈迦三尊、階下に四天王が安置されています。
扁額の文字は「最勝閣」。
軒下の龍、麒麟などの彫刻も見事です。
楼門の前に構える白い枠のようなものも楼門の一部分で、あたかも竜宮城の門のようなかたちをしています。
現在はコンクリートでできていますが、建築当時は白漆喰で塗り固められていました。
東の持国天、
南の増長天、
西の広目天、
北の多聞天。
四天王を拝礼して、境内へ。
境内はそれほど広くなく、早速本堂が見えてきます。
手水舎で手水を・・・・・・
時節がら、今回は手水なし。
本堂【千葉県指定文化財】でお詣り。
「世を脅かす災厄が、一刻も早く取り除かれますように」
もちろん「女王様のご多幸」も忘れずに祈念しましたよぉ~。
本堂には、皇室の象徴「菊花紋」が掲げられています。
傍らの灯籠にも、菊の御紋が施されています。
これは、弘仁14年(823年)東海寺が嵯峨天皇によって勅願所に定められたことに由来します。
布施弁天がおわすこの地は、江戸時代中期には沼田藩(現在の群馬県沼田市周辺)を治める本多氏の所領(飛び地)となりました。
藩主の本多正矩は布施弁天を篤く信仰し、各地の大名から寄進を求め、享保2年(1717年)に現在の本堂を完成させました。
本堂内陣(本尊をお祀りする空間)の天井には、寄進した諸大名の家紋が描かれているそうです。
本堂の傍らには、鐘楼【千葉県指定文化財】が建っています。
この鐘楼、かなり珍しいかたちをしています。
屋根が△、上層が〇、土台が□の多宝塔のようなかたちをしています。
このような形式の鐘楼は、全国的にもまれなのだとか。
そして土台は□というよりも多角形、正確には八角形です。
棟札によると文化15年(1818年)建立で、筑波の名主を務めた飯塚伊賀七という人物が設計しました。
伊賀七は「からくり伊賀」と称される発明家で、この鐘楼の設計図は現在も残っているのだそうです。
三重塔。
こちらは昭和48年(1973年)の建立。
布施弁天参拝、〆は東海寺の高台の際にお立ちのfont color="blue">布施観音像。
この日は天気がとても良く、筑波山がくっきりと見えました。
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